第四章 シンデレラと死に至る病
シンデレラと死に至る病①
「結構強かだな王子……」
一度大きくなった瞳孔が迷惑そうに縮んでいるのを感じつつスマホを睨む。
消灯した部屋の中でポツンと光を放っているのは『ホントは怖い? シンデレラの隠されたストーリー』という動画。厳しい残暑が和らぐような身の毛もよだつBGMをスマホが奏でている。
それによると、童話『シンデレラ』でガラスの靴が脱げたのは偶然なんかではなく王子の策略だったとか。靴の裏に接着剤を塗って脱げるようにしておくことで、シンデレラを見つけ出すための手がかりを残そうとしたらしい。
もぞもぞとタオルケットをはぐって寝付けない遠因を解消しながらうつ伏せになる。私はどうだっただろうかと、電源を切ったスマホを枕元に置いて今日までの一ヶ月を振り返る。
花火大会の日。思い出すのも憚られるくらい情けない告白を、ことりは受け入れてくれた。ことりが口付けをせがんでくれた時は天にも昇る心地で、唇が触れ合っている間はもう生きている心地がしなかった。けどそんな感覚に包まれて初めて、生きているという実感が湧いたのも確かだった。
そうして付き合うことになった私たちは、リベンジも兼ねて海と花火大会をそれぞれ別の日に満喫した。
海では前より上手にできたお弁当を食べさせ合いっこして、『願いの椰子の木』に「ずっと一緒にいられますように」と二人で祈った。そのまま近隣の水族館に行ったらイルカショーでことりだけ水飛沫を浴びて気持ち良さそうだったから、最後は波打ち際でパシャパシャし合って二人でびしょ濡れになった。
ちなみに、私が倒れてしまった日のお弁当は、私に膝枕をしながらことりが二人分食べていたとその日聞かされた。そういうことは早く言って欲しかったと少し剝れたけど、その様子を想像したら可笑しかったから結局笑って流した。
花火大会には、お揃いの浴衣をレンタルして行った。着る前こそ容姿の差が際立つ気がして私はあまり乗り気ではなかったけど、いざ着てみるとポジティブな感情ばかりが溢れてそんなことは全く気にならなかった。そうしてことりと見上げた花火はすごく綺麗で、でも記憶に鮮明に残っているのはことりの横顔ばかりだ。
この一ヶ月は、そんな感じで楽しくデートを重ねて、前よりも頻繁にメッセージを送り合い、それでも寂しい時は気兼ねなく通話をする満ち足りた日々を過ごしていた。
ただ、そんな順調な日々にも一時期はちょっとした気掛かりがあった。
うまく言えないけど、大好きなもので満たされた部屋にいるのに、触れてみるとどれも思っていた質感と少し違うみたいな、そんな漠然とした違和感に包まれている感覚。その感覚は多分、無意識に感じる程度の些細な何かが原因だとは思うのだけど、付き合った直後はそれがやけに不安だった。
とはいえ、最初こそ戸惑っていたそれも、最近はマリッジブルー的な何かかなと前向きに捉えるようになった。特に私の場合、ずっと希薄な人間関係の中で生きてきたわけで、そういう些細な違和感に人一倍敏感な節はあると思うし。
それに何より。明日のことを考えると、とてもそんな後ろ向きな気分ではいられない。
そう考えて思い出したようにスマホで時刻を確認すると、瞳孔が光ではなく興奮で縮んだ気がした。
「いよいよだ……」
ちょうど変わった日付を見て、思わず声を漏らす。
九月二日、水曜日。その日から始まる予定こそ、寝付けずに『シンデレラ』のゴシップ動画なんて見ていた近因だった。
九月三日は私たちが付き合ってちょうど一ヶ月の記念日。だからそれに合わせて『メルヘン・スタジオ・ジャパン』というテーマパークを、泊まりがけで楽しむことになっているのだ。通称MSJと呼ばれるそこに九月二日の開園時間前に赴き、一日中遊び回った後はその敷地内にある豪華なホテルで一緒に記念日を迎える。もちろんリアルすぎるマネーを突きつけられたけど、ことりと夢に満ちた一時を過ごせるならそんなのは安いものだった。
うつ伏せのまま文字通り首を長くして、その地に思いを馳せる。
人生で初めての遊園地。様々な御伽噺を題材にした幻想的なテーマパーク。その敷地内にあるロマンチックなホテル。そこにことりと二人きりで一泊二日。しかも友達としてではなく、恋人として……。
溢れ出した喜びを分かち合いたくて、聞いて聞いてと足をバタバタさせると柔らかいマットレスが優しく受け止めた。それでも足りなくて正面に顔を埋めると、温かい枕が頬を撫でるように包み込んだ。
「ほんとに夢みたい……!」
くぐもってなお明るさを一切損なわない声が耳に届く。少し前までの私が一番嫌いだったであろう場所を、今はきっとこの世界中の誰よりも楽しみにしている。
中でも一番楽しみにしているのが、ことりにサプライズで指輪をプレゼントすること。MSJのシンボルとも言える『シンデレラの城』は、日付が変わるタイミングに合わせて美麗な演出を施される。私たちが泊まるホテルのベランダからはそれが真正面に見えるから、そんな最高のシチュエーションで渡そうと考えていた。
もちろん、プロポーズとか大それたことをするつもりはなくて、あくまで恋人の証をことりにつけて欲しいという意図で。
「でも——」
仰向けになって目を瞑りつつ、口元を緩める。
——接着剤で外れないようにしちゃえば、私たちの愛も永遠になるのかな。
……なんて、シンデレラの義姉のように愛を安易に履き違えながら、いつの間にか眠りに落ちた。
『一番前に乗ってるよ!』
ことりからのメッセージ。まだ朝の七時前だというのに、スマホの画面はもう今日のメッセージでいっぱいになっている。その他愛ないやり取りを愛おしく思いながら、知ってるよと心の中で呟いたら思わず笑みが溢れた。
そのメッセージに『うん!』と返してスマホをしまい、屋根のないホームの端っこで静かな空を見上げる。水を得た魚のように、二羽の小鳥が群青を泳いでいく。まだ低い太陽に向かったのを見送っていると、それを追いかけるように電車が来た。
停車すると、ことりがつり革を離して柔らかく手を振ったのがドア窓越しに見えた。そこにうっすら反射したお揃いのミニワンピースを意識しながら、ふにゃりと左手を振り返す。普段なら絶対に着ない森ガールみたいなベージュのワンピースは、MSJの世界観に合わせてことりと購入したもので、膝上丈の裾にフリルが遇われている。
ドアが開くと同時に、ことりのうっとりするような声が聞こえてきた。
「陽芽莉、すごく可愛い……」
「ん……」
心が蕩けるのを感じつつ、ほとんど息になった声を漏らす。
「ことりも……。その、可愛い……」
人目がなければハグをねだるのにと、座席を埋めている乗客を恨めしく思いながら電車に乗り込む。
リュックを背負い直してことりと向き合い、発車に合わせてつり革を摘む。ことりの顔が直視できないのを後光みたいな日差しのせいにして目線を下げると、ことりの脚線美が眩しくて目のやり場に困った。
「……それにしても。あの陽芽莉がMSJに行きたがるなんてね」
そんな心境を察してか、ことりが話題を振ってくれた。
「……うん。行ってみたくなった」
「私も。楽しみ」
「ことりは行ったことあるんだっけ」
とろんとした空気が形を帯びていくのを感じてことりを見上げる。
「五歳の頃に一回だけね。だからあんまり覚えてはないかな」
「まだ幼稚園一緒だった頃だね」
思えばあの頃はことりと恋人同士になるなんて想像もできなかったなぁと感慨に耽る。いやまあ、あの頃はしゅんくんと両思いだったのだから当然か。
「……ね」
一瞬、日差しが和らいだような気がした。
「そういえば、帰省はしなくて良かったの?」
「うん、年末帰れば良いかなって。おばあちゃんには会いたかったけど」
放任主義の両親とは特別仲が悪いわけではないけど、会いたいかと言われるとそうでもない。そんな関係。
「陽芽莉、おばあちゃん子だよね」
「うん。両親共働きでずっと面倒見てもらってたから」
「陽芽莉のよく分からないギャグはそこ由来か」
「え、そんなのあった?」
「無自覚だったんだ」
ことりがやんわり苦笑する。
けど確かに、渾身のギャグなのにことりのリアクションが薄いと感じたことが過去に数回あった気がする。
「どれのことだろ」
ことりがうーん、と思案顔する。
「週一くらいであるから……」
冗談はよし子ちゃん。
「え、じゃあさ、」
「うん」
「……左手をご覧くださいませ」
バスガイド風に言いながら、つり革を摘んでいた手を少し前に出す。
「え?」
ことりが私から見て右を向いた。違う、そうじゃない。
左手をことりの顔の前に突き出す。
「一番高いのが中指でございます」
近くに座っているおばあちゃんたちにウケた。
「ん……? あ! なるほど」
普通に納得されてしまった。これが世に言うジェネレーションギャップか……。
きまりが悪いから少し話を戻す。
「……あと一応、帰省しなかったのにはちゃんと理由があって……」
「うん?」
ことりの足下を見る。
「……ことりと、離れたくなかったから」
そのままガタンゴトン二回分待ってもリアクションがない。
流石にあざとすぎたかな、と思ってちらっとことりを見上げたらびっくりするくらい顔を赤くしていた。ちょろい。けどそれを見て私まで赤面してしまったからもう仕方ない。
そんな瓜二つの私たちを見て、おばあちゃんたちが少し前の双子アイドルみたいだと笑っていたけど、それが誰を指すのかは私も知らない。
その後、二回の乗り換えを経て徐々に海岸線に近づき、四十分ほどかけて海に面したMSJの最寄駅に到着。駅付近は既に来園者で賑わっていて、メガホンを持った駅員さんが忙しそうに誘導していた。
駅構内の案内窓口に寄ったらホテルへの手荷物配送サービスが利用できたから、二人とも荷物は貴重品の入ったトートバッグだけになった。そうして軽やかに地上高く架けられた跨道橋を歩いていくと、見えてきたのは奥行きがある石造のアーチ。
そこを抜けて広がったパークのパノラマに、どちらからともなく歩みを止めた。
ドーナツ型のパーク中央にある、ヴェネツィアを彷彿とさせる運河。それを囲むように奥行きを持って広がる、ヨーロッパの街並みや山脈。その中で、骨組みが黒色の大観覧車や緑色の巨大なタワーが遠目にも存在感を損なうことなく聳え立っている。
けど、それらさえも霞んでしまうくらい異彩を放っているのが、運河に浮くように中央を占有している『シンデレラの城』だ。競うように犇くいくつもの塔によって形作られた純白の城は、私を荘厳な迫力で圧倒し、繊細な優雅さで魅了した。
……夜、あの景色をバックに、ことりに指輪をプレゼント……。
「すごい……! すごく良い!」
ことりへのサプライズを意識して高揚した気持ちが、スポンジみたいな言葉になった。
身体が飛べそうに軽くて、髪の毛とワンピースの裾がふわふわ揺れる。浮力を帯びた空気に包まれているみたいだ。
「ほんとに、来て良かった……」
ホイップクリームみたいにとろんと甘い声のした方を向くと、言葉に反してその瞳は私を捉えていた。ことりの頬が美味しそうな紅色でいちごみたいだ。
「ことり?」
「……あ、ううん。テンション高い陽芽莉が珍しくて、……可愛いから」
ことりが艶っぽく俯きながら微笑する。
「そればっかり」
そう膨れてはみるけど、こんな状況でも私に夢中でいてくれることりが内心愛おしくて堪らない。
「ごめん……」
ことりがしおらしい顔をする。こういうところ、本当に犬みたいだ。垂れた耳がありありと目に浮かぶ。
けど、そんな顔されたら私だって……。
つま先で立って、ふわりと顔を寄せる。
「え?」
我慢できなくて、ことりの甘そうな頬に口付けした。
「今は、ほっぺだけ……。こういうのは、その……。夜までお預け、だから……」
私の身体を火照らせてなお体温を求めている気持ちにも、そう言い聞かせる。
「うん……!」
ことりが秋桜みたいな色の照れた笑みを咲かせた。尻尾があったらもげる勢いでぶんぶん振っていそうだった。
その反応の意味を漠然と考えながら、跨道橋の階段をとてとて下りていく。
赤いレンガが敷かれた広場に下り立ち、そのまま正面に進んで入園ゲートの列に合流する。複数あるゲートに二列ずつ並んでいる様子が全校集会みたいで少し懐かしい。
「なんか全校集会みたいじゃない?」
ことりが私と全く同じことを考えていた。
それが嬉しいやら少し恥ずかしいやらで困り笑顔を向ける。
「私の思考を勝手に読まない」
言いながら、頭を人差し指で小突く。ことりが嬉しそうにころころ笑った。
そのまま高校時代の話に花を咲かせていると、列の前の方からざわめきが伝わってきた。
いつの間にかパーク内からは華やかな音楽が流れ出し、雲ひとつない空には活気が満ちている。
「いよいよだね」
「ね! 何からいく?」
「うーん……」
考えながら、ゲートの向こうに見えたコースターのレールに目線を走らせる。銀河鉄道みたいに高く高く上昇したかと思うと、ほとんど垂直に落下した。そうして見失ったレールの続きを探していたら、海上で平然と一回転しているのが見えた。
「……コースターは後回しで」
死に急ぐつもりはないぞと、禍々しいレールを睨む。
「乗る気はあるんだ……」
対してことりはかなり怯えている様子。普段率先して行動してくれるイメージがあるけど、ことりはこういう時案外臆病だ。私も少しは恐いけど、その恐怖心は行動を支配するだけの力を持っていない。
「ことり、ああいうの苦手?」
少しずつ前に進みながら、スマホを取り出して電子チケットを表示させる。
「いや、だって……」
恐怖に震えた様子で、ことりが空いている方の手を盗んだ。
そうこうしているうちにゲート前に着き、少し歳上くらいの女性スタッフに声をかけられる。
「素敵な双子コーデですね!」
手を繋いだままのことりが、さして慌てる素振りもなく突然よそ行きの態度になる。
「恋人同士です」
「ゔぇ」
手の力が緩んだのを感じてすっと手を離す。嬉しいけど、それ以上に恥ずかしかった。
「やっぱりそうですよね! じゃあぜひ、素敵な彼女さんと一緒に最高の思い出、作ってきてください!」
間髪入れずに抑揚のある明るいセリフが返ってくる。プロの業だ。けどどんな顔をしていれば良いか分からない。
「はい!」
ことりの朗らかな返事を待たずに、その場から逃げ出して荷物チェックを受ける。そのまま改札みたいな機械に電子チケットをかざして、一足先にMSJへと踏み入れた。
ゲートの影から抜け出し、柔らかい日差しを浴びる。
鼓膜だけを揺らしていた音楽が私の心まで揺さぶり、遠目に眺めていた景色が私を虜にする。そうして噴出した灼熱の高揚感が生ぬるい恥じらいを蒸発させ、私の身体を激らせた。
ほどなくして、足下に遠慮がちなことりの影が現れた。振り返ったらことりが申し訳なさそうにしていたけど、今はあんなことで恥ずかしがっていた自分こそが恥ずかしい。
けど、旅の恥はかき捨てだ。
「行こ! ことり!」
今度は私から堂々とことりの手を取り、陽だまりへと誘う。
「うんっ!」
魔法をかけられたみたいに笑顔になったことりと、希望を胸に夢の世界へ駆け出した。
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