シンデレラと死に至る病⑤

 天変地異みたいなショーの後は再び宴席に着き、冷めた料理に有限の時間を意識しながらもビバップのように自由な会話で至福の一時を過ごした。

 所狭しと乱痴気騒ぎしていた来園者はすっかり姿を消し、遊び疲れたように静かになったパークを夜空が寝かしつけている。そんな暖かい仄明かりと優しい雰囲気に包まれたベランダで、私たちはゆっくり酒席を満喫していた。

「けどほんと、あっという間だね」

 片付いたガーデンテーブルに視線を落とす。ぽつんと置かれているワイングラスの底には、乾いた赤色がうっすら残っていた。

 ことりが「ほんとに」としみじみ同意しながら、テーブルに置いてあるスマホで時間を確認する。

「あ、もうちょっとしたら舞踏会だよ!」

「うん……!」

 いよいよだ、と左手に見える『シンデレラの城』を見上げたら抑えきれずに笑みが溢れた。

 「舞踏会」とは私が心待ちにしていた午前零時前の演出のことで、正式名称は『シンデレラの舞踏会』。結局まだシャワーを浴びていないから、ことりに結婚式みたいと言わしめた格好のままその時を迎えられる。プレゼントもことりがお手洗いに行っている隙にポケットに忍ばせたし、万事快調、もう言うことなしだ。

 そううきうきして正面を向いたら、私より背が高いはずのことりとまっすぐ視線がぶつかった。両拳で頬杖をついて、母性に富んだ優しげな笑みを浮かべている。

「陽芽莉、舞踏会一番楽しみにしてたでしょ」

「ゑ。うん。え、何で分かったの?」

 一瞬サプライズがバレたのかと思って潰れたカエルみたいな声が出た。

 ことりが「どこから出したのその声」と笑いながら、頬杖をついていた拳をテーブルに載せた。

「いや、朝と同じ顔してたから」

「あさ」

「ほら、トンネルみたいなの潜った時。最初にMSJ見渡した」

「ああ」

 言われて思い出した。跨道橋ではしゃいでいた時か。いや、けど。

「え、それだけで一番って分かる?」

「うん。だって、最初は一番楽しみにしてることを思い浮かべるだろうから。今その時と同じ笑顔になるってことは、舞踏会を一番楽しみにしてたってことでしょ?」

 全くもってその通りだった。ワトソンの気分だ。

「すごい。名推理」

 ことりが美貌を褒められたようにはにかみながら、「それに何より、」と続ける。

 同時に、テーブルの上で軽く握られていた手が——


「……恋人のことだから」

 ——不自然に弛緩した。


 ……え?

 面食らう。

 だって。だって、その癖は。嘘をつく時の……。

 しばらく鳴りを潜めていた不安感が、不気味に顔を覗かせる。

「……陽芽莉?」

 ……いや、考えすぎだ。普通に考えて、これは私の内面を言い当てた理由についてのそれだ。全く気に病むようなことではない。

「その、付き合って一ヶ月なんだなって」

 咄嗟のごまかしは、恋人同士になってもう一ヶ月も経つのかと。楽しい時間はあっという間だと、そういう意味だった。

「確かに。あんなに色々あったのにね」

 だけどその反応は、濃い時間を過ごしたのにまだ一ヶ月しか過ぎていないと。それだけ充実した時間だったと、そういう意味だった。

「……うん、盛りだくさんだった」

 ほとんど同じ意味だった。なのに、心の中に忍び込んで徐々に形を帯びていく不安が、そんな些細な行き違いにすら違和感を抱かせる。私たちは同じ時間を過ごしていても、別の時間を感じているのではないか。そんな仄暗い恐怖となって私の心を蝕んだ——

 あたりに朧げな喧騒が漂い出したのを受けて、ことりが再び時間を確認する。

「あ! もう始まるよ!」

 ——けど、それは忽ち鮮明な喜悦に霞んだ。

「うん!」

 立ち上がったことりに手を引かれ、眠たげな明かりに包まれたパークを手すりから見渡す。閉園前までの活気が嘘のように静かで、人っこ一人いないパークがもの寂しく映る。

 しばらく眺めていると、薄明かりに包まれていた眠れる獅子のような城が突如真っ暗闇に消えた。ザーザーと滝のような音が轟き出し、戸惑うようなざわめきが微かに聞こえる。演出の内容までは調べていないから、これがプログラム通りなのかどうか分からない。

 闇夜の中で巨大な黒い影となっている城が少し不気味で、ことりの左手をぎゅっと握る。どちらからともなく解いた手のひらを、ぴったり重ね合わせて指を絡めた。

 ことりが指先でとんとんと、私の手の甲に力を伝えながら「大丈夫だよ」と言う。

 心に明かりを灯すような、柔らかい声だった。

 同時に、『シンデレラの城』が——

「うそ……!」

 ——絢爛なドレスに身を包んで目を覚ます。

 ショーの時は城の足元だけを囲んでいた滝が今はその胸元まで覆い隠し、プロジェクションマッピングによって絶えず模様を変える魔法のドレスになっている。

 そして、そのドレスの少し上に位置する広いバルコニーには二人の人影。きっと、王子様とシンデレラだ。いつの間にか明かりが灯っていたパークに華麗なワルツが響き渡り、そのシルエットがクルクルと踊り始める。

「陽芽莉」

 優しく呼びかけながら、ことりが繋いだ手を解いてこちらに体を向ける。

「うん?」

 不自然な挙動に何だろうと思いつつ向き合うと、ことりがすっと私の右手を取った。

「私たちも踊ろ」

「え、」

 「私ダンスやったことないよ?」と言った時には、ことりの左手に導かれてふわりと舞っていた。進行方向にある私の右腕が水平にぴんと伸びている。対照的に少し曲げられていることりの左腕に身長差を感じ、私の左肩甲骨あたりにはことりの温もりを感じた。

 「私たちならできるよ」と笑顔でリードしてくれることりに、いつも手を引かれる時みたいについていく。硬い足場が湖面になったみたいに、二人でゆらゆらとベランダを漂う。それに合わせて頭飾りがしゃらしゃらと揺れて、裾のフリルもひらひら靡く。

「左手、私の肩に添えてみて」

「えっと……、こう?」

 ことりの腕の付け根に触れると、ことりが回している右腕の上に私の左腕が重なった。私たちの上半身がまるで虚空に浮かぶ小舟みたいで、優雅なワルツがそれを揺り動かす波のように流れている。

「そうそう! あとは身体で動きを伝えるから、」

 ターンが少し遅れてバランスを崩したら、ことりに強く抱き寄せられた。世界の輪郭がぼやけて、視界がことりだけになる。艶っぽい唇はほんのりと不敵な笑みを浮かべていて、とろんと妖艶な目はどこか頼もしい。いつもは女性的な色気に溢れていることりが、中性的な魅力で私を支配する。

 ことりの色っぽい息遣いが唇をくすぐる。

「身体で私を感じて」

 王子様みたい……。

「………………はい」

 身体がことりの思うままに踊って、心もことりへの大好きでいっぱいになる。今は私の存在全部がことりのもので、その時間に悦びを感じる。

 ことりにとっても、この時間は同じだろうか。私の身体を操る細い身体は、その動きに私との時間を感じているだろうか。

 緩やかに流れる景色の中に、煌びやかな水のドレスが映った。

 きっと私は、あのドレスと同じだ。そうさせてくれる主体があって初めてそう存在できる。ことりという存在があって初めて私は私として存在できて、その関係によってその在り方を規定される。

 ことりにとっても、私の存在は一緒だろうか。私の瞳を映した大きな瞳は、その先に私という存在を捉えているだろうか。

 ワルツのテンポが遅くなるに従って、銀色に輝く『シンデレラの城』が徐々に露わになっていく。それを右手に見ていたら、鳴り止んだワルツの余韻を感じる間もなく同じ色の髪の毛が視界を覆った。大好きな匂いがふんわりと広がる。

「これからもよろしくね、陽芽莉!」

「うん……!」

 その先に続けたい言葉はあまりにも多かったから、その気持ちはことりの存在ごと抱きしめて表現した。言葉なんかで、この時間を汚したくなかった。

 「……でね。えっと、その……」としどろもどろになりながら、ことりが何やらもぞもぞし始めた。

「恋人の証というか。陽芽莉に、着けて欲しくて」

 抱擁を解いて向かい合うと、ことりの手のひらの上にあったのは——

「え!」

 「待って!」と言うが早いかポケットを弄り、用意していたプレゼントを同じように見せる。

「うそ……!」

 ——私が用意していたのと同じブランドのジュエリーボックス。箱の色は購入する時に白か黒で選べたから私は白を選んだけど、ことりのは黒だった。お互い相手のパーソナルカラーを選んだ格好だ。

「中身まで一緒だったりして」

 間違いなく同じだと直感して、少し棒読みになる。

「いやいやそんなわけ——」

 割愛。

「「——あった!」」

 そんな茶番が心底可笑しくて、こんな奇跡が堪らなく嬉しくて、目の端に涙を浮かべて笑い合う。かけがえのない存在と過ごす、最高の時間。世界中の幸せを二人で独占しているような、抱えきれない悦びで胸がいっぱいになる。

 それを全部笑い声に変えてあたりに幸せを充満させた後、箱をテーブルに置いてことりと見つめ合う。視界の右端に映る白銀の城が、チャペルのように私たちを見守っている。

 私たちの間に二人の左手を向き合わせ、お互いの右手で全く同じ指輪を近づけていく。すらりと伸びたことりの薬指に指輪を嵌めると、私の薬指にその感覚が伝わった。その瞬間私はことりで、きっとことりは私だった。

 お互いの右手で左手を包み合って、お揃いの指輪をうっとり眺める。さも当然のようにぴったりのサイズを用意してくるのが私たちらしい。

「図らずもペアリングだね」

「うん! ほんとに奇跡みたい……! だって、イメージしたものもきっと一緒でしょ?」

 「うん、多分!」と返しながら二人同時に城の方に向き直して、愛を誓うように左手を突き出す。

 灯光に暖かく照らされたイエローゴールドのリングに、城の光を反射して煌めく銀色のダイヤモンド。城を囲む水面と、全く同じ色合いだった。そしてそのブランド名は『Canal277K』。

「「運河、でしょ?」」

 同時に顔を見合わせて、一緒に破顔する。

「そうだ、写真! ライトアップ終わる前に撮ろ!」

 「うん!」と言った時には、ことりはもうカメラアプリを起動したスマホを横向きで持っていた。西部劇のガンマンみたいな早技に感心しながら、手すりに背を向ける。

 ことりがスマホを右手で掲げ、その画面に笑顔の私たちを映す。背景には楕円形のパークと、てっぺんが切れた『シンデレラの城』が映っている。

 ことりがスマホを少し傾けて城のてっぺんを映すと、今度は——


『お母さん:もうすぐ隼の命日だね。日々立派に生きることりは私たちの誇りです。きっとお兄ちゃんも天国から応援してい……』


 え……?

 ——メッセージアプリのバナー通知がそれを遮った。

 不気味な、鈍い音がした。

 スマホが足場に落ちて画面が割れ、同時に倒れる勢いでことりがへたり込んだ。

「ごめん、なさい…………」

 一瞬、誰の声なのか分からなかった。首元に刃物でも突き付けられたように、怯えて震えた声だった。

 その言葉の意味が、この状況が、分からないし、分かりたくもなかった——

「……ねえ、ことり」

 ——けど、私は、ずっと分からないままだったから。「ちょっとした気掛かり」も、「私を拒絶していた理由」も、「同じ幼稚園だったというだけで特別扱いしてくれた理由」も。ずっと、未完成のパズルだったから。

 未完成のそれを、そういうものなのだと思えればそれで満足できた。けど、今こうしてそれらしいピースが現れてしまったから、そう思えなくなった。嫌でも、当てはめてしまった。

 ことりに「隼」という兄がいて、既に亡くなっているという事実。それを私に知られたことりの動揺。……ことりの亡くなった兄「隼」が、十五年前私が両思いだった「しゅん」だったとしたら。私たちが両思いだったことを何かしらのきっかけでことりは知っていて、それが私を特別扱いした理由だったとしたら——

 ……亡くなったことりのお兄さんは、当然ことりにとって特別な存在だった。だからことりは、兄はどんな人が好きだったのだろうと私に興味を持ち、彼の好きだった人だからという理由で私を特別扱いした。それでも、私は同性だからことりの恋愛対象にはなり得ず、一度は私を拒絶した。けど、私が涙を見せたことで、ことりは思った。兄の好きだった人を悲しませてしまったと。これ以上悲しませるわけにはいかないと。だから、私を傷つけないために好きでもない私と恋人になった。そしてそれが、違和感の正体。

 ——全て辻褄が合う。

 ……私がもっと、臆病なら良かった。であればこんなことを、憶測に過ぎない可能性を、わざわざ確かめずに済んだのに。

「ことりのお兄さんと私が、両思いだったから?」

 足元で呆然と座っていることりの肩が、ぴくりと跳ねた。

「私と付き合ったのも、私と関わったのも、……何もかも」

 鳴り響く午前零時の鐘の音に、解けた魔法が霧散した。

 膝の上で握られていた手が開く。

「……………………違う……」

 言葉とは裏腹にその癖が告げる。

 私と同じ時間を感じていないと。

 私という存在を捉えていないと。

 これまでの関係は全部偽物だと。

 予見していたその嘘に、希望は絶えて不安が満ち、生きる理由を曇らせる。

 そうして背負った絶望の罪は——

「……………………嘘つき……」

 ——きっと私を、死に至らせる。

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