最終階層【深淵なる闇黒の果て】 Ⅰ — 崩壊 —

 上下左右が暗闇に染まっている。

 足をただ降ろせば何かを踏むことは出来る。しかし、そこに床があるのか、地面があるのかも定かではない。もっと深くを見通すことが出来るのに、それ以上奥へ進まない。

 硝子張りの床と壁の向こうに、暗闇が無限に広がっている。とでも形容するのが近いだろうか。


 しかし決してこの空間の全てを見通せているわけではないようで、いきなり魔物たちや最深部の部屋、フロアマスターなどの姿は確認できなかった。暗闇すらも偽り、というわけだ。


「ここが最終階層……ですのね」

「うん。……ここのフロアマスターを斃せば、ダンジョン攻略は完了する」


 アンジェラとティアは、お揃いの花飾りを付けたまま、言葉を交わす。


 その姿は——ティアの外套は別として——この暗闇の中でもはっきりと視認することができる。どうやら無限の暗闇とは別に、何らかの光源のようなものがこの最終階層には存在しているらしい。


『正確には、フロアマスターが封じている道を解放して、魔神の元まで辿り着いたら、だがな。なんにしてもまずは、地図の製作からだが』


 二人の間を魔導球体がくるくると円を描いて回りながら、エスクはティアの言葉を訂正する。


「エスク様、邪魔ですわ」

『あ? ああそう』


 魔導球体はすっと場所を変え、二人から少し離れてまた円を描き始める。

 第四階層では見なかった魔導球体の動きに、ティアが首を傾げた。


「エスク、何してるの?」

『反響を利用してこの場の形状を調べてる。正確な三次元情報を把握しときたいんでな』


「まーた飽きもせず地図作りの話ですのね。そんなに地図がお好きなら、地図職人にでもなってみてはいかがかしら」


 アンジェラの言葉を無視して、魔導球体はふわふわと暗闇の空間を進んでいく。


『道はこっちか。見た目は特殊だが、そこまで癖の強い作りの階層でもなさそうだ』


「では参りましょう。さ、ティアさん。ゴーさんとキーさんも、行きましょう」

「あっ、ちょっとアンジェラ。アンジェラが先行するのは危ない——」


 ティアが言うより早くアンジェラは歩き出す。その前を案内するかのように自然と、ゴーレムも動き出していた。


『護衛は付いてるから問題ない』

「……みたいだね」


 魔導で作り出した大鎌を肩にかけ、ティアも暗闇の中を歩き出す。


「……ねえ、二人、何かあった? 昨日までとどこか違う」

『んー? まあ、色々とな。俺の知ったことじゃあないが、アンジェラの機嫌は損ねたんだろうよ』

「そうなんだ」


 ティアは見る者の視界をねじ曲げる外套を首まで持ち上げ、深く鼻先まで被せながら、


「……嫌だな。こんなふうに終わるのは」


 小さく呟く。


「ティアさーん。早く来てくださいまし! 魔物が! 魔物がいるようなのですわ! 手足がバラバラに飛んで、ひゅんひゅん振り回し——みぎゃあーーーッ!」


 そんな気持ちを知りもせず、察する様子も無く、アンジェラがティアを慌てて呼んでくる。


「えっと、エスク……」

『さっさと行っとけ。ゴー、キー、改式[敵/攻防]、ってことで。しばらく俺は地図作りに集中するから』


「わかった。けど、いいの?」

『なにが』


 エスクはわずかに、試すような口調で言葉を返す。


「…………ううん。大丈夫。何も心配ないよ。アンジェラはわたしが護るから」

『そうかい。じゃあさっさと行け。俺は忙しいんだよ』

「うん。ありがとね、エスク」


 ティアがアンジェラのところに走り出す。それを確認してから、魔導球体の向こう、屋敷の部屋の中で、メイがエスクにぼそっと告げた。


「ご主人様って、ツンデレですよね」

「お前、いつもどこからそんな語彙を仕入れてくんの?」


 それからしばらく、アンジェラやティアたちと、彼女らを遅れて追う魔導球体は、最終階層を縦横無尽に走り回った。


 ◇


 最終階層の立体地図作りも中盤を越えたあたりで、一行は少しばかりの休憩をとることにした。


 ダンジョン外はもうすっかり夜更けだが、運が悪いのか、あるいは最終階層の性質なのか、ダンジョンから出るための【裏口】が見つからない。


 アンジェラとティア、それにゴーレム、キマイラ、ゴーレム内部の式神で構成されたこのパーティは、魔物との戦いで少なからず消耗している。間違いなく休息は必要だ。

 とはいえ、燃やせる薪もない暗闇ばかりのこの最終階層では、焚き火をするにも難しい。アンジェラがどうしたものかと途方に暮れていると、ティアが術式を展開して燃え続ける火を生み出した。


「すごいすごい! 素晴らしいですわ、ティアさん。わたくしも火の魔導術式は扱いますけれど、こんな形のものは見たことがありませんわ」

「あ。えと……前に、ピクニックした時、欲しいなって思って」

「ということは、ティアさんの創作術式ということですのね! ああ、なんて素晴らしい魔導の腕前なのでしょう。わたくし、今すぐにでも師事する相手をエスク様からティアさんに変えたいくらいですわよ!」

「それは……ちょっと無理、かな……」


 困惑と、少しの寂しさ。

 そんな表情を見せてから、ティアはすぐに気持ちを切り替えたようだった。


「あ、そ、それに、エスクから学べなくてわたしから学べることなんて、殆ど無いと思うよ。魔導の創作だって、エスクの方がずっと上手でしょ?」

「えー、そうなんですの? わたくし、基本の火雷氷の術式しか教わっておりませんけれど……。エスク様が創った術式なんて本当にありますの?」

「あの【裏口】から出入りする術式とか、そうでしょ」

「えっ、そうなんですの?」

「えっ、知らないの?」


 碧の瞳をぱちくりするアンジェラ。そんな顔がむしろ予想外という様子で、ティアの虹色がかった瞳もまたぱちくりと驚きの表情を見せた。


『そういや言ってなかったな。俺が魔導部隊にいた時に創ったんだよ、あれ。今はそこらの冒険者にまで普及したけど、昔はうちの部隊でしか使ってなかった』


 エスクは手元で作業を続けながら、二人の会話に入り込む。


「ほ、本当になんでもやってますのね、エスク様。……そのうち世界を創ったとか言い出しませんわよね」


 さすがにそれはない。——とも言い切れないのは置いておいて。


『しかし、ティアはどうして俺が創ったと思ったんだ? あの魔導術式、開発過程は公表されてないはずだぞ。まあ、仮に公表されてたとしても、お前が知る機会なんてまともに無いだろうとは思うが』

「それは……」


 言い淀んだティアを庇うように、アンジェラが前のめりに反論する。


「別にどうでもいいではありませんの、そんなこと。それとも何ですの、エスク様の術式のことをティアさんが知っていると不都合が?」

『不都合は無くとも、気にはなる』

「気にしてどうされるつもりですの? ティアさんの秘密を暴く算段でもおありで?」

『そんなことして俺に何の得があるんだ』

「得がなければ、わざわざこのような話をなさらないでしょう? エスク様は無駄話がお嫌いですものね。いつもいつも、エスク様は本当に大事なことだけはわたくしにはおっしゃらない——」


「————ッやめてよ! 二人とも!」


 ティアが悲鳴のように声を上げた。


「どうしちゃったのさ、アンジェラも、エスクも。わたしにはどうしたらいいのか分かんないけど……こんなのは嫌だよ。二人とはもっと楽しく、笑って一緒にいたいよ。あと少ししかないのに、もうほんの少ししか二人と友達でいられないのに、こんな形で終わるなんて——」


 はっとして、ティアは溢れ出す言葉を止める。が、遅い。


「あと少し……? 終わるって、どういうことですの……?」

「それは……違って……」

「何が違うんですの! はっきりおっしゃってくださいまし! わたくしを安心させてくださいまし!

 わたくしはエスク様に告げられたのです。ティアさんの正体が怪しいと。第四階層で、冒険者たちに何かしていたのではないかと。最初に会ったあの時も、わたくしたちを——殺そうとしていたのではないかと!

 わたくしはそれが許せなかった。わたくしの大事なお友達を侮辱したエスク様が!

 あなたもそうですわよね? そんな言いがかり、簡単に撥ね除けられますわよね? だってティアさんは、わたくしたちの大事な仲間なのですから!」


「わ、わたし……わたしは……」


 声を震わせながら、ティアは一歩、また一歩と後ずさっていく。


「——ティアさん!」


 祈るようなアンジェラの声に、唇を噛みしめる。

 絡み付くようにして注がれた期待を、振りほどくように首を振る。


 それからティアはアンジェラから背を向けて駆け出した。


「ティアさん!」

『待て。追うのはこっちがやる。最終階層の魔物はお前一人じゃ——』

「うるっせえんですわよ! てめえの正しさなんざ知ったことじゃねえんですよッ!」


 エスクの制止に汚い言葉を吐き捨てて、アンジェラはティアを追いかけ走り出す。身体能力の差から考えて追いつけるはずもないというのに。実に馬鹿な行動だ。


『……ちっ、どいつもこいつも面倒くせえのしかいねえな』


 飴玉を噛み砕いて、エスクはすうと息を吸い。


『キー、改式[アンジェラ/防護]。ゴー、一時改式[式神/開放]。シキ、改式[階層全体/走査]。カイ、改式二重[破砕+破砕]。ゴー、改式連[ティア/追跡/攻防]。

 さあて、ここからは時間との勝負だな。かなりの博打になりそうだが……ま、分の悪い賭けも嫌いじゃない』


 そう言って、笑った。


「支払うチップが自分のものでなければ余計に、ですか?」


 エスクの隣にいたメイが尋ねる。

 その言葉を、エスクは鼻で笑った。


「馬鹿言え。リスクの無い賭けが面白いわけねえだろ? ほうら、そろそろ来るぞ。今回はお前にも働いてもらわないとな、メイ」

「……? はあ。私ごときにはよくわかりませんが……かしこまりましたご主人様」


 そうしてメイは、深々と礼をして。


「全てはご主人様の計画通りに」


 深く長い夜が始まった。

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