辺境の万能術士 Ⅰ — 訪問 —

「エスク様のお宅は、こちらでよろしかったかしらっ!」


 窓から見えるは天高くに太陽。穏やかに進むは白い雲。つがいの小鳥が唄い踊りながら、高い空の上を飛んでいく。


 惰眠を貪るには絶好の昼下がり。エスクは寝惚けた意識に自分の名前を聞き取って、ぼさぼさの白い髪を掻きながらベッドから身体を起こした。

 確かにエスクさんのお宅はこちらでよろしい。王国のド田舎に佇む築三十年を超える煉瓦造りの二階建てで、以前の所有者から格安で譲り受けたお買い得物件だ。


 瞼を突き刺す日差しに目を細めつつ、二階の窓から玄関付近を覗き込む。すると人が出てくるのを待って手持ち無沙汰にくるくる回る、白い日傘が目に入った。

 姿は見えないが、先ほどの高い声からしても、自分を呼んだお客人は若い女性に相違あるまい。

 しかしながら、エスクは不幸な偶然として、あくまで結果として現状そうなっているという注意書きを必要とすることではあるが、若い女性と巷間を賑わしそうなただならぬ関係になったことはない。


 とどのつまり。今玄関に立っているあの女は、エスクにとってまるで知らない輩であるということだ。


 はてさて。そんな女が、いかな用事でおいでになったのかしらん。思い当たる節を探って寝起きの脳味噌を試運転していると、下の方で玄関の扉が開く音がした。


 しばらく、二階のエスクには聞き取れない声量で会話が交わされる。

 それから日傘が閉じて、女は家の中に案内された。その時ちらりと、日差しに光る金色の長髪が目に入った。


 見た瞬間に分かった。あの色艶は日々を生きるのに精一杯な一般庶民のそれではない。となればあの女、どこぞのお偉いさんであらせられるか。本当にどんな用事で来たのだろう。

 首を捻っているうちに、今度は家の中からなにがしかが階段を昇ってくる気配。それからすぐにノックの音がした。


 さっそく返事をする――前に扉が開いた。


「ご主人様、ご主人様、お目覚めでいらっしゃいますか」

「ああ、起きてるよ。何度も言ってると思うが、ノックの意味知ってるか? 六号」


 尋ねた先には、銀髪金眼の少女が立っていた。


 髪は肩まで。フリフリの刺繍がされたエプロンドレスを着こなして、頭にはヘッドドレス。つまりはごく一般的なメイド服のそれを着た、見た目も仕事もメイドそのものな少女である。

 一般的なメイドと違うところと言えば、まず六号なんて呼ばれ方。加えて、人の理想を彫り上げた美術品のごとく、無闇に整った外貌の造形くらいか。少なくとも外から見て分かる範囲では――だが。


「お客様がいらしているのですが、いかがいたしましょう。ネブラティスカ家の者が来たと言えば分かる、とおっしゃっていましたが」


 ネブラティスカ? 懐かしい名前ではあるが、来たと言われてもさっぱり事情が分からない。第一、エスクの記憶にあるネブラティスカの人間は、真っ白の髭をたくわえた爺さまだったはずだ。

 首を傾げつつも、エスクは六号に了承したと告げる。


「では、お客様を広間にお通しいたします。――と、その前に」


 そっと六号がエスクに近寄ってきて、耳元で囁いた。


「ご主人様の支度を、お手伝いさせていただきますね」


 何となく貞操の危機のようなものを感じつつも、「……任せる」エスクはいつも通り、六号の手を借りることにした。


 ◇


「……遅い! ですわ。このわたくしを玄関なんかで待たせるなんて、非常識にも程がありませんこと!?」


 仁王立ちして開口一番、お客の少女は傲岸不遜を絵に描いたような放言をしてみせた。

 エスクは椅子に腰掛けたまま片肘突いて、舐めた態度に舐めた態度で、飴玉をコロコロ舐めながら応じる。


「はあ。そりゃ失敬。うちの使用人は融通が利かないもんで」

「あなた様もそうですわ! わたくしが訪れたとなれば、玄関まで出向いて挨拶するべきところでしょう! まったく、これだから辺境の蛮人というのは嫌になりますわね!」


 知るか、そんなもん。

 こちとらは昼までがっつりと二度寝に続く三度寝を堪能していたところを、あんたの大声で無理矢理叩き起こされたのだ。謝って欲しいのはむしろこっちの方だ。なんなら今から術式でも使って足元に跪かせてやろうか。

 などと、大人げない発想はさておいて。


「……ともかく。まずはお互い名乗りましょうかね。こちらの名前はエスク・イニストラード。あんたがお探しのエスクさんは、本当に俺で合ってます?」


「間違いありませんわ」


 少女は鼻をふふんと鳴らし、たぷんと揺れる大きな胸を張ってみせた。

 顔立ちにはまだ幼さが残るが、身体の発育は随分と……とまじまじ眺めていたところで、六号がじいとこちらを睨んでいるのが目端に入った。

 もちろんお前の胸もけして負けてはいないとは思うが、乳というのはおしなべて尊いものなのだ。見られるだけ見て損は無い。ここはたっぷり目の保養をさせてもらうぞ。


「申し遅れましたわね。わたくしはアンジェラ。アンジェラ・ヴィズ・ネブラティスカ。ネブラティスカ侯爵家の一人娘ですわ」


 ネブラティスカ侯爵家は知っている。

 と言っても、その知っている爺さんには息子しかいなかったはずだから、この少女はその息子のまた子供、つまりはエスクの知る爺さんの孫娘といったところか。見たところ随分と甘やかされて育っているようだ。


 しかし、それも仕方ないと、改めてその外貌を見るだけでよく分かった。


 けして子供には見えないが、まだ大人びてもいない、若く愛らしい顔かたち。腰より長く、しかし毛先まで手入れの行き届いた金髪に、大きく輝く碧色の瞳。

 辺境の片田舎までどうやって来たのかと問いたくなる、装飾の派手なドレスを着て、絹と絹の隙間からは、細い白磁の腕と指、綺麗な足首を見せつける。


 この高慢ちきな態度を勘定に入れなければ、まあ美少女と言って差し支えない。どころか、この国でも上から数えた方が早いくらいの美しさだろう。


 普段から六号の美貌を見慣れているエスクでなければ、このどこともなく香る甘いフェロモンにも狂わされ、とっくに魅了の状態異常にかかっているところだ。


「それで? 侯爵家の娘さんなんぞが、こんなド田舎まで遠路はるばる何のご用でいらしたんですかね」

「あら、そんなことも分かりませんの?」


 アンジェラはやれやれとばかりに首を振った。

 うーむ、やはりというか何というか、口を開くほど残念になる女の子だな。


「そう言われましても、生憎と俺はネブラティスカ家とは、お付き合いなんぞ大して無いもんでね。あなたのお祖父さんから、魔導学院時代に教えを受けたことはありましたが」

「それですわ!」


 仁王立ちのままこちらを指差して、アンジェラは言葉を続ける。


「あなた! 何でも王国立魔導学院では抜群に成績優秀でいらっしゃったそうですわね。百年に一人の逸材とまで呼ばれ、本来なら九年の学院生活を飛び級でわずか二年、それも主席での卒業だったとか」

「ああ、そんな過去もありましたね」


 エスクは面倒くさそうに頬袋で飴玉を転がす。


「卒業後は王国の魔導部隊に入って、連戦連勝。三年前の帝国軍侵攻を食い止められたのも、あなたの存在あればこそだったと聞いておりますわ」


 アンジェラは演説でもするように一つ一つの言葉を人差し指立て強調し、部屋の中を歩きつつ話し続ける。


「さらに! この王国に顕現した数多くのダンジョン攻略も、魔導部隊を指揮して次々と成し遂げてみせたとか。もうこれは、まさに王国歴代最強最高、至高の魔導術士ですわ!」

「そりゃ流石に言い過ぎかと存じますが。それで、何が言いたいんです?」


「単刀直入に、言わせていただきますわ! 二年前より、我がネブラティスカの所領に顕現したダンジョン。ここの攻略をあなた、最大最強、無敵の大魔導術士、エスク・イニストラード様に、お願いしたく参りましたの!」


 両手を広げて、演説の完成。まさに完璧、と自分に酔ったようなアンジェラの声が、部屋に響き渡った。


 …………それから、しばしの静寂。


 アンジェラは自身の演説の余韻に浸っていたが、エスクの方はと言えば、口の中で飴玉をカラコロカラコロ。片肘を突いたまま、アホらしという顔でアンジェラの様子を見守っていた。


「…………で、お答えは!? もちろん了承して頂けますわよね!」

「いや、お断りしますが」

「なにゆえにッッ!?」


 オーマイガッ! 信じられないという様相で身体を震わせるアンジェラに、エスクはひとつ欠伸をかます。


「むしろこちらとしては、どうしてネブラティスカのお嬢様が、わざわざ俺なんぞのところまで頼みに来てるのか、よく分からんのですがね。今日日ダンジョンなんて、物好きな冒険者連中がいくらでも入り込んでるでしょう」

「うぐッ! そ、それは……」


「まあ、攻略が済んでないダンジョンは土地喰いなんて言われて、領主一家にとっちゃ悩みの種でしょうがね。だからって、俺が行かにゃあ今すぐ困るってことも無いでしょう? 顕現してからもう二年ってのは、ちょっと時間がかかってるようですが――冒険者にも優秀な人間は大勢いる。専門家に任せておけば、いずれは解決しますよ」


 エスクの正論に、しかしアンジェラは小さく身体を震わせる。


「そう……ですわね……、確かに放っておけば、いずれは冒険者の誰かが攻略するのでしょう……」

「だったら――」


「だからこそ! 今わたくしはあなた様にお願いしているのです! どうしても、一刻も早く、わたくしはダンジョンを攻略しなくてはならないのです!」


 言って、両手を胸の前に祈るがごとく。アンジェラは叫ぶように続ける。


「わたくしは、わたくしは…………顔も知らない冒険者と結婚させられるなんて、絶対に嫌なのです!」


 部屋中に響いたその声は、これまでより一段か二段やかましく、エスクも六号もあまりの声量にぎょっと身体をすくませる。

 それからエスクは、あくまで確認と一つ尋ねる。


「…………ええと。今、結婚って言いました?」

「そうですわ! わたくし、ダンジョンを攻略した冒険者に嫁がされることになってしまったのです! ダンジョン攻略が遅々として進まないことに痺れを切らしたお父様が、わたくしとの婚約を報酬にすると!」


 ははあ。とエスクは小さく声に出した。

 なんとなく話が読めてきた。このお嬢サマが辺境の元魔導部隊のところまで、わざわざ自分の足でやってきた理由が。


「一応確認しますが、俺と結婚したいってわけじゃあないですよね」

「当ったり前に違いますわっ! なんでわたくしが、あなたのような平民と結婚しなくてはいけませんのッ!?」


 相変わらずの傲岸不遜極まりないお言葉を口にすると、少女はゆっくり、天井へと手を伸ばしていった。その指で腕、頬、胸へと自らの身体をなぞりながら、アンジェラはつらつら語っていく。


「天が与えたもうた、わたくしのこの美貌……完成された顔立ちに、無駄のないプロポーション、胸だって期待通りに大きくなってくれましたわ。

 狙うなら最低でも大公爵、できれば国王……何なら他国の皇帝でも構いませんが……ともかく! わたくしは最高の玉の輿に乗って、豪華絢爛酒池肉林、贅沢三昧の栄耀栄華に有頂天。傾城の美女として、世界最高の幸福を手に入れられるだけの美しさがここに! あるというのに! なぜ!? なぜどこの馬の骨かも知れない、薄汚い冒険者なんぞにこの身を捧げなければならないのですッ!?

 ああああ、有り得ない……こんなこと、こんなこと絶対に……有り得てはなりませんわあぁあッ!」


 悲鳴か絶叫か、長い長い欲望語りを終えて、ぜえぜえとアンジェラは息を切らせる。

 エスクは半ば呆れつつ、「つまり」と言葉を繋ぐ。


「お嬢サマの目的としては、自分の雇った人間が冒険者連中より先んじてダンジョン攻略をすれば、どこぞのしみったれた冒険者と結婚せずに済むと」

「……そうですわ」

「その代わり、相応の報酬を出すつもりはあると」

「もちろんですわ」

「俺の実力なら、それが可能だろうと」

「お祖父さまはそうおっしゃっていましたわ」

「成る程。話は分かりました」


 ああっ、と声を上げて、アンジェラは変わらず片肘突いていたエスクの手をかっさらい、両手で包むようにして握りしめる。


「では……では、受けていただけるのですね。わたくしをこの悪夢のごとき未来から……救ってくださるんですのね……」


 アンジェラは涙ながらにしゃがみ込み、座ったエスクの瞳を上目遣いでじっと見つめてくる。

 自分の美貌に自覚的ならば、これも狙ったものと見た。

 しかし普通の男なら、いや、どんな男でも、たとえ女であろうとも、演技と知って尚、心奪われてしまうだろう。

 そう言い切れるくらいに彼女は真に迫った様相で、潤ませた瞳はまさに碧き宝石のごとく。表情は憐憫の情を呼び込むだけの魅力に満ちている。


 そもそもの話として、玉の輿の欲望はともかく、自分がダンジョン攻略の景品にされるなど誰にとっても不幸には違いない。心根の良い人間であるならば誰でも、この少女を救ってやりたいと考えるに吝かではないだろう。


 ――――とはいえ。


「……えーと、アンジェラさん。落ち着いて聞いて欲しいんですがね」

「はい。エスク様、何でもお話し下さい」

「俺の椅子見て、何か気付きません?」

「椅子……ですか?」


 突然何の話かと、怪訝そうに。しかしアンジェラは真面目な顔で、エスクの座る椅子の側面を、身体ごと傾けて、右、左。確認する。

 そこには左右と前後にそれぞれ大小の車輪が合計四つ付いていて、背もたれの先には取っ手のようなものも備わっていた。


「…………むむむ。何だか、見覚えがありますわね。たしかお祖母さまが生前使ってらした、俗に言われるところの、車椅子……」


 そこで、さあっと、アンジェラの顔が青くなった。


「お祖母さまは長く足を……悪くして……らして、晩年などは殆ど歩けなく……あの、まさか…………まさかですけれども……」

「そう。そのまさか。俺の両脚、事故の後遺症で完全に動かなくなってるんですよ」


 軽く言ったエスクの言葉に、


「な」


 碧の瞳を見開いて、


「な」


 両手をわなわな震わせて、


「なんですってぇええええええええええッッッ!?!?」


 再び絶叫したアンジェラは、膝から、腰から、見事に崩れ落ち。それから床にばったりと倒れ込んでしまった。

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