最終階層【深淵なる闇黒の果て】 Ⅱ — 偽人 —

 三角形の面のみで構成された、鳥のような魔物。

 球の周囲にいくつもの刃を持ち、空中を回転しながら襲ってくる魔物。


「邪魔を……しないでくださいましッ!」


 神雷の秘術式を打ち込み、すぐさまマナシリンダーを回転。動きを止めたところに、続けて嵐氷の真術式。合間を縫って襲ってきた刃は、キマイラが弾き飛ばす。


 鉢合わせた魔物を次々と討ち倒しながら、アンジェラたちは最終階層の闇黒の道を疾走していた。


『おーおー、侯爵令嬢の箱入り娘も、ずいぶんと成長したもんだ』


 そこに魔導球体が合流し、エスクが冗談交じりに軽口を叩く。


「お褒めに預かり光栄ですわ。幸運にも師に恵まれましたもので。少々スパルタに過ぎるのが玉に瑕ですけれど」

『だが下手な魔導術士の一生分よりも学べたろ?』

「ええ本当に。今度は錬金術でも教えていただこうかしら」

『ホムンクルスでお友達でも造るのか』

「あいにくと、お友達は間に合っておりますわ。大親友がいますもの」

『そりゃ重畳。余計なお世話だったな』


 ウィングブーツの軽足で走り続けながら、しばしの沈黙。足音と呼吸音だけが響く。

 それから、アンジェラが口を開いた。


「……申し訳ありませんでしたわ」


『謝られんのは嫌だなあ』

「わがままな方ですわね……では、エスク様。謝罪は撤回しますけれど、結局ティアさんは、その……何者なんですの? 普通の冒険者では無いのですわよね?」

『お前の予測は?』


 師匠と弟子だから。というわけでもないが、まずアンジェラの説を問う。


「ダンジョン内で冒険者を襲う犯罪者……なのだとは思っておりますわ。第四階層を根城にして、冒険者の持つ武具や道具を強奪していたのだろうと。どうしてティアさんのような心優しい方が、そのような賤しい行為に身をやつしたのかは気になりますけれど……」


『はあ?』


「は、はあって……? わたくし、何かおかしなこと言いました?」

『やっぱお前、冒険者の才能ねえわ。この一件が終わったら、ネブラティスカの家をまとめて静かに余生を送れよ。間違っても他のダンジョン入るな。今度こそ死ぬから』


「な、なんですの。その言い草は。そこまでズレた予想でもないでしょうに」


 ぶつぶつと不満を口にしながら、アンジェラは走り続ける。

 そこで魔導球体がアンジェラの道を塞ぐように回り込んだ。


『ティアは今、どこにいると思う?』

「どこって……わたくしはそれを探して走り回っているわけで——」


『階層の最奥部だ。案内してやるよ、そろそろ最終階層の地図も完成する』


 エスクがそう言うと、魔導球体はアンジェラを先導するようにして、闇黒の中を進んでいった。


 ◇


 最終階層最奥部。すなわち、このダンジョンの終の果て。

 これまで闇黒が包んでいた世界に光の脈動が走り、その光が行き着く終点、全ての中心とでも呼ぶべき場所に、奇妙な外套に包まれた青い髪の少女が一人立っていた。


 アンジェラたちには気付いているはずだが、どこか遠くを見るように、こちらには背を向けている。


「ティアさん! 良かった、ご無事でしたのね。ティアさんほどの方がそこらの魔物にやられるとは思っておりませんでしたけれど、最奥部ともなればさすがに不安で……」

「…………」


 ティアは無言のまま手を掲げ、魔導によって大鎌を生成する。


「ねえ、ティアさん。まずは一緒に地上まで戻りませんこと? わたくしたち、まだ分かり合えていないことがあまりに多すぎますわ。こんな関係のまま最終階層を進んでも、きっと上手くいきませんわよ。幸運にもここにフロアマスターはいないようですし——」


「いるよ」


「……え?」


「いるよ。フロアマスター」


 淡々と告げるティアに対して、アンジェラは焦った様子で周囲を見渡す。


「ど、どこですの? 姿が見えないとか? それともどこかに隠れているとか……」


 そんな様子に微笑みながら振り向き。

 ティアの虹色がかった瞳が、まっすぐにアンジェラを見据えた。


「ここにいるよ、フロアマスター」

「ここって……」


 ただ困惑した様子。


 何か違和感に気付いた表情。


 混乱と迷い。思考が進んでいくほどに唇が歪み。


 それから。


「嘘」


 一言。


 ふうー…………と、ティアが長い息を吐く。その息が闇黒に煌めき、小さな黒い、幾何学的形状の小さな黒龍がいくつも生み出される。


「わたしが意識を持った、最初がいつだったかは、もうよく覚えてない」


 黒龍がアンジェラに飛びかかり、ゴーレムに殴り飛ばされた。

 黒龍はいとも容易く砕け、その幾何学的部品のような身体を撒き散らす。何匹も砕けるうち、その破片が再び集まって、新たな形を生み出す。


 幾何学形状たちは今度は四足歩行の獣となって、キマイラと格闘を始めた。


「ずいぶんと長く……思い出せないくらい長く、ここにいた。ここにいなくちゃいけないって、自分で知ってた。でも同時に、どこかへ行きたいって衝動が、すごく小さいけれどずっと消えない衝動が、わたしの中にあったんだ」


 ティアの周囲に無数の魔導陣が浮かび上がり、闇黒の輝きが撃ち出される。ゴーレムがその多くを受け、魔導球体が一部を打ち消した。


「気付けばわたしは、この暗い場所を抜け出してた。アンジェラたちが第四階層、【彩色の明けき郷】と呼ぶところに立ってた。そこでわたしは、わたしの仲間が襲われているのを見た。だからわたしは、仲間を殺そうとするそいつらを——」


「嘘ですわ! そんなの!」


「——殺したんだ。殺して、殺して、殺し続けた。わたしの仲間を、わたし自身を、殺しに来た奴らを殺さなくちゃ、殺されちゃうから。わたしは……死にたくなかったから! 消えたくなかったから!」


 ゴーレムの拳と振るわれた大鎌がぶつかり、拳の断片が飛んだ。

 続けて拳のアッパー。が打ち込まれるより速く、大鎌が今度は腕を撥ね飛ばした。驚異的な速度。アンジェラもよく知っている、ティアの戦闘技術。


 少しでも隙を見せた瞬間に命を奪われる。超常の神速。


 その前で。

 そんな圧倒的力の前で。


 アンジェラは涙を頬に伝わせながら、ただ、立ち尽くしていた。


「——ダメだよ、アンジェラ。魔物の前でそんな顔してちゃ。それも、最終階層のフロアマスターの前で」


 一瞬。懐。


 下から斬り裂く刃が動き出す瞬間、ゴーレムが残った拳でティアを殴り飛ばした。


 外套を広げ、空中で受け身。すぐさま動きの角度を変え、空中に魔導陣をいくつも残しながら走っていく。

 魔導の光が時間差で撃ち出される。

 ゴーレムが再びそれを受け止め、キマイラが体当たりするようにしてアンジェラを無理矢理に回避させた。


「アンジェラ、戦う気ないの?」


 天井に立ちながら、ティアが尋ねる。


 そのうち不意に降下して、大鎌を二回転。さらに巨大化した大鎌が振るわれると、部屋ごと全体を斬り裂く。キマイラの羽の一部と、ゴーレムの片足が持って行かれた。


「つまんないなあ。戦意のない相手とやるのは。まあ、冒険者たちを不意打ちで殺してたわたしが言えたことじゃないけど」


 巨大化しすぎた大鎌を消し去り、また新たな大鎌を生み出す。


 そしてティアはずかずかとアンジェラの傍まで歩み寄り、その刃をアンジェラの首筋に当てた。


「本当に戦わないつもりなの? アンジェラ。このまま殺されちゃってもいいの?」

「戦えませんわよ……わたくしは。戦えるわけ、ない……」


 ティアはぐっと両肩をいからせ、声を荒げる。


「どうして! そんな風に命を無駄に——」


「——だって! わたくしが戦ったら! わたくしが戦ったら——ッ!」


 ティアの声を呑み込むように、アンジェラの叫びが闇黒に響いた。


 そして最後に、弱々しく。


「——ティアさんは、わざと殺されてしまうから」


 慈しむように、微笑むように。

 アンジェラは穏やかに、静かな涙を流しながら、ティアの頬に触れた。


「ずっと苦しんでいたのでしょう? 気付いてあげられなくてごめんなさい、ティアさん。わたくしがもっと早くあなたの心に触れられていれば、その心を癒やして差し上げていれば、こんなことになる前に何かが出来たかもしれないのに」


「そんな、ことない……」

「あなた、幽霊を怖がっていたでしょう? わたくし、ずっと気になっておりましたの。ゴーストやリッチのような魔物はまるで恐れないのに、ティアさんはどうして幽霊なんて怖がっているのでしょうかと。今ようやく、その理由がわかりましたわ」


 アンジェラが触れているティアの頬は、かすかに震えていた。


「ティアさんは、怖かったのでしょう? 自分が殺してきた人々を見ることが。身勝手に他人の命を奪った、自分の罪と向き合うことが」


 ティアは黙りこくったまま。


 しかしゆっくり、こくりと頷いた。


「だったらあなたは、やっぱり素晴らしい方ですわ。優しい方ですわ。ティアさん。たとえ人間でなくとも、魔神の骸を護るためだけに生まれた存在だったとしても。わたくしはティアさんを心から尊敬いたします。そして何より——」


 額をこつんとぶつけて、花飾りと花飾りを重ねて。


「あなたのお友達として、誇らしく思いますわ。愛しいティアさん」


 虹色がかったティアの瞳が、涙で濡れて。

 アンジェラと二人、少女たちは泣きながらぎゅうとお互いを抱きしめあった。


 抱きしめて。

 泣いて、泣いて、泣いて。


 それからティアはゆっくりとアンジェラを引き離し、最初に立っていた光の中心へと歩いていった。


「…………ティアさん」

「何も言わないで、アンジェラ。元々こうなるはずだったんだよ。それが少し、わたしの具合が変なことになって……ちょっとの間、不思議な夢を見てただけ。長い悪夢と……ちょっとだけ、幸せな夢」


 アンジェラは流れる涙をぐいっと拭い。それからマナシリンダーをガントレットに装填していく。赤と黄と青。全てのマナを使い、発動する究極の魔導。アンジェラの身に付けた中で、最高の術式。聖白の秘術式。


「わたくし、ティアさんのこと、絶対に忘れません」


 また再び、アンジェラの頬を涙が流れていく。


「……ありがと、アンジェラ。そして——」


 ティアは微笑んだまま、続けた。


「——ばいばい」


 術式が起動し、周囲に光の粒が舞い始める。


 ティアの外套が、魔導衣が、その肉体が、光の中に消えていく。


 その命も、宿った心も、全てが————


『はい、そこまでー。感動的なお別れは中止でーす』


 突然の声と共に、巨大な魔導陣が部屋全体に展開された。

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