第四階層【彩色の明けき郷】 Ⅷ — 疑念 —
無数の札が貼り付けられた壺や、機械式の計器。無数の魔導術式陣が展開されている部屋の中心で、アンジェラが目を閉じて静かに立っていた。
「…………あのぅ。まだですの? エスク様。わたくしそろそろ戻らないと、お父様にこっぴどく叱られてしまいそうなのですけれど」
「黙ってろ。喋った分だけ追加で時間がかかる」
エスクはこの奇妙な部屋の隅でいつも通りの車椅子に腰掛け、ゴーグルをはめて何やら確認しながら、各種機器から術式までを操っていた。
そうして色々といじり回したところで、ゴーグルを外し、ようやく一つ息を吐く。
「……まあこんなところか」
言って大きく伸びをすると、エスクは飴玉を一つ口の中に放り込む。アンジェラに「もういいぞ」と声をかけると、アンジェラの方もふうと疲れた息を吐いた。
「はあー、ようやく終わりましたのね。第四階層から戻ってきて、ずいぶん時間がかかりましたわ……」
言いながら、アンジェラは自分に取り付けられていた札や管を外していく。濃い赤色の宝石に刻印の刻まれたペンダントが、胸元でぷらぷら揺れた。
「それにしても、これって一体なんなんですの? 以前からたまに、わたくしをこの部屋に連れ込んでいましたわよね?」
「前にも言ったろ」
「『——単なる確認だ』でしたかしら?」
アンジェラは声色をエスクに真似て言う。が、これがまた見事なまでに似ていない。ものまね師としての才能はなさそうである。
「はーあ。もうまーるで意味が分かりませんわ。というよりエスク様、わざとわたくしに分からないようにおっしゃってますわよね? 煙に巻いてらっしゃいますわよね? あなた様のそういう秘密主義なところ、わたくし大変よろしくないと思いますわ!」
「無駄を省いてるだけだが」
「わ・た・く・し・に・は! 無駄ではありませんの! はー、まったく。せっかく第四階層攻略記念に、ティアさんも呼んでパーティでも開こうと思っておりましたのに」
「開いてもあいつ来ないだろ」
当然と言いたげな口調のエスクに、アンジェラはむっと顔を膨らませる。
「確かに本日も、一緒にダンジョンから戻るのは断られましたけれど……。前から思っていたのですけれど、エスク様、ティアさんへの態度が少し悪くありませんこと? 最初にお会いした時も、関わるなとでも言いたげでしたわよね」
「ああ。そんなこともあったな」
他人事のようにエスクは口の中で飴玉を転がす。そこにさらに飴玉をもう一つ。ゴリガリパカポと飴同士がぶつかり合う音がする。
「一体ティアさんの何が気に入らないのか存じ上げませんが、今回は協力して星海蛇ヤティカを斃したのです。わたくしのようにお友達になれとは申しませんが、もう少し良好な関係を築こうというつもりはありませんの?」
「出来るんならそれが理想ではあるけどな」
言いながらエスクはくいくいと指をやり、式神に数枚の羊皮紙を手元に持ってこさせる。そしてそのまま、ぽいとアンジェラに渡した。
「……なんですの? これ」
「このダンジョンの迷宮攻略許可一覧の写し」
言われたアンジェラがパラパラとその写しをめくる。そこには羊皮紙を埋め尽くすように、冒険者の名前がずらりと並んでいた。
「これがどうかしたんですの?」
「そこにティアなんて名前はない」
「……え?」
アンジェラが一瞬、呆けたような顔を浮かべた。
「名前どころか、それらしい人物の記述もない。冒険者たちによる階層の攻略状況は逐一迷宮探査院に伝えられているが、第四階層まで辿り着いた者たちの中で、一人で攻略しているパーティはアンジェラ・ヴィズ・ネブラティスカだけだ」
「それはつまり、ティアさんにはかつて、パーティを組んでいた方々がいた……ということですの?」
「だったらいいんだがな」
嘲るような態度で、エスクは笑った。
「第四階層に辿り着いたパーティは今のところ二十弱存在する。だがそのほぼ全てが現在、探査院への報告が止まっている。これはもちろん、単に進捗が無いことを意味しない。ダンジョン内で全滅したってことだ。例外は仲間の大怪我などで攻略を諦めた数パーティと、俺たちだけ」
混乱を深めるアンジェラの表情を無視して、エスクは続ける。
「お前と一番最初に会った時、話しただろう。このダンジョンはずいぶんと攻略に時間がかかっていると。そのために領主は、自分の娘——アンジェラ・ヴィズ・ネブラティスカまで報酬にすることになった。ま、このせいでお前は俺の元に来ることになったわけだが……全ての原因は、この第四階層で攻略が止まっていたからだ」
「そ、それは……星海蛇ヤティカがそれほど脅威であったということでは……」
「奴は確かに強かったが、俺たちでなければ殺せなかったとは思わない。冒険者連中もバカばかりじゃないし、第四階層まで来るようなパーティなら手練れも揃ってる。ここまで敗北ばかり続くのは不自然だ。だったら、第四階層にはヤティカ以外にも障害となる何かがある。そう考えた方がよほど理屈が通る」
「ま、待って……待ってくださいませ、エスク様! それでは……その言い草ではまるで、エスク様がおっしゃりたいのは、まるで——」
「まるで?」
「ま、まるで……そ、その……」
エスクのオウム返しに、アンジェラは言葉を窮し。
「なっ、何でもありませんわ! わたくしは明日からの最終階層攻略に向けて、そろそろ帰らせていただきますっ! せっかくティアさんが、ヤティカを斃して開いた最終階層へのゲートを見張ってくださっておられるのですから。起きたら急いで向かわなくてはいけませんものっ! いいですわよねッ!」
エスクが何か答えるより先に、焦った顔でアンジェラが部屋を出て行く。開いて飛び出た廊下の先で、何かにぶつかる音と、「痛ったいですわッ!?」という声が聞こえた。
そんなアンジェラを見送った後で、エスクは軽く笑い。
「逃げたな」
小さく呟いた。
「ご主人様、よろしかったんですか? あのままで」
そこにひょっこり、メイが廊下の方から顔を出す。一応アンジェラの帰りを見送ったのだろう。これもまたメイドの仕事か。
「問題ない。あいつには少しでも意識させておけば十分だからな。それでも殺された場合は……まあ、その時はその時だ」
「殺される、というのは……?」
「もちろん、ティアにだよ。じゃあ俺はまた今夜も作業に入るから、食事は少し遅めにしておいてくれ」
そう言うとエスクは静かに、像写水晶を広げた。
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