エピローグ ふたりのひめごと

ふたりのひめごと

 春は好きだ。夏も、秋も、冬も。全部、大好き。

 そうさせてくれた存在がいる。春くらいに好きになって、夏を前にそう気付いて、秋には付き合って、冬になる頃にはプロポーズまでした。

 そんな存在が——



 幸せな夢を見ていた。ぽかぽかと温かい気持ちが、口元を心地よく綻ばせている。

 柔らかくて暖かい静寂に、陽芽莉の可愛い寝息が聞こえる。外の世界からは鳥の囀りが微かに響いてくるけど、あの分だと私たちの時間に干渉することは到底できそうにない。

「……ん、……ことり……」

 背中に回されていた腕が、力なく私を抱き寄せた。腕枕している右腕がじんじんと喜ぶ。大好きな匂いが母性と官能をくすぐる。

 瞼を開いたら、そこにも幸せがあった。陽芽莉が天使みたいな微笑を湛えてすやすや眠っている。口元に垂れた髪をはみはみしているのが愛くるしい。

 肌と肌で触れ合っている私たちの身体が、もう全く同じ温度になっている。掛け布団に覆われたセミダブルのベッドもその体温で満ちていて、全身に陽芽莉を感じられる。

 ただ、味覚だけが陽芽莉を感じていない。それがもどかしくて堪らない。

「陽芽莉……」

 陽芽莉の口元を覆っている毛先を、指先でそっと掻き上げる。条件反射で舌先に唾液が滲んだ。

 何度も忍び込んだ唇の開け方は、もう身体が覚えていた。何だか泥棒に入るみたいで、その背徳感にむずむずする。

 瞼に陽芽莉を映しつつ、私の舌先を陽芽莉の口内にするりと入れる。唇で唇を抑えながら、ちろちろ動く舌を舐める。陽芽莉の味だ。

「ん……」

 舌の動きで、陽芽莉が起きたのが分かった。為されるままだった舌が、お仕置きとばかりに纏わり付く。でも、ご褒美でしかない。

 ぎゅっと強く、陽芽莉が私を抱きしめる。そうして油断した隙に陽芽莉の舌が私の奥まで入ってきた。陽芽莉も陽芽莉で、私の扱い方を心得ている。そのことが狂おしいほど嬉しい。

 左手を陽芽莉の後頭部に回して、激しく求め合う。前はそうしたら歯がぶつかっていたけど、そんな初々しさもいつの間にかなくなった。

 口の中が二人の味になって、私たちの五感が一つになる。私たちが、私たちで飽和した。

「……んっ」

 それに満足して、瞼を開きながらゆっくりと唇を離す。荒い息が静かに混じり合い、どちらのものともつかない滴りが名残惜しそうに糸を引いた。

「……その起こし方、ダメって言ったじゃん」

 陽芽莉がそう咎めるけど、顔は嬉しそうに綻んでいて、右手は私の髪を優しく撫でている。身体は正直ってこういう時に使うのかな。

「またするね」

「…………うん」

 陽芽莉が恥ずかしそうに、私の谷間に顔を埋めた。恥ずかしいのはこっちだと思いつつ、その可愛い反応に免じて陽芽莉の髪を撫でる。

 幸せに包まれながら、さっき見ていた夢を思い出す。

「ねぇ、陽芽莉」

「……うん?」

 陽芽莉が布団の中からもぞもぞと、上目遣いでこちらを窺う。

「いつか、桜は見頃過ぎてから見たいって言ったの、覚えてる?」

 陽芽莉がひょっこりと顔を出した。小動物みたいで可愛らしい。

「覚えてるよ。ことりがエゴサして見つけた公園」

「そっちは忘れて……」

 あの頃は、本当の私が見え隠れして自己矛盾が生じ始めた時期だった。件の奇行もそのせいだと信じたい。

「ごめん。それで?」

「うん。その理由まで覚えてたりする?」

 流石に覚えていないかなと思いつつ、だめ元で聞いてみる。

「結果しか見てもらえないのが虚しいから、じゃなかったっけ」

 「じゃなかったっけ」なんて言う割に、驚くくらいすらすら出てきた。それが可笑しくて嬉しくて、つい笑みを溢す。

「そうそう。でもね、あれ間違えてた」

「と言うと?」

 陽芽莉が不思議そうに目をまん丸くする。出会ったばかりの頃は表情の変化に乏しくてクールな印象だったけど、それも随分変わったものだとしみじみ思う。

「だって、結果しか見てもらえないのが嫌だって言うなら、一年中見ててあげるべきでしょ?」

「言われてみれば。そうだね」

 陽芽莉が柔和に微笑む。私がこれから話そうとしていることを察した様子だった。

「だから私たちのお家建てたら、庭に桜の木植えたいなって」

「ちょっと気早くない?」

 やっぱりと言いたげな表情で、陽芽莉が愉快そうに笑う。

「でも、それくらいの方が今の私たちらしいでしょ?」

「うん。確かに」

 陽芽莉が屈託のない笑みを浮かべる。きっと私も、全く同じ顔をしている。

「あと、そうしたい理由がもっと別にあってね」

「うん」

 面と向かって言うのが何だか照れ臭くて陽芽莉を抱き寄せようとしたら、その前に陽芽莉に抱き寄せられた。陽芽莉も、私と同じことを考えているのかな。

「……そんな後ろ向きな気持ちじゃなくて、もっと前向きに、ずっと見ていたくなった」

「……うん。私も。もう、一年中見てても飽きないと思う」



 だって、春も、夏も、秋も、冬も。今は全部大好きだから。

 そして、そうさせてくれた存在が、今、私の目の前にいる。



 ——黒崎陽芽莉。私を救ってくれた王子様で——



 ——白雪ことり。私を助けてくれた王子様で——



 ——永遠の愛を誓った、私のお姫様。

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【百合】ふたりのひめごと 日向にこ @njg-25

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