第四階層【彩色の明けき郷】 Ⅳ — 行楽 —

『……で、どうしてそこから、ダンジョンで野営することになるんだ』


 第四階層の【裏口】から帰還して二日後の真っ昼間。

 窓の外はそろそろ太陽が天頂に届きそうな頃合い。

 相変わらず借りた屋敷の中に引きこもっているエスクから、ダンジョン内のアンジェラへと、音声だけが飛んでいった。


「野営ではありませんわ。ピクニックです。ピ・ク・ニ・ッ・ク。エスク様はピクニックもご存じありませんの? 景色と食事を同時に味わう、わたくしたち貴族にとっては珍しくもない余暇の愉しみ方ですのよ」

『いや、ピクニックくらい知ってるが、ダンジョンで飯食うのは野営だろ……』


 今日のエスクは部屋にぽつんと一人だけ。頭から両手まで、無数の管や機器を繋いだ機械腕の操作装置を身に付け、像写水晶に映した階下のゴーレムを遠隔修理兼改造しながら会話を続けている。


 対するダンジョン内のアンジェラは、普段通りの魔導系装備を着込んではいるものの、両手には大きなバスケット。とてもではないが、ダンジョン攻略を進められそうな姿ではなかった。


「ご主人様、そろそろ昼食のお時間ですが、ちゃんと食事はされておられますか? まさかまた自家製の怪しげな丸薬で済ませていませんよね?」

『ああ? はいはい。大丈夫大丈夫』


 魔導球体からは、エスクのぞんざいな返答と共に、カラコロと転がる飴玉の音と、素早く動き続ける機械腕操作装置の動作音が聞こえてくる。


「……私、実家に帰らせていただきます」

「ちょちょっ、ちょっとお待ちくださいましメイさん!? 本日はゴーさんやキーさん治療やら修理やらで、貴女様しかわたくしを護ってくださる方がおられないのですけど!?」

「はあ。しかし私はそもそもご主人様専用のメイドですので、アンジェラさんが襲われても元から助けたりいたしませんが」

「メイさん!?」


 ホムンクルスメイドの六号、もとい、メイは、今日は珍しくダンジョン内に同行している。一応はアンジェラの護衛という役割もあるのだが、本人はこの調子なのであまり役には立たなそうである。魔導球体一つよりはマシという程度か。


 しかしアンジェラがメイの同行を、必死で土下座やら買収やらしかけてまで頼み込んだ真の理由は、そこではない。


「……うわ、本当に来たんだ、アンジェラ」


 ボロの外套を纏った青い髪。虹色に輝く大きな瞳。冒険者の少女ティアは、予定の時刻から少し遅れて、待ち合わせしていたダンジョン第四階層の丘の上に現れた。


「あっ。——し、失礼。お待たせしてしまいましたかしら?」

「……? わたしの方が後に来たんだけど?」

「あ。そ、そうでしたわね。おほほ、これは失礼……」

『駄目そうだな、このお見合い』

「何がお見合いですか!」


 理由とは、まさにこれである。初めてのオトモダチとピクニック! と意気込んだはいいものの、いざ出発となると上手く話せる自信が全く無くなったらしい。

 もう一人女の子がいればとメイを連れてきたのは、まさに的確な判断。感嘆せざるを得ないところだが、悲しいかな、その程度で改善可能な状況ではなさそうである。


「エスク様の雌奴隷兼メイドのメイと申します。生身では初めてですが、ティアさんとは一度、キュー越しにお話をしたことがあったかと。本日はよろしくお願いいたします」

「あ、うん。よろしくね、メイ。……エスクはいないんだ?」

「ご主人様は少し事情がございまして、ダンジョン内に入ることはありません」


 二人の会話に割って入れる隙間を見つけたのか、はいはいと手を振りながらアンジェラが声を上げる。


「あっ、脚! エスク様は脚を悪くしてらっしゃるのですわ! その代わり、色々な術で造り上げたゴーさんやキーさんを使ってわたくしを助けてくださっているのです!」

「ああ……そういえば、そんなこと言ってたっけ……」思い出したような表情、それからしばし逡巡し、「そっか……エスクはダンジョンの中には来ないんだ」


「……どうしようかな」


 ティアは独り言のように呟いた。


「え……な、何かまずかったんですの? あの男を連れてきた方がよかったんですの? 本当はわたくしよりエスク様の方がお友達になりたかったりするんですの……?」

「あ、ううん。なんでもないの。こっちの話だから……」

「こっちの話……わたくしはティアさんとお友達のはずなのに、ティアさんが言うところのこっち側ではない……?」

『想像以上に面倒くさいな、こいつ』


 そりゃあこれまで友人の一人も出来ないはずだ。あるいはぼっちをこじらせすぎたせいでおかしくなってしまったのだろうか。どちらにしろ人間関係の歪みが生み出してしまった怪物には相違ない。


「とりあえず移動しましょうか。確か、ティアさんがどの魔物のテリトリーでもない場所をご存じだそうですね」

「あ、うん。案内する」


 外套を引きずりながら歩き出したティアに、メイが三歩後ろから付いていく。その更に後方を、


「わたくしとティアさんはお友達……? ではエスク様とティアさんは……? お友達とは……? 友情とは一体……?」


 世界の深淵に触れる言霊を発しながら、重い足を引きずってアンジェラが歩いていた。


 ◇


 ティアに案内されたのは、第四階層の中央付近にある浮島。

 広めの高台のような場所にあり、地面には短めの芝生のような草花が茂って、木々は比較的まばら。近くには綺麗な水が湧き出る泉と流れ落ちる滝があり、滝には小さな虹まで架かっている。


「はー……まるで今日のわたくしたちのために職人が拵えたかのような、絶好のピクニックポイントですわね。こんな場所を選ばれるとは、どうやらティアさんは美的感性にも優れてらっしゃいますのね」

「……ごめん、よく分かんないかも」

「…………。き、綺麗な景色だということですわ! 楽しいピクニックになりそうですわね! ねーっ!」


『空回ってんなあ』

「紅茶のご用意ができましたので、お二人ともどうぞこちらへ」


 見事に空気が澱んだところで、メイが焚き火のそばからアンジェラとティアを呼んだ。

 そこには食べやすく切り分けられたサンドイッチや軽食が盛り付けられた小さなテーブルがあり、白いカップからはまっすぐに湯気が立ち上っている。


 そこだけはまるで王城の庭園。ダンジョン内とは思えない空間に仕上がっていた。


 なにしろメイは腐ってもエスクが造り上げたホムンクルスである。メイドとしての作法も仕事も本来は超が付く一流なのだ。

 アンジェラは優雅に、ティアはおずおずと席に着くと、どちらからともなく二人は食事を始めた。


「……あ、おいしい……」

「パンに角ウサギの肉と香草を挟んであります。どちらもこのダンジョンで採れたものですので、ティアさんにも食べやすいかと」

「このダンジョンでしか楽しめない味覚というわけですわね。ダンジョン攻略が完了すれば、わたくしたちネブラティスカ家にとっても大事な特産品になりそうですわ」


 魔物以外にも、ダンジョンには様々な動植物が存在する。例えば今そこらに飛んでいる小鳥や、滝のそばに咲いてどこからともなく降り注ぐ日の光を見上げる花がそうだ。

 こうした動植物は多くの場合、ダンジョンの深層ほど希少かつ有用で、領主や領民にとって重要な財源となる。


「……わたくしたち?」

「あら、そういえば伝えていたようないなかったような……実はわたくし、このダンジョンを有するネブラティスカ侯爵家の一人娘ですのよ!」


 大きな胸に薬指を当て、アンジェラ・ヴィズ・ネブラティスカがふふんと鼻を鳴らす。


「お姫様ってこと?」

「ひ、姫……ではありませんけれども……まあ、この土地に限っては、似たようなものかもしれませんわね。王国から領土を封ぜられた領主の娘ですもの」

「ふうん、エラい人なんだ」


 理解できているか若干怪しいが、ティアは納得したように頷いてサンドイッチをもう一口頬張る。


「……ん、やっぱりおいしい。でも、どうしてそんなエラい人がここにいるの? 『エラい奴なんざみんな平民をこき使うだけのクソどもだ』って聞いたけど」

「そ、そういう面もあるかもしれませんけれども……ティアさん、そんな汚い言葉遣いをしてはいけませんわよ。冒険者仲間と付き合っていれば、そうなるのも仕方ないことかもしれませんが……」


 言い聞かせるように注意しつつ、アンジェラは自分を取り囲む悩ましい事情について、ティアに話していった。


「……なるほど、結婚かあ」


 ダンジョン攻略の報酬としての、アンジェラとの婚姻。ネブラティスカ侯爵はずいぶんと強引な手を取ったものだが、それだけこのダンジョン攻略を重要視しているということでもある。


「ティアさん、この報酬についてはご存じありませんでしたの?」

「え……あ、うん。知らなかった。だってほら、関係ないし。……ないよね?」


 仮に例外が無いとすれば、ティアのような女性冒険者のみでダンジョンを攻略した場合も、アンジェラを嫁にもらえることになる。

 それはそれで面白そうだが、そのあたりは単に侯爵が考えていなかっただけだろう。冒険者は男性が多いし、何より、そもそも気にする必要がない。


「でも、だからってアンジェラが頑張ってダンジョン攻略しなくてもいいんじゃない? ずっと攻略が進まなければ、いつまでも結婚しなくて済むんでしょ。今までもずっと上手くいってないんだから、このまま放っておけばいいよ」

「それは、理屈の上ではそうかもしれませんけれど……」


 口周りを拭いて、紅茶を一口。それからアンジェラは続けた。


「でもやっぱり、攻略しないわけにもいきませんわよ。ここに未攻略のダンジョンがある限り、外の土地はどんどんダンジョンに喰われていくわけですし。領主の娘として、見過ごすわけには参りません」


「加えて言えば、冒険者や領主の手に負えないと判断された際は、王国から派遣された部隊が事態の収拾に乗り出すことになるでしょう。これまでも何度かあったことです」


 メイの補足に、むうとティアは口を尖らせた。


「でも……」


 言いかけて、


「ううん……」


 しかし自分で否定する答えに辿り着いたのか、再び黙りこくった。そしてティアはしばらく言葉を探すように考え込み。


「…………どうして、ダンジョンなんて存在するのかな……」


 独り言のように呟いた。


「ぼ、冒険者とは思えない発言ですわね……」


 冒険者にとってダンジョンは唯一と言っていい仕事場だ。ここが無くなれば路頭に迷う。他の仕事が性に合わなかった。一攫千金を狙っている。踏破者としての名誉が欲しい。理由は様々でも、冒険者はダンジョンありきで成立している存在なのだ。

 その前提から覆すような発言は慎むべき。などと、冒険者論を語ったところで意味はないが。


「……でも、言われてみると確かに、ダンジョンってなんなんですの?」


 そこで何故か、アンジェラもティアの疑問に乗っかってきた。


「当たり前のように受け入れていましたけれど、考えれば考えるほどおかしな存在ですわよね、ダンジョンって。魔物がいる。洞窟があったり、道があったり、ここみたいに広ーい原っぱがあったりする。どうしてこうしたものがあるのでしょう? どなたかがわざわざ造った? だとすれば、ダンジョンというのは、何のために存在するんですの?」


 疑問を並び立てるアンジェラに、エスクが一言、魔導球体の向こうから答えた。


『——ダンジョンは、墓だよ』


「ハカ?」

「墓地、ということですわよね? と言いますと、どなたの?」

『魔神の墓だ。といっても、連中は力そのものとでも呼ぶべき存在だからな。死の概念自体が無いんで、状態としては封印に近いんだが』


「魔神、って……?」


 様子をうかがうような調子で、ティアがアンジェラに視線をやるが、アンジェラの方も首を振った。


「魔神という呼び名だけならば、わたくしも聞いたことがありますけれど……そのくらいですわ。たしか、今の神々より古くに、この世界を支配していた者たち……だったでしょうか」


 アンジェラの知識は浅いが、けっして責められるようなものではない。そもそも魔神について、この世界の住人が知る機会自体が稀なのだ。


 魔神がこの世から消え去って久しく、魔神について語られる文献も数えるほど。一般人と関係のあることといえば、ダンジョンに潜む怪物に、魔物という少しばかり魔神にあやかった名前が付けられている程度のものだろう。


『かつて神との争いに敗れた魔神どもの骸を、神々は空間の狭間に追放し、封印した。だが先ほど言った通り、魔神の命が終わることはない。長い時が経つうちに封印は弱まり、魔神の力が漏れはじめた』


 分かりましたわ! とばかり指を立てて、アンジェラが声を上げる。


「その魔神の力とやらがダンジョンを生み出した、というわけですのね!」

『正解だが、間違いだ』


 エスクは遠い屋敷の中で、淡々と手を動かしながら答える。


『だがまあ、その解釈でも別に問題ない。正確なところを説明するのも面倒だから、これで終わりでいいだろ。『ダンジョンは魔神の封印であり、封印されている魔神の力がダンジョンを形成する』これで十分理解はできる』

「むう……まるで人をお馬鹿みたいに扱いますわね」

『みたいじゃなくて事実だが』

「エスク様に比べれば誰だってお馬鹿でしょうけれど!? これでもわたくし、世間的には才色兼備で通っておりますのよ!?」

「わたしも馬鹿だけど、もっと詳しく知りたい。ダンジョンってなんなのか」

「ティアさん今『も』って言いましたわよね!? わたくしを含めましたわよねぇ!? いやしかし、そっちの方がお友達っぽいような気もするような……?」


 さすがティア。無知の知というやつである。自らの知らざるを知ることこそ、真に知ることへの第一歩。お馬鹿さんのアンジェラとはやはり知性の格が違う。


 などという話は置いておくとして、だ。


『……ダンジョンを生み出すのは魔神の力ではあるが、魔神の力そのものじゃない』


 ティアにはダンジョンについて、知っておくべき権利と責任があるように、エスクには思えた。


『漏れ出す力に気付いた神々は、魔神の力を創造の力に歪めることで、封印を維持しようと考えた。そしてどうせ創造するならば、封印をより強固にするものがいい、とも。そこで神々は、複雑な構造を持ち、異形の怪物が跋扈する、侵入者を阻むための迷宮を創り上げることにしたわけだ。それが——』


「ダンジョン」


 ティアとアンジェラが口を揃えた。


『そういうことだ。歪めた魔神の力を用い、神々が創り上げた、封印を護るための物理的結界。それがダンジョンだ。故にダンジョンは、魔神の力によって生まれながら、魔神の封印であり、墓でもある。そこに存在し続ける限りな』


「ふむぅん……なるほどぉ……」


 アンジェラが間の抜けた声で頷く。

 その隣で、ティアは滝なのか空なのか——どこか遠くの景色を見ながら、少し考え込んでいるようだった。


『気になることがあるんだな』

「うん」

「えっ、なんですの? なんのことですの?」


 やはりというべきか、ティアは賢い。

 知識は無いが、自分の頭で考えられる知性がある。知識を取り込んで、自分という存在の血肉に変える力がある。それは何よりも代えがたい、生命の証だ。


『考えがまとまるまで待っててやるから、しばらくは休憩にしよう。今回はそもそもピクニックなんだしな。こんな話ばかりしてても仕方ない』

「そうだね。……うん、そうかも」

「なんなんですの? どうして二人だけ打ち解けたみたいな空気になっているんですの? お互いの気持ちが通じ合ってるんですの? わたくしはティアさんとエスク様の間に割り込んでいるだけのお邪魔虫でしたの?」

「そんなことないから一緒に遊ぼう、アンジェラ。贈り物とか出来ないけど……花飾り作ってあげる」

「えっ、嘘。マジですの? わたくしもうすでに泣きそうなのですけれど」

「泣きそうというか、すでに泣いておられますね。涙がボロボロ溢れておいでです」


 食べ終えた食器を片付けながら、メイがさらっと口を挟んだ。


「こちらは私がやっておきますので、お二人はどうぞごゆるりと。デザートの準備が出来ましたら、またお呼びいたします」


 メイの言葉に、アンジェラとティアは目を合わせるとお互い頷き合い、手を繋いで泉近くに咲く花々の方へと走っていった。


「ご主人様、どうなさるおつもりですか?」

『……さあ。どうしたもんかね』


 テーブルを手早く片付けていくメイと言葉を交わす。


「……ご主人様、ところで食事はどうされてます?」

『……いや、まあ、それはもう少ししたら、かな……」

「………………」

『……………………』

「……………………………………」


 はい。


 というわけで、アンジェラとティアが仲良く花飾りを付けて、デザートに舌鼓を打つ頃には、エスクも一人、冷めたスープを味わっていた。

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