第一階層【影囃子の鉱窟】 Ⅴ — 晩餐 —

「結局あれは、どういうことでしたの? 何故天井からカイさんが降ってきたのか、不思議でなりませんわ!」


 ランプの灯りが輝く、ネブラティスカ別邸の食堂。エスクとアンジェラはテーブルを挟んで正面に座り、だいぶ遅めの晩餐をとっていた。

 ダンジョンから戻ってきたアンジェラは未だ興奮冷めやらぬといった様子で、落ち着きなく身を乗り出してエスクに話しかけている。


「別に変なことをしたわけじゃない。もしもの時のために、あの部屋の真上に待機させといただけだ」


 言ってエスクは手の平の上に、ぼうっと半透明の立体映像を映し出す。

 指でぴんと弾くようにすると、その立体は天井へ届くくらいに大きく広がって、アンジェラからもよく見えるサイズになった。


 半透明の立体映像は、全体は青、最下部の直方体だけが赤く表示されている。そして立体映像が少し空白になっている場所から、すぐ下にある通路の途中、赤い直方体から見てちょうど真上にあたる部分に、白い光が点滅していた。


「この赤い箱みたいなのが第一階層最深部、お前らが銀竜とやり合ったところだな。んで、その上の白い光が、五号――」アンジェラにむうと睨まれて、「――もとい、カイを待機させといたところ。正確にダンジョンの地形を計測しておいたからこそ、今回みたいな芸当が可能だったわけだ」

「ほえー……なるほどですわ。戦闘中にちょうど真上から掘り進めて攻撃した、というわけですわね。あのぐるぐる無駄に動き回ってたことにも意味があったんですのね……」


 アンジェラは兎肉を頬張りながら言う。


「まあ地図の使い道はこれだけじゃないけどな。今回に限って言えば、これを作る時間でさっさと進んでたら戦わずに抜けられたわけだし。……それより、お前はこんなところで飯食ってて大丈夫なわけ?」

「……?? あれだけ動き回ったら、しっかりご飯を食べないと死んでしまいますわ」

「モグラじゃあるまいし、一食抜いたくらいで死にゃしない……じゃなくてだな。侯爵家のご令嬢がこんな夜遅くまでぶらついてていいのかって聞いてんだよ」

「ああ。そのことですの」


 口元に付いたソースをハンカチで拭いながらアンジェラが頷く。


「実はここ数日、お父様は王都で行われている会議に出席されておられますの。使用人たちは言いくるめてありますし、何も問題ありませんわ」

「母親は?」

「お母さまはわたくしが十の時に病で亡くなりましたわ」

「あら、そりゃ悪かったな」


 軽いながらもエスクが謝罪の意を示すと、アンジェラは首を振った。


「いえいえ。もう四年以上になりますから慣れましたわ。そういえば、エスク様のご両親は何をなさってますの?」

「俺は孤児だよ。世話してくれた奴はいるけど、ちょっと前に断頭台に送られたな」

「ええっ? ど、どうしてそんなことに……」

「どうしても何も、俺が捕まえたからだが。ガキの頃から気付いてはいたんだけど、確実な証拠を掴むのには随分苦労してな――って、どうでもいい話だな、これ」

「いえ、だいぶ気になるお話なのですけれど……」


 アンジェラの言葉を無視して、エスクは飴玉を口の中に放り込んだ。

 これで食事は終了。ということで、ふうと一息ついて車椅子の背にもたれかかる。


「それより、お前はこれからどうすんだ? 父親が会議に出てる今はいいとしても、帰ってきたら誤魔化しはきかないんじゃないのか。どうせダンジョンに入るのだって黙ってるんだろ」


 アンジェラは「うっ」と痛いところを突かれて言葉に窮し、しかしどうにかこうにかふんぞり返って、上っ面だけの自信を見せつける。


「だっ、大丈夫ですわよ。たぶん何とかなりますわっ!」

「具体的には」

「そ、それはええと……友人の家に出かけているということにするとか……」

「そんなんで誤魔化せるとも思えんが……そもそも、お前、友達いるの?」

「なっ!? し、ししし、しっ、失礼ですわね! わたくしくらいになると、横に並び立つほどの器を持った方など、そうそう世間に溢れているわけはなく――」

「つまり、いないんだな」

「そ……そ、そうとも……言うかも……しれませんけれども…………」


 言いながら、段階的にアンジェラの背中が丸くなっていき、額をテーブルに、ゴツン。

 それからテーブルクロスに頬ずりしながら喚く。


「ああもおーッ! どうしてこのわたくしに友人の一人も出来ませんのぉー! こんな絶世の美少女と仲良くできるだなんて、下民からすれば至上の喜び、同じく名家の子息子女でも、打ち震えて感動するべきところですのにぃーっ!」

「そういうとこだぞ、友達いないのは」


 無闇に手厳しい指摘に、アンジェラは両拳でダンとテーブルを叩く。


「あなたこそ、人のこと言えますのッ! どうせあなただって常々他人を見下したような態度で、ご友人なんていらっしゃらないんでしょうにっ!」

「残念。俺は昔っから友人にゃ事欠かないんでね。あんたが訪ねてきたあの家も友人のツテで買い受けたもんだよ」

「な、何ですって……? 嘘でしょう……冗談にしてもたちが悪すぎますわ……」

「いやいや、なんでそこは頑なに信じないんだよ。おかしいだろ。なあ六ご――じゃなくて、メイ」


 同意を求められたホムンクルスメイドは、唇に指を当ててしばし考え込むと、


「そうですね。ご主人様はこのように底意地の悪い性格でありながら、なぜかご友人は多くいらっしゃいます。……まあ、類は友を呼ぶという言葉もございますし」


 あまり嬉しくない表現で答えた。


「うわああーん! 嫌ですわぁーっ! 友人の数でこんなのに負けるのは嫌ですわぁーッ!」

「こんなのとか言うなや、こんなのとか。こちとらお前を助けてやろうって立場だぞ、ちょっとは良い奴だとか思わんのか」

「知りませんわよ、そんなのぉ! 今日だってわたくしもう少しで死ぬところだったではありませんのー! 絶対この男、わたくしのことなんて道端の小石程度にしか思ってないんですわーッ! うわーん、どうせみんなわたくしのことが嫌いなんですわぁあーッ!」

「う、鬱陶しい……」


 テーブルに突っ伏して泣き出したアンジェラに、思わずエスクは若干引き気味に。


 そこで、ふっと顔を上げた。


「今、玄関が開いたな」


 メイは音にこそ気付かなかったようだが、それでもかしこまりましたと頭を下げて食堂を出て行く。


「……うぅ……何ですの、誰ですの」

「誰って、強盗だと思うか?」

「さすがに領内でそんなことは思いませんけど……だとすれば、誰が――」


 そこでハッと気付き、アンジェラの顔が青くなった。


「こちらです。どうぞ」


 廊下からメイの声が聞こえる。続けて「うむ」と男の声がした。


 暗い廊下から現れたのは、金の髪に黒のスーツを着こなす壮年の男性。まずはエスクの顔を見て、それから冷や汗をかきつつ目を逸らしているアンジェラの横顔を見て、やれやれと溜息を吐き出した。まあこの反応は当然だろう。


「これはこれは、侯爵閣下。お初にお目にかかります」


 丁寧ながら軽い調子で話しかけたエスクに、アーバス侯爵――ロレンス・ヴィズ・ネブラティスカは、その長身を正対した。


「申し訳ないが、君は……どちらのどなたかな」

「ああ、失礼しました。私はエスク・イニストラード。旅の者です。彼女の祖父……あなたのお父上と少しばかり面識がありましてね。偶然この街に立ち寄ったものですから、一つご挨拶させて頂いた次第です」


「そうでしたか。それはそれは……うちの娘が不作法でもしませんでしたかな?」

「とんでもない。アンジェラ様は大変に良くして下さいましたよ。足を悪くして宿に困っていると話しましたら、この別邸をお貸し下さるということで……いやあ、ネブラティスカ家の方は心が広くていらっしゃる」


 ロレンスはふむと顎に手をやると、


「そうなのかね?」


 アンジェラに問う。


「え、あの…………は、はい。そうですわお父様。この方が困ってらしたので、使っていない屋敷があるからと」

「使っていないのは、顕現したダンジョンに近いうち飲み込まれるからだ。お客様をお泊めするようなところではないのだぞ」


 叱りつける口調のロレンスに、エスクが横から助け船を出す。


「気が進まないというところを、私が是非にとお願いしたんです。そう長居するつもりもありませんし、どうかアンジェラ様を責めないであげて下さい」


 ロレンスはエスクに鋭い眼光をぶつけ、黙ったままでこちらの気配を窺ってくる。

 一方のエスクは即興の作り話を語った調子のまま、軽く笑みなど浮かべていた。


「…………エスク……イニストラード。そうか、君があの……」

「おや、ご存じでした?」

「当然だろう。この王国で君の勇名を知らん者などそうそうおるまい。一線を退いたと風の噂で耳にしたが、真実ならば我が国にとって多大なる損失だ」

「持ち上げすぎですよ、ご勘弁願いたい」

「はは。君こそ謙遜は時に嫌味にもなると知るべきだろう」


 ロレンスはわずかに作り笑顔を浮かべてから、


「とはいえ、話は分かった。この別邸は自由にしてもらって結構。ゆっくりしていきたまえ」


 改めて、了承の言葉を述べた。


 エスクは軽く手を胸に添え「それは助かります」と感謝の様子を作ってみせる。それから、今思い出したという体で、


「ああそれと。私の名を知っているならば話が早いのですが、もう一つ許可を頂きたい」


 また一つ提案をする。


「あなたの娘さん……アンジェラ様が、私に術式を教わりたいと言うのですよ。お祖父さんにはある程度学んでいたけれど、もう少し深く学んでみたいと。そんなわけでしばらくの間、お嬢さんを日中のうちだけでもお借り出来ませんかね?」


 ロレンスは露骨に顔をしかめ、アンジェラの方をじっと見つめた。明らかに気が進まないという表情だ。


「……まだ、魔導術に興味があるのか?」

「え、ええとその……あの……」


 しどろもどろのアンジェラに、困ったものだという顔でロレンスは首を振る。


「まあ…………いいだろう。王国最上の術士に学ぶなど、そうは無い機会だからな。しっかりやりなさい」

「は、はいっ! ありがとうございます、お父様!」


 元気に返事をした娘にロレンスは微笑みかけて頷いた。

 それからしばらく、じっとそのまま、特に胸のあたりをじっと見つめる。


「あ、あの……お父様……?」

「……いや、何でもない。それでは申し訳ないがこのへんで失礼するよ。まだ王都から戻ったばかりでね。旅の疲れが残っているんだ」


「ああ、そうでしたね。長く話し込んでしまって、申し訳ないことをいたしました」

「いやいや、君と話せて良かったよ。エスク・イニストラード君。できればここを離れる前に、また話でもしたい」

「是非に」


 エスクは小さく微笑み、車椅子に座ったままで丁寧に礼をする。


「最後に、あともう一つだけ。よろしいですか」


 ロレンスが背を向け去ろうとしたところで、エスクがまた声をかけた。


「……何だね」


 振り返ったロレンスに、尋ねる。


「娘さんのことは、どう思ってらっしゃいます?」

「どうとは」

「大切にされてますか?」

「もちろんだとも。たった一人の大事な愛娘だよ」

「そうですか」


 エスクは静かに言うと、口の中でカラン、コロン。飴玉を転がす。


「…………それだけかね?」

「ええ。それだけです。夜分遅いですので道中お気を付けて。娘さんは後できちんと送り届けますので」

「ああ、よろしく頼む」


 そうしてようやく、ロレンスは屋敷から去って行った。



「…………ふわぁあ~……心臓が止まるかと思いましたわ。まさかお父様がいらっしゃるなんて」


 父親がいなくなって張っていた気がゆるんだのか、アンジェラはへなへなとテーブルに身体を投げ出した。膨らんだ胸がぷにと潰れて、ペンダントをかけた胸元の谷間がこちらに見えている。

 その胸元をガン見しながら、エスクはアンジェラの言葉に応じる。


「予定が早まったんだろうな。今の宰相は何かにつけて面倒ごとをすぐに済ませたがる」

「あら、中央のことなんて、よくご存じですのね」

「よく知ってる奴だからな」

「例の友人というやつですか。ふんだ。どうせわたくしは知人だって全然いませんわよ」


 口を尖らせてアンジェラがぶー垂れると、エスクはくっくと苦笑した。


 それから身体を再び持ち上げて気を取り直し、アンジェラが言う。


「しかし、あなたの口八丁には感心しましたわ。これでわたくしもダンジョン攻略を続けられますわね」

「まあ、名目上はな。そのうちバレる気はするが」

「先に結果を出してしまえば、お父様もきっと何も言えませんわよ」


 言いながら、アンジェラは「くああ」と涙目で欠伸をする。溜まった疲れに食事を終えて、ようやく眠気がやってきたのだろう。


「とりあえず、今日はお疲れってことで。今夜はゆっくり休むといい。また明日からダンジョン攻略の続きだからな」

「むにゃ……、ううん、ここで寝ていってはいけませんの?」

「そりゃあ、色々とまずいんじゃないか? 一応嫁入り前の侯爵令嬢なんだろ。メイに送らせるから、自分の屋敷で寝とけ」

「はあい」


 アンジェラはふらふらと立ち上がり、ふらふらと歩いて、ゴチンと壁に頭をぶつけた。メイが素早くアンジェラの元に駆け寄っていく。

 それから食堂を二人、メイにアンジェラが支えられるような形で出ていった。


 エスクはその様子を見送ってから、口の中で転がしていた飴玉を噛み砕き始める。


「にしても、大事な愛娘……ねえ。そりゃまあ大事だろうが」


 ぼそり独りごちると口元を歪め、皮肉ぶった笑みを浮かべる。

 そして長い息を吐き、


「ひとまず今は、明日に向けて一仕事と行きますか」


 言って大きく手を広げると、修理中のゴーレムと機械人形のビジョン、そして第一階層の立体地図が、エスクの前に浮かび上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る