第一階層【影囃子の鉱窟】 Ⅱ — 突入 —

 ネブラティスカ侯爵家が領地とする、アーバス地方。この領地の北方地域に、エスクたちが目指すダンジョンは存在する。


 ダンジョンの発生によって歪んだ空間はすでに領地の五分の一近くを喰らい尽くし、住む家を無くした領民も少なからず出てきている。

 エスクが拠点としてアンジェラから借り受けたネブラティスカ家の別邸は、このダンジョンにほど近い位置にある。もし攻略に手間取れば、数ヶ月後にはこの邸宅もダンジョンに喰われてしまうだろう。


 ダンジョンが土地を喰らうと言っても、けっしてそのまま飲み込んで巨大化しているわけではない。ダンジョンの入口はいつまでも変わらずその場に鎮座し、ただ地下へぽっかりと口を開いているばかりだ。

 内部構造も多くの場合変化はなく、喰われた土地は次元の狭間、虚空へと消えたのだと唱えるものも少なくない。


『ま、領主にとっちゃ死活問題ではあるわな』


 ぼそっと呟いたところで、アンジェラがエスクを――といっても、生身ではなく魔導の力で宙に浮かぶ球体の方だが――覗き込んだ。


「この浮かんでいるキューさんがエスク様……で、よろしいんですのよね?」

『ああ。こいつしか交信できないわけでもないけど、映像を見たり会話したりするのは基本的にこの――キューさん?』


「そうですわ。魔導球体のキューさん。こちらのゴーレムはゴーさん。キマイラさんはキーさん。機械人形の方はカイさん。どうです、良いお名前でしょう」

『いや、良いか悪いかは知らんけれども……』


 反応に困っているエスクを尻目に、ふふんと鼻を鳴らして、アンジェラは豊満な胸をたぷんと張った。うむ。今日も変わらぬ揺れ具合だ。昨日も良い揺れだったし、明日もきっと、良い揺れだろう。心が日々豊かになっていくのを感じる。


「わたくし、初めて聞いた時から思っていたのです。ゴーレムさんたちの呼び名が一号二号ではあまりに可哀想だと。これまでも散々エスク様に尽くしてきたのでしょうに、名前も付けられずぞんざいな扱い。このままでは、あまりにゴーさんやキーさんたちが報われませんわ」

『報われるも何も、そいつら俺が命令しないと動かないんだから、部下というよりは道具みたいなもんだぞ』

『そうですよ、アンジェラ様。私もまたご主人様の性処理道具であって、恋人などではないのです。いくら天の星に願おうと、ご主人様はただ無機質に私を使われるばかり。人間的な扱いなど望むべくもないのです。愛の奴隷六号なのです』


 そこに突然、ホムンクルスメイドの六号が割って入ってきた。


「ほら、そちらのメイドさんも悲しんでいるではありませんの。やはり皆さん、ちゃんとしたお名前は必要ですわ」

『お前も六号の扱いにだいぶ慣れてきたみたいだな』


 私はご主人様にしか使われるつもりはありません、と頬を膨らませながら顔を近づけてくる六号を引き剥がしつつ、話を続ける。


『で? こいつの名前は何にしたわけ? どうせその調子じゃ全員分決めてきたんだろ』

「ふふーん、察しがよろしいですわね。その方は――」


『ああっと、ダメダメ。いけません。私の名前はご主人様に付けて頂きますから。ご主人様がお決めになったなら雌豚ピーーでも性奴隷一号ピーピーピーでも構いませんから。ご主人様以外のビッチピーーに名付けられるなんてそんな屈辱的なこと絶対に死んでもお断りで――』


 表情はそのままに、しかし回る舌はつらつらと。六号はアンジェラの言葉を遮るべくしゃべり続ける。ので、ちょっとひっぱたいて黙らせた。ら、何だか悦んでいる。


 こいつ、もうダメなんじゃないかな。本格的に気持ち悪くなってきたぞ。


「今ちょっと聞き取れなかったのですが、ホムンクルスのメイドさんは今何と?」

『必要に合わせた規制を入れただけだ、気にするな。それで名前だが……ええと、あれだ。ホムンクルスのメイドだから、メイだな。うん。それがいいって言ってる』


 とっさに適当に付けただけだが、本人は悦んでいるので嘘は言っていない。


「メイさん、ですか……うん! 実に良いお名前ですわね!」

『……そうかあ?』

「ええ、素敵なお名前ですわ。これで気兼ねなくダンジョン攻略が――あっ、ほら、見えてきましたわよ。あれが例のダンジョンでしょう?」


 大口を開けた獣のごとく。家一つ分はすっぽり入りそうなサイズの洞穴への入口が、命名直後の一団の前にお目見えした。


 中から漂う気配は静謐。しかしそれが偽りの気配であることは、アンジェラですら知識として知っている。血に飢えた魔物たちが蔓延り、幾多の冒険者が命を落とす。死と血だまりに彩られた世界が、この先には広がっているのだ。

 流石のアンジェラも緊張の面持ちで、ダンジョンの大口を前にする。


「………………あの」


 そんなアンジェラの横から、ダンジョンの番兵が声をかけてきた。


「ええと……私の記憶違いでなければ、侯爵家のアンジェラお嬢様ですよね……? 如何なさったんですか、こんなところまで」

「あっと、そうでしたわね。えーと……」


 アンジェラは懐に手を突っ込んで、豊満な胸を揺らしながらミストローブの内ポケットをまさぐる。そして丸めた一枚の羊皮紙を取り出した。


「はい! これでよろしかったですわよね」


 広げて見せた羊皮紙には『迷宮攻略許可状』と書かれ、アンジェラ・ヴィズ・ネブラティスカの名前に加え、責任者のヤケになったような殴り書きのサインがされていた。

 このサインを記した人物の心労、察するに余りある。なんとも不幸な役職に就いてしまったものだ。


「しょ、正気ですか……? お嬢様」

「もちろんですわ! ああ、こちらの方たちはわたくしのお仲間ですからご心配なく。さっ、ゴーさん、キーさん、カイさん、キューさん、参りましょうか。わたくしの栄光への第一歩が、ついに踏み出されるのですわーッ!」


 意気揚々とダンジョンへと進み入るアンジェラの背中を、番兵は呆然と見送り、


「ガウッ?」


 四足歩行で付いていくキマイラに思わず飛び退き、


「ヲ」

「ヴヴッ」


 明らかに超重量をしたゴーレムに冷や汗を、ギュイイと駆動音を鳴らしながら進む機械人形には困惑をして、最後に奇妙な球体が目の前を通り過ぎると、


『お仕事ごくろーさん』


 どこからともなく人の声を聞き取った。


「…………俺、ちょっと疲れてるのかな……」


 番兵はそう言って、目頭を押さえながら天を仰いだ。

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