第20話:愛されなくても愛したい
「なぁ、晴人。君はいつまでそうしているつもりだい?」
「……」
晴人と来夢が暮らすアパート。
朝早くから出かけ、すぐに戻ってきた晴人だったが。
彼は布団の中に潜り込むと、そのままガタガタと震えだし……何時間経っても、中から出てこようとはしなかった。
「ボクもいい加減、焦れてきたよ。君が出てこないなら、無理矢理にでも布団を引っ剥がそうか?」
いくら事情を訊ねようと、慰めようとしても。
晴人は何も答えず、震え続けるのみ。
そしてとうとうしびれを切らした来夢が、晴人の布団を奪おうとしたのだが。
「うぉぁああああああっ! やめてくれっ!」
晴人はもの凄い叫び声を上げながら、それに抵抗する。
これには普段冷静な来夢も、面食らってしまったようで。
「……これは重症だねぇ。一体何があったのか、本気で気になるよ」
「俺は……俺はもう嫌だ。なんでこんな事になるんだよ……」
普通に生きたかった。
家族と仲良く、楽しく、明るく。
そんなありふれた夢を抱いて、何がいけないのか。
晴人は悲しみの涙を溢れさせながら、自分の運命を呪った。
「晴人。おいで」
「来夢……?」
「いいから、おいで」
そんな晴人を見て、来夢はただ両手を広げる。
そして、普段の彼女からは想像も出来ないような優しげな微笑を浮かべ……優しい声で彼を呼び寄せた。
「おー、よしよし。怖かったねぇ」
ゆっくりと来夢の元へ歩み寄っていく晴人。
来夢は彼を抱きしめると、その背中をポンポンと叩き……擦り上げる。
「ボクがいるよ。いつだって君の傍にいる。だから、もう泣くんじゃない」
「来夢ぅ……!」
悲しみの底に沈み、光を失っていた晴人の瞳に光が戻ってくる。
それほどまでに、彼に語りかける来夢の声は力強く……不思議な安心感を秘めていた。
「俺、もう嫌なんだ……!」
「うんうん」
「なんで、どうして俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ!」
「ああ。本当に理不尽極まりないね」
「うっ、うぅぅぅっ……! ふぐぅぅぅっ……!」
来夢の胸に顔を埋め、涙を噛み殺す晴人。
そんな弱々しい姿を見て、来夢は思う。
「(……ここだろうか?)」
今の晴人は心身ともに弱りきっている。
ここで来夢が押せば、彼は自分のモノになってくれるかもしれない。
十数年にも渡る悲願が。
晴波晴人と結ばれるという夢が、まさに今……彼女の腕の中にある。
「……フッ」
しかし、来夢はそんな考えを鼻で笑う。
バカバカしい。
大好きな人が、こんなにも苦しんでいるというのに……自分の欲望を優先してどうなるのだ、と。
「(今、ボクがやらなければならない事。ボクにしか出来ない事。それは、晴人の心の傷を癒やしてあげる……ただ、それだけなんだ)」
この時の来夢の決心は、正解だったと言える。
もしも彼女がここで晴人と愛し合おうとした場合、晴人は美雲の姿を来夢と重ね、拒絶していただろう。
「(晴人。ごめん……ボクが間違っていたよ。君の幸せが何よりも大事だというのに)」
そしてこの決断は、ヤンデレに堕ちかけていた彼女の心をも浄化した。
いや、目を覚ましたという方が的確かもしれない。
「来夢の腕に抱かれていると……すげぇ、落ち着く」
肉欲すらも超越した慈愛の心が、ヤンデレに傷付いた晴人の心に溶け込む。
「ククク……そう言われて、悪い気はしないねぇ」
「ずっと……こうして、いたい……かも……」
「晴人?」
「……すぅ、すぅ……」
「おやおや、寝ちゃったのかい? 相変わらず、可愛らしい寝顔だ」
「んぅ……らい、む……」
「ふぅん? 夢の中でも、ボクに抱かれているのかい? クク……夢の中の自分にも嫉妬してしまいそうだよ」
「おれ……おまえが、すきだよ……」
「…………ファッ!?」
衝撃的な晴人の寝言を聞いて、来夢はあっという間に顔を赤らめる。
「うぅ……んっ……ずっと、いっしょ……だからな」
「……全く。これは喜ぶべきか、悲しむべきなのか。微妙なところだねぇ」
そうは言っても、来夢の顔は喜色満面。
喜びと幸福に満ち足りた笑顔を浮かべているのだが。
「ああ、約束だ。晴人、ボクは永遠に君と共に生きていく」
寝ている晴人の頬を撫でる来夢。
彼女がこうして、晴人の事を愛し、支え続けている限り。
彼が見ている夢の光景が、現実となる日も――そう遠くは無いのだろう。
【晴波家】
「……ふっふふ~ん。今度はどんな風に、にぃにぃにアタックしようかなぁ?」
「やけに上機嫌だね、美雲」
「自分だけ晴人兄に許して貰えたからって、調子に乗りすぎ」
「え~? 別にそんなんじゃないよぉ……」
かつては5人で囲んでいた食卓も、今では4人姉妹だけ。
あんなに大好きだった晴人の手料理も、もはやこの食卓に並べられる事はない。
今日の昼食は長女雪菜の作った、完璧に美味しいハンバーグ。
味も、量も、栄養バランスも完璧。そう、ただそれだけのハンバーグだった。
「……足りない」
「え? どうしたの雪菜ねぇねぇ?」
「晴くんの愛が……愛情が足りないの」
「そんなの、ここいる全員がそうだよ……」
「晴人兄のご飯……また食べたいな」
「……」
ほんの少し前までは、晴人の話題で持ちきりだった食卓。
とはいえ、素直になれないこの駄姉妹達が口にする内容はお察しだったのだが。
「……美雲ちゃんが、許して貰えたのなら」
「アタシ達も……同じ事をすればいいのかな?」
「それは危険だと思う」
「そーそー。みぃだから許して貰えただけだにゃー」
「じゃあ、どうしたらいいの? いくら謝っても、きっと晴くんは私達を許してくれない……」
「そうね。晴人はもう、アタシ達の事を家族と思ってくれていないんだもの」
「「「「……」」」」
ずぅーんっと重くなる空気。
それが自業自得だという事は、流石にこのアホ姉妹達も重々に理解している。
「……許してもらう必要、あるのかな?」
「「「……え?」」」
「私ね、思うんだ。もう、晴くんは二度と私達を好きになってくれない。だったら、それはそれで受け入れるしかないんじゃないかな?」
「「「???」」」
長女の放った言葉の意味は理解出来る。
しかし、その意図が分からない妹達。
だって、自分達が晴人を諦めるわけがない。
彼の存在無くして、自分達は生きていられないのだから。
「晴人に嫌われるのを受け入れるって……どういう事?」
「言葉通りの意味よ。もう、取り返しが付かないなら。取り返す必要なんて無い。というより、晴くんの気持ちなんて……どうだっていい」
「えっ?」
「大事なのは晴くんを愛する事。晴くんがこの家にいる事。手段や方法なんて選ばずに、あの子を……うふふふっ、あはははははははっ!」
雪菜の頭が、あまりにも身勝手で、醜悪な思考に塗り固められていく。
愛されないのなら、愛するだけでもいい。
もはや彼女の暴走は、取り返しの付かないところまで、足を踏み入れようとしていた。
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