第三階層【幽玄の花比良坂】 — 魔人 —
死生魔アヴェヌス。
人の形をしながらに首より上の頭頸部は存在の痕跡すら無く、体色は輝ける黄金。背には黒き六つの翼をもって宙に浮かび、詠唱も術式の展開も無しに魔導を操る異様の魔人。
【幽玄の花比良坂】と呼ばれる、ダンジョン第三階層のフロアマスターだ。
そしてエスクとアンジェラの一行は、そのアヴェヌスと今まさに戦闘の真っ最中だった。
『ゴー、改式[発動/ブースト]。カイ、改式三重[敵/砲撃+砲撃+砲撃]』
言葉と同時に、ゴーレムはその身体を赤く輝かせる。機械人形は胸を開いて腕を構え、三つの砲塔をアヴェヌスに向けてマナの充填を始める。
アヴェヌスの声ならざる声。魔導の発現。無数の雷が周囲を包み込む。
ひるむことのない機械人形の砲撃。アヴェヌスの身体が三連砲の繰り返しに押し出され、それでも魔導は止まらない。氷の刃がゴーレムたちを襲った。
その合間を縫ってキマイラが駆け抜け、アヴェヌスへと飛びかかる。巨大な牙を肩に突き刺し、ぐいと引きちぎる。
「ルヴルルルルルルルッ!」
声なき声は部屋にこだまし、アヴェヌスは狂ったように回転しながら宙を移動する。ある程度逃れたところで再びの魔導。火球が次々に撃ち出される。
ゴーレムと機械人形はその魔導を受けながらも何ら動じることは無く。キマイラは驚異的な動体視力と俊敏性をもって次々と攻撃を避けていく。
その間に、魔導球体とアンジェラだけは、部屋の隅を行ったり来たり。そして地面に何かを撃ち込んでは、また移動して撃ち込み、毎度少しばかりの呪文を唱える。
『カイ、改式[収斂/翼]』
機械人形は砲撃の狙いを変え、アヴェヌスの六枚の翼を撃ち抜き始める。
その間にもキマイラは壁を蹴って空へと跳ね上がり、蝙蝠の翼で舞いながらアヴェヌスへと突撃。その首無き首元へと牙を立てる。そこからすぐに飛び退くと、撃ち出された雷はキマイラではなくアヴェヌス自身を貫いた。
「ルルルルルルルリリリリリリリ」
アヴェヌスは制御を失ったかのごとく一段と回転を速め、魔導の発現にも時折ミスが混じり始める。
『よし、ゴー、改式[解放]。ぶちかますぞ、逃げとけ』
ゴーレムはぐるんと半身に身体を捻り、さらに燃え上がるかのごとくその身を赤に染めた。炎のマナが全身に満ち溢れている。この一撃、もはや止められるものは無し。
はじき出された弾丸のように、豪腕が振るわれる。加えて最後、一瞬にして爆発のように腕が伸び、アヴェヌスの腹を貫いた。
しかしアヴェヌスもまだ耐える。ぐるんとさらに猛烈な回転でゴーレムを吹き飛ばすと、光の瞬き。傷が徐々に癒えていく。
『回復までできるのか。いいなあ、あれ』
「もうっ! 何でもすぐ欲しがるその悪い癖、どうにかなりませんことっ!? ――――よし、完成ですわッ!」
『じゃあ速攻で』
「狙いを定めて」
『ゴー、改式[敵/封じ]』
「行きますわよッ! ――――〈ユイカル・ハルメディカ〉!」
声と共に、部屋全体に光の粒が舞い始める。
ゴーレムに押さえつけられて暴れていたアヴェヌスが、とっさに回転を止め、薄い半透明をした魔導防壁を張る。しかし白の輝きは防壁ごとアヴェヌスの身体を光の中に飲み込んで、全てを消し飛ばす。
――聖白の秘術式。
邪なるものを滅する光の魔導の到達点。究極たる術式の一つが、部屋全体を魔導の陣として発現していた。
「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!」
アヴェヌスは輝きの中で鼓膜を破りそうな音波を発し――
――跡形も無くこの世から消失した。
「これで、勝ち…………ましたの?」
『当然』
「ぃやたーッ! 今回もやりましっ――たわわッ!?」
勝利の歓声も終わらないうちに、床のタイルに一つの紋章が大きく輝いた。
物々しい音を立てながら、床板がそれぞれに沈んでいく。形は円形、ネジのごとく。深層へと向かう螺旋階段が次々と形作られていく。
「これにて第三階層も攻略完了ッ! ですわね! この階層を攻略し始めてから一週間と少々、なかなかどうして順調ですわ! そしてこの次こそ、未だ攻略者のいない第四階層ッ! ううー……ついに、ついに、ついにここまで来ましたわーッ!」
『ゴーの改造に時間を食ったのがなー。突貫工事で一応は最後まで仕上げたけど、まだ燃費に難ありだ』
エスクの言葉通り、ゴーレムはまるで息を切らした人間のごとく。何度も煙を背中から吐き出して、マナ切れを示す赤の瞳を点滅させている。
「キーさんやカイさんもお疲れのようですし、本日はここまで、ですかしら?」
『第四階層で【裏口】を見つけてからだけどな。地図は作ったが、さっきの立体迷路をもう一回抜けるのはさすがに面倒だ』
「了解ですわッ!」
と、元気に返事をして。アンジェラはようやく静かになった螺旋階段を下り始めた。
◇
「それにしても長い階段ですわねー。第四階層というのはそんなに深いところにあるのでしょうか」
『どうだかな。ダンジョンの階層間は、基本的に空間として繋がってないから』
アンジェラは「へー……」と生返事をしてから、「…………ええと、どういうことですの?」
正直な疑問を口にした。
『そのまんまの意味だよ。たとえば第一階層からどれだけ下に掘り進めたところで、第二階層には決して到達しない。もしもそれで済むんなら、誰もこうして律儀にフロアマスターを斃しながら進んだりしないだろ』
「な、なるほど。言われてみるとそれもそうですわね……。あれ? でも第一階層の銀竜さんと戦った時には、カイさんが天井から出てきたと思うのですけど」
『階層間と階層内は、また話が違うんだよ。階層内については、逆にきっちりと空間が繋がってる。それも基本的には、空間を隙間なく埋めるようにしてダンジョンは組み上げられるんだ。
だから正確な地図さえ作れば、隠し通路や隠し部屋なんかを見つけるのは、存外簡単だったりもする』
「ではエスク様が、どの階層でも地図を細かく作るのは……」
『当然そのためにやってんだよ。分かりにくい通路や小部屋なんかを見つけとかないと、後で面倒なダンジョンも多いからな』
「はー……そういうことでしたのね」
ようやく納得という様子のアンジェラが、はっと何かに気付いたように顔を上げる。
「だったらそういう話は、前もって言っておいてくだされば良いではありませんの!? わたくしこれまでずううっと、この無駄足に一体何の意味があるのかと、もう不満が溜まって溜まって……そのたびに魔物に怒りをぶつけてましたのに!」
『イラついてるのは気付いてたけど、別にいいかなって』
「よくないですわよう! わたくしたちパートナーでしょう!?」
『えぇー? 誰と誰がなんだって?』
「でっ、ですから! わたくしと! エスク様が! ……えっと、その…………そろそろわたくしも、足手まといばかりには、ならなくなってきたんじゃないかなあ。……とか、思ってみたりして……。ほ、ほら、さっきだってエスク様の力を借りたとはいえ、聖白の秘術式を起動してみせたわけですし。…………だ、ダメですかしら……?」
『お、出口が見えたぞ』
「もおーっ! 無視しないで下さいまし!」
長い長い螺旋階段の終端に、明るい光が漏れだしていた。その光は、すっかり暗闇に慣らされた目にはあまりにまばゆい。アンジェラはその大きな碧い瞳を細め、エスクも像写水晶の明るさを調整する。そして光の扉の向こうへと、並んで進み出た。
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