黒崎陽芽莉と白雪ことり④

「なんかさ」

 横に並んで歩いていたことりが不意に立ち止まった。

「……ん?」

 反応が遅れて二歩ほど前に進んだところでことりの方に向き直ると、抑えきれない様子の笑みが口の端から漏れていた。何か企んでいる顔だ。

「このまま帰るのもったいなくない?」

 ことりが手で庇をつくりながら、まだまだ沈む気配のない元気な太陽を見上げる。

 時刻はおやつの時間三十分前。三限の講義が終わり、駅への長い坂道を下ろうかというところだった。ちなみに、私はことりと全く同じ時間割。

「何する?」

 疑問に答えるのももどかしくて、必要のないやりとりをすっ飛ばす。

「お花見しよ!」

 あらかじめ用意していたように返事が飛び出した。お花見日和だと言わんばかりのテンションだけど、もう四月下旬だ。

「良いけど、見頃過ぎてない?」

「だから良いの」

 いつものことりではないような、強い意志を感じられる声だった。

「……ふむふむ。どこ行こう?」

 言葉の真意は咀嚼しきれなかったけど、その気迫に押されてとりあえず飲み込む。

 ことりが普段の笑顔で続ける。

「駅のすぐ横に階段あるでしょ?」

「うん」

 そんなのあったっけなと思いつつ、話の腰を折らないようにとりあえず肯定。

「あそこを下りて……まあ、百聞は一見に如かずだよ」

 言うや否やことりが歩き出すから、消化不良を感じながらも足早に追いかける。

 長い坂道の尻尾に着くと、ことりの言った通り橋上駅舎から地上に続く階段が伸びていた。

 その階段を下り、坂道の陰になって少し薄暗い歩道を進んでいく。歩道は右に膨らんだ弧を描いていて、今いる位置からだと街路樹で先を見通せない。

 仕方なく、登校する時遠目に見下ろす川を右手に見ていると、頭上高くを歩いている賑やかな学生と坂を隔ててすれ違った。彼らの歩く道が正道だとすれば、私たちは今まさに正道に反している。そんな、背徳感みたいなものがリズミカルに脈打つ。

「ほら見て、陽芽莉!」

 その声と同時に弧の接点に差し掛かり、眩い光が私たちを包んだ。

 ことりの指差す先にあったのは、あちこちに桜の木が植えられた物静かな公園と、そこへ続く桜並木のトンネル。一面の桜は強い西日によって所々黄色に染まり、鮮やかな暖色のグラデーションに彩られている。幸福感に満ちた、神秘的な景色だった。

 喜びとか幸せみたいなものは、思いの外近くに揺蕩っているものだと。そうことりに教えられた気分になって、えも言われぬ感動に立ち尽くす。

 そんな私の気持ちを察するようにことりが笑った。

「良いところでしょ」

「うん。全然知らなかった」

「ちょうど死角だからね」

 遥か頭上の坂道を見上げ、なるほどと納得する。同時に、当然の疑問が湧いた。

「ことりはなんで見つけられたの?」

「……それ聞いちゃう?」

「え?」

 突然、ことりが何かを恥じるように伏し目になった。予想外の反応に少し面食らう。

「いやそれが、なんというか……」

 けど一瞬、すっと不自然に視線が動いたのを私は見逃さなかった。心理学はともかく、ことりの友達は伊達じゃない。

 視線の形跡を追う。でも公園があるだけ……あれ? いや、よく見ると。

 桜並木に隠れて何か見える。

 縦長の茶色い看板。に、白色の丸ゴシック体で——

「——『ことりせせらぎ公園』?」

「陽芽莉、ほら! 桜! 見て桜だよ! 綺麗だ! 満開だ!」

 ことりが両手を上げながらくるくる踊る。満開はダウト。

 自分と同じ名前で恥ずかしがっているわけではないよね。いや、そもそも何でこの公園を見つけたかって話で——

 ——あ。

 まさか。

 さてはことりちゃんってば。

「……大学名と名前でエゴサした?」

 両手を広げて片足を上げたままの姿で、ことりがぎくりと止まる。道頓堀にいそう。

「陽芽莉のいじわる……」

 ことりの白い頬が一面桜色に染まるのを見ながら、お腹を抱えて笑う。早くも花見はたけなわだ。

 桜並木を抜けて、芝生の踏み心地を楽しみつつ広場を横切る。見下ろすと雑草はほとんど生えていなくて、手入れが行き届いているのが分かった。『ことりせせらぎ公園』の名に恥じず、あたりには桜の木々に身を隠したスズメの鳴き声が響き渡り、さらさらと川のせせらぎも聞こえる。

 まばらに設置されたベンチには目もくれず、こぢんまりした公園の中で異彩を放っている六角形の東屋に忍び込む。蜘蛛や蟻が先客かなぁと思って恐る恐る見回したけど、こちらも管理が行き届いていて私たちが一番客だ。

 出入り口以外の五辺が詰めれば二人ずつ座れそうなベンチになっていたから、真ん中の一辺に二人で腰掛けたらかなり持て余した。そのせいか何となくそわそわする。

「……そうだ」

 案の定所々葉の混じっている桜を見ながら、さっきの消化不良を思い出す。

「ん?」

「何で見頃過ぎてる方が良いの?」

 ことりの鬼気迫る表情を思い出しつつ、相応の覚悟を持って聞く。

 顔をこちらに向けていたことりが、視線を一度足下に落とした後、見たことがないくらい複雑な表情で遠くを見上げた。桜を見ているにしては、少し位置が高い気がした。

「……陽芽莉はさ、可愛いし、この大学に入学できるくらい頭良いでしょ?」

「……へ?」

 声が裏返る。謙遜すべき内容を、会話の流れに乗り切れず否定できない。

「そういう、結果の部分だけを見られるの、なんか嫌じゃない?」

 ことりが居住まいを正すのを見て私も倣う。

 未だ意図は分からないけど、考えてみる。

 中学時代も高校時代も、成績は上位だったし運動神経も割と良かった。容姿も、まあ、整っているのだろうなと自覚できる程度には周囲にもてはやされてきた。そういう、ある程度客観的に優劣をつけ得るものはどれも高水準なのかなとは僭越ながら自負している。

 そしてそれだけを見てとやかく言ってくる連中も、確かにいた。羨望、賞賛、期待、嫉妬……。

「……まあ色々面倒だなって、思うことはあったかも」

「なるほど面倒か。確かに陽芽莉っぽいね」

 興味深い知見だと言わんばかりに、ことりが無邪気にはしゃぐ。

「ことりはどう感じるの?」

 会話の流れを意識してではなく、心から湧いて出た疑問を投げかける。

「私は……うん。虚しいって、思うかな」

 あらかじめ用意していた言葉を、改めて吟味するような間があった。

「うまく言い表せないんだけどね。結果って、自分のしてきたことのほんの一部だから。だから、ちゃんと自分を見てもらえてないような気がして」

 根本的に興味関心を持たずに社会を拒絶した私と、根幹に実直さを宿しながらも枝葉の部分では社会との間に壁を作ったことり。これは、その差なのかもしれない。

 なら、ことりのその歪みはどうして生じたのだろうと。そんな疑問が頭の端で一閃したけど、それは言葉になるにはあまりに微かな光だった。

「なるほど。そっちはことりっぽいかも」

 思わずくすりと笑う。

「けど、それが桜とどう繋がるの?」

 ことりがこちらを一瞥した後、さっきより少しだけ下の位置に視線を移す。今度は桜を見ているのがはっきりと見て取れる。

「桜って、花が散ってから葉っぱが出るでしょ?」

「うん」

「その葉っぱで養分を蓄えて、それが次の年の花を咲かせて。だから、満開の桜は、去年人知れず頑張ってた、その結果でしかなくて」

 なるほど。

「結果しか見てもらえないのが虚しいって思うから。だから、綺麗だったよ。来年も頑張ってねって。そう思える時期に見たい」

 「結局は私のエゴなんだけどね」と付け足して、ことりがごまかすように笑う。

「まあ、私も満開の時には来たくない派かな」

「『色々面倒』だから?」

 ことりが笑みを溢し、私も綻びながら頷く。

 たとえ考え方が違っていても、お互いがお互いを深く理解しているからこそ、納得して、感情を分かち合うことはできる。ことりといると、それが楽しい。



 その後。お互いの性格は動物に例えると私は猫でことりは犬だという話になり、そこから私たちの星座の話に繋がって終いには宇宙の神秘の話にまで飛躍した。

 言わずもがな、実のある話なんか何一つとして出なかった。強いて建設的なことがあったとすれば、五月に一つ予定を立てたことくらい。まあ、私にとっては宇宙の神秘よりもそっちの方が余程心躍るのだけど。

 あと、ことりが例の如くスマホでたくさん写真を撮っていた。お互いSNSとは無縁な身の上だけど、ことりは頻りに私たちの写真を残したがる。

 そんな時間を目一杯満喫して、今は桜並木の道を二人並んで歩いている。

 すっかり背の高くなった二つの影を見比べて、ふと気になったことを聞く。

「ことりって身長いくつ?」

 ちなみに私は一五四センチ。けど人に聞かれた時は迷いなく一五五センチと鯖を読む。

「一六〇センチだよ」

 ことりがさらりと答えると、同時に軽く握られていた手が不自然に開いた。

 ことりには、嘘をつく時拳を緩く開く癖があった。何かと使えそうだから指摘はしないけど、その利便性を確かめてみる。

「実は一五九センチだったりしない?」

「うそ、なんで!」

 ことりの肩が大きく跳ねた。

 昼間の仕返しができたこと、リアクションがほとんど私と一緒だったこと、ことりが私と同じように鯖を読んだこと。

 他にも、色々なことが化学変化の要因となって、お腹の底から笑いが爆発する。

 それは目をまん丸くしていたことりにもすぐに燃え移り、白く斉一に並んだ歯を見せてくすぐったそうに笑う。

 吹き抜けた春風に、桜並木がさざめいた。

 共に笑い合いながら、桜吹雪の中を歩いていく。歩幅はことりの方が広くて、踏み出すのは私の方が速い。それがちょうど均衡を保って、ぴったりと並んで歩く。まるで、大きさが異なっていても噛み合う二つの歯車みたいに。

 きっと私は、ことりがいなければ円滑に回らない。願わくばことりにもそうであって欲しいと思うのは、果たして傲慢だろうか。

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