蠢動-2
生きテる……人間……?
職員室に飛び込んだ蓮の姿を、彼女は正面階段の踊り場から見ていた。お化けなら蓮のように生き生きと動くことはないため、彼女は彼のことを人間だと認識した。
彼女は階段から下りると蓮が丁寧に残した道標を見据え、キョトン、と首を傾げた。あの人間が怪我をしているということは理解出来たが、それをどうにかすることは出来ない。
どうすればいいのかと首を傾げていた時、渡り廊下に通じるドアから激しい物音が聞こえて来た。
彼女はビクリと躰を揺らす。
乱暴する奴らのことはわかっている。自分と同等ながらも決定的に違うものをドアの先にいる奴らは持っている。そんな奴らが生きた人間を捕まえれば壊してしまうことはわかる。だから、
助けナキャ……。
彼女はそっと手を伸ばし、血痕に触れた。すると、道標は蒸発するように消えていき、蓮がどこへ逃げ込んだかわからなくなった。
彼女は悲鳴をあげるドアを一瞥し、正面階段を急いで駆け上がった。
「ちょっと、蓮く――」
旧実習棟へ無理矢理押し込まれた流華はバランスを崩して勢いよく尻餅をついたが、それに負けないほどの勢いでドアも閉じられた。
痛みを無視して立ち上がった流華は、追いすがるようにドアへ駆け寄り――。
ガシャン!!
突然の衝撃と物音に流華は突き飛ばされた。下半身のない化け物の仕業だと思い、脳裏をよぎる最悪の光景を振り払うようにドアへ張り付き――激しい足音に安堵した。
蓮が自分のことを無理矢理押し込んだのは、走りが得意ではないことを知っていたからかもしれない。確かにあの俊敏さには逃げ切れそうにないし、命がけで引きつけてくれたなら、この隙に出口を確保するか三人を見つけるのが先決だろう。
蓮の無事をそっと祈り、流華は背後に広がる廊下を照らした。前方に見えるのは中庭に通じる非常口と第一PC室、第一視聴覚室へのドアだけで、ホラー映画のような静寂さはあっても化け物の姿は見えない。とはいえ、流華はホラーを得意としていない。下半身の無い化け物を見た後では身体も思うように動かない。今にも廊下の曲がり角から髪を振り乱した女が現れ、自分に向かって邪悪な微笑みを浮かべる――。
そこまで考えて流華はかぶりをふった。余計なことをこれ以上続けたら支障が出る。頬にも両足にも活を入れて歩き出した。
念のため窓を確認してみるが、反応はない。この霧や化け物、消えた三人はどこにいったのか。わからないことばかりの状況に苛立ちつつも廊下を進み、中庭に通じる非常口を調べるがこちらも反応はない。中庭には霧が出ていないようだが、明かりの中に人影は見当たらない。見えるのは放置されたガラクタばかりだ。
「世はまこと……ままならぬ――」
思わず愚痴ったその時、新校舎へ通じるドアを臨む東側廊下から物音が聞こえ、流華は咄嗟に廊下の壁に身を寄せた。どこかの教室に隠れようとも思ったが、椎名たちの可能性を捨てきれなかったため、恐る恐る廊下を照らした。
今にも椎名が笑いながら姿を見せてくれると思ったが――現れたのは人ではなく、黒一色の細長いゴムの皮をかぶったような異形で、グネグネと蠢く歪んだ両足を用いて歩いていたが、光の中へ入ると向きを変え、流華に向かって歩き出した。
その不気味な風貌に驚いた流華だが、ゴム人形を凝視したまま動けずにいた。さっきの化け物とは違い、動きは鈍重で足取りもおぼつかないため逃げるのは容易いはずだが、流華の目は固められたかのように逸らすことが出来ず、立ち尽くしたままさらに凝視し――ゴム人形は大きくのけぞったかと思うと躰をくねらせ――。
ダメ……見なイで……!!
耳元の囁きを受け、流華はゴム人形から視線を逸らすことが出来た。その囁きはやや片言で、流華は反射的に幼子のような印象を抱いたが、その警告が何を意味しているのかはわからなかった。ただ、それがなければ視線を逸らすことは出来なかっただろう。
正体不明でも聲の主に敵意がないことは充分にわかった。警告に従った流華はゴム人形を一瞥することなく踵を返した。
脳内で蘇るゴム人形の全身に腕は無かった。ドアを開けることも引き戸を動かすことも出来ないかもしれない。そんな希望を抱きながら、第一視聴覚室と第一PC室の間にある廊下を曲がり、同じ実習棟にも関わらず何故か存在する両開きのドアを叩き開けた。
転がるようにして抜けたドアの先にあるのは、煤けた壁と床を持つ廊下と第二PC室と第二視聴覚室だ。ここは旧実習棟よりも古い建物なのだと片隅で思いつつ、流華は一瞥した第二PC室に駆け込んだ。
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