第一階層【影囃子の鉱窟】 Ⅳ — 銀竜 —

 階段を上へ下へ、通路を右へ左へ、ぐるり回って同じ場所。一時逆走してわざわざ突き当たりまで向かってから、また戻る。


 そうやってしばらく第一階層を歩き回るうちに、アンジェラの顔からは次第に生気が失せていった。今や歩みの助けとなるウィングブーツを履いてなお、その足取りは鉛のごとくに重くなっている。


「……長い…………長すぎですわ……いくらなんでも動き回りすぎですわ……もう今日だけで数ヶ月分の道のりを歩いている気がしますわ……」

『そろそろ第一階層の最深部だな。この先の部屋――いや、その次かな』

「よ、ようやく休めますのね……って、あら? そういえばお仲間がいつの間にかお一人減ってません? 機械人形のカイさん、ちょっと姿が見えませんけれど」

『ん? ああ、気にすんな。保険保険』


 答えになっていない答えに不満の顔を見せつつも、アンジェラにはもう食ってかかる気力も残っていない。


「まったく、あなた様の行動はさっぱり意味が分かりませんわ……もう終わるのならどうでもよろしいですけれど」


 部屋にはまず最も頑強なゴーレムが入り、安全を確認してからアンジェラが続く。

 早くも恒例となりつつあるこの動きの中で、ゴーレムがぴたりと動きを止めた。


『ん?』


 その動きに疑問を覚えたエスクは魔導球体を操作し、ゴーレムの目線の先を像写水晶で映し出す。


 落ち着きなく顔を動かして、周囲を警戒するウサギが三羽。こちらの存在に気付くと、揃って立ち上がった形でぴたりと止まる。魔物だ。


『そうだお嬢サマ。ちょうどいい機会だからあのウサギ、お前が仕留めてみろよ。第二階層に向かう前に、一戦くらい練習しといた方がいいだろ』

「ええ~……」


 アンジェラがさっそく不平を口にした。


 疲れ果てたゾンビのごとくに肩と首を落としつつ、アンジェラはウサギたちと目を合わせる。つぶらな黒目と視線を交わすやいなや、あらまあと頬に手を当てた。


「なかなか愛らしいではありませんの。わたくし、あんなかわいい小動物を退治なんてできませんわ」

『退治じゃなくて狩りだよ。狩り。肉から毛皮まで金になる、冒険者には人気の魔物だぞ。お前も食ったことあるんじゃないか』

「むう……だとしてもわたくしが手を下すのは気が引けますわ。だってほら、こーんなにかわい――」


 言いかけた瞬間、ゴーレムがちょいとアンジェラの身体を引き寄せた。


 風切り音が駆け抜けて、アンジェラの首筋を鋭いものが掠める。気付けば宙に跳んでいたウサギはくるりと背を向けて、また素早く距離を取っていく。


『うん。なかなかの動きだな』


 言ったエスクに、みるみるアンジェラが顔を青くする。


「な、な、な…………何ですの、今のは!? わたくし今殺されかけましたわよね!?」

『何だお前、あいつらを知らないのか? 毛皮に隠した鋭い爪で、熟練の冒険者ですら気を抜けば首を撥ねられると評判のキリングバニー君たちだぞ』

「初戦闘にしては危なすぎですわよね、それ!?」


 わずかに肌が切れた首の傷に触れながら、アンジェラが上ずった声をあげる。


「あれならゴーレムさんが相性抜群でしょう!? 刃も立たなければ撥ねられる首もありませんもの! それをどうしてよりにもよって、わたくしにやらせますの!?」

『危なくないんじゃ、練習にならないだろ』

「危険は危険でよろしいですが、せめて死の危険は避けて下さいませんこと!?」


 エスクは、あっはっはと笑い、『一号、二号、改式[待機]』ゴーレムとキマイラに命令を出す。


『怖れる心は大事だが、ただ怖がっているだけじゃあ、いっぱしの冒険者にはなれないな。死中に活を求めてこそのダンジョンだ。一応言っとくと、あいつらは火に弱い。さあ、お前の魔導術式を見せてみな』

「……うう、本気で言ってますのね」


 半泣きの顔をしながらも、アンジェラは術式の準備を始めていた。


 右腕のガントレットの後部を引いて、弾倉を回転させる。腰に付けていたマナシリンダーをスロットに装填し、カチリと音がするまで回す。さらにもう一つ。またもう一つ。これで弾倉が一回転した。


「ウェル・ムルダ・フィルドゥイン・レ・ウィ…………」


 続けてこの世ならざる言語で呪文を紡ぐと、マナシリンダーからガントレット全体へと赤い輝きの線が広がっていく。赤いマナの輝きは少女の顔をうっすら照らし、準備万端。


『三発か。ギリギリだな』

「……外したら護って下さいましね?」

『ま、とりあえずやってみな』

「くうっ、他人事だと思ってぇ――ッ!」


 悪態吐きつつアンジェラはキリングバニーの一羽に狙いを定めた。


「〈ドゥーナ〉!」


 呪文を唱えると共に、赤く光っていたマナが瞬間的に収束――火球が撃ち放たれる。

 部屋を焔の輝きが突き抜け、キリングバニーの身体が瞬時に燃え上がった。


『いいね』

「ピピギィッ!?!?」


 一瞬で黒焦げになった仲間の姿に、キリングバニーたちが動揺する。


「ウィッ!」


 そのうちの一羽が、狙い定めて飛びかかってくる。敵と認識。危険には攻めの姿勢。魔物の典型的な行動パターン。


「〈ドゥーラ〉!」


 冷静に――努めて冷静に狙いを切り替えて、アンジェラは首を狙ってくるそのどてっ腹を焔で撃ち抜く。


「ギュッ!?」


 ウサギの身体は弾き飛ばされて宙を舞い、今度は部屋の中央上空でもう一度爆発した。


「ギギギィッ!」


 最後の一羽は仲間のやられる姿を見て、攻めに続こうとしていた足を切り返した。ぴょんぴょんと跳び跳ねながら、猛スピードで部屋から逃げ出していく。


「あっ、ちょっと、逃げられましたわよ!」

『追え追えー、こいつら今日の晩飯にするぞー』

「気楽に言ってくれちゃいますわねッ!」


 言いながらもアンジェラはその顔に少しばかり笑みを浮かべ、キリングバニーを追っていく。初戦闘はなかなか充実感の得られるものだったようだ。


 追いかける通路は短く、そのすぐ先にはかなり大きな部屋が広がっていた。ゴーレムとキマイラもアンジェラに続いて部屋へと入っていく。

 開けた部屋の中を、ウサギが跳ね跳ね横切っていた。


「よぉし……仕留めますわよ」


 アンジェラはぺろりと舌を出し、じっくりと狙いを定める。


「逃げ回られるとなかなか……ここは追尾で……」


 その時、キリングバニーの動きが止まった。耳をピンと立てて、顔を上に向ける。

 よし今なら――

 ――――――――と。


 ぐにゃり。


 世界が歪んだ。

 広い部屋に広がった、異様の歪み。アンジェラが戸惑いを隠さずに部屋を見回す。エスクはダンジョンから遙か遠い屋敷の中で小さく舌打ちをして、口に含んでいた飴玉を噛み砕いた。


「なっ、何ですの!? 何が起きましたの!?」

『最悪のタイミングだな。笑えるくらいだ』

「独り言じゃなく、状況を教えて下さいまし!」

『まずは『逃げろ』だ、質問に答えてる暇はない』


 言うより早く、降りてきた石扉によって退路が封じられた。


『ち。まあ当然か。――来るぞ、構えろ』

「ですから! 来るって……何が!?」


 部屋の歪みがおさまっていき、巨大な影が頭上の空間に生まれた。

 それは咆吼と共に床へと落ちてきて、一羽のキリングバニーを踏みつぶしながら、ゴーレムの足音など比較にならないほどの轟音を第一階層全体に響かせる。

 白き鱗の輝き。意思を読み取れない爬虫類の瞳。飛べない小さな翼を背中に羽ばたかせ、神経質そうに巨大な尻尾で地面を叩く。



 銀竜ヨルフィナ。第一階層のフロアマスターが、今まさに復活した。



「そ、そんな、まさか……こんな時に……鉢合わせですの?」

『一号、改式[銀竜/攻防]。二号、改式[アンジェラ/防護]』


 淀みない命令が響くや、ゴーレムは前に出て、両の手で銀竜へと掴みかかる。

 だが銀竜も一歩たりとて退くことはない。ゴーレムの腕を弾くと、岩の身体に牙を立てる。岩にヒビの入る音がして、ゴーレムが「ヲヲォォォオ!」唸りを上げる。


「ドゥ……〈ドゥーナ〉ッ!」

『おい馬鹿ッ!』


 銀竜とゴーレムの格闘のさなか、撃ち出された火球が銀竜の鱗へと命中する。

 ――と、瞬間的にマナが弾け、角度をそのままにアンジェラへと反射される。


「――えっ!?」


 見開いた目の直前。鼻の先。術式陣が宙に構成され、火球を分解消滅させる。魔導球体を介した特殊陣、エスクの遠隔魔導術式。


『奴の鱗は術式を弾く。さっき確認したろ。何やってる』

「あ……! そ、そうでしたわね! ご、ごめんなさい、ごめんなさい、わたくしちょっと動揺して――」

『反省する暇で準備しとけ。奴の弱点は雷だ。お前、真術式までいけるって言ってたよな』

「え……? あの、ちょっと……? 今、銀竜に術式は効かないって……」


 ゴーレムがぐっと腕を引くと、その腕に空いている穴から蒸気が噴き出す。そして爆発するような勢いで岩の拳。銀竜の身体が少しばかり後方に弾き飛ばされる。

 銀竜は態勢を崩したままに尻尾を大きく振り、伸びきったゴーレムの腕の側面に叩き付ける。褐色の腕にヒビが入った。


『ち。予想より威力がでかいな』


 続けて銀竜が息を吸い込むと、その全身――鱗の隙間という隙間が輝きを放つ。


 ゴーレムが両腕を重ねて防御の構え。キマイラはアンジェラを口で捕まえると、とっさに空へと飛んだ。


 凍り付くような白銀のブレス。


 ブレスのかかった範囲は一気に霜が包み込み、ゴーレムの腕は二つで一つ、バツの字になったまま動かなくなった。


『一号、改式[銀竜/攻撃偏重]。おい、術式の用意はできてるか』

「ちょっ、ちょっと待ってくださいまし!」


 キマイラは地上に舞い戻り、アンジェラをまた地面に降ろす。その間にもアンジェラは大急ぎで、腰のマナシリンダーをガントレットに込めていた。

 色は全て黄色、雷の術式。真術式は三つの弾倉全てを必要とする。


「一体どうする気なんですの!? 轟雷の真術式――放ったところで弾き返されるばかりなのでしょう!?」

『術式を弾くのは鱗だ。だったら鱗の内側を狙えばいい』

「口の中を狙えとでもおっしゃるので!? ほとんど制御のしようがない雷の術式でそんな精密な攻撃、わたくしにはとても出来っこありませ――」


 轟音とともに、土埃が爆風のように吹き荒れた。


 遠く向こうの壁まで、ゴーレムが銀竜の体当たりを喰らっていた。さらに動けなくなったゴーレムの頭部に、銀竜が氷結ブレスを浴びせかける。一つ眼の青い光が氷結に包まれて乱反射している。


『一号、改式追加[銀竜/攻撃偏重]』


 魔導球体からは、冷静なエスクの声が響く。


 明滅するゴーレムの青い眼光。凍り付いた岩の巨体は表面が次々と剥がれ落ち、軸となる金属や内部を流れるマナの輝きが露わになる。

 ゴーレムはボロボロの右腕で、思い切り銀竜の横っ腹を殴りつける。拳が砕けながらもなお殴り抜けると、さらに続けて左の拳。

 一度では壊れなかった左拳は二度、三度と銀竜の頭を殴りつけ、四度目の一撃が開いた銀龍の顎の中に入り込んだところで、ものの見事に噛み砕かれた。

 両拳を失ったゴーレムはさらに頭から突撃し、銀竜を押し返す。


「なっ、何をやっているんですの!? ゴーさん、もうボロボロですわよ!」

『まだ一押し足りないか……。おい。悪いがここから自分の身は自分で守れよ。二号、改式連[銀竜/誘導/直線上]』


 キマイラが銀竜の目の前に飛び出す。その周囲を飛び回りながら火を吐き出し、銀竜の爬虫類の瞳を焼くようにと狙う。

 銀竜は瞼を閉じて首を振り、ぐるりと身体を反転させると同時にキマイラを打ち落とすように尻尾を振るった。


「ワグッ――!?」


 薙ぎ払いを喰らったキマイラが壁に叩き付けられ、ほとんど黒に近い色の血を吐きながら地に落ちる。

 銀竜は頭をぶるんと揺らして、ゴーレムとキマイラの二体に睨みを利かせる。部屋を見回し、そして――今度はアンジェラの姿をその眼に捉えた。


「ひっ……!」


 とっさにアンジェラはガントレットを銀竜へと向ける。


『やめろ。まだだ』

「で、ですけれど……ッ!」


 面白いものでも見付けたように、銀竜がアンジェラへと近付いていく。

 感情の宿らない瞳、表情のない口元。それでもその顔は、まるで嗤っているかのようにも見える。


「ああああ、こんな所に来るんじゃありませんでしたわ。お父様お母様ごめんなさい、ごめんなさい、わたくしが間違っていたのです……わたくしは、わたくしは……」


 走馬燈でも見ているように、アンジェラが身体を震わせながら祈りの言葉を綴る。顔を背け、現実を遠ざけるように目をうっすらと細めていく。


 そして銀竜は咆吼し、アンジェラへとその牙を剥いて突撃した。


「だ、誰かあッ! ――助けて、エスク様ぁッ!」

『よしッ、五号[始動]ッ!』


 天井から轟音が鳴り響いた。


 降り注ぐ濃藍色の岩に混じって、鉄の塊が一直線に落ちてくる。低い回転音が唸りを上げている。

 鉄の塊は銀竜の直上、そのまま背中――否、そこから生えた翼の根元へと、唸るモーター音とともに突き刺さる。


 咆吼は叫びに変わり、銀竜の口からは狂乱と共に氷結ブレスが四方八方にばらまかれる。

 それでも天井より落ちてきた鉄塊――即ちエスクの機械人形は、ドリルへと変形した右腕を銀竜の背に刺したまま、振り落とそうとする銀竜の背にしがみついている。


 エスクが彼方よりの声を上げた。


『今だ、放てッ! 狙いは――――』


 言うより先に、アンジェラの身体は動いていた。ガントレットの狙いはこれまでより少しばかり上に。銀竜の背にいる機械人形に向けて――


 ――叫ぶ。


「――――〈リィエルガ〉ッッ!」


 三つのシリンダーから同時に雷のマナが放出され、放射状に広がる。輝く線は互いに互いを引き合い、交わり、次第に幾重もの雷へと変わり、そして――


 部屋中を包み込むような、巨大なる轟雷。

 その全てがただ一点へ。機械人形へ。猛回転する右腕へ。腕が穿つ銀竜の体内へ。


 銀竜の身体が内側から電撃に輝き、溢れ出ようにも、その鱗が再び体内へと押し戻す。ただ口からだけは魔力が漏れ出し、撒き散らされる氷結ブレスに混じって幾筋かの輝く雷が見えた。


「グリュギィァアアアアアアアァアアアッ!」


 銀竜が断末魔の咆吼を上げる。

 首をわずかに持ち上げ、しかしその肉体は力を失い、ぐらり。生けるものではなく、ただの物言わぬ死骸として。意思もなく地面へと倒れ込んだ。


「………………はあっ……はあっ……」


 その光景を目の前にしながら、アンジェラは肩で息をする。

 膝を突いて、両足の間にぺたんと尻をつけて。女の子座りに、その場へとへたり込む。


「勝った……ん、ですの?」

『もちろん。なかなかいい戦いだったな』


 エスクはまた飴玉を舐めながら、アンジェラをねぎらう。

 アンジェラはまだ信じられないという顔で震える自分の手を見つめ、それから握りしめ、思い切り身体を震わせてから、


「やッ…………りぃましたわぁあああああああッッ!」


 喜びと共に絶叫した。

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