最終階層【深淵なる闇黒の果て】 Ⅳ — 攻略完了 —

「ふははははッ! いいぞっ、もっと火をかけろ! 死体すら残らないほどに燃やし尽くしてしまえ!」


 深い夜空の下、炎に包まれるネブラティスカ別邸を前に、一人の男が高らかに声を上げていた。男の金髪は真っ赤な炎に照らされ、瞳は爛々と輝いている。


 男の傍らには棺のような見かけの石碑が置かれ、石碑の周囲には深くフードを被ったローブ姿の者たちが十数人、立ち並んでいた。表情は見えないが、彼らもまたある種の熱に浮かされているようだった。口々に男の偉業を称え、喜びを露わにしている。


「ああ。ああそうだとも。これでエスク・イニストラードさえいなくなれば、もはや我々の計画を阻む者は誰もいない! 偽りの神が支配する世界は終焉を迎える! 真なる千年王国の始まりだ!」


 ざわめきと、それ以上に感極まったような声色が、周囲のローブ姿たちに広がっていく。彼らは悲願を達成したのだ。


「——いやあ、盛り上がってますねえ。侯爵閣下」


 そこに。


「あーあ、勿体ないなあ。今回の攻略だけでも、各分野の術士が涎を垂らして欲しがりそうなデータを残しておいたのに。まあ、俺の頭の中には残ってるから、個人的には燃えたところで影響ないですけども」


 ホムンクルスメイドに車椅子を押されながら、一人の青年がやってきた。

 青年の名は、エスク・イニストラード。この世界における不世出の魔導術士にして、刻印術士にして、邪導術士にして、機工術士にして、陰陽術士にして、錬金術士にして、冒険者である人物。


「き、貴様——!?」


 魔導を放とうとしたローブ姿が、一瞬にして絞った雑巾のような姿に変わる。

 逃げだそうとした者の脳天が撃ち抜かれ、怯えた者が首を掻きむしって息絶え、叫んだ者が口から異形を吐き出しながら皮だけになり、震えた者の全身が燃え上がった。


 阿鼻叫喚の地獄の中、エスク・イニストラードは、ただ一人の男の顔だけを静かに見据えていた。


 先ほどまで歓喜の叫びを上げていた男。

 この地方を領地とする侯爵家当主。ロレンス・ヴィズ・ネブラティスカ。


 この男こそ、攻略直後のダンジョンから、魔神の墓碑を持ち出した張本人だった。


「エスク・イニストラード……っ! どうやって監視していたはずの別邸から——いや、今はそのようなことを些事を問うべきではないか……!」

「よくおわかりで」


 ロレンスが今更エスクが屋敷を抜け出した方法を知ったところで、エスク本人と相対しているこの絶望的な状況は何ら変わりない。


「……ダンジョン攻略の報告に来た……というわけではなさそうだな」

「そちらこそ、攻略達成の祝福をしに来たわけじゃあないみたいですね」


 余裕ぶったエスクに対し、ロレンスは額を脂汗が伝っている。もはや生殺与奪をエスクに握られているという自覚があるのだろう。ほんの少しでも気分を害せば、一瞬で命を奪われるという自覚が。


「…………何が望みだ」

「おや。死ねと言ったら死んでくれるんですか、侯爵閣下? 交渉をするつもりなら、手持ちのカードくらい見せてもらわないと」

「く……悪魔め……」

「魔神に全てを捧げた奴に言われたくはないなあ。特に、自分だけじゃなく、唯一残った家族まで捧げようとしてる外道には」


 ロレンスの丸めた肩が、ぐっと縮み上がった。ゆっくりとエスクの指先が動く。


「おっ、お待ちくださいまし、エスク様!」


 そこに突然、アンジェラが飛び出してきた。ロレンスを、実の父を庇うように手を広げ、エスクの前に立ちはだかる。その胸元には、赤いペンダントが煌めいていた。


「どうかお待ちくださいませ、エスク様。こ、こんなこと……きっと何かの間違いですわ! え、ええと……そうですわ! お父様はおそらく、そこな怪しげな者どもに脅されて、あるいは操られて……っ!」

「ふうん?」


 アンジェラがエスクと言葉を交わす。その間にロレンスは少しずつ、魔神の墓碑に手を伸ばしていく。そして——


「……ですから、どうかここは一旦、矛を収めてくださいまし! お父様とはわたくしがお話をします。ちゃんと解決いたします。ですのでどうか、エスク様がこの場ですぐさま処断するようなことは、どうかお考え直しを——」


 そこで急に、墓碑が輝きを放った。


「————ははははッ! 愚かなりエスク・イニストラード! 隙を見せたな! アンジェラさえこの場にいればこちらのものだ!」


 墓碑の輝きがさらに増し、


「お、お父様——!? 一体何を——」


「さあアンジェラ、お前が魔神様の器となるのだ! そのために創り替えた身体、創り替えた魂! なんと誉れ高きことか!」


 アンジェラの胸元にあった赤いペンダント——アンジェラが父親にもらったという、特異な刻印がなされたそれ——が、墓碑の輝きと共鳴するように明滅を始める。

 赤い光はアンジェラの肉体からも発せられ、透明に透き通ったような色白の肌が、何度も夜の闇に光った。


「な、なんですの、これは——ッ!? お父様! ねえお父様!? このペンダントは一体!? わたくしの身体に、一体何を————あ、ああ……エスク様あッ!」


 ————が。


「…………あ、れ……?」


 アンジェラから発せられていた光が、急速に収まっていく。墓碑の輝きも静まり始め、何事もなかったかのように周囲には屋敷の燃え続ける灯りだけが残された。


「ば、馬鹿な……どういうことだ!? 器が不完全だったとでも言うのか! 私がアンジェラに鍵を与えて二年! 二年だぞ! 器を創るには十分だったはずだ!」


 叫ぶロレンスが、ぞっと青ざめたような顔でエスクを見る。そこには、何もかも見通したような目で、笑みを浮かべるエスクの姿があった。


「な、何をしたというのだ……」


 頬を伝う汗が、地面に落ちる。


「魔神の器に何をしたぁ! エスク・イニストラードォォッ!」


 再び墓碑が輝き始める。

 しかし今度呼応して明滅を始めたのは、アンジェラではなく、ロレンス。


 先ほどまでのアンジェラよりも光の強さこそ大人しいが、今度は光が収まる様子はない。光はロレンスの心臓を中心にまたたき、次第に墓碑の輝きと完全な同調を始める。


「致し方ない……致し方ないが……魔神様をこの身に降ろしてみせようぞ! この世界に、大いなる神の御力を! 真なる主の息吹を!」


 墓碑が砕け、飛び出した光がロレンスの身体に吸い込まれる。


 両手を広げたロレンスの身体が宙に浮かび、光を放ちながら天へと昇っていく。そして高みに達したところで、パアンと弾けるように光の粒が散った。


『これが、主の御力……っ! おお! おお! なんと素晴らしきことか! 神のお声が聞こえる! 私にも語りかけてくださる! この穢れた世界を滅せよと!』


 ロレンスが両手を掲げると、広げた十の指先から無数の光が撃ち出された。それらの光は何かに触れると膨らみ、光の爆発となってそこら中を破壊しはじめた。


『はははははッ! 素晴らしい! 素晴らしい! 私は世界の真理を識ったのだ!』


 もはやエスクもアンジェラもいなかったかのように、ロレンス・ヴィズ・ネブラティスカは、ロレンス・ヴィズ・ネブラティスカだった者は、ただ内から聞こえる声に従って、無差別に周囲の破壊を始めた。


「お父様、そんな……」

「あーあー。ありゃ完全に発狂状態だな。魔神の精神にあてられたか」


 能天気なエスクの口ぶりに、アンジェラが詰め寄る。


「そんなことを言っている場合ですの!? 魔神が復活して——お父様が……わたくしのお父様が——いいえ、それよりも! 今は一刻も早くあの魔神を止めなくては! 少しでも多くの民を救わなければ!」


 エスクに目と鼻の先まで顔を寄せ、アンジェラは言う。


「わたくしには、何が出来ますの!? エスク様はティアさんを救ってくださいました。わたくしも救ってくださいました。そんなわたくしは、今、一体何が出来ますの!?」


 その言葉に、エスクはくくっと笑い。


 アンジェラの胸元に煌めくペンダントをつかみ取った。そして言う。


「当然、全てを救うことが出来る。——言ったろ? 世界を救いに行くってな」


 ペンダントを引きちぎり、赤い宝石を手の中で砕く。

 アンジェラと、エスクもまた輝き始め、その光は先ほどのロレンスと墓碑のように——否、それ以上に完全な形で同調する。


 エスクはアンジェラの頭を掴み、ぐいと引き寄せて、唇を重ねた。


「ん——!? んんんん————ッ!!」


 アンジェラがバタバタと手足を動かす間に、エスクの纏っていた光が、アンジェラの方へと唇を介して移動していく。そして光の全てがアンジェラの中に宿った時。


『——っぷはっ! おえー、気色悪。さーて、そんじゃやるかねえ』


 アンジェラの口から、アンジェラの声で、エスクの言葉が発せられた。


『ちょ、ちょっと待ってくださいまし!? エスク様、一体わたくしに何をしましたの!?』


 アンジェラの身体の中でだけ、エスクに向けて声が聞こえる。


『俺の一時的な依り代にした。ほら、お前がちょうど魔神の器になってたからさ。俺が先に占領させてもらったんだよ』


『は、はいぃぃ!? エスク様、わたくしを助けてくださったわけではありませんの!? どうして身体を乗っ取ってらっしゃるので!? というかエスク様は魔神!?』

『——を、喰った人間だ。そしたら半分魔神になっちまってさあ。そいつが両脚無いタイプの奴だったんで、自分の身体じゃうまく脚が動かなくなっちまったんだ。いやー、ホント困った困った』


 はっはっは。と、アンジェラの姿でエスクが笑う。

 そこにロレンスから放たれた光が着弾し——アンジェラに宿るエスクは、片手でそれを受け止めた。


『なんて無駄話をしてる場合じゃないな。せっかくティアに空間を歪めてもらってんのに、このまま暴れられちゃ長くは保たない。さっさと止めないと』

『ど、どうするつもりですの!?』

『どうもこうも、魔神を侯爵の身体から追い出すだけだ。存分に痛めつければ、勝手に剥がれる。単純明快だろ?』

『な、なるほど……では、この魔神の力で、エスク様の得意な魔導術や陰陽術を——』


 アンジェラが頭の中で言うより早く、エスクは地面を蹴って空中へと跳んだ。


 一瞬にしてロレンスの頭上。


『——む? 今何——』回転。『——かが見——』踵落とし。


 ロレンスを地面に叩き付ける。


 身体が跳ねた時には、すでに裏。


『——えた』


 背骨に拳の一撃。


『そういや、お前には言ってなかったな』


 錐もみ回転するロレンスに、足刀。『——よう——』

 吹き飛ばされる身体を瞬時に追う。


『魔導に刻印、機工やら錬金、色々な術を学んできたつもりだが』


 追いついた足を掴んで『——な』一回転させ叩き付け。

 跳ねたところに三連撃。正中線を叩いて、一瞬の静止。


『結局のところ、俺が一番得意な術はな』


 構え。


 目を閉じ、意識を集中させる。


拳闘術ステゴロだ』


 腹への正拳突き。

 ロレンスが白目を剥き、全身から光が弾けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る