シンデレラと死に至る病④

 超超超良い感じである。恋愛革命である。

 大観覧車で、ことりが私を求めて口付けしてくれた。付き合うことになったあの日以来だ。もう夢を見ているみたいで、『カボチャの馬車』だけに魔法をかけられたような気分だった。

 そして、ことりも私と同じくいわゆる勝負下着をお召しになっているらしい。私としては当然抱いてホールドオンミーという感じだし、もう間違いなく今夜はラブマシーンである。

 とはいえ、ナイト志向のモーニングな私とは裏腹に今はまだイブニング。この時間だってことりと目一杯楽しみたいから、ちゃんと気持ちを切り替えよう。そう意気込んでホテルに行進したのだけど——

 ロビーに着いたところで、全体止まれと言われるまでもなく二人同時に立ち止まる。

 ——その必要はなかった。拙い行進曲をしゃかりきに演奏していた心が、自然と冴えた音色の軽快なクラシックを奏で始めた。

 ことりが尊顔で天を仰ぐ。

「……これは、……やばいね」

 私も腰を反らせながら天井を見上げる。

「……うん。やばい」

 私もことりも若者言葉を多用する方ではないけど、もうそれしか出てこなかった。

 凹凸を錯覚しそうになるくらい高くにある、大聖堂みたいに華美なドーム。その中心から波紋みたいに広がる正八角形を目で追っていくと、ずっしりした大理石の柱が八方を囲んでいた。私より大きな鳥の像がその中央を我が物顔で占有していて、五階分の吹き抜け構造がまるで巨大な鳥籠みたいに見える。服装も相まって小さな妖精にでもなった気分だ。

 暖色を基調とした高級感のある空間にしばらく現を抜かし、左手にあるフロントが目に入ったところでファンタジー気分を中断する。

「あれ、結局チェックインってどうするんだっけ」

「オンラインでできたから大丈夫! もうかざすだけで入れるよ」

 ことりがじゃーんと言わんばかりにスマホを見せてくれた。画面にでかでかとアンティークなデザインの鍵が映し出されている。

「え、すごい! ありがとう」

「いえいえ。でもほんと、便利になったよね」

 言いながら、ことりが徐に歩き出す。

「ね。私の時なんてポケベルだったのに」

 ボケを交えつつ私も倣い、二人で右手にあるエレベーターホールへ向かう。

「え、っと。私の時なんてモールス信号だったよ」

 ことりがボケを重ねた。基本的にボケはことりだから、私がボケるとたまにこうなる。そしてこうなるとツッコミを入れさせた者勝ちの大喜利対決だ。

「やっぱり、えっと……。伝書鳩だったかも」

 自分でも基準がよく分かっていないけど、多分通信技術繋がり。

「うーん……」

 ことりが真剣な顔であたりを見回す。けど柔らかく光るウォールランプと重厚なエレベーターくらいしかない。

「イタコだったかな?」

「いやそれ死んでる」

 口寄せを通信手段にできるのは霊くらいだ。というか何が見えたの。

 ことりが勝ち誇るように笑いつつエレベーターのボタンを押すと、それを待ち侘びていたように扉が開いて窓枠型のミラーと相見える。乗り込みながら二人揃って髪を繕ったのが可笑しくて、つい笑みを溢したらそれも重なった。それこそ鏡みたいで、私たちはその鏡の中に何を見ているのだろうと幸せな思索に耽る。

 魔法の絨毯みたいな床にふわりと揺られ、私たちの部屋がある五階に到着。エレベーターホールの構造が一階とそっくりだったから移動した気がしなかったけど、突き当たったらちゃんとそれらしい景色が広がった。

 合わせ鏡をしたような廊下をことりに付き従って静々と進んでいき、ふかふかのカーペットを土足で踏む違和感に慣れてきたところでことりが立ち止まった。

「こちらでございます」

 硬質そうな木目調のドアを、ことりが恭しく手のひらで示す。

「……うむ。開け給え」

「はっ」

 ホテルの空気に飲まれてお互い妙なノリになっている。空気の方もこんな異物は早く吐き出したいに違いない。

 ことりがスマホにさっきの鍵を表示して、緊張感のある動きでカードリーダーに翳す。赤く点灯していたランプが緑に変わり、無機質な鈍い音が束の間の沈黙を破った。

「開けるよ……?」

 ごくり。

「うん……」

 ことりが金の光沢を放つドアノブに手を掛け、音も立てずゆっくりと押し開いていく。

 拳大の隙間に覗ける暗闇。

 一人分の間隔から溢れ出た金光。

 二人分の通り道を抜けて広がった別世界。

 私たちの感嘆の声が、ドアの閉まる音と重なった。

 頭上には、部屋中のダマスク柄を上品に照らし出すシェードが薔薇のシャンデリア。左手にはお姫様がうたた寝でもしていそうな優雅なソファーと、ティータイムにお誂え向きな白い猫足テーブル。右手ではハイバックのダブルベッドが私を誘惑し、正面ではフリルに彩られたカーテンがもったいぶるようにその先の景色を隠している。

 異国情緒に心を奪われて部屋を眺めていると、運ばれていた私たちの荷物が目に入った。

「ことり、ベランダ出てみよ!」

「うん!」

 ことりへのプレゼントを思い出して高揚した気分のままに、勢いよくカーテンを開く。室内の風景をうっすら映した掃き出し窓をスライドさせると、夜の空気に飽和した活気が高揚の絶頂を予感させた。

 部屋より広いベランダに踏み出し、硬い足場の感覚を懐かしむ。仄かに照らされた丸いガーデンテーブルを横目に、パークのパノラマを遮っている手すりに二人で歩み寄る。

 私たちの詠嘆の吐息が、可惜夜に溶け合った。

 遥かな水平線に分かたれた、広大無辺な大空と光彩陸離たる大地。夜空は眼下に点在する光に魅せられたように白み、正面に聳り立つ城の青黒い切っ先がそれを穿つ。水面では長く伸びる無数の灯光が環状の運河を暖かい金に染め、明瞭に反射した城の鮮やかな銀と共に美しいコントラストを織り成している。

 その眺望に、ぐっと拳を握る。私が選んだ指輪のイメージにぴったりだし、これから始まる盛大なショーを楽しむのにも最高の眺めだ。

「……そうだ、夜どうする?」

 ことりが思い出したように口を開く。

 夕食をルームサービスにするかレストランにするか二人で悩んでいたのを受けての問いかけだろうけど、私としてはもはや愚問だ。それは多分、言葉に反してちらりとガーデンテーブルに目を向けたことりにとっても。

 だから気を遣ってくれたことりに、ありがとうの笑みだけ浮かべる。一瞬目を丸くしたことりもすぐに同じものを返し、二人で頷き合って部屋に戻る。

 壁に設置されたモニターと向かい合うように、並んでベッドに腰かける。顔を赤らめながらも高額な料理を注文して苦虫を噛み潰した後は、ことりとお姫様気分で紅茶を飲んで口直しした。

 ショーの開始まで秒読みという最高のタイミングでガーデンテーブルが料理に彩られると、気分は再び最高潮に達した。お互い早く食べたいとうずうずしているけど、何やら格式ばった態度で配膳してくれているスタッフの手前行儀の悪いことは出来ない。

「では、失礼致します」

 部屋から出ていくスタッフを、二人でにこにこ見送った。

 ドアが閉まった瞬間に、ぐるぐる足で引き返す。

 ザッと椅子引きすっと腰掛け、ナイフとフォークでステーキ一刀。

「いたらきまふ」

 言うが早いか噛み締める。その間実に二・〇秒。

「え、はや!」

 正面では、タッチの差で宴席に着いたことりが目を白黒させている。

 突如勃発したグルメレースを制して食べる料理は、勝利の味がした。

「んー、めひゃくひゃほぃひい!」

 ことりがぐぬぬという顔をしながらもきちんといただきますをして、それらしい手付きでマリネを口に運ぶ。咀嚼する度にしかめていた顔を綻ばせ、飲み込むと同時に溜飲が下がった様子で満面の笑みを浮かべた。

「うん、めちゃくちゃ美味しい!」

 私が行儀悪く放ったのと同じ感想を、ことりが爽やかに口にした。試合に勝って勝負に負けた気分だ。

「陽芽莉、乾杯しよ!」

 ことりの度量に完敗して汗背しつつ感佩する。

「うん!」

 お互いに利き手でワイングラスを掲げ、少し腰を浮かせて身を乗り出す。

「「かんぱい!」」

 色々な気持ちを込めたその言葉とともに響いたのは、しかしグラスがかち合う音ではなかった。

 ショーの幕開けを告げるダイナミックな音楽が、雷鳴のようにパーク全体に轟く。唸る低音が陸地を震わせ、伸びる高音が天空に躍動する。そうして津波のように押し寄せた大歓声が、高台にいる私たちまでも瞬時に飲み込んだ。

「始まったね!」

「ね!」

 浮かせた腰も掲げたグラスも下ろさずに、その引き潮に流されて二人で渦中へ歩み寄る。そうして私たちの目に飛び込んできたのは、自然現象を凌駕し得るスペクタクルだった。

 天球を一手に支えているかのように大きな城と、視界いっぱいに広がる運河とが一体となった、とてつもなく巨大な噴水。水面はオーロラのような霧に覆われ、噴き出す火炎が残暑を鼓舞し、光線が夜空を稲妻のように駆け巡る。

 運河から放出されていた水はやがて高い放物線を描き、城の裾を取り囲む大きな滝となった。その大スクリーンと『シンデレラの城』に、光と音の魔法が命を吹き込んで様々な童話の世界を映し出していく。

 もう、嘆息すら漏れなかった。

 けど、漏らす必要もなかった。

 右手には、いつの間にかことりの温もりがあったから。

 私たちは、今こうして同じ気持ちで繋がっているから。

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