黒崎陽芽莉と白雪ことり②

 二人で電車から降りて空気の海に飛び込む。冷たい風が服の隙間から流れ込み、寝起きで火照った体から熱が攫われていく感覚に酔い痴れる。

 遠のく電車の音を背後に感じつつ、大きく深呼吸して目一杯春を感じる。

 隣ではことりも、青空に向かって大きく伸びをして気持ち良さそうにしている。白いブラウスの袖口に遇われたフリルが、ふわふわと頭上を漂って雲みたいだ。

 そこから下がっていく華奢な腕に従って目線を下ろすと、美人像のようなデコルテラインが露わになっていて思わず目を奪われる。きめ細かい肌は日の光を受けて真珠のような輝きを放っていて、きっとどんなアクセサリーもことりの胸元では本領を発揮できないのだろうなぁとしみじみ思う。

「じゃあ、行こっか」

 間延びした調子でにこやかに促され、笑顔と相槌を返しながらことりの右側に並ぶ。

 駅からキャンパスまでは歩いて十五分ほど。山を切り開いて建てられた大学のために開業した駅だから、周りにはカフェや居酒屋はおろかコンビニすらない。そのくせ、大学へ向かう坂道は長く険しいと来るものだからこの上なく学生泣かせだ。学生は勉学のみに励んでいれば良いのだという頭の硬いオトナたちの陰謀じみたものを感じる。

 当然、長い坂道に沿ってうねうねと、付かず離れず列を成している前方の集団は皆が皆大学関係者で、一様にキャンパスを目指している。

 そして、長いものには巻かれまいと言わんばかりに距離をとってその後を追う白と黒の点が他でもない私たち。その関係は、まさしく大学生活における私たちのスタンスそのものだ。

 約一年前、私とことりがほとんど初対面の頃。今でこそ考えるとぞっとするけど、華の大学生となって少し舞い上がっていた私は一時の気の迷いでどこかのサークルに入ろうかと考えていた。

 そんな折、新入生歓迎と銘打って学内のサークルを周知するイベントがあると知り、ことりと二人どんなものかと顔を出したことがあった。



 青空の下、パイプテントが車二台分ほどの通り道を空けて向かい合いながら、ズラリと軒を連ねる。それぞれのテントがサークルのブースになっていて、ぽつんと机が置かれているだけのところもあればペットボトルで即席のボーリング場が作られているところもある。

 そこを通りかかる新入生を、寄ってらっしゃい見てらっしゃいと言うが早いか上級生が強引に捕まえ、我こそはとサークルの活動内容やら魅力やらをくどくど言い聞かせている。中には説明している内容とは関係のかの字もなさそうなアニメのキャラクターや芸能人に扮した学生もいて、ちらほらと人だかりも散見される——月のお面を被って両手に白い饅頭とススキを持っているのは、果たしてコスプレと呼んで良いものか。季節もおかしいし。

 そんな殺伐とした風景が、前にも後ろにも広がっていて実に騒がしい。

「そこのお二人さん!」

 もちろん私たちも例外ではなく、後ろから溌剌とした声に呼び止められて二人で振り向く。

 見れば、声のイメージを裏切らないショートカットの上級生。脛の半分ほどを覆っている赤いバスパンに、薄手の白いシャツ。右腕と腰の間に挟むようにしてバスケットボールを抱えている。

 すぐに何のサークルなのかが伝わったから一瞬賢いなと感心したけど、これが普通だと思い直す。仮装大会と勘違いしているのがおかしいのだ。

「うっわ、二人ともめっちゃ美人じゃん。ちょ、マジでヤバくない?」

 ブースで談笑している、サークルのメンバーと思しき集団に呼びかける。当然、視線が私たち二人に集中する。いや、九割くらいはことりだけを見ている気がするけど。

「はぁ……」

 どちらのものともつかない、短く乾いたため息が聞こえた。

 それを合図にことりと目配せし合って、足早にその場から逃げ出す。後ろから慌てて謝る声がぞろぞろ聞こえてくるけど、それを振り切るように走る。

 悪い人たちではないのだろうなと、息を荒げながら思った。それはきっと、あのバスケサークル以外の人たちも。ただ、あそこには私たちの求めるものはなかった。それだけのことだ。

 木々のざわめきが聞こえるようになったあたりで、お誂え向きにベンチがあったからどちらからともなく腰掛ける。肩で息をしている私とは対照的に、ことりの方はあまり疲れていないようだった。高校までずっと陸上部だったと言っていたのを思い出し、勝手に納得する。

 呼吸が落ち着いたところでどっと押し寄せた疲労感に身を任せて、ベンチの背もたれにだらんと肘をかける。頭上高く背後から伸びている枝葉が視界に入った。

「「はぁー……」」

 間延びした大きなため息が、今度ははっきりと重なった。お互いの視線もぴったりと重なる。

 その既視感がおかしかったのか、ことりがころころと笑った。私も目尻と口角が寄るのを感じる。同時に、サークルなんて必要ないなと、そんな確信めいたものが胸にじんわり広がった。

 カサカサと揺れる草木の間に隠れるようにして喧騒が聞こえる。

「お祭りみたいだね」 

「ねー」

 ことりが同意したかと思うと、しかし次の瞬間には悪戯な笑みを浮かべて「でもどちらかと言うと動物園かも」と返す。

 しみじみと聞き入るように、続く言葉を待つ。

 ことりがゆっくりと瞬きを経て、虚空に視線を移した。

「属性って檻に閉じ込められてないと、あちこち逃げ出しちゃう獣。互いが互いに縛り合う、そんな孤独な群れ」

 淀みなく淡々と言い切って、再びこちらに笑みを向ける。ごまかしも混じってか、そのシニカルな笑みにはどこか幼さを感じさせる愛くるしさがあった。

「私たちは?」

 一切の悪意を含めず、少しの期待を込めて聞いてみる。

「ん? うーん……」

 しばし唸りながら熟考。

「すぺしゃる?」

 さっきとは打って変わって甘々な言葉に、深く腰掛けたお尻がずり落ちそうになった。



 ただ、その表現はあながち間違ってもいなかった。

 ことりは私以外の子に話しかけられてもどこか壁を隔てるような態度で一貫していて、皆次第に話しかけてこなくなった。同じ幼稚園だったというだけで特別扱いしてくれた理由は未だによく分からないけど、ともあれ私だけがその壁を免れたのだ。

 そういう経緯で、私たちはサークルにも入らず、他の誰かと仲良くすることもなく、二人きりの大学生活を送っている。

 まあでも、ことりとなら。色々なことを、きっとどんなに大勢で過ごすよりも感じられる。

「どうしたの?」

 左隣を歩いていることりが、急に私の顔を覗き込んだ。

「え?」

「恵比寿様みたいな顔してるよ」

 ことりが右手に釣竿、左手に大きな魚を抱えるようなポーズでにまにま笑う。

 頬に血液が集まるのを感じつつ、その大きさだと鯛というより鮪だと、ツッコミを入れてごまかした。

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