白雪姫と陽芽莉の秘め事③
帰り際、粘着クリーナーで全身をころころしたらボールにできそうなくらい毛が付いていたから、濃い時間を過ごしたんだなぁと身に沁みて感じた。
あと、最初に寄ってきた黒猫が私に似ていると言って聞かないことりが最後の最後まで黒猫のヒメリちゃん(仮名)との別れを惜しみ、ヒメリちゃん(仮名)の方も悲しそうにことりを見つめていた。当の陽芽莉ちゃんとしては如何ともしがたく、ただただ複雑な気持ちでその一人と一匹を見守るしかなかった。
猫カフェを出た後は、お互いお腹が空いていなかったからお昼は抜きということで合意して、雑貨店とスーパーで買い物だけ済ませた。
そうして現在二人の両手を塞いでいるパンパンの袋をしげしげと見つめて、何度となく思っていたことを思い切って言葉にしてみる。
「……買いすぎたかな?」
「……それは言わない約束でしょ」
そう懐かしいネタでおどけるけど、裏腹にその表情には余裕がない。頭上から照りつける日差しの中、リュックを背負って右手には紙袋まで合わせて携えているのだから当然かもしれない。
かく言う私ももう一杯一杯で、駅から家までの道がいつもの五倍は長く感じる。実際どれくらい私の感覚が正しいかでも考えて気を紛らそうと、仕事の計算式を思い浮かべてぼんやり思考を巡らす。
結果、よく分からないなと結論づけたタイミングで思惑通り家に着いたから、不満足と満足が同時にやって来た。JSミル的にこの境地はどうなのだろうと思ったけどそんな話でもなかったような。
「ついたぁー」
ことりが玄関前に荷物を置いて、空気を掴むように手のひらをグーパーさせている。
「いま鍵開けるね」
「はーい」
ゴチョリと鈍い音のする鍵を回して少し重たいドアを開き、ことりが通るスペースを空ける。
「どうぞー」
「どうもー」
発音を真似るように返してうんしょと荷物を拾い上げ、ことりが未だ閑散としたパーティー会場に静々と入っていく。私もそれに倣う。
「相変わらず生活感ないなー」
久しぶりに旧友に再開したような調子で、ことりが愉快そうに言う。
昨日までその旧友がアトリエかぶれしていたのを思い出して苦笑を漏らしながら、改めて自分の部屋を眺める。
右手には調味料のないキッチン。左手には壁に沿ってスリムなドレッサーと机に椅子、奥にはローベッドと正方形の座卓。物を買うときいつも無難に黒を選ぶから、白い壁と合わせてモノクロームな景色が広がっている。
「頑張ってパーティー感出してこ」
「うんっ!」
ことりの弾けるような笑顔に心を躍らせつつ、二人でお店を広げていく。おしゃれな食器に足りなかった調理器具、大量のパーティーグッズや背伸びして買ったワイン等々。加えて食品の入った袋がなお控えているのを見て、道理で重いわけだと疲労感の残った腕を労う。
ことりがその中の一つを勢いよく拾い上げた。
「陽芽莉、早速これ着ない?」
そう嬉々として言って、ことりが牛の着ぐるみパジャマを胸の前に掲げる。二人とも牡牛座だからと雑貨店で雰囲気に流されて買った代物だ。今はまだ可愛らしい白と黒のまだら模様も、明日には完全に黒歴史になっているに違いない。
「うん、着ちゃお」
そう言って徐に袋から取り出したは良いけど、着方がよく分からない。下に何か履いたりするものかなと迷ってことりに視線を投げると、ブラウスと脱ぎかけのスカートの間から白く光る太ももが今まさに露わになるところだった。
ことりは下から脱ぐ派なのかと思いながらいつの間にか見惚れていた自分に気付いて、慌てて顔を背ける。
「ん? 陽芽莉?」
ことりが不思議そうに呼びかける。首を傾げているのが黒い髪の隙間から見えた。
そのまま顔を覗き込まれ、くりっとした目から逃げるように視線を下に移すと、今度は触り心地の良さそうな華奢な脚に囚われた。そうして逃げ場を失った視線が、観念したように動揺を伝えてしまう。
「あ、ひょっとして恥ずかしがってるとか?」
当たらずといえども遠からず。
首肯しつつ、恥ずかしげもなく下着姿を晒すことりを視界の端に捉える。
「ことりは何でそんなに平気そうなの……」
「だって女の子同士だよ?」
心臓が、鈍くドックンと、血液が逆流するような不快感を伴って跳ね上がった。
いつもの笑顔で何気なく発せられたはずの声に、嫌悪感を示して拒絶する声が重なったように聞こえた。
けどその声で何とか平静を取り戻して、努めて何事もなかったように着替え始める。
「……最近太ったから」
適当にごまかす。
「いや、超細いから」
下着姿の私を見て、ことりが平然と返す。
その反応に安堵しつつ、しかしその反応にこそどろどろと逆巻く想いも、心のどこかに潜んでいた。
着替えを終え、牛の顔を模したフードまで被ったところで、向かい合って妙ちきりんなパーティードレスを披露し合う。
「やっぱり可愛い! 似合うと思ったんだよね」
蹄もとい手を叩きながら、ことりは甚だご満悦の様子。お世辞ではなさそうだけど、朝言われた可愛いとは明らかに反応が違うから、可愛いの意味の広さに圧倒される。可愛いは私の身にも手にも余るとつくづく思う。
「これが似合って得するの今日だけじゃない?」
「うーん……。キャトル……みゅーてぃれーしょん?」
キャトルから適当に連想したのが見え見えだった。
「それ死んじゃうやつ」
けど言われてみれば、脱いだ後の着ぐるみが怪死した牛に見えなくもない。その手の一発芸になる可能性は秘めているけど、そんなの秘められてもやはり私としては困る。
ともあれお披露目も終わったしぼちぼち飾り付けに取り掛かろうかと、白黒の着ぐるみから一面に広がるカラフルな品々に目を転じて屈む。
「そういえばね」
「うん」
ことりが何やら話し始めたけど、何気ない感じの口調だったから耳だけ貸す。
「私双子座らしい」
「えっ」
雷に打たれたような衝撃を受けて、しゃがんだままことりの顔をとっさに見上げる。はらりとフードが脱げた。
少し痛めた首をさすりながら続く言葉を待つ。
ことりが真顔で平坦な声のまま続ける。
「さっき、電車で牡牛座の牛ってこれだっけって思って牡牛座について色々調べてたんだけど」
ことりの真顔がだんだんと綻んで困り笑顔になった。
「うんうん」
それ私も思ったという意味も兼ねて首を大袈裟に振る。首痛い。
「五月二十一日生まれって、基本双子座で、生まれた年次第で牡牛座になることもあるよ、みたいな話らしくて。……私双子座らしい」
全く同じ台詞でも言い方次第でここまで印象が変わるものかと、話の本筋とは全く関係ないところに関心を持つ。これが世に言うてへぺろか。可愛い。
少し遅れて本筋を吟味する。
「……じゃあこの格好の意味って」
「いや! 意味はなくなく……て?」
食い気味に言いつつ、言葉の響きに違和感があったのか歯切れが悪くなる。
「うん」
「そう、ほら、」
言いながら、ことりがしゃがんで私の肩に手を回す。首の痛みは気にならなかった。
「双子の牡牛ってことで」
オチもついたところで、改めて牛二匹スクラムを組んでカラフルな敵陣と相対する。
私の料理適正のなさに鑑みて、部屋の飾り付けは私が、料理はことりが主となって担当し、適宜協力し合いながら準備を進めていく。
全部で七種類の色がある大量の風船や数字を模したバルーンを、片っ端から膨らませていく。それに加えてパステルカラーのフラッグガーランドや銀色の『Happy Birthday』のガーランド、月や星がくるくる回るモビールなんかを、天井から吊るしたり壁に貼り付けたりあちこちに置いたり。
途中料理をしていることりの様子を見たら、牛の着ぐるみに身を包んだまま右手に包丁を持ってローストビーフと向かい合っていた。そのカニバリズムじみた猟奇的な様相に牛の着ぐるみごと震え上がり、その後はわき目も振らず飾り付けに集中した。
そうして、窓から差し込んだ西日が盛りを過ぎて日の入りを予感させる頃。
それとは対照的に私の気分は最高潮を迎え、全く沈む気配がない。隣にいることりの頬を紅潮させているのも、きっとそれだ。
「「完成!」」
息ぴったりに歓声をあげ、互いの利き手で爽やかにハイタッチ。掛け値なしに双子みたいだ。
少し前までの様子を思い出しながら、様変わりした部屋をじっくり眺める。
カラフルな風船やパステルカラーのフラッグが上下左右どこを見てもふわふわ漂い、手のひらサイズの月や星が頭上でくるくると瞬く。『Happy Birthday』の文字と『2』と『0』の風船が揺れる下では、四角いテーブルがタッセルで縁取りされた亜麻色のクロスに身を隠している。
そして極め付きは豪華絢爛な料理の数々。赤と緑の補色で見た目にも鮮やかなカプレーゼに、トッピングが豊富なブルスケッタ。厚切りのローストビーフは木皿に盛り付けられていて、ビーフシチューはゴロゴロと具材を贅沢に使っている。テーブルの中央にグラスとともに並ぶワインの隣では、アヒージョがオリーブオイルとニンニクの香りを漂わせ、空腹感に拍車をかける。
普段一人で過ごしているモノクロの部屋に、想像もできなかったカラフルな光景が広がり、そこにこうしてことりと二人で立っている。ことりと二人だからこそそうしたかったし、そうすることができた。
「ほんとにすごい……」
様々な感情の中から一番瑞々しい部分が、端的な言葉になって勝手に溢れた。
「うん……」
隣ではことりも、感無量の面持ちでその部屋を眺めている。
心臓のあたりにあるぽかぽかと温かい気持ちを、今度はちゃんと言葉にする。
「ありがとね、ことり」
今日に限らず、今日までの、全てのことりに向けて。
「陽芽莉も、ありがとう」
言葉が引力を帯びていたみたいに、いつの間にかお互いに真正面から向き合っていた。けど、真面目な表情をしながら牛の格好なのを意識したら途端に可笑しくなって、すぐに二人で破顔する。
「乾杯しよっか」
「うん! クラッカー持ってくるね」
「じゃあワイン注いどく」
そうして華やかなテーブル越しに向かい合って座り、二人で赤いクラッカーのとんがりを下に向ける。
「せーのでいこ」
二人で頷き、体を少し前に傾ける。
「「せーの、」」
パン! と、小気味良い破裂音とともに——
「「誕生日おめでとう!」」
——私たちの笑みも弾けた。
ことりが赤ワインの注がれたグラスを右手で持つのを見て、私も左手でグラスを掲げる。
「かんぱーい!」
「乾杯!」
ぶつけた勢いそのままに、グラスを口元に寄せる。未知の赤い液体を訝しむように軽く揺らした後、人生で初めてのお酒を恐る恐る口に含む。
舌の上で転がし、味をぼんやり捉えたところで飲み込む。鼻からふわっとなんとも言えない香りが抜けていく。
……苦い? 酸っぱい? 渋い? なんだろう。
「……オトナの味がする」
「それだ」
一足先に飲んでまじまじと唸っていることりの感想がしっくりきた。
「でも飲めないこともないかも」
「大人になった証拠だね」
「二十歳ですから」
ことりがえっへんと胸を張るけど、その様子は牛の着ぐるみと相まってむしろ子どもっぽい。それが可笑しくて笑い声が漏れた。
「料理、食べて良い?」
「うん! 食べて食べて」
お言葉に甘えて、白いグラタン皿に盛り付けられたアヒージョをフォークで掬う。
ことりが緊張の面持ちでじっと見ているのに気付いて、私も何となく緊張しながら掬ったブロッコリーを口に入れる。ほど良い塩加減に唾液が滲み、噛んだらよく染み込んだ味がじゅわっと広がった。
「ん! ほぃひい!」
手で口を抑えつつ感想を伝えると、大きな目を細めて難しい顔をしていたことりが一瞬で喜色満面になった。
「ほんと! 良かった……!」
ゆっくりと味わい、飲み込む。
「茎まで柔らかいし、ちゃんと味染み込んでる」
「……陽芽莉、たまに天然でそういうことするよね」
ことりが目元を綻ばせながら、つんと口元を尖らせている。何やら笑みを堪えている様子だ。
「え?」
「いや、ちょうどそこが一番心配だったから……」
そう憂いを帯びた顔で言ったかと思うと、今度はさっきまでとは別人かと思うくらい垢抜けた笑みをはらりと咲かせた。遊女にすら真似できそうにない魅惑的な微笑に、思わずどきっとする。
「陽芽莉が喜んでくれて、ほんとに良かった」
その大人っぽい妖艶な表情に、天然はお互い様だと減らず口を叩く余裕すら私にはなかった。
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