第7話:実にスタンダートなヤンデレ三女

「ふぅ……」


 旅行カバンを持って、自室を出た直後。

 このまま1階に降りて、玄関から出ていこうと思っていると。


「晴人兄……駄目だよぉ」


「え?」


 唐突に名前を呼ばれて、俺はビクッと身構える。

 しかし、近くには誰もいない。

 今閉じたばかりの扉の奥からは、布団の中でくぐもった美雲のすすり泣く声は聞こえてくるが……


「……あれは?」


 周囲を見渡して、ようやく気付く。

 俺の部屋の向かい側。廊下を挟んだ反対側にある部屋の扉がわずかに開いている。

 そこは姉妹の三女、雨瑠の部屋なのだが……どうやらさっきの声の主も、雨瑠のようだ。


「アイツの部屋が開いているなんて、珍しいな」


 他の姉妹達は時折、俺に部屋の掃除をしろと言ってくるので、何度か足を運んだ事があった。


※(晴人の匂いを部屋に染み込ませたいという浅はかな考え byシスターズ)


 しかし、雨瑠だけは違った。

 絶対に部屋の中に入らないでと、何度も念を押されており、俺も中に入った事が無い。

 というか、常に鍵が掛かっていて、入ろうと思っても入れなかっただろうが。


「……晴人兄。さぁ、こっちへ来て。うふふふふっ」


 そんな雨瑠の部屋の扉が開いており、しかも中からは俺を呼ぶ声がする。

 正直、もうあの姉妹達と関わり合いにはなりたくないというのが本音だが……

 

「チッ……」


 雨瑠は姉妹達の中でも、一番まともな奴だと俺は思っている。

 それでも、4人のクソみてぇな女達の中で一番マシなクソを決めるなら、という話だが。


「……」


 そんな雨瑠が、俺を呼んでいる。

 俺の中にほんの少し残っていた兄としての感情か、それとも単純に雨瑠の自室がどうなっているのかという興味本位か。

 いずれにせよ、俺は雨瑠の部屋の扉へと近付き……その隙間から中を覗き込む。


「……は?」


 部屋を覗いた瞬間。

俺の視界に飛び込んできたのは、俺の顔だった。

 それも、一つではない。数十、数百……あるいは、もっと沢山あるかもしれない。


「なんだよ、これ……?」


 それは壁一面、隙間なく貼り付けられた俺の写真だった。

 年齢もバラバラ。角度、服装、ポーズも全て、全く違う俺の写真が……もはや壁紙の柄であるかのように。


「晴人兄、そろそろご飯の時間にしようね」


「……?」


 そんな気持ち悪い空間の中に、雨瑠はいた。

 ベッドの端に腰掛けて、その腕の中に抱く何かに語りかけている。

 

「人形……だと?」


 雨瑠の腕の中にいるのは、そこそこ大きな人形だった。

 しかし、その形は不格好で……お手製感満載だった。

 なのに、妙に髪の毛だけがリアルだった。

 まるで、本物の髪の毛をくっつけているみたいに……


「はい、あーんして? うふふ、いっぱい食べさせてあげる」


 雨瑠はテーブルに置かれたスープ皿から、スプーンで中身を掬うと……それを気持ち悪い人形の口元へと近付ける。

 しかし人形がそれを口にするわけが無い。

 

「どうして食べないの? お腹空いていないの?」


 人形は雨瑠の質問には答えない。

 すると雨瑠は、スプーンの先端を自分の口の中に運び、スープを口に含む。

 そしてそれから、人形の顔を自分の顔に近付け……キスをする。


「はーい、口移しだよ? もう、晴人兄は甘えん坊さんね。こうしないと、いつもご飯を食べてくれないんだから。うぃひっ、ひひひひひひひっ!」


 口移し、など出来るわけもなく。

 スープでびちゃびちゃになった人形に頬ずりをしながら、気色悪い笑いを零す雨瑠。

 色々と突っ込みたい事はあるが……一番は、そうだな。

 あの人形はどうやら、俺に見立てられたものらしい。


「んっ……晴人兄、まだこんな時間なのに。そんなにシたいの?」


 本物の俺がドン引きして見ているとも知らずに、雨瑠は人形の手を操って、自分の胸をまさぐらせ始める。


「駄目だってばぁ……うぃひっ、晴人兄のえっちぃ。そこは、駄目だってばぁ」


 胸をまさぐっていた人形の手が、次第に下へと落ちていき。

 やがて、雨瑠のスカートの中へと伸びていく。


「っ!?」


 アイツが何を考えているかは分からないし、何をしようが勝手だと思う。

 しかし、俺の名前を付けた気色悪い人形でオナニーを始めるというのは、どうにも寛容出来ない。


「うらぁっ!」


「ほぇぁっ!?」


 俺はドアを開き、雨瑠の部屋へと入る。

 もはやこれ以上、このふざけた状況を見過ごせなかった。


「なっ、なななななぁっ!? なんで、晴人兄が……2人!?」


「そのクソきめぇ人形を俺扱いしてんじゃねぇよ!」


 急な俺の登場で動揺する雨瑠の元に駆け寄り、俺はその人形をひったくる。

 今までもずっとこんなお遊びを続けていたせいか、かなり汚れていた。


「あぁっ! 晴人兄が晴人兄を!?」


「だからこれは俺じゃねぇって言ってんだろうが!」


「か、返してっ! それはずっと、晴人兄の髪の毛を集めて……!」


「は? これ、マジで俺の髪なの?」


 そうは言っても、こんなにびっしりと縫い付けてあるじゃねぇか。

 これだけの俺の髪を……集め続けていたっていうのかよ。


「ああっ、そ、そっか。そう、そうなんだ……うぃひ」


「は? なんだよ急に」


「しし、嫉妬してるんでしょ? 晴人兄ってば、私がその晴人兄とイチャイチャしているから、嫉妬してくれていたんでしょ?」


「……」


 何を勘違いしているのか、急に強気になる雨瑠。

 本当におめでたい頭をしてやがるなぁ、コイツ。


「……くだらねぇ」


「え?」


 俺は人形の頭を両手で掴むと、それをぎゅぅっと左右から引っ張る。


「あっ、ああっ! あああああああああああっ! やめてやめてやめてやめてっ! 晴人兄っ! それだけは! それだけは許してぇえええええっ!」


「死ねよやぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 俺の渾身の引き裂きが、気色悪い人形の息の根を止める。

 左右バラバラ、中身の綿も、俺の髪の毛も、全てがバラバラに散らばっていく。


「ほぁ」


 それを目の当たりにした瞬間。

 あれだけ絶叫していた雨瑠が、まるで糸の切れた操り人形のように倒れてしまう。


「ブクブクブク……」


 しかも口からは、カニのような泡まで吹いている。

 それほどまでに、人形が壊された事がショックだったのだろうか。


「……コイツは持ち帰って、燃えるゴミで出しておくか」


 俺はビニール袋の中に人形の残骸をかき集めると、それを旅行カバンの中に入れる。

 とりあえずこれで、コイツがもうこんな気色悪い人形を作る事も無いだろう。


「写真は……どうすっかな」


 周りを見ると、壁一面の俺の写真の中には、下着姿や裸の物もある。

 全部剥ぎ取ってやりたいが、そんな事をしていたら日が暮れちまう。


「……これも、また今度だな」


 なんかもう、ドッと疲れた。

 早く来夢のアパートまで戻って、アイツと一緒に美味しい飯でも食べよう。

 俺はそう決めて、気持ち悪い雨瑠の部屋を後にしたのだった。

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