第8話:長女の謝罪は全ての始まり
二度ある事は三度ある。
それなら三度ある事は、どうなるのだろうか。
「……げっ」
「は、晴くん?」
雷火、美雲、雨瑠に引き続き、やはりというべきか……避けては通れない最後の一人。
晴波姉妹の長女である雪菜と、俺はバッタリ遭遇してしまった。
「……チッ」
階段から降りてまっすぐに玄関に向かおうと思っていたのに、まさか雪菜が気絶した雷火を介抱しているなんて。
少々タイミングが悪かったな。
「買い物から戻ってきたら、雷火ちゃんが倒れていて……これ、晴くんがやったの?」
「さあな。答える義理なんか無い」
「……晴くん」
俺が吐き捨てるように呟いた言葉に、雪菜は悲しそうな顔で瞳を伏せる。
そして彼女は手に持っていた買い物袋を横に置くと、冷たいフローリングの廊下の上で四つん這いとなり……その頭を床に押し当てた。
「ごめんなさいっ!」
「あ?」
「今まで私達は、アナタに何度も何度も酷い事をしてきたわ。その事を謝りたいの!」
「……へぇ?」
まさか、雪菜がそんな事を言うなんて。予想もしていなかった。
これまで、俺がどれだけ辛いと言っても、苦しいと打ち明けても、まるで手を差し伸べてくれなかった長女が……
「そう簡単に許される事じゃないっていうのは分かっているつもりよ。だから、私に出来る事ならなんだってするから――お願い、この家に帰ってきて!」
「どうして?」
「……え?」
「どうして急に、そういう態度になったんだ?」
「それは……!」
「ああ、そうか。俺がキレて家を飛び出したから、家の雑用は全部……お前がやらなくちゃいけなくなったんだな?」
俺は雪菜の傍らにある買い物袋へと視線を落とす。
どうせ中身は、夕飯の為の食材だろう。
「ちがっ……」
「あれはちょうど、俺が中学に上がりたての頃だったか? あの頃は、高校生だったお前が、家の事をほとんどしてくれていたっけ」
家事も炊事も、ほとんどが雪菜の担当だった。
俺も雨瑠も美雲も小学生だったし、当時の雷火は高校受験を控えて忙しかった。
「俺はそんなお前が可哀想で、家事を手伝いたいって申し出たんだよ」
「……勿論、覚えているよ。あの時は私、本当に嬉しくて――!」
「ああ。じゃあ、その後の事も覚えているよな?」
俺は雪菜に料理を教わった。洗濯物の取り込み方、たたみ方。
掃除の仕方。その他にも色々と、俺は姉の力になろうと頑張った。
そしてとある日、雪菜は俺にこう言った。
~「ねぇ。これからは毎日、晴くんに料理担当を任せるね」~
「それからずっと、この家の料理番は俺だったな」
「だって! 私も……あの子達も! みんな、晴くんの手料理が食べたかったの! 晴くんが私達の為に料理してくれる事が嬉しかったのよ!」
「……なんだその理屈」
意味が分からん。
ガキの俺が作った料理よりも、雪菜が作った料理の方が上手だった筈だ。
「……当時は、料理だけならと思ったよ。でも、その要求は段々とエスカレートしていって、洗濯物、掃除、買い出しまで全てが俺の役目にされた」
「あ、あれは……!」
「お陰で俺は学校が終わったら、友達と遊ぶ時間すらなく家に直帰。一緒に文芸部に入ろうと約束していた来夢には、悪い事をしたよ」
結局アイツも、俺が入らないならと帰宅部になって。
いつも一緒に家に帰って……色んな話をしたっけか。
「そう、その来夢ちゃんが原因なのよ……」
「は?」
「晴くんの時間を奪えば、来夢ちゃんと引き離せると思って……」
「来夢と? なんでそんな必要が……」
「分からないの? 私達は晴くんの事が、とっても大好きなのよ!」
「……????????」
なんだコイツ。
まさか、美雲と同じように俺を騙そうとしているのか?
「私達は馬鹿だったわ。晴くんの事が好きで仕方ないのに。実の姉弟を好きになっちゃいけないって……素直になれなくて。あんな態度ばかり取っていたの」
「……」
「でも、そんなのは勝手な理屈よね。私達が悪いって事は、よく理解しているの」
「ああ、そうだな」
仮に雪菜の言っている事が本当だとしても。
アイツらが俺にしてきた仕打ちは、到底許されるものじゃない。
「簡単な事だったんだよ。お前達が俺の事を、弟として、兄として、普通に接してくれていたのなら。こんな事にはならなかった」
「……っ!?」
「誰にでも別け隔てなく優しい姉。わがままだけど面倒見のいい姉。引っ込み思案だけど懐いてくれる妹。生意気でも可愛らしい妹。俺はずっと……お前達を、自慢の姉妹だって思いたかったんだから」
こんなにも綺麗で、魅力的な女の子達が俺の姉妹なんだって。
みんなに胸を張って自慢したかった。
俺もその一員なんだって、思いたかった。
「うっ、うぇ……ひっく、そ、れは……」
「でも、もう遅いんだよ。今更何を言われたって、どれだけ愛情を囁かれても。俺はお前達を姉妹だとは思えない。好きになんてなれない」
もしも、姉妹達が俺の事を普通に扱ってくれていたのなら。
血が繋がっていない事を知った時、異性としての愛情が芽生えたかもしれない。
「ごめ、なさっ……ぐすっ、ごめんなさい……っ! ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいっ!」
雪菜は廊下を這うようにして俺の足元に縋り付き、何度も謝罪の言葉を口にする。
涙で濡れて、化粧が崩れた顔は……あの美しい姉の姿の面影は、どこにも無い。
「私は許さなくてもいいわ! でも、雷火ちゃん達は……! 他のみんなの事は許してあげてっ! あの子達は私のせいで――!」
「じゃあな、雪菜さん」
「あっ……」
俺は足元に縋り付く雪菜を振り払い、そのまま玄関へと進む。
「ふぎゅっ!?」
途中、倒れている雷火の背中を踏んだ気もするが……まぁ、それはどうでもいい。
「あ、ああっ……駄目よ、出ていかないで! あああああっ! 晴くん、晴くんっ! はるくぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!」
雪菜の甲高い絶叫が、晴波家にこだまする。
しかし、俺の足が止まる事は無い。
俺は何も躊躇ずに玄関の扉を開き、外へ出る。
「……ああ。清々しい空だな」
まだ昼過ぎの晴天の空は、まるで俺の旅立ちを祝福しているようで。
「ここからが、俺の新たな人生の始まりだ」
もう俺は過去を振り返らない。
あの姉妹達とのしがらみも、嫌な過去も全部……吹っ切ってみせる。
そう、思っていたのに――
「にぃにぃ……みぃは諦めないよ? 絶対に、ぜぇったいに……にぃにぃはみぃと結婚するんだにゃぁー? きゃははははははははっ!」
「晴人兄が死んじゃった……ううん、違う。晴人兄はここにもいるよ? ほら、こっちの晴人兄も私を見てる! あはっ、私も晴人兄がだぁいすきだよっ!」
「……晴人。アンタはアタシからは逃げられない。アンタはアタシのモノなのよ。それをこれからたぁっぷりと、教えてあげるんだから」
「晴くん……どこへ行くの? 家族はずっと一緒にいなきゃいけないのに。あっ、そっかぁ。またあの女が、晴くんを誑かしているのね。そうなのね。でなきゃ、晴くんが私を拒絶するわけがないもの。そうよ、そうに決まってる。悪いのは全部あの女よ、間違いないわ。昔から幼馴染面して晴くんにすり寄ってくる、意地汚い淫売の雌豚の分際で……許さない。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」
まだ俺達の物語は何も終わっていない。
むしろ、これからが――本番なのだと。
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