第拾参幕 遺愛
「終わった……?」
静まり返った中庭。
起き上がりながら椎名は呟いたが、誰もそれには答えず、互いの顔を見合わせる。終わったよ、とはっきり断言出来る自信が誰にもなかったからだが、それに答えてくれる存在が一人いた。
鵺が堕ちていった穴の前に立ち尽くす幼い人影。
「花子さん……!」
その後ろ姿を見た蓮と翳は、修復されたお地蔵様を置いて彼女に駆け寄る。それに続いて三人も彼女のもとへ走った。
呼びかけに振り返った花子さんは、ボロボロではあるが、誰一人として欠けることのなかった五人を見渡した。今までは誰一人として鵺から逃げ切ることは出来なかったが、今度は違うんだ。
花子さんが五人に向かって微笑んだ時、校舎の至る所から、光るシャボン玉が浮かび上がり、天に向かって一斉に飛び立って行った。
今までの犠牲者たちの魂が解放された。そう理解した翳は、空へ還って行く魂たちを四人と同じように見上げた。すると、シャボン玉の群れから外れた六つの玉が蓮たちの周りを漂った。
ありがとう……。
その聲が皆の脳裏に届くと、シャボン玉は群れに戻って行った。
「ありがとう……か」
そう呟いた透は、痛む頭を押さえながらその場にへたり込んだ。
「終わったんだ……マジで……」
「生きた心地……しなかったね」
大きなことを成し遂げた――のかどうかはわからないが、蓮たちもその場にへたり込んだ。悲鳴をあげる心臓を休ませ、竦んだ四肢と脳が血を受け取って落ち着くのを待った。
「終わったんだ……これで変な事件はもう起きないんだよね?」
「ありがとう……そう言ってもらえたしなー」
「そうだね。それを……今度は俺たちが言う必要があるね。ちゃんと見るのは初めてだよ」
蓮たちは同じ気持ちで花子さんを見たが、翳だけは花子さんを見て眉を顰めていた。その理由は助けられたことではなく、鵺との正面衝突と妖力の急激な消耗のことで――。
「あっ……」
四人の声が漏れた。
蓮たちの目の前で、花子さんの躰はノイズのように途切れ始めた。それが意味することはたった一つなのだが、翳がそれを口にするよりも早く、椎名がいの一番に叫んだ。
「――花! あたしさ、お前のこと絶対に忘れないから! 救ってもらったこの命……最期の時まで大切にする……大切にするから!!」
その言葉に花子さんは大きく頷いた。
うン……! 約束!
唇を噛みながら顔を逸らす椎名。その横から前に出た流華は花子さんに視線を合わせ、そっと抱きしめた。
「ありがとう……それしか言えなくてごめんね……。助けられてばかりだったのに……何も出来ないの……」
その言葉にかぶりをふった花子さんは、優しく呟いた。
生きテ。それが……私の願いダから……。
流華の頭にふわりと手を置き、花子さんは微笑んだ。それは、あの六人に言えなかった言葉。
「参ったな……気の利いた言葉が出てこないよ……」
何度も頷き、ようやく花子さんから離れた流華を見て透は呟いた。そして、彼女が流華にしたように、透は花子さんの頭に手を置いた。
「君の噂は知っていたよ、トイレの花子さん。今時の噂としてはウケないし……古臭いと思って軽視していたけど……今の君はどこのトイレの花子さんよりも素敵な噂だよ。……助けてくれてありがとう」
柄じゃない。目頭が熱くなり、花子さんの頭に触れたまま透は顔をそらした。
泣かナいで……ね?
足首を伸ばした花子さんは、透の頬に触れた。
「そういうことは口にしないでくれよ……精霊さんはデリカシーがないね……。俺の中じゃ……人前で泣くのはみっともないんだから……さ」
ごめん……ネ?
微笑む花子さんを最後に一瞥した透は、空を見上げたまま横に退いた。
「……泣いてんのかー?」
「お互いにね……!」
「……泣ける時に泣いておきなよ。……いつか我慢しなきゃいけない時が来るんだから……さ」
素直にならない透と椎名を宥める流華。その言葉にほだされた二人は、花子さんを想って泣いた。
「蓮」
翳に促され、蓮は花子さんのもとへ。彼女もまた蓮に歩み寄る。
「……ありがとう……ございました」
深々と頭を下げる蓮。
「あなたのことを……私は一生忘れないでしょう」
うん! 私も……みんなのこと、忘れナい! いつか……会いニ行くカら!
「はい、約束です」
蓮の真似をして頭を下げた花子さんは蓮に駆け寄った。
約束! 忘れナいでね!
小指を差し出す花子さん。その小指に応え、互いに固く結ばせ合った。
「はい、忘れません。私たちみんな……!」
頷く五人。それを見て花子さんは小指を放した。
蓮が退き、翳は花子さんと向かい合った。噂が具現化し、負を纏うことなく人との縁を続けて〝心〟を持った存在……驚きであり、不安でもあり、希望でもある。人を慈しみ、護る力と心を得た彼女なら、もしかすると……。
「……華子さん、あのお地蔵様は……あたしたちが処理するから、心配いらないからね。華も元気で」
翳がそう言うと、花子さんは彼女に抱きついた。か細い腕で翳の存在を確かめるように強く抱きしめる。翳もそれを返すように抱きしめ、互いに動かない。その光景は、まるで二人が母子のように見えた。
「……アグロームナエ・スパシーバ(本当にありがとう)。ダ・ザーフトラ(またあした)……」
花子さんの腕が翳の躰を擦り抜けた。
夢の終わりだと悟り、花子さんは何よりも大切なものを翳に手渡してから離れた。その目には光るものがあり、彼女は最後に一人一人を見つめ、微笑んだ。
またね……!
彼女は照れ笑いしたまま――たくさんの光の粒となり、夜空を埋め尽くさんばかりのシャボン玉の中に向かった。
その光景に心を奪われながら、五人は黙って空を見上げた。彼女に想いを馳せて。
その五人を現世に戻す瑞光――校舎を包む黒い霧を晴らすように、暁が空を食んだ。
縁の成せる回天かな……せんせの手から彼女に渡り、彼女からあたしたちの手に渡ってせんせのもとへ帰るなんてね……。
翳は渡されたカチューシャを強く握り締めながら、その光を見据えた。
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