第三章 かぐや姫と不死の薬

かぐや姫と不死の薬①

 初夏は恋の季節だ。しゅん君に加えてサンプル数が一つ増えてなお、私史上それを示す統計は百パーセント。片思いだけど勇気が湧いてくる。

 梅雨入りを前にして想いはたんぽぽの綿毛のように舞い上がり、ことりという大地を目指して飛び立った。たんぽぽの花言葉は『真心の愛』だそうだ。なんて素晴らしい響きだろう。餞にぴったりだ。

 そんな心持ちで髪の毛にふわふわ柔らかい外ハネを作り、耳馴染みすらなかった恋コスメを肌に馴染ませる日々。そうして一ヶ月が過ぎた。

「別離……」

 たんぽぽには花だけでなく綿毛にも花言葉があることを私は知った。

 あのハグ以来、ことりに変わった様子はなく、むしろ冷たいとすら感じるのは私の想いが相対的に熱すぎるからだろうか。それまでは私が遊びに誘えば二つ返事だったのに、誕生会をした日からこっち何度誘ってもなぜかのらりくらりと断られてしまい、大学でしか会えない状況が続いている。

 軽やかだった猫っ毛が湿気で絡みついて鬱陶しく、思わず頭を掻きむしる。普段はやかましいノートパソコンのファンが、私の鬱憤を見て取ったように雨音にひっそりと隠れている。

 そこに映る二文字を睨みながら、部屋で一人反省会をする。私のアプローチをふわふわの綿毛としたら、ことりの反応は雑草一本だに生えることを許さないアスファルトだ。化粧を変えても気付いてくれず、熱い眼差しを送っても苦笑されるだけ、一日一回はメッセージにハートを付けているのにノータッチ。

「……ひ、ど、い、で、す、よ、ね、っと」

 考えていたらますますイライラしてきたから、感情のままにカタカタと指を動かして匿名の掲示板でぼやく。初めて使ってみたけど、ものの数秒で赤い通知マークが続々と付いたからみんな暇なんだなぁと心の中で毒づく。

『それは質問者さんに問題ありですね』

 ……ん?

『男だけどそれだけで気づけってのが酷だと思う』

 あれ?

『どうしてそれでいけると思った(笑)』

 え。

『知的生命体のする求愛じゃない』

 は?

 通知マークが付く度に頭に血が上る。いや、でも冷静になろう。感情的になるあまり大事な情報が足りなかった。

『ちゃんと恋コスメ使ってます!』

 そう補足して暫し待機。

 しかし、返ってくるのは『現代社会の闇』だの『ギャグセンスは評価する』だの、虚仮にするような回答ばかり。恋愛するのが幼稚園の頃以来とはいえ、そんなにも見当違いなことをしているとは思っていなかったから心外だ。

 けど、一つだけ生産的な回答があった。

『消極的すぎるのでは? 怖がらずに押した方が良いと思います』

 チクリと胸が痛み、思わずマウスに目を移す。図星をつかれた。

 確かに、怖がっていなかったかと聞かれれば否定しきれない。いや、明らかに怖がっていた。だって、まだ二十歳とはいえ、人生規模で考えてもことりは間違いなく一番私に影響を与えた大事な存在だから——

 ——あ……。

 目から鱗が落ちたみたいに、指先でそっと唇をなぞる。小さな唇に決意と覚悟の重みを感じる。

 ……そうだ。だからその相手に、私は私なりに真正面から向き合うと決めたのだ。それなのに一人で舞い上がって、自分可愛さに空回りした挙句勝手に怒って……。

 ことりを見ているようで、結局私が見ていたのはそこに映る自分だけ。そんな独りよがりを押し付けておきながらことりには私を見てほしいなんて、虫がいいにもほどがある。

 じめじめと甘ったれた前髪を、容赦なくかきあげる。五月晴れのように爽やかな気分に包まれ、雨足が弱まった気がした。

 お互いに心の底から求め合い、受け入れ合う。私はことりとそういう関係でありたい。そんな未来のために、今、私にできること。

 目を逸らしていたノートパソコンの画面を視界の真ん中に捉える。

 ……押すしかない。

「押すっ……! 私は押すっ……!」

 高い鉄骨を渡り切る覚悟で、改めて自分を叱咤した。



 明けて、月曜日の放課後。さも当然の如く悪びれず降る連日の雨に、普段なら苛立ちを覚えるところだけど今日は逆だ。これはきっと私とことりの関係を育む恵みの雨になる。

 ことりが徐に傘を開き、すっと左手で差す。ただのビニール傘が和傘に見えるくらい、その憂いを帯びた横顔が絵になる。

「……ことり」

 思わず見惚れながらも、どうにかその右耳に呼びかける。

「ん?」

 ことりの髪が梅雨を感じさせないくらい爽やかに靡いた。それに鼓舞された気になり、思い切る。

「ことりの傘、入っても良い?」

「え?」

 顔だけを向けていたことりが、体ごとこちらに向き直した。ぱちぱちと目を白黒させ、私の右手を見下ろしている。

「……それは?」

 ボケに徹するため、理性を空一面を覆う雲のどこかに隠す。

「ん……? ああ、これ? 杖だよ」

 傘をそれらしく突いて、努めてあっけらかんと返す。

 ちゃんとボケだと伝わったようで、ことりの表情が落ち着きを取り戻した。

「あ、杖か。って、なんでやねん」

 覇気のないノリツッコミで遇われる。出来ればもう少し朗らかにツッコミを入れて欲しかったけど、ひとまず計画通りだ。

 何事もなかったかのように歩き出そうとすることりの右手を、「待って」と後ろから握る。驚いたからかことりの腕がピクリと脈打った。

 いざ手を繋ぐと緊張してしまい、咄嗟に自分のスニーカーを見下ろす。手のひらに感じる熱がどちらのものなのか判然としない。

「……傘、私が差してやんよ」

 誕生会をした時、ことりは私の好きなところをクールっぽさとノリの良さのギャップだと言っていた。それを踏まえた、名付けて『陽芽莉式対ことりギャップ砲』。

 これにはことりも——

「えっ、と……。……いや、大丈夫だよ?」

 ——戸惑っているっぽい。あれ……?

「そっ、か……」

「うん……」

 軽く繋いでいた手が生気を失ったように弛緩し、惜しむようにゆっくりと離れていった。

 その後は、お互い傘で横顔を隠すように坂道を下りた。じとじとした気まずさは、ぽつぽつと話をしても打ち消すことができなくて、結局ことりが電車から降りるまでずっと尾を引いていた。

 反省点。ことりの反応を見て引き下がってしまったけど、最後まで押し通さないと駄目だ。あと、思えばことりの言っていたギャップ萌えは友達として好きな部分であって、恋愛の好きに結び付くとは限らないかもしれない。

 私の好きが恋愛感情に結びついたきっかけは……。

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