第12話:えちえち耳かき


「はぁ……やっちまったぁ」


「ククク……まさか初日で辞めてくるとはねぇ。このボクをもってしても、予測出来なかったよ」


 コンビニバイトを辞めて、肩を落としながらアパートに帰宅した俺を、来夢は優しく出迎えてくれた。

 そしてなぜか彼女は突然、俺の耳掃除をやると言い出した。

 なので今の俺は、彼女の膝の上に頭を乗せるようにして寝転がっている状態だ。


「しかし、戸籍上の姉が客と揉めたくらいで、辞める必要があったのかな?」


「一応、親切な先輩が庇ってくれたんだけどさ」


~「まだ決断を下すのは早いのではなくて? これからの働きぶりで挽回すればいいではありませんの!」~


 ミスティ先輩は店長に対して、熱意ある説得をしてくれたのだが。

 その場にいた雷火が、キリッとした顔で――


~「アタシも、アタシの他の姉妹達も! 晴人をいじめる客は全員ぶっ飛ばしてやるんだから!」~


 と、叫んだものだから……

 店長は「勘弁してください」と俺に、退職するように頼んできたのだった。


「なるほどねぇ。雷火さんらしいといえば、らしいセリフだ」


「冗談じゃないっての。そもそも俺をいじめていたのはアイツらじゃねぇか」


「そうだねぇ。ほら、これはアレじゃないかい? 君をいじめていいのは私達だけ、というような感じ」


「なんの独占欲だよ」


「しかし、やり方が随分と過激だったとはいえ。雷火さんが君を心配し、助けようとしたのは事実じゃないかい?」


「……」


 コンビニを辞める事になり、気落ちして自動ドアを出たところで、雷火は気まずそうな顔で立っていた。


~「騒ぎを起こしてごめんなさい! それと、今までの事も……!」~


 俺はそんな雷火の横を素通りし、逃げるようにここまで帰ってきた。

 後を付いてくるかもしれないと身構えもしたが、そういった事も無かったな。


「やめてくれよ。今更、アイツらを許そうなんて思っちゃいないぞ」


「分かっているさ。しかし、いつまでも腹を立てていたって仕方ないだろう?」


 来夢が巧みに操る耳かき棒が、カリカリと優しく……俺の耳の奥の痒い部分を的確に刺激してくる。

 くっ……! なんという気持ちよさだ!


「仲直りしろ、とは言わないが。変に意識するのはやめたらどうだい?」


「あっ……そこ……いい」


「このままだと、君のバイト先に姉妹が現れる度に問題が起きるだけだと思うがね」


「確かに、そうかもな」


 今回だって、雷火に意識を取られたせいで男性客に絡まれる事になった。

 これは来夢の言う通りかもしれないな。


「ボクはね、晴人。君にこれ以上、苦しんで欲しくないんだ。こうして自由になったというのに、今も君の心は彼女達に囚われたままじゃないか」


「来夢……」


「君の悲しむ顔は見たくない。晴人……だってボクは……」


 膝枕されている俺の頬にスッと両手を添えて、来夢が俺に顔を近付けてくる。

 このままだと、お互いの顔が……いや、唇が触れ合ってしまう。

 4cm、3cm、2cm、1cm――!

 俺が思わず、ギュッと目を瞑った瞬間だった。


「ふぅーっ……」


「あひぃぃぃ……!」


 来夢が俺の耳の穴に、息を吹き込む。

 その瞬間、俺の背筋にゾクゾクとした感覚が走り抜ける。


「はい。これで右の耳かきは終了さ」


「ら、来夢っ!? お前なぁっ!」


「こらこら、暴れない。次は左耳の番だろう?」


 起き上がろうとした俺を押さえて、来夢は俺の顔をぐいっと引っ張る。

 そのせいで今度は、俺の顔が来夢のお腹の方に向く体勢となった。


「君の耳には、随分と年季の入った耳垢が溜まっているようだからねぇ。こうしてしっかり掃除しておかないと」


「は、恥ずかしい事を言うなよ」


「ほーら、見たまえ! これは大物だぞ~!」


「やめろォ!」


「ちょっ、暴れるんじゃないっ……! くふふぁっ、そこは……くすぐった……ぁん……!」


 耳かきを発端に、俺達はもみくちゃに絡み合う。

 こんな風に馬鹿をやれる親友がいてくれて、俺はとても幸せだと思う。

 だから彼女の言うように……俺はそろそろ、吹っ切るべきなのかもしれない。

 でも、果たして俺に出来るのだろうか。

 あの姉妹達への怒りと憎悪を忘れて、生きていくなんて――


【晴波家】


「……で? 折角、晴くんのバイト先を見つけたのに。今住んでいる場所は聞き出せなかったの?」


「あうぅ……ごめんなさい」


 晴人が来夢に耳掃除をされているその頃、晴波家では。

雷火が三人の姉妹に囲まれ、反省するように正座をしていた。


「雷火姉……使えない。ずるずるずるっ……」


「こーんなお土産くらいで、みぃ達が納得すると思うのかにゃー? んー、おいしぃ」


「ちゃっかり堪能しているくせに、文句言うんじゃないわよ!」


 カップ麺をすする雨瑠と、プリンを食べる美雲。

 どちらも雷火が、例のコンビニで購入してきたものだ。


「だって、晴人を前にしたら上手く言葉が出なくて……本当はもっとちゃんと、今までの事を謝りたかったのに」


「……しょうがないわ。でも、晴くんをいじめたおっさんに制裁を加えたのはナイスよ」


「私だったら、末代まで呪ってる。ずるずるずる……」


「あはっ。みぃなら、タマキンぶっ潰してるかもー」


「でも、晴人はすごく怒ってる感じだったの。ああ……嫌われちゃったのかなぁ」


 興奮のあまり、我を忘れて晴人に甘えようとした雷火。

 その時の晴人のドン引き顔は、今も彼女の脳裏に焼き付いて離れない。


「大丈夫よ。晴くんが本気で私達を見捨てるわけがないじゃない。だって、家族なんですもの」


「……そう、かな」


「ええ。経緯はともかく、美人な先輩がいるバイト先を辞めさせる事にも成功したんだし……アナタはよくやったわ」


 落ち込む雷火を自分の胸に抱き寄せ、雪菜は優しく頭を撫でる。

 その慈愛に満ちた仕草とは裏腹に、口にする言葉のなんとおそましい事か。


「でも、きっとまたすぐに新しいアルバイトを見つけちゃうわよね?」


「だったら、次は私が……行く。けぷっ」


 カップ麺を汁まで堪能した雨瑠が、お腹を擦りながら立候補する。

 それを受けて、雪菜は優しく微笑んだ。


「雨瑠ちゃん、頑張ってね。なんとしても、晴くんをうちに連れ戻すのよ」


「了解。私は晴人兄が好き。晴人兄も私が好き。だから問題ない」


 謎の持論を口にしながら、雨瑠は微笑む。


「ちょっと……本気、出しちゃおうかな」


 そう呟く彼女の右手には、キラリと輝くハサミが握られていた。


――――

お読み頂いてありがとうございます。

私は今年もバレンタインにチョコを貰えませんでした。

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