ウサギのぬいぐるみ
「戸倉君、今日はありがとうございました」
時刻は九時半頃。食事を終えて後片付けも全部した後、陽翔と真澄はソファーに座って一息ついていた。
「戸倉君のおかげで、真那も今日はとても楽しそうにしていました」
「礼を言うのは俺の方だ。誕生日に家族でもない俺まで招いてくれたんだからな」
「戸倉君を招きたいと言ったのは真那なんですから、気にしなくていいですよ。この子は戸倉君が来てくれただけで、十分嬉しかったはずですから」
言いながら、真澄は隣の真那の頭を優しく撫でた。
しかし真那はソファーに寄りかかり、安らかな寝息を立てているため何の反応も示さない。誕生日パーティーで随分とハシャいでいたから、疲れてしまったんだろう。
おかげで現在、室内は二人きりのようなものだ。真那はちょっとやそっとじゃ起きそうにない。
(渡すなら、今が丁度いいタイミングか)
二人きりの今なら、あれを渡すには丁度いい。
「あー……黒川、ちょっと渡したいものがあるんだけどいいか?」
「渡したいもの……ですか?」
「俺の部屋にあるんだ。今から取ってくるから、ちょっと待っててくれ」
陽翔は立ち上がると、淀みない動きで部屋を出た。そして数分と経たない内に、再び真澄の元へ戻る。
手には、部屋を出る前にはなかった箱があった。真那に贈ったプレゼントの入っていた箱と同じものだ。
「ほら、受け取れ」
「これが渡したいもの……ですか?」
「ああ、そうだよ」
「……開けてもいいですか?」
「お前のものなんだ、好きにしろ」
なぜか奇妙な照れ臭さを覚えて、ぶっきらぼうに答える。
真那にプレゼントを渡した時にはなかった感覚だ。どうして真澄相手だとこんな風になってしまうのだろうか。ただ渡すだけだというのに、不思議だ。
真澄は真那と違い、丁寧な手つきで箱を開けていく。そうして箱から取り出したものを見て、目を丸くした。
「これはあの時の……」
「本当は買った日に渡そうと思ってたんだけどさ、あの時は綾音たちの件があって渡すタイミングを逃がしたから、いつ渡そうか迷ってたんだ――そのぬいぐるみ」
陽翔が真澄に贈ったのは、先週真那のプレゼント選びの際に真澄が可愛いと口にしていたウサギのぬいぐるみだ。
ぬいぐるみに視線を釘付けにした真澄に、陽翔は続ける。
「黒川はプレゼント選びに付き合ってくれたからな。それに普段から色々と世話になってるし、諸々のお礼だと思って受け取ってくれ」
「…………」
真澄は口を閉ざしたまま、ジっとぬいぐるみを見ている。陽翔の言葉が聞こえているのか、よく分からない。
(……もしかして、気に入らなかったのか?)
想定外の反応に不安が脳裏をよぎる。初めてぬいぐるみを見た時は明らかに気になっていたからプレゼントに選んだが、失敗だっただろうか。
「……一応黒川の好みかと思って買ったけど、いらないなら言ってくれ。こっちで適当に処分するから」
「いらないなんて、そんな悲しいこと言わないでください。この子は、一生大切にします。後から返してほしいと言われても、絶対に渡しません」
ギュっと、ぬいぐるみを胸元に抱き寄せる。その姿は、クマのぬいぐるみを抱きしめていた真那と瓜二つで二人が姉妹であると実感させると同時に、陽翔に取られまいとする意志も感じられた。
どうやら陽翔の不安は杞憂だったらしいことは、今のやり取りでよく分かった。胸のつかえが取れ、安堵が胸中を満たす。
「言わねえよ。それは元々黒川のために買ったんだ。大切にしてくれ」
「はい、大事にします」
言いながら、ぬいぐるみを抱きかかえる真澄の眦がやんわりと下がり、雪解けのように年相応のあどけなさが顔を覗かせる。
男なら、誰もが見惚れてしまうであろう可愛らしさが視線の先に広がっている。
「可愛い……」
真澄の口元が、微笑の形を作る。
「……可愛いのはどっちだよ」
思わずそんな呟きが漏れてしまうくらい、今の真澄はぬいぐるみ以上に愛らしく、陽翔の視線を釘付けにした。
最近一緒にいる機会が多かったから真澄の美貌には慣れたつもりだったが、どうやらそれは勘違いだったようだ。そのことを証明するように、心臓が高鳴る。
この感じはマズいと理性を総動員して感情にフタをしようとするが、まずは熱を帯びたこの顔をどうにかしなければ意味がない。やむなく顔を見られまいと、背を向ける。
「戸倉君、いきなり背を向けてどうかしましたか?」
「……大したことじゃないから、気にするな」
「はあ、そうですか……」
まさか真澄を見て赤くなった顔を見られたくないから背を向けたとは言えるわけもなく、陽翔は適当に誤魔化した。
真澄はぬいぐるみにご執心のようで、すぐさま話題が切り替わる。
「それにしても、戸倉君が私に贈りものなんてビックリです。女の子にこういう贈りものをするのは、慣れているんですか?」
「そんなわけないだろ。慣れてたら、そもそも真那のプレゼント選びに付き合ってもらってない」
今までプレゼントを贈った女子なんて、今回の件を除けば綾音くらいのものだ。ただし綾音の場合は『誕生日プレゼントの催促がウザくて仕方なく』という枕詞が付くが。
自主的にプレゼントを買おうと思ったのは、今回が初めてだ。もちろん、あくまで日頃の感謝であって決して色恋のためではない。
「俺が一人でプレゼントを選んだのは、黒川が初めてだ」
「私が初めて……ですか。そうですか」
か細い声が真澄の口から漏れる。残念ながら、今真澄がどんな表情をしているのかは背を向けているせいで確認できないが、何か不満があるとかではなさそうだ。
自分の贈ったプレゼントを喜んでくれている。渡した身として、これ以上嬉しいことはない。
「戸倉君、ありがとうございます」
陽翔の背に柔らかい声音の感謝が届いた。
今彼女がどんな表情をしているのか、背を見せているせいで目にできないことを少しだけ惜しいと感じてしまった。
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