第四階層【彩色の明けき郷】 Ⅱ — 邂逅 —

「あっ、目を覚ましましたわよ! ほら! ほら!」


 青髪の少女を膝枕で寝かせていたアンジェラが、寝起きにはいささかダメージが来そうなやかましい声を上げた。


 少女の方はというと、面食らったように虹色がかった大きな瞳をぱちくり。アンジェラの顔を見つめたまま表情を凍りつかせて動かない。


『大丈夫か? さっきの光は相手の内部マナを無理矢理かき混ぜて、一時的に全身を麻痺させる。人間に撃ったことは何度かあるが、後遺症の確認はそんなにやってないんだ。動けるならせめて何か言ってくれ』

「……………………」

『話せないのか?』

「………………………………」

「ちょ、ちょっとエスク様。これはいけませんわよ。魔物と間違って冒険者さんを……それもこんな小さい女の子を怪我させてしまうなんて」

『……まあな』

「まあな。じゃありませんわ! もし重傷ならば一刻も早く治療を――」


 その時、少女の唇がわずかに動いた。


「…………ゆ」

「……ゆ?」

「ゆ…………」

『ゆ』

「…………ユーレイ……」


 がばあと少女が身体を持ち上げるや、その小さな両手の平が煌めいた。

 光の粒子は空を舞い、収束し、一つの長い棒となる。少女が掴んだその棒の、片方の先端から真横に刃が伸びてきて、気付けば武器は見覚えのある形になっていた。


 命を刈り取る死神の刃。幼い少女の身長よりも長く巨大な大鎌だ。


 そして少女はとっさに立ち上がった不安定な姿勢のままで、周囲を薙ぎ払うように大鎌を振るった。刃の煌めきが舞うように散る。


「ひゃなあああぁぁぁぁッ!? あぶあぶあぶぶぶぶぃぃぃ!?」


 慌てて頭を抱えながらしゃがみ込んだアンジェラが、声にならない声を上げる。


「殺さなきゃ……ユーレイ、殺さなきゃ……」

「ユーレイって幽霊のことですの!? 幽霊はすでに死んでらっしゃるから幽霊って言うんですわよぉぉ! というかエスク様!? ちょっとなんとか言ってくださいませんか、エスク様!? もしもーし! わたくしの声、聞こえてますわよねぇーッ!」


 アンジェラが叫ぶ間にも、少女は小声で何か呟きながら大鎌を周囲に振るう。

 そんな少女の視線から逃れるように、魔導球体は器用に少女の背後へと回り込む動きを続けていた。


『俺が喋ると、面倒なことになりそうだけどなあ』


 発声の瞬間。一閃。

 しかし刃は、強固な魔導バリアに阻まれる。

 続けて迷い無く振り下ろし。その指を正確にレーザーが射貫き、大鎌が宙を舞った。刹那の攻防。アンジェラには動きを視認することすら適わなかっただろう。


『――とりあえず、話でもしようか』


 エスクは淡々とした調子で言った。


 大鎌が地面に突き刺さり、淡い光となって消えていく。


『俺はエスク。エスク・イニストラード。そっちはアンジェラ・ヴィズ・ネブラティスカ。言葉は通じるな? ひとまずは情報交換といこうか。同じ冒険者同士、な』


 しばし、動かず。

 それからこくりと、少女は頷いた。


 ◇


「――というわけで、このダンジョンの外にいるエスク様が、キューさんを通して話をしていたのですわ。ご理解いただけましたかしら?」

「うん。なんとなく。とりあえず、エスクはユーレイじゃないんだね」


 少しばかり移動し、アンジェラと青髪の少女が話しているのは大きめの浮島の中央付近。そばには澄んだ水が湧き出ている泉があり、腰を落ち着けて話すにはもってこいの場所だった。


 彼女たちが話す時間を使って、エスク――の手足代わりになっている魔導球体――は、他の使役物たちをこの浮島まで連れてきていた。

 ゴーレム、キマイラ、機械人形。いずれも第三階層フロアマスターであるアヴェヌスと戦った傷痕深く、煙を吹いたり、ギギッと妙な音を立てたり、満身創痍と呼ぶに相応しいボロボロぶり。エスクとしては早く連れ帰って修理がしたいところだ。


『説明は終わったか?』

「はい、しっかりと。これでもう大丈夫ですわ」

「あ。魔物が来た。倒さないと」

「えちょっ、ち、違いますわよ!? ですからさっき説明した通り、この子たちがわたくしの冒険者仲間のようなものでして……」


 戦闘準備とばかり、またしても光の粒から大鎌を創り出した少女を、アンジェラが慌てて制止する。


『……大丈夫かあ?』

「ももも、もちろんですわ! わたくしたちすっかり意気投合しまして、さっそく有用な情報も頂いたところですし!」


 ほう、と合いの手を入れると、いつものごとく。アンジェラは腰に手を当てて、高らかに、歌い上げるように宣言する。


「なんと、先ほど見たあの空飛ぶ蛇が、この第四階層のフロアマスターだそうですわ!」

『だろうな』

「反応が薄いですわッ!?」


 とっくに予想していた事実に対して、大仰に驚いてやるほどエスクも暇ではない。とはいえ、予想はあくまで予想。裏付けがとれたのは収穫といえるだろう。


『ところで、名前は?』

「星海蛇ヤティカと言うそうですわ! 前から思っていたのですけど、魔物の名前ってどなたが決めてらっしゃるのでしょう?」

『魔物の発見報告があったら、迷宮調査院が決めてる……けど、そっちじゃなくてだな。今のは俺の言い方も悪かったかもしれんが――あー、なんかもう面倒くさいな』


 魔導球体がひゅんと飛んで、少女の前に浮かぶ。


『さっき名乗ったけど改めて。俺の名前はエスク・イニストラード。お前の名前はなんて言うんだ?』

「……………………」


 少女はエスクの言葉を聞くと、しばしの無言の後で、


「……ティア」


 とだけ答えた。


「ティアさん! なかなかにいいお名前ですわね!」

『ええ……聞いてなかったのか……? 本当に何を話してたんだお前ら』

「ですからそれは先ほど言いました通り――」

『そんなことより』


 長くなりそうな言い訳をぶった斬って、エスクは尋ねる。


『再確認するが、お前も冒険者ってことでいいんだな? ティア』

「何を当たり前のことをおっしゃっているんですの、エスク様。冒険者でもない一般の方が、攻略前のダンジョンの深層、それも未攻略の階層になんているはずありませんわ。もーっと常識で考えてくださいまし、常識で」


 小馬鹿にした態度が鼻につくが、アンジェラの意見はごもっとも。

 こんなダンジョンの奥深く、常識で考えなくとも、冒険者か魔物しかいるはずはない。それも相当な腕利きの、だ。


 先ほどもエスクに軽くあしらわれたとはいえ、少女は身の丈以上の大鎌を自在に振るっていた。武器の出し入れ自在は魔導術の領域だが、戦闘スタイルは動きを見るに近接戦。どちらもかなりの使い手とみていいだろう。


 ついでに外貌を一通り見てみると、まず髪の色が印象的だ。不思議な色合いの青をしていて、だいぶ目立つ。

 外見はかなり若い――というよりは幼いくらいで、十四のアンジェラより一段は年下に見える。こうして二人並ぶとその差が明らかだ。具体的に言うと、胸部と腰つきと胸部と胸部と胸部のあたりに絶望的な格差がうかがえる。

 背丈も幼い体つき相応に小さく、纏っているボロの外套は地面まで届いて引き摺られている。外套の内側には魔導の気配があるので、何らかの特殊効果を宿した防具を着込んでいるのだろう。


 と、外から見て得られる情報はこんなところか。

 あと、あえて付け足すとするならば――


『なかなか可愛らしい方ですね、ティアさん』


 魔導球体を越えた先。借りた屋敷の中で通信しているエスクの傍に佇む、メイがぼそりと呟いた。


 その意見自体には否定するべきところはない。ティアは正直言って、かなりの美少女である。虹色がかった大きな瞳はどこか気だるげなジト目をしてもなお可愛げがあり、長い睫毛に小さな唇、どこをとっても愛らしい。


 アンジェラとメイとティア、いずれも方向性は違えど、負けず劣らずの美少女たち。もはやエスク周辺は、これから王国一美少女コンテストでも開催できそうな勢いだ。

 とはいえそれに気付いているのは、参加者の中ではメイだけのようだが。


「……じゃあ、そろそろわたし、行ってもいい? もう話すこと無いし……」

「あっ、ティアさん、ちょっとお待ちになっ――」


 アンジェラがとっさにティアの腕を掴み。

 くるり。奇術のように宙を舞って、地面に叩きつけられた。

 大の字に倒れ込んだまま目を回すアンジェラを、ティアが覗き込む。


「何か用?」

「――っは! 何事ですの!? 地面が突然お空になりましたわ!?」

「……もういい?」

「ああっ、よくない! よくありませんわ! あのーそのですわね……ええとそとまとみとめともとめとみとととと……」

『このバカがすでに訊いてるとは思うんだが、一応確認として、【裏口】の場所を俺にも教えてくれないか? 俺たちそろそろ帰りたいんだが、まだ見つけられてなくてな。同じ冒険者同士、助け合いってことで。もちろんタダとは言わない』

「あっ! そうでしたわ! 【裏口】、【裏口】! そうそうそれ大事ですわよねー!」


 明らかにこれまで訊いてなさそうな発言だ。そして訊く気もなかったっぽい発言だ。逆になんのために今引き留めようとしてたんだ、こいつ。


 転がったままの間抜けは捨て置いて、ティアに再度、『どうだ?』と尋ねる。

 しかしティアは黙して語らず。どういうわけか不安そうな表情が見え隠れする。


「……? どうかされましたの?」

「え。な、なんでも……」

「あっ! ひょっとしてティアさん、【裏口】が何のことか分からないのでは? 他にも呼び方が色々あるそうですから、仕方ないですわね。ええと、何でしたっけ。【ダンジョンの抜け穴】、【モグラ道】、【次元磁軸】、【魔神の合い鍵】、【リバース・エントランス】……。仰々しい名前が付いていても、結局はどれも強制排出(イジェクト)トラップのことなのだそうですけれど」


 【裏口】とは、アンジェラの言うとおり、ダンジョンにいくつか点在する、強制排出トラップのことを指す。

 すごろくで言うところの「ふりだしに戻る」タイプの罠で、強制的にダンジョン外まで追い出される。本来であれば、ダンジョンの攻略を進めている間には、かかりたくないトラップの代表格だ。


 もちろんダンジョンから帰る時ならば実に都合の良い代物で、昔から脱出のため意図的に使われることはあったのだが……つい数年ほど前に、これの新たな活用法が発見された。このトラップを文字通り、逆利用するのだ。

 トラップから繋がっている、空間を越えて流れていくマナの軌跡を記録。後日、記録を辿って逆流するように進んでいく、特殊な魔導術式が編み出されたのである。これによって、強制排出トラップは出口だけでなく、入口としての価値も持つようになった。


 簡単に言えば、ダンジョン深層へのショートカット地点になったわけだ。


 これによってダンジョンは、山ほどの食料をかかえ、長期間をかけて攻略するものではなくなった。特にその恩恵を受けたのが、日帰りでダンジョンをうろついているどこぞの侯爵令嬢たちのような、少人数冒険者である。


「ただ、実際にマナの流れを逆流するためには、一度トラップの対象者になっておく必要があるでしょう? ですのでわたくしたち、この第四階層で【裏口】となる強制排出トラップを探しておりまして……って、ティアさんはここまで来るほどの熟練の冒険者様なのですから、そんなこと言われずとも、分かってらっしゃいますわよね」


 このあたりの説明は、エスクがアンジェラにしたそのままである。

 何しろこのお嬢サマ、初めは帰り道のことなど一切考えずにダンジョンに突入するという無計画っぷり。行って帰って物語。遠足は帰るまでが遠足だ。こんこんと説教してやった時期を思えば、何とも成長したものである。涙がホロリ。


「うん。やりたいことは分かった」

「それでは――」

「案内するから付いてきて。でも、お金はいらない。冒険者は助け合い、なんでしょ?」


 言うや、こちらの答えも待たず。ティアは足早に歩き出した。それを慌ててアンジェラが、さらに後ろからゴーレムやキマイラを引き連れて魔導球体たちが追いかける。


「ティア様がお優しい方で良かったですわね! これもわたくしの人徳ですわー」


 気分良く鼻唄なんてしているアンジェラの背を追いながら、


『タダより高いものは無い。なんてな』


 エスクが小さく呟いた。

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