辺境の万能術士 Ⅱ — 襲撃 —

「はぁあああああ……何てことですの……。希代の天才と名高い有能庶民を、わたくしのこの色香で心の底まで魅了し、心奪い尽くして自在に操り、利用するだけ利用した果てに肝心のところだけ取って捨てるという完璧な計画が……、よもやこのような形で頓挫することになろうとは……」


 アンジェラは部屋の端に置かれた長椅子にとろけたチーズのように寝転がり、漏れ出す都合のいい本音をうわごとのように呟いていた。


「ああ……わたくしって、何て不幸なのでしょう。まさに佳人薄命、薄幸の美少女。運命の女神様ですら、わたくしの美しさに嫉妬していらっしゃるのですわね……」


 アホらしとエスクが視線を逸らした窓の外は相変わらずの晴天で、瞼がまた少しばかり落ちそうになる。


 白目を剥いて、運命の女神様も思わず目を逸らしそうなツラになっていたアンジェラが、どうにか意識を保ったまでは良かった。

 しかし今も調子はこの通り。すっかり正気を失っているご様子だ。

 元から夢の国と現し世の中間あたりにあったとおぼしき脳内お花畑な少女の意識は、今や限りなく夢の世界へと歩を進め、帰還を期待するにはもはや全てが遅すぎる。


 さらばアンジェラ、大して知らないどこぞの侯爵令嬢よ。あんたが美少女なのは認めないでもないが、その頭で膨らんでいる野望はおそらく口に出すほど遠のくぞ。

 もはや彼女に対して興味のほとんどを失いつつあったエスクは、六号と顔を見合わせて、


(こいつ、早く帰らねーかな?)

(しばらく無理でしょう。迎えの馬車も、もうしばらく時間が経たないと戻って来ないと思われます)

(マジかよ)

(マジです)

(何とかしろよ)

(超無理です)


 ピシガシグッグッ、パッパラパ。互いにジェスチャーを操って、二人は阿吽に無言の会話を交わす。


 その間もアンジェラは、やれ「不幸ですわー」だの、「わたくしの美貌を妬んだ誰かが、呪いでもかけてるのではありませんのー」だの、無意味な現実逃避を繰り返している。

 まあ、微かな希望がついえた少女に、若干の憐憫は感じないでもない。ならば慰めの言葉の一つでも――

 なんて思っていると、突然、がばっと身体を持ち上げて、


「というか、そもそもあなた様が大怪我なんてするから悪いのですわッ! あなた最強無敵の超天才魔導術士なのでしょうッ! どうしてこんな怪我なんてしていらっしゃるのですか!? 今すぐ治しなさい! 超天才なら超ハイパー奇跡の治療術を使って復活なさいよぉおおおッ!」


 滅茶苦茶な責任転嫁をかましてきた。

 どうやら完全に頭がおかしくなっていらっしゃる。早々に超ハイパー奇跡の治療を施さねば手遅れになるぞこれは。


「そうは言いますがね、お嬢サマ。そもそも最強無敵古今無双の天才術士が、若くしてこんな辺境の片田舎に引っ込んで、昼まで暢気に惰眠貪る生活をしてる。……なんて時点で、おかしいとは思わなんだんですか? あんたなんぞが頼み事する余裕なんてないくらい、引く手あまたでしょう。普通なら」

「そっ、それは…………。わたくしが求める庶民がちょうど田舎で暇をしているなんて、実にわたくし神様に愛されているなあと……」

「アホの発想ですか」

「やかましいですわっ!」


 刺さった言葉に耳を塞ぎつつ、頬を膨らませてぷんすか腹を立てている。本当に面倒なお嬢サマだ。


「それは、ともかくとしてですけれど……」


 アンジェラは改めて長椅子に座り直すと、半目開きでだらけたエスクをまっすぐに見る。


「そのお身体では、あなたも色々と大変ではありませんの? 必要でしたら、わたくしが人を手配しますけれど」


 突然見せた、真面目な侯爵令嬢の顔に、エスクは少しばかり――いや、だいぶ、かなり、正直ものすごく、驚きを隠せなかった。

 しかしその後すぐに笑みを浮かべて、おどけた調子で返す。


「変に格好つけるより、そういうまともな所を見せた方がよっぽどモテると思いますよ、玉の輿狙いのお嬢サマ」


 エスクの軽い返答に、アンジェラはむすっと顔をしかめた。


「わたくしは真剣にお話していますのよ。そちらにお一人、使用人の女の子がおられるようですが、その子だけでは大変だろうと思いましたからこそ、こうして……」

「ご心配なく。こちとらは不幸中の幸いにして大天才なもんでね。日常生活を送る分には、支障なんぞありませんよ」

「そうなのですか。…………え? と、つまり、どういうことですの?」

「さあ。なんでしょうかね」


 エスクは瓶から飴玉をまた一つ取り出して、ひょいと口に放り込む。舌で飴玉を転がしながら、これ以上はもういいでしょうよと手を振って、アンジェラの追求を払いのける。


「ふんだ! わたくしも善意を無下にする方と長々お話するほど、暇ではありませんわ」


 アンジェラもそんなエスクの態度に、ぷいと顔をそむけた。


 するとちょうど、家の前で馬のいななきが聞こえた。


「あら、馬車が参りましたかしら? 予定よりも少し早いですけれど」


 案内しようと六号が動き出すのを制して、アンジェラは腰に手を当てた。再び初対面の時と同じ仁王立ちだ。


「それでは、これにて失礼させて頂きますわ。ご不幸に見舞われたのは同情いたしますが、こうなればあなた様には、もはや用事などございません。どうぞお元気で」

「そちらこそ。俺の代わりが見つかることを祈っときますよ」

「ええ。もちろん見付けてみせますわ。このままでは終わりませんわよ! 絶対にこの危機を乗り越え、玉の輿に乗って、あなた様を後悔させて差し上げますから!」


 ビシッと指差し、くるりと身を翻す。それから舞踏会のごとくにドレスを揺らして、アンジェラは颯爽と部屋を出て行った。


 その後ろ姿を見送り、エスクは一つ溜息を吐く。


「はあ、面倒くさ」

「お疲れ様でございました。ご主人様」


 六号のねぎらいに、いやいやと手を振って否定する。


「違う違う。さっきの音」

「……? 馬車がどうかなさいましたか?」

「いや、明らかに馬車の音じゃなかったろ。数もおかしい」

「あら、そうでしたか?」

「そうだよ。ちょっと聞けば分かるだろ。やれやれ、あのお嬢サマはつくづく面倒ごとを引き連れてくるなあ」


 言うと、片肘を突いた姿勢のまま、エスクは少し声色を低くした。


「四号起動、改式[アンジェラ/追跡]。二号、改式[対象未定/先攻反撃]」


 するとエスクの車椅子の裏から、表面が奇妙な幾何学模様をした金属製の球体が、アンジェラを追って飛んでいく。

 続いて部屋のどこからともなく、唸り声のようなものが響いた。


「そうおっしゃるご主人様は、実にお人好しですね」

「全くだ。あんまりにも甘っちょろくて、涙が出てくるよ」


 そう言ってエスクは、舐めていた飴玉を噛み砕いた。


 

 幾何学模様の球体が追った先。


 アンジェラの姿は玄関にあった。日傘を広げる準備をしながら、今まさに扉を開こうとしている。

 さっそくドアの取っ手に手をかけて――というところで、


「あら?」


 勝手に扉が開き、その手は空を切った。


「中々気が利きますわね、あなた。わたくしがちょうど出ようとしたところ、で……」


 扉を開けた相手に、アンジェラはお褒めの言葉を一つ。そして相手の顔に目をやったところで言葉が止まった。


 視線の先にいたのは、燕尾服のジェントルマンでもなければ、オーバーオールの御者でもない。

 手に手に剣やら斧を持ち、あるいは肩にかけて、いやらしく「へっへ」と笑う。何人もの屈強な男たちが、そこにはいた。


「アニキの言った通りですぜ。こいつの恰好、どう見てもお貴族様だ。こんなちゃっちい家だが、こいつぁ間違いなく貴族の別荘ですぜ」

「だろう? あの馬車ぁ明らかに一般のもんじゃあなかったからな。俺の見立ても大したもんだろうが。さあて、さっそくだがお嬢ちゃん、俺らと一緒に来て……」


 掴みかかってきた魔の手から、アンジェラは慌てて後ずさる。


「なっ……何ですのあなた方は!」

「見て分かんないっかなー? 俺たちゃ盗っ賊でぇーっす。金目のものをいただきに参りやしたァ~」


 さっそく玄関から押し入り、盗賊は今度こそアンジェラの腕を掴む。


「はっ、離してくださいまし!」

「ええー、困ったなァ。お貴族様に命令されちまったよ」

「アニキ、どうします?」

「どうもこうも……聞くわきゃねえよなあっ!」

「きゃ……ッ!?」


 逃げようとするアンジェラの腕を掴んだまま、盗賊は背にした剣に手をかける。そして大上段から思い切り振りかぶり――


 というところで、ジィィン――と、奇妙な高音が響いた。


「熱ぢぃッ!?」


 痛みの声を上げた盗賊が手を離し、急に解き放たれたアンジェラが勢い後ろにごろんとでんぐり返る。


「テッ……テンメェ、今何しやがった!」

「ななな、何だか知らないですけど助かりましたわ!」


 慌てて立ち上がるとすぐ、アンジェラは走り出し、猛スピードで廊下を駆け戻る。


「待てやゴルァアッ!」

「金目のモン寄越せや貴族どもがァッ!」


 盗賊が一人、二人、三人四人……合計四人、ぎゃあぎゃあと騒ぎながらアンジェラを追っていく。


 そして廊下の終着点、エスクと六号のいる部屋に、アンジェラは到着。先ほどから姿勢も変えず座ったままでいるエスクに、アンジェラは倒れ込むようにして寄りすがった。


「と、とととととと、とと、ととととと――」

「盗賊」

「ですわッ!」


 声を上げた時には、部屋の入口から盗賊四人が顔を出していた。


「どうもぉ。盗賊様が来ましたよー、お貴族さん方ぁー」


 盗賊の代表格とおぼしき、アニキと呼ばれていた男がエスクに声をかけてくる。

 アンジェラはささっとエスクの車椅子の裏まで回り込み、後ろから覗き込むようにして盗賊たちの顔を見る。


「お嬢サマ、一応怪我人の俺を盾に使わないでもらえますかね」

「う、ううううるさいですわよ! あなた大天才の魔導術士なんでしょう!? あんな奴ら、パパッとやっつけて下さいなッ!」

「俺が? まあ、確かにそっちの方が簡単でしょうけども」


 エスクは新しい飴玉を舌で転がしながら、気楽そうに笑う。


「おいおい。何だあ、てめえ。私はお強いお貴族様でらっしゃいますってか? 舐めてんじゃあねえぞコラ」

「俺は貴族じゃないけど、強いのは確かだな。火焔系の術式でも使えば、お前ら程度は井戸水より簡単に蒸発させられる。ただ威力が強すぎて、家まで焦げるんだよな。まったく、強くなりすぎるのも困りもんだ」

「はっ、ご大層な言い訳だなあ」


 盗賊たちが武器を構える。どいつもこいつもにやけ顔で、稼ぎどころにいい女と調子に乗っているのだろう。これだから馬鹿というやつは救えない。


「……ま、そんなわけで俺自身は手出しはしないんで、適当にやられとけ。一応生かしておいてやるからさ」

「ワケ分かんねえこと言ってんじゃねえぞ、オルアァアアアッ!」


 盗賊の一人が襲いかかってくる。両手で持ち上げたその斧が、天井を削りつつエスクの身体まで一直線に振り下ろされる。


 ――直前。


 獣の咆吼と共に、黒い影が盗賊に飛びかかった。


「ぶごふッ!?」


 不可解な音を出しながら、盗賊の身体がぐにゃりと折れた。


「お、おごっ? おぼっ……?」


 手にしていた斧が床に転がり、盗賊の身体は獣の両足に組み敷かれる。そしてその尻尾が盗賊の腹へと突き刺さると、今度は「ぽぎぃいいいいッ!?」絶叫の後に、ビクンッビクンッと痙攣を起こし始める。


「な、ななななな……」


 盗賊の一人が言って、


「何だァあ!? こいつはァッ!?」


 もう一人が声を荒げた。


「キマイラだよ。知らないのか? 獅子の身体に蝙蝠の翼、サソリの尻尾。大丈夫大丈夫、刺されても全身麻痺して廃人になるだけで、死ぬとこまでは行かないから」


 エスクが解説する間に、キマイラは首をぐるん、ぐるん。回して満足げに身体を震わせる。

 それからエスクと目を合わせると、


「二号、改式[武器所有/攻撃]」


 言われるのと同時に再び吼えた。そして盗賊たちへと飛びかかっていく。


「ひッ……!? ひぃいいいいいいッ!」


 蜘蛛の子を散らすかのごとく、一斉に盗賊たちが背を向けて逃走を始めた。


 一瞬通路が詰まって逃げ遅れた一人は、即、尻尾に刺されて、ひたすら痙攣する面白玩具へと変わった。


 もう一人は玄関近くまで逃亡したが、扉を開けようとした腕を爪にやられて骨が剥き出しに。どうにか片腕で剣を振るったものの、その刃は前足の途中までしか刺さらず。続けて顔を引き裂かれる。

 刺さったかすり傷には、キマイラもいささか腹を立てたらしい。それからしばらく前足で何度も弄ばれ、ぼろ切れのごとくになったところで、気を失った。


 最後の一人、ほんの少し前まで盗賊たちのアニキだった大柄の男は、幸運にも裏口の扉を発見。キマイラが一人に夢中になったこともあって、どうにか逃げおおせることに成功した。

 太陽の日差しの下に出て、即、扉を閉めて背で塞ぐ。


「はあ、はあ…………」


 荒い息をして、ドッと溢れ出た汗を拭う。


「あ、ああ、危なかったぜぇ……」


 そう言って、過呼吸のような息をしながら身体を震わせていると……


 影。


 何かの影が、盗賊の身体を覆い尽くす。

 恐る、恐る、男は顔を上にやる。


 と、そこには巨大な塊、塊、塊。そして――青い光。


 褐色の体躯をした、人の身の倍以上はあろうかという巨大なゴーレムが、盗賊を見下ろしていた。

 気付けばその横には鋼鉄の人形が一つ、加えて奇妙な球体も浮かんでいる。


『一号、改式[目前/標的化]。五号、改式[標的/爆破]』


 そして雑音混じりにエスクの声がしたかと思うと、巨大ゴーレムは盗賊をむんずと掴み――


「ひ、ひ、ひぃぃいいいい」

「ヲ」


 高い高ーい。


「ヲ」


 高い高ーい。


「ヲッ!」


 高ーい――と、遙か空高くへ投げ上げた。


 同時にゴーレムの横にいた機械人形が、前転するように身体を捻る。人間では有り得ない角度までねじ曲がったところで、背中から砲塔が姿を現し、頭はさらに回って後ろへ。砲塔だけが前方に残った、自走砲台に姿を変える。


 瞬間。


 その砲身がまばゆく輝き、ど太い光線が空中へ。盗賊に命中。そして――――大爆発。


「がぁあああああぁああああッ!」


 断末魔の声が、野を越え山越え響き渡った。


「たーまやあー、っと」


 そして相変わらず、部屋の中ではエスクが片肘突いたまま。口を開けっ放しで呆けているアンジェラをよそに、正面に浮かぶビジョンを眺めながら、愉しげに笑っていた。

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