白雪姫と陽芽莉の秘め事②
「露出多い……かな……?」
明けて誕生会当日。せっかくだから一日中遊びたいということで、買い出しも兼ねて昼前から繁華街で落ち合うことになっている。普段は寝起きが悪いのに、こういう日はカーテンの隙間から漏れた僅かな光でスッキリと目覚めるのだから、我ながら現金な身体をしていると思う。
そんな身体を包んでいる服装を、ドレッサー越しにまじまじ見つめる。
砂色のテーパードパンツに、ダボっとした黒のタンクトップをふんわりインしたコーディネート。シンプルな装いなのはいつも通りだけど、一箇所だけ私らしくないところがある。
肩が出ているのだ。
私なりに色気を出してみようと今日のために買っていたのが、目下私を悩ませているタンクトップ。露出の多い着こなしをしたためしがないから、肩が見えるだけで私でなくなったような違和感があって少し躊躇われる。けど色気を出したいという意図なのだから、むしろその違和感こそ思惑通りである証拠なのかなとも思う。ちなみに、これがどういう心境の変化なのかはあまり考えないようにしている。
「んー……、んー?」
腰を捻って色んな角度から自分を眺める。外ハネの猫っ毛が右へ左へふわふわと忙しない。
「いや案外……」
だんだんと緩んでいく口元が鏡に映った。
思えば、今日は服装に合わせてメイクも少し変えているのだ、今更衣装替えしたところで迷走するのは目に見えている、うん、間違いない。
そう自分に言い聞かせて、弾むように家を出た。決して、自分を綺麗だと思ったとかではない。神に誓って。
電車に揺られ、十分ほど改めて車窓に映る私と睨めっこしているうちに目的地へ到着。休日だからか人の流れはまだ緩やかだ。
待ち合わせ場所の改札前できょろきょろとあたりを見回すけど、ことりの姿はまだない。スマホで時間を確認すると、待ち合わせの時刻までは二十分以上あった。来ていなくて当然だ。時刻表も確認せず目の前で止まった電車に乗るなんて、初めてだったかもしれない。
少し気が抜けて柱に背を預ける。ひやりと、肩に予想外の感触があって体が跳ねた。ノースリーブだったのを失念していた。
明らかに、浮かれている。
私ってこんなキャラだったっけと少し戸惑う。ことりとは一年生の頃から何度も遊びに出かけているけど、こんなにも落ち着かないのは初めてかもしれない。
けど、それはどうやら私だけではなかったらしい。私が着いてからものの数分もしないうちに、改札の向こうにことりが現れた。白い小花柄のブラウスに、オフホワイトのサテンプリーツスカート。ブラウスはゆったりと涼やかで、袖を綺麗に折って五分くらいにしている。
背中に少し大きめのリュックを背負って右手には可愛らしい紙袋も携えていたから、一旦私の家に荷物を置いてもらってから来た方が良かったかなと今更思った。
ことりも私に気づいて、一瞬目をまん丸くした後パッと口を開けて笑い、荷物をゆさゆさ揺らしながら駆け寄ってきた。
憧れの芸能人にでも会ったように、両手で私の左手を包む。
「すっごく可愛い……!」
ことりの熱っぽい目が近過ぎて、耳と頬が火傷しそうに熱くなる。
「えと、ありがと……」
そんなことないとか、ことりの方が可愛いとか、余裕のある返答をするための思考回路も焼き切られて使い物にならない。見つめ返したら胸まで焦げてしまいそうで、無意識にことりの提げている袋に視線を逃す。
「あ、これは夜までお預けね」
けどそれが図らずも功を奏した。ことりが悪戯っぽく笑いながら、袋を左手に持ち替えて私から離れる。
それに一抹の寂しさを覚えつつ、何とか平静を取り戻す。
「早く来すぎかなーって思ってたら陽芽莉が先にいたんだもん、びっくりした」
「うん、自分でも驚いてた」
「なんだそりゃ」
そう言って、ことりが私の左に並ぶ。それを合図に二人で歩き出す。
普段私たちが繁華街で遊ぶ時のコースは大体決まっている。午前中からぶらぶらウィンドウショッピングをしてお腹が空いたら飲食店に入り、腹ごなしにアミューズメント施設でカラオケやボウリングを楽しんだ後、疲れたらカフェで休む。まあそんな感じ。
けど今日は特別な日だから、二人とも行ったことのないところに足を運んでみようということで今はある場所に向かっている。
「陽芽莉、アレルギーとかないよね?」
「うん、実家でも飼ってるし大丈夫。ことりは?」
「私も平気! 予習もバッチリ」
「予習?」
「おやつ持ってないと全然近くに来てくれないんだって。現金だよね」
言いながら右手を招き猫みたいに挙げることり。左手で猫じゃらしを振る動きを擬えたらじゃれてきた。
私たちの向かう先は猫カフェだ。花見の時、誕生会をしようという話になる前に私が猫に似ているという話をしていたから、それが変な方向に膨らんでこうなった。
「じゃあおやつは買おっか」
「うん! あと、陽芽莉にはちょっと内緒にしてることがあって」
そう言ってことりが意味ありげに含み笑いする。
内容を聞いたけど有耶無耶にされ、何だろうと考えているうちに、繁華街から少し外れたところにある無骨な雑居ビルに到着。猫カフェはことりが予約してくれていて、道中少し迷った結果ちょうど良い時間に着いた。
可愛らしい看板の案内に従い、壁にフェルトが貼られた少し狭いエレベーターで三階まで上がる。ドアが開くと、柑橘系の香りがふわりと立ち込めた。動物園みたいな臭いを想像していたから少し意外だ。
チン、と受付の呼び鈴を鳴らしたら、奥から優しそうなお姉さんがスリッパをパタパタ鳴らしてやって来た。そのままカウンター越しに向かい合う。
「お待たせいたしました」
「予約していた白雪と申します」
さっき猫の真似なんかしていたのが嘘のような凛とした態度。私が猫ならことりはやっぱり犬だなと、花見の時にした会話を思い出しながら改めて思う。
お姉さんが白雪さん白雪さんと手元にあったリストを指でなぞる。
「はい、カップルプランでご利用の白雪様ですね」
ん?
「はい」
人違いじゃないかとことりに目配せしようとした時には、もう話が進んでいた。
お姉さんが何やら書き書きしている間に、ことりがこちらを一瞥して無邪気な笑みを浮かべる。
「お待たせしました。ではご案内させていただきます」
何が何やら分からないまま、お姉さんから利用上の注意を聞く。荷物をロッカーに預けて手を洗ったらそのまま奥に通された。
案内された部屋は白と茶で統一されたナチュラルな内装で、キャットタワーや猫用のソファーがあちこちに置かれている。部屋全体がオレンジの照明に暖かく照らされ、外観からは到底想像できないくらい柔らかい雰囲気に包まれていた。
そして、そのふかふかな空間を満たし、この場所をこの場所たらしめている猫、猫、猫。動くもの全てが猫だ。
じっと座ってこちらを眺めるキジトラの猫。ぐぐーっと手をまっすぐ前に出して伸びをするグレーの猫。だらーんとくつろぎながらしっぽをゆさゆささせる茶トラの猫。
部屋の隅で丸まって寝ていた黒猫が、私たちに気づいて顔を上げた。のそのそと気怠げに起き上がり、とてとてと私たちの足元に歩いて来たかと思うと、こてんと転がって無防備にお腹を見せた。
「かわいすぎる……」
何かに命じられるように跪き、もふもふのお腹を撫でる。その手の特殊な眼でも持っているのではなかろうか。
「ほんとに……!」
ことりも隣でしゃがみ込み、指先で黒猫の頭を弄っている。
はっと意識がことりに向いた。
「そういえば、カップルプラン……って?」
言うのが恥ずかしくて、声が尻すぼみになった。
「うん。お昼時の一時間限定で貸し切りにできるみたいだったから、ついね」
つい、か。そうか、他意はないのか。そうか……。
けど考えてみれば、人の目が多かったら思うようにくつろげなかっただろうし、貸し切りというのはありがたい。
「じゃあ、せっかくだし思いっきりのんびりしよっか」
「うんうん!」
そうして、二人で猫カフェを思う存分楽しむ。あちこちで思い思いの時間を過ごしている猫を撫でて回ったり、猫のプロフィールが書かれたアルバムを片手にどの子が一番好きか話したり、二人で猫耳をつけて写真を撮ったり。
あとはことりが言っていた通り、受付でおやつを買ったらそれまでつれない態度だった猫たちがわらわらと一斉に群がってきて、二人とも毛の洪水に見舞われた。
そんな時間を満喫しているうちにお姉さんがコーヒーを用意してくれたから、今は部屋の真ん中にある座卓の横に並んで座っている。
「いやー、癒されるねぇ」
ことりがおばあちゃんみたいにしみじみと、部屋を眺めながら言う。ちなみに私のおばあちゃんはハキハキ系だからこういう話し方はしない。
「ほんとに。だいぶ猫成分補充できた」
横座りしている足元を見ると、猫の毛がズボンの模様みたいになっていて愛おしい。
「猫成分。確かに」
表現がしっくり来たのか、ことりがうんうんと頷いた。
かと思うと、膝を抱えて座っていたことりが突然体をこちらに向けた。
「陽芽莉、ちょっと脚開くようにして座ってみて」
「え? ……っと、こう?」
突然何だろうと思いつつ、マグカップをテーブルに置き、M字に脚を開く。
「そうそう」
言いながら四つん這いでのそのそと、ことりが距離を縮めてくる。薄手のブラウスが弛み、小さな顔に反してたわわな胸に目が吸い寄せられる。
それに抗うように、テーブルの上で寄り添って並ぶ二つのマグカップを見やる。
そうして、目を逸らしている間に——
「え?」
正面に広がる温もり。
ふわりと良い匂いがする。
「陽芽莉成分も補充しないとね」
——ことりが、私に背中を預けるようにして座っていた。染めているとは思えないくらい艶があってまっすぐな髪に、微かに唇が触れている。
この状況に夢現の状態になったからか、心は凪いでいた。
けど——
「重たくない?」
「……うん、全然」
——何か、ことりにやましいことをしているような、そんな罪悪感がこの状況を善しとしない。
「ほら、ちゃんとカップルっぽくしないと」
ことりが笑いながら言って、私の両腕をことりの胸の下で組ませた。
けど、そうだ。カップルっぽくしないといけないなら、仕方ない。ことりがそう言うのだから、後ろめたいことなんてあるはずがない。そう頭の中でこの状況を肯定すると、罪悪感は忽ち気化して霧散した。
少し前屈みになってことりにぴたりとくっつく。力なく組んでいた腕に輪郭のおぼつかない気持ちを込めて、柔らかくことりを包む。初めて感じることりの体温に、何かが満たされていく。
けど、華奢な体躯のせいかだんだんそれだけでは物足りなくなって、さらに強く抱きしめる。ことりの体温が、より如実に感じられた。
「……痛くない?」
「……うん。あったかい」
声が少ししおらしく聞こえたけど、この位置からだとその表情は伺えない。
徐々に互いの体温が溶け合い、私たちの境目が曖昧になっていく。ことりと一つになったような感覚に恍惚とする。
熱くどろどろした真紅の雫が、ぽとりぽとりゆっくりと、でも確実に、私の心を満たし、潤す。
初めての感覚に時間は歪み、空間も私たちを残して溶暗する。
一瞬にも永遠にも感じられる、ぼんやりとした時間が過ぎた。
「時間だね」
「うん、行こっか」
けど、そんな曖昧な時間の中だからこそ輪郭を得たものも、心の中には確かに存在した。
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