優しい人
「ま、真澄?」
陽翔は目を丸くしながら、真澄を見つめる。真澄がのここまで大きい声は聞いたことがないから、驚いてしまった。
「本当に最低な人なら、そうやって苦しんだりなんてしません……ですから、自分のことを最低だなんて卑下しないでください」
くしゃりと表情を歪める真澄。どうして真澄がそんな顔をしているのか、陽翔には見当もつかない。
それでも確かな意志を宿した瞳で、真澄は陽翔に言葉を投げかける。
「誰がなんと言おうと、陽翔君は優しい人です。例え陽翔君自身であろうと、それだけは否定させません」
「……真澄」
「だから陽翔君も、自分のことを貶めないでください。お義母さんとのことで、陽翔君がいっぱい悩んでいるのは分かりました。それは部外者の私では、何も口を挟めない問題です」
真澄は「それでも――」と続ける。
「陽翔君が貶されるのは……私が嫌なんです。聞くだけで胸が痛くて、辛いんです」
ただでさえ崩れていた真澄の表情が、今にも決壊しそうになる。いつ彼女の瞳から、雫が溢れてもおかしくない。
なぜ真澄がここまで一生懸命訴えてくるのか、ここに来てようやく陽翔にも理解できた。真澄はただただ、陽翔の身を案じてくれているのだ。
(何やってんだよ、俺は)
葵への負い目があり、ずっとそのことで自己嫌悪をしていた。葵の善意に報いることのできない自分が、嫌で仕方がなかった。
けれどまさか、そのせいで真澄が胸を痛めることになるなんて思いもしなかった。陽翔のために必死になってくれるなんて、想像すらしていなかった。
「……ごめんな、真澄。もう自分のことを最低なんて卑下しないから、そんな泣きそうな顔しないでくれ。真澄にそういう顔をされるのは、俺も辛い」
真澄が先程辛いと口にしていた意味が、今は少しだけ理解できそうだ。彼女が自分のせいで涙しそうになる姿は、胸をえぐられるような感覚にさせられる。
自分のせいで真澄が似たような思いをしたのだと考えると、罪悪感が胸を満たした。
真澄が潤んだ瞳でこちらを見つめる。
「……本当に二度と自分のことを最低だなんて言いませんか?」
「ああ、約束するよ。二度と言わない」
陽翔のせいで目の前の心優しい少女が胸を痛めずに済むのなら、それぐらいお安い御用だ。
「次自分のことを最低だなんて言ったら、許しませんからね?」
「もちろんだ」
陽翔は絶対に守るという意思も込めて、力強く頷いてみせた。
そんな陽翔を目にして、「それなら許してあげます」と真澄は安堵の笑みを作る。
陽翔も、真澄がようやく柔らかい表情を見せてくれたことにほっとする。
「……あ、もうこんな時間ですね。夕食の準備をしないと」
壁に立てかけている時計に視線をやってから、ソファーから立ち上がって急ぎ足で台所に向かう真澄。
そんな彼女の後ろ姿を目にして、ふと陽翔は大事なことを忘れていたことに気が付き「真澄」と呼び止めた。
真澄は足を止め、首を傾げながら陽翔の方を振り向く。
「どうかしましたか、陽翔君?」
「いや、その……今日はありがとうな、色々と。――真澄がいてくれて、本当に良かった」
あまり気の利いた言い回しはできないので、迷った末に少々気恥ずかしくはあるが陽翔は素直な気持ちを伝えることにした。
すると真澄は一度目を大きく見開いてから、さっと陽翔に背を向ける。
「ど、どういたしまして、力になれたのなら何よりです……」
やや上擦ったような声音が、真澄の口から漏れた。
背を向けているので断言はできないが、どこか落ち着きがないようにも見える。
「そ、そういえば真那はまだ自室にいますね。一人にしておくのも可哀想ですから、呼んできてくれますか?」
「ん? ああ、分かった」
確かに真澄の言う通りだ。もう真那が自室にこもっている理由もないのだから、これ以上放っておくのは可哀想だ。そろそろ迎えに行くべきだろう。
真澄の横を抜けて、真那が待っているであろう部屋に向かう。
「……今の言い方はズルいです」
口を尖らせた真澄の呟きは、残念ながらリビングを出る間際の陽翔に届くことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます