感謝と謝罪
「お二人共、本日は私の都合でいきなり誘ってしまってすいません」
「今日は学校も午前中だけで暇だったから、別に気にしなくていいよ。むしろ黒川さんの方から家に招いてくれて嬉しいくらいだし。ねえ、大地?」
「だな。綾音はこんな感じだから、黒川さんもあまり気にしなくていいぞ」
始業式のみだったため早めに迎えた放課後。真澄に誘われる形で陽翔たち三人は彼女の部屋に来ていた。
「それに久しぶりに真那ちゃんに会えて嬉しいし。ねえ、真那ちゃん?」
「うん! 私も綾音お姉ちゃんに会えて凄く嬉しい」
綾音の言葉に元気いっぱいの声で応じるのは、綾音とはテーブルを挟んで向かい側に座る真澄の妹である真那。彼女も今日は始業式だけだったようで、すでに帰宅済みだ。
「あのねあのね、綾音お姉ちゃん。私ね――」
真那も久しぶりの綾音たちとの再会が嬉しいようで、綾音と楽しくお喋りを始める。
しかし今日この場に綾音たちを招いたのは二人に楽しくお喋りをさせるためではないようで、真澄が途中で切り上げさせた。
それから居住まいを正すと、真澄は本題を切り出した。
「本日二人を招いたのは、先日の件でお礼を言いたかったからです」
「お礼? 私たち何かお礼を言われるようなことしたっけ?」
綾音が隣に座る大地に視線をやるが、彼も首を横に振るのみ。二人は揃って首を傾げた。
ただ陽翔は、真澄が何のことを言っているのか見当がついていた。しかしあえて口を挟まず、見守ることに徹する。
「春休み中、真那が家出をした際にお二人も真那を探してくれたとは――戸倉君に聞きました。その件について直接お礼を言えていなかったので、今この場を借りてお礼を言わせてください。――本当にありがとうございました」
真澄が深々と頭を下げる。隣の真那も遅れる形で、「ありがとうございます」と小さな頭を下げた。
これには綾音たちも驚きを露わにする。
「ふ、二人共、頭を上げてよ! あれは私たちも真那ちゃんのことが心配だったから手伝っただけで、そんなに感謝されるようなことじゃないよ。ねえ、大地?」
「綾音の言う通りだな。それに結局見つけたのは陽翔と黒川さんだったわけだから、俺たちは何の役にも立ててないだろ」
言外に感謝は不要だと告げる二人に、それでも真澄は顔を上げて首を横に振った。
「いいえ、それでもお二人が真那を探すために尽力してくださったのは事実です。できれば、何かお礼をさせてください」
「お礼なんて大袈裟だよ、黒川さん。私も大地も、お礼をしてほしくて手伝ったわけじゃないし。陽翔も似たようなことを言ったんじゃないの?」
「それは……」
真澄は口ごもってしまうが、納得もしていない様子だ。真澄にとって、一緒に真那を探してくれたことはそれだけ恩を感じる出来事だったということだろう。それを考えれば、彼女の気持ちを無下にするのも難しい。
しばらくは悩む素振りを見せていたが、何か思いついたのか綾音は「あ、そうだ!」と声を上げ、両手を合わせた。
「ねえねえ黒川さん、私たちって陽翔ほどではないけど仲良くなってからそれなりに経つよね?」
「そうですね……同じクラスではありましたがこうして話すようになったのは、昨年の冬ぐらいからでしたね。それがどうかしましたか?」
「あのさ、黒川さんがお礼をしたいって言うのならさ、黒川さんのこと……名前で呼んじゃダメかな?」
「私はいいですけど……そんなことでいいんですか?」
あまりにもささやか願いに、さしもの真澄も目が点になる。
「そんなことじゃないよ。私、黒川さんのこと結構前から真澄ちゃんって呼びたかったもん!」
「ま、真澄ちゃん、ですか……」
「うん、私は真澄ちゃんって呼びたい。ダメ……かな?」
「い、いえ、そんなことは……」
高校生にもなってちゃん付けで呼ばれるのは、それなりに抵抗があるものだろう。しかしお礼をしたいと言った手前嫌だとは言い辛い。
結局綾音の懇願に押し負けてしまい、真澄は首を縦に振ることになった。
これを狙ってやっているのならかなりの策士だが、アホの綾音にそんな小賢しい真似ができるはずもないので、ただの偶然だろう。
「なら、これからは真澄ちゃんって呼ばせてもらうね! 私のことも綾音って呼んでいいから」
満足のいく結果を得られたからか、綾音は快活な笑みを浮かべる。それから真澄の横に座る陽翔に視線を移動させた。
「ごめんね陽翔。陽翔よりも先に真澄ちゃんと名前で呼び合うような関係になっちゃって」
「何で俺に謝るんだよ」
「いやだってさ、陽翔の方が先に真澄ちゃんと仲良くなったのに名前で呼び合うようになったのは私が先だからさ。陽翔には申し訳ないなあって思って」
謝りながらも、声音からは一切の謝意が感じられない。それどころか、こちらを見て「羨ましいだろ?」と言わんばかりにニヤニヤしている。見ていて腹立たしい顔だ。
実際のところ、真澄とは少し前から互いに名前で呼び合うようになっているから謝罪は不要だったりする。
そのことを教えて腹立たしい笑顔を崩してやろうかというイタズラ心が芽生えたが、暴露した場合の説明が面倒なので口を閉ざしておく。
「綾音お姉ちゃん」
「ん? どうしたのかな、真那ちゃん?」
「陽翔お兄ちゃんとお姉ちゃん、ちょっと前からお互いに名前で呼んでるよ?」
「「…………ッ!」」
陽翔と真澄が、揃って肩を大きく揺らす。まさか真那の口から漏れるとは予想外だ。別に綾音たちなら知られたところで吹聴される心配はないのだが、説明するのが手間だ。
綾音は瞳を瞬かせた後、笑みを維持したままスっと瞳を細めた。
「へえ……陽翔、真澄ちゃんのことを名前で呼ぶようになったんだ」
「……俺が真澄のことを名前で呼んじゃ悪いかよ」
「ううん、別に悪くはないよ。ただ、いつの間にそこまで仲が良くなったのかなあって気になっただけだから」
ニマニマとからかい混じりの笑みで二人を見る綾音。隣の大地も何が面白いのか、彼女に倣ってニマニマしている。
二人揃っておかしな勘違いをしているのは明らかだ。さて、何と言えば誤解が解けるだろうか。
「それで、どういう経緯で名前で呼び合うようになったのか……私たちに聞かせてくれるよね、二人共?」
「先に言っておくが、お前らが期待してるような類の話じゃないからな?」
「それは私が決めることかな。疚しいことがないのなら、洗いざらい話してくれるよね?」
笑顔で説明を要求してくる綾音に、陽翔は面倒なことになったなと内心頭を抱えた。
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