姉が学校一の美少女
夕食のカップ麵を食べ終えた後。
「さて、これからどうするか」
ソファーに腰を下ろした陽翔は、隣でスヤスヤと安らかな寝息を立てている女の子を見下ろしながら呟いた。
陽翔が声をかけるまでに相当泣いていたから、泣き疲れていたはずだ。そこに夕食を食べてお腹いっぱいになったせいで、眠気が襲ってきたんだろう。穏やかな寝顔をしている。
「お姉ちゃん……」
女の子が寝言を漏らす。こんな時まで姉のことを呼ぶ辺り、余程姉のことが好きなんだろう。ここまで好かれているのなら、姉の方も妹のことを大事に思っているはずだ。
こっそり抜け出してきたとはいえ、流石に時間が経てば妹がいないことに気付くはずだ。もしかしたら今頃、妹がいなくなったことに気が付いて慌てているかもしれない。
「早く帰してやった方がいいか」
元々、ずっとここに置いておくつもりはなかった。姉が心配しているかもしれないことを考えれば、早く帰してあげた方がお互いのためだ。
そうして今後の予定が決まったところで、不意にピンポーンというインターホンの音が耳に届いた。
今の時刻は十九時過ぎ。こんな時間に来客とは珍しい。いったい誰なのかと首を傾げつつも、女の子を起こさないよう静かに立ち上がり、玄関に向かいドアを開ける。
するとそこには、想像だにしない人物が立っていた。
「
「戸倉君……?」
向こうも陽翔がいることは意外だったらしい。黒川と呼ばれた制服姿の少女は目を丸くしている。
彼女の名前は
雪のような純白の肌、整った鼻梁、綺麗に生え揃った睫毛にキリっとした瞳は近寄りがたい雰囲気を醸し出している。腰まで伸びた艶のある黒髪は、『大和撫子』という単語を彷彿とさせる清楚さがある。
真澄と陽翔はクラスメイトではあるが、特別仲がいいというわけじゃない。向こうは精々名前を知っている程度だろう。
逆に陽翔は、真澄についてはそこそこ知っている。端的に言ってしまうと、真澄は文武両道の美少女だ。学力スポーツ共に学年トップであり、更に整った顔立ちをしている。
しかしそのことで驕ることはなく、性格は謙虚そのもの。これだけ評判がいいのだから、真澄がモテるのは当然のことと言えよう。まあ今のところ、彼女と付き合えた男は皆無だが。
まさかそんな完璧超人が自分の元を訪問する日が来るとは、夢にも思わなかった。
「どうして戸倉君がここに……?」
「どうしてって、俺はこの部屋に住んでるからだよ。そっちこそ、ウチに何の用なんだ?」
「……実は今、人を探しているんです。それで隣室の方に見た覚えがないか訊ねに来たんです」
「隣室って……黒川、隣の部屋に住んでたのか? 全然気付かなかったな……」
「私も戸倉君が隣人だとは思いませんでした」
高校進学を機に実家を出て現在のマンションで暮らし始めてから半年ほど経ったが、マンションで真澄と遭遇したことはなかった。単純に時間が合わなかったからだろうが、驚きだ。
(ん? 黒川が隣の部屋に住んでるってことは、あの子と黒川は……)
一つの可能性が陽翔の脳裏をよぎった。タイミングから考えてあり得ない話ではない。
「あー……黒川、その探してる人ってどんな奴なんだ?」
「七歳ぐらいの小さな女の子です。名前は
真澄はスマホを取り出すと、画面を陽翔に見せてきた。
画面の中に映っていたのは、見覚えのある女の子。やはり真澄が来訪した理由は、陽翔の予想した通りだったみたいだ。
よく見てみると、写真の中の女の子の顔は目の前の真澄にそっくりだ。まだ幼くはあるが、将来性を感じさせる綺麗な顔立ちをしている。
「その子なら見たぞ。というか今リビングで寝てる」
「え……!?」
真澄がギョっと大きく目を見開いた。
「公園で一人で泣いてるのを見かけてな。放っておけなかったから、連れてきたんだ」
「そうだったんですか……ウチの妹がご迷惑をおかけしました」
「俺が勝手にやったことだ、気にしなくていい。それよりも、探してたのなら連れて帰るんだろ?」
「はい、そのつもりです」
早速陽翔が起こして連れてこようと思ったが、真澄曰く起きると帰らないと言い出すかもしれないということだったので、彼女をリビングまで案内する。
穏やかな寝息を立てている女の子――真那の前に立つと、真澄は形のいい唇を動かした。
「起きなさい、真那!」
彼女の華奢な身体のいったいどこから出てきたのか、問い質したくなるほどの怒声。学校での評判からはかけ離れた行動に、思わず目を見張る。
安眠していた真那は、突然の大声にビクリと身体を震わせて飛び起きた。それから何事かと周囲を見回し、真澄の姿を捉えるとサっと顔を青く染めた。
「お、お姉ちゃん? どうしてここに……」
「あなたを迎えに来たんです。全く、勝手に家を抜け出しただけでも許せないのに、他人様に迷惑までかけるなんて……何を考えているんですか!」
「だ、だってお姉ちゃんが……」
「言い訳しない!」
真澄が一喝すると、真那は一際大きく肩を揺らして口を噤む。それから瞳を潤ませ、助けを求めるような視線を二人のやり取りを見守っていた陽翔に向けた。
真澄も真那の視線を追うような形で陽翔を見ると、はっとした。
「あ、ごめんなさい。他人の家で大声を出すなんて……」
真澄の雪のような頬に微かな赤みが差す。これもまた、学校では見られない真澄の顔だ。
「いや、驚きはしたけど謝ってもらうほどのことじゃないからいいよ。それよりも……」
チラリと真那に視線をやる。放っておけば、今にも涙腺が決壊してしまいかねない。どんな事情があるにせよ、今にも泣きそうな女の子は見ていてあまり面白いものではない。
「その、余計なことかもしれないけどさ……こいつのことはあんまり厳しく叱らないでやってくれるか? 俺も特に迷惑を被ったってわけじゃないし、その様子だともう十分反省もしてるようだからさ」
「お兄ちゃん……」
目を見張る真那。まさか陽翔が助け舟を出すとは思わなかったんだろう。
「……戸倉君がそこまで言うのなら、これ以上は何も言いません」
渋々といった感じではあったが、真澄は陽翔の言い分を聞いて真那を叱るのをやめてくれた。とりあえず真那がこれ以上叱られることはないので、ほっと一安心。
一日で女の子の泣き顔を二度も見るのはごめんだ。
「ですが、戸倉君にはご迷惑をおかけしてしました。このお詫びはいずれ何らかの形でさせてください」
「いや、別にお礼なんていいよ。見返りがほしくてやったわけじゃないし」
「そういうわけにはいきません。お礼は絶対にします。そうでなければ私の気が済みません」
真澄はお礼をすると言って譲るつもりはないみたいだ。わざわざ律儀なことだ。ここまで言われると、無下にするのは心苦しい。
「ほら真那も、お世話になったんですからちゃんとお礼を言いなさい」
「う、うん……ありがとう、お兄ちゃん」
真那は真澄に促されると立ち上がり、頭を下げた。
「どういたしまして、もうお姉ちゃんを困らせるんじゃないぞ?」
「うん……!」
先程までのクシャリと歪んだ顔とは打って変わり、真那はまるでひまわりのような笑顔を浮かべるのだった。
話がひと段落すると、真澄が「あまり長居しても迷惑になりますから、そろそろ帰りますね」と言い出したので、三人は玄関に向かう。
「それでは戸倉君、また明日学校で」
「ああ、また明日な」
二人は短く別れを告げる。
陽翔は真澄と「バイバイ、お兄ちゃん」と無邪気に手を振る真那が出て行くのを見送った。
偶然にも学校外で真澄と顔を合わせることになったが、こんな偶然は今日一日限りのもの。隣人だからといって、今後親しくなることもないだろう。
明日からは互いにただのクラスメイトに戻るはずだ。この時の陽翔は、何の疑いもなくそう思っていた。
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