第四階層【彩色の明けき郷】 Ⅲ — 暗夜 —
いくつかの移動用魔導石を乗り継いだ先の浮島。小高い丘への登り道を経て、廃墟と化した神殿のような建物へと辿り着いた。
「神殿! 神殿跡がありますわ! 岩や草花ばかりの階層では無かったのですわね!」
『正確には神殿跡のようなもの、だけどな。実際に誰かが何かを信仰するために建てたわけじゃない。ダンジョンが偶然こういう形に生まれたってだけのことだ』
「へえー、でも不思議な感じがしますわね。自然が生み出したダンジョンに、人の造った建物があるなんて。ああでも言われてみれば、これまでもお墓とか階段とかありましたわね。だったら、どなたかダンジョンを造っている方がいるのかしら」
『意外と鋭いな』
「?」
「この建物の中に、強制排出トラップがあったはずだよ」
二人の会話を聞いていたのかいないのか、神殿を指差しながらティアが言った。それから、少し伏し目がちにしつつ、続ける。
「でも、この中には魔物が――ちょっとだけ、いるんだけど。……どうする?」
「――だそうですけれど。どうなんですの? エスク様」
『そりゃ仕方ないと考えるしかないだろ。……一応確認するが、強制排出トラップがあるのは本当なんだよな、ティア?』
「……わたしの記憶が正しければ」
『成る程、分かった。行こうか』
浮かんだ魔導球体が動き出したところで、ティアがアンジェラたちから距離を取る。
「じゃあ……わたしはここで」
「あら、そうなんですの? せっかくここまで来たことですし、どうせなら、ティアさんもわたくしたちと一緒に地上へ――」
アンジェラが言い終わるより早く、ティアは踵を返して走り去っていった。小さな外套を風になびかせながら、まるで何かから逃げるかのように素早く丘を降りていく。
「――むう。お礼にお食事でもと思ったのですけれど、残念ですわ」
『何だ。これまでダンジョンで会った他の冒険者たちとは、ずいぶん態度が違うな』
「当っ然ですわ! これまでの輩はわたくしを見る目からして、露骨に小馬鹿にするか、下心丸出しか。そのくせ、ゴーさんやキーさんを見ると恐怖で顔が引きつっているのですから、情けなさの極みですわよ。
絶ッッッ対にあんな下卑た輩と結婚なんてしてやるものかと、攻略の意志を強くするばかりでしたわ!」
散々な言われようではあるが、冒険者なんて大半はそんなものである。これまで見てきたような、既に攻略済みの階層をウダウダうろついている程度の連中なら尚更だ。
「それに比べて、ティアさんの澄んだ瞳ときたら。わたくしの話も物静かな態度で聞いてくださいましたし、ここまで案内していただけるくらい心もお優しい。
はあー……ティアさん、お一人のようでしたけれど、パーティの仲間などおられるのでしょうか。出来ればわたくしたちと協力していただきたいと思うのですけれど……」
ふむ。つまりアンジェラの考えを要約すると。
『大人しそうなぼっちっぽいから、あわよくばオトモダチになりたいってことか』
「おとッ!? ぼっ……!? ち、ちちちちちっち違いますわよぉぅ!? わたくしは高貴なるネブラティスカ侯爵家の娘、アンジェラ・ヴィズ・ネブラティスカ! あんな薄汚れた外套など着ている冒険者なんぞがととっ……と、友達だなんて、おこがましいったらありゃしませんですわ! …………で、でもぉ……ティアさんがどうしても、どーーーしてもわたくしとお近づきになりたいとおっしゃるのでしたら、お友達と言わずとも知人くらいなら、まあ少しは考えてあげてよろしくなくもなくもないような気もしなくもなくもなく――」
などとのたまいながら、神殿跡に足を踏み入れる。
――――瞬間。
明かりが突然消え落ちたように、世界が暗くなった。
「なッ――なんですの! なんですの!? いきなり何も見えなくなりましたわよ!?」
『落ち着け。別に真っ暗闇じゃない。まだ暗さに慣れてないだけだ。ほら、見上げた天井の隙間から星が見えるだろ』
「えっ、あっ、本当ですわ! でしたら、この暗さは――」
『夜だ。急に夜になったんだろう。時間か、場所か。何がトリガーだったのかは分からんがな』
話す間に、神殿の彫像たちが動き出す。翼の生えた、石の魔物。
『ガーゴイルか』
さらに周辺。神殿のひび割れた壁をすり抜けて、半透明のゴーストたちが次々と。さらに神殿の中央からは、杖を構えた生ける死体――リッチが姿を現した。
そして、気付けば。
『魔物がいるとは言ってたが、ちょっとだけ――ってのは、少しばかり話が違うな』
無数の魔物たちが、アンジェラと魔導球体、それに戦いの痕でボロボロのゴーレムたちを取り囲んでいた。
「どッ、どうしましょう!? この数はさすがに……何の準備もしていないですし、みなさまも戦いの直後で……!」
『圧倒的な戦力差。なら、選択肢は一つだろ? ゴー、キー、カイ、改式[入口周辺/総攻撃]――さあ、逃げるぞッ!』
ゴーレムがひび割れた拳でガーゴイルを殴り飛ばす。その脇の下を、魔導球体とアンジェラがすり抜けていく。
追いかけてくる魔物たち。実体の無いゴーストにはキマイラの爪がすり抜ける。すぐさまその後ろから機械人形が灼き飛ばすが、砲身が溶け、曲がり始めていた。
『いやー、もうボロッボロだねえ、ボロッボロ』
「ああもう! こんなことなら、もっとマナシリンダーを持ってくるんでしたわ!」
飛びかかる蝙蝠たちを雷の術式で撃ち落としながら、アンジェラが恨み節を吐く。
魔導球体は
『カイ、改式[リッチ/砲撃連射]』
命令通りに撃ち出すが、砲身が歪んでいるのだろう、照準が定まらない。神殿の壁を穴だらけにしながら、どうにか命中した時には、すでに術式は発動していた。
『よし逸らした――――右に飛べッ!』
「飛――!? くうッ――!」
アンジェラにわずかにかすめた、白銀の刃。氷刃の術式だ。
『どこに当たった』
「足に――で、でも大丈夫ですわ――」
思わず舌打ちを一つ。
『ゴー、改式[アンジェラ/守護]』
飛びかかり、斬りつけてきた騎士の彫像の攻撃を、すんでのところでゴーレムの両腕が受け止める。しかし、弱っていた片腕はゴトン、と地面に落ちた。
『キー、改式[空中/翼狙い]、カイ、改式[逃走前方/弾幕]、ゴー、改式[発動/ブースト/即時解放]――っと、キー、改式[アンジェラ/守護]! ああああああもう音声処理じゃ追いつかん! カイ、一時改式[式神/解放]!』
最後の一言で、機械人形の背中が開く。
すると薄ペラの紙で出来たヒトガタの式神が無数に飛び出し、ゴーレムとキマイラ、機械人形と魔導球体に張り付いていく。
「な、なんですの!?」
『お前はしばらくそこで大人しくしてろ。緊急事態だ。ここからは全部俺一人でやる』
そこからは、ゴーレム、キマイラ、機械人形、魔導球体。全ての動きが機械時計の歯車のように見事に組み合わされ、次々と魔物たちを片付けていった。時にこちらも傷付きながら、しかし相手には、確実に致命傷を与えていく。
しばしの時が過ぎた後、星の光る夜空の下には無数の魔物たちの死骸が転がっていた。
◇
『………………』
「あのう……エスク様……?」
喋るな、頭が痛い。
そう口に出すことさえままならない、激しい精神の消耗。さすがに四体の完全操作は無理が過ぎたか。
疲れるだけなら安いものだが、なにしろこれは陰陽術だ。使い方をしくじれば精神に異常をきたす。今だって目の前には姑獲鳥の幻覚が見えている。少し休めば収まるだろうが、やりすぎると戻れなくなると聞く。やはり、多用は厳禁の外法だ。
「あのう……すみません、エスク様」
そんなエスクの事情など知るはずもなく、足の応急処置を終えたアンジェラが話しかけてくる。
「わたくしちょっと、気にかかることがあるのですけれど……少しこの場を離れてもよろしいかしら?」
魔物の死骸まみれの神殿跡近く。外に出てもまだ夜は終わっていない。とてもではないが、そんな勝手を許すわけにはいかない。のだが……兎にも角にも頭が痛い。
『……ティアは放っとけ』
会話が面倒になったエスクが、段取りを省いて結論だけを口にする。
「ええー、なんでですのー。わたくしたちも襲われたのですから、ティアさんも危ないかもしれないでしょう。ちょっと見てくるだけですから。ね、ね?」
ダメだ。とだけ言っても、素直に聞きそうにない。多少の時間をかければ説き伏せることは容易いだろうが……この体調ではやりたくもない。
『……この神殿の裏だ。メイ……あとは任せる』
『はい、ご主人様』常日頃からエスクの傍らに佇んでいるメイはそう言うと、『では、アンジェラさん、参りましょうか』魔導球体を操りアンジェラを先導する。
「神殿の裏――って、どういうことですの?」
『アンジェラさんはティアさんに今一度お会いしたいのでしょう? ですからこちらに』
話す間にも魔導球体は素早く宙を飛び、この神殿らしき建造物をぐるりと回る。するとそこには、案の定。
「えっ……!? あ、わわ……」
動揺を隠せない様子のティアの姿があった。
「えっと、これは、エスクだよね……?」
『いいえ、今は違います。私はご主人様の身の回りのお世話から性欲愛欲情欲のはけ口までを担当する、メイドのメイと申します』
「せー、よく? あい……何?」
「メイさんは時折、聞き慣れない単語を口にされますの。わたくしもよくエスク様に訊ねているのですけれど、毎度毎度、煙に巻かれてしまって」
ようやく追いついたアンジェラが、少しばかり息を切らせながらティアに話しかける。
「それよりティアさん、こんなところにいらしたのですね。わたくしてっきり、この丘を降りて、とっくに他の浮島まで行ってしまったとばかり」
「あっ、えと……」
「もしかすると――いいえ、もしかしなくても、わたくし達を心配して戻ってきて下さったのですか? ですわよね? ティアさん」
「えっ!? ええと……うん、そう。心配になって、だよ。もちろん」
「だと思いましたわ! そうでもないと、ティアさんがここにおられるのはおかしいですもの! なにしろここに出てくる魔物は――」
アンジェラが言葉を続ける間に、ティアが素早く大鎌を生み出す。
『――――ッ!?』
そして言葉が終わる前に、飛びかかるように鋭く振るった。
アンジェラの胴体を両断――したかに見えた大鎌の刃は、陽炎のように揺らぎながら、その背後を一閃。
悲鳴のような叫声を上げながら、霊体の核を斬られたゴーストが消滅していった。どうやら討ち漏らしがいたらしい。
気付けばアンジェラは、腰を抜かしたように地面にへたり込んでいた。
「…………び、びっくりしましたわ」
「あ。ご、ごめんね。声をかけた方がよかったかな」
「いえいえ、構いませんわ。ダンジョン内は一瞬の判断の連続。わずかな躊躇いが生死に関わるものだと教え込まれましたもの。それに何より……驚かされるのはエスク様のせいですっかり慣れておりますので」
きょろきょろ辺りを見渡し、今度こそ安全を確認してから、アンジェラは立ち上がり、
「ありがとうございます。ティアさん」
穏やかな微笑みを浮かべて、ティアに感謝の言葉を告げた。
その笑顔と一瞬目を合わせ、しかしまたすぐ慌てたように目を逸らし、ティアは小さく首を振った。
「あ、いや……気にしないでいい、よ。本当に。……本当にいいから」
『…………』
頭痛に顔を歪めながら、エスクは像写水晶の向こう側を見つめる。
「いえいえ。何をおっしゃいますの。ティアさんは間違いなく、わたくしの命の恩人ですわ。だって、幽霊をあんなに怖がっていたのに、無理を押してわたくしたちの安全を確かめに戻ってきてくださったのでしょう?」
「え?」
「今だってそうですわ。先ほど倒したのはゴーストだと思いますけれど、幽霊が怖い方でしたら、身がすくんで動けなくなるような状況。それを迷いなく、一瞬でズパッと両断! これはもう愛無くしては不可能な偉業だと言って差し支えありませんわよね」
「ん、んん……? あの……何の話?」
「やはり! とあえて申し上げましょう。やはりわたくしの目に狂いはなかったのです! わたくしの見立て通り、ティアさんとわたくしは導かれし運命の関係。と言っても、わたくしとしては結婚相手は最低でも国王あたりの予定ですし、同性との恋愛を否定はしませんけれども、残念ながらそういった感情をティアさんに抱いているわけではございませんので、結婚とまで言われては困ってしまいますけれど、それでも! それでも今回は特別に! ティアさんと親交を深めるにやぶさかではないところで――」
「あ、あの……えっと……ごめんね。何言ってるのか全然分かんない……」
もはや涙目になりつつあるティアに、アンジェラが更に言葉を続けようとする。
――ところに、メイが口を挟んだ。
『アンジェラさんの言葉を翻訳いたしますと、『お友達になってくれませんか』とおっしゃっています』
「なにゃ――!?」
「お友達……?」
「だだだ、だからそれは違うと先ほどから言っているではありませんの! もう! わたくしは高貴にして尊い存在であり、ましてわたくしの方からお願いしてまでお友達になって欲しいなんてことあるはずが――」
「そのくらいなら、別にいいけど……」
「えっ、本当ですの!?」
手の平返しが神速すぎる。
「ほ、本当に!? 本当にわたくしのお友達になってくださいますの!?」
「う、うん。仲良くしてってことでしょ。そのくらいなら……」
鼻先が付くくらいまで顔を寄せ、碧い瞳をキラキラと宝石のように光り輝かせながら見つめるアンジェラに、少したじろぎながらティアが答える。
「本当ですわね!? 本気で言いましたわね!? 言質取りましたわよ! …………やったぁーッ! やりましたわ! わたくしにもお友達が出来ましたわぁーッ!」
両手を星空に掲げてから、アンジェラはティアに飛びかかるようにして抱きつく。
アンジェラに抱きつかれたティアは少し困惑したような顔をして。しかしその表情にはわずかながら、確かに喜びの色も浮かんでいた。
そんな二人の様子を魔導球体の向こうから見つめていたエスクが、静かに尋ねる。
『…………本当にいいんだな? それで』
だが、興奮したアンジェラのやかましいわめき声にかき消され、まだ頭痛に苦しむエスクのか細い声は虚空に消えた。
それからエスクは一つ、深いため息を吐いて。
「……また厄介事が増えたな」
隣にいるメイにも聞こえないほど小さな声で言った。
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