混沌-2

「やあ、お嬢様方。ご機嫌麗しゅう? どうだい?」


 図書室に転がり込んだ椎名と流華を迎えたのは、ここを隠れ家にしていた透だ。彼はいち早く状況とテケテケたちの存在に気付き、花子さんの助言に従いながら移動し、隠れていたのだ。


 閉めた引き戸を背中にした透は、廊下から聞こえて来たテケテケの足音と咆哮が通り過ぎていったことを確認し、静かに肩をすくめた。


「莫迦は扱いやすいね」


 隠すことなく嘲笑を吐き出した透は、デートの激しさを物語る破けたズボンを整えながら椎名の側に来た。


「ご機嫌はどうだい?」


「ご機嫌は最悪だっつーの。お前は何してたんだよ」


 流華を横にした椎名は、バッグの中から予備の懐中電灯を取り出し、透の隠れ家になっていた図書室内をチラチラと照らした。


 そこはまだ荒らされておらず、室内にある二階も使った構造のため広くなっている。たくさんの本も書架もあるため、隠れ家としては最適の場所だ。


「色々とアプローチされてねぇ、モテる男はつらいよ」


 同じこと言ってらぁ……。


「ああ、そうだ。蓮とかげりんは教室棟に逃げ込んだ。完全にはぐれたな」


「おっ! 二人とも元気にしているみたいだね。善哉、善哉」


 透はわざとらしい拍手をしながら安堵の表情を見せた。だが、椎名はその表情ではなく態度の異変に気付いた。透はしきりに動き回り、視線は黒霧しかない窓を見ている。くだらない冗談は言うが、緊張して固まるようなタマじゃない。むしろ、自分の危機すらも楽しむようなタマだ。だから、


「透、お前……何を気にしてんだ?」


「おや? そう見えるかい? 俺はいつも色々と気にしてるから……癖のようなものかな」


「おい、命を左右するようなことを冗談で隠してんじゃないだろうな? 状況わかってんだろ?」


「まぁ……そこの眠り姫が起きたら話すよ」


 透はそう言うと、受付の裏にある椅子に座って本を読み出してしまった。


「……そうかい」


 肩をすくめた椎名は意識を流華に向けた。華奢な身体に目立つ外傷はないが、耳から流れた血に関してはティッシュで拭うことしか出来ない。血が固まっていても治療は不可能だし、鼓膜が破れているかどうかは流華だけが知る。この状況下で、危険を知らせる呼び声が聞こえないことは非常にまずい。


 流華の置かれた状況に大きく息を吐いた椎名は、バッグの中から缶詰を取り出した。こんな状況になるとは思わなかったので、バッグの中にはたったの四缶しかない。部室から持って来た取材糧食はフルーツカクテルしかないけど、大食いじゃないから一缶で充分だ。少し頭を落ち着けよう。


「俺のバッグにも缶詰が入っているよ。節度を持って好きに食べなよ」


「おお、サンキュ、でも今はこれでいいよ」


 缶詰を掲げて合図し、椎名はフルーツカクテルを食べ始めた。黙々と汁まで飲み干した頃には、極度の緊張で硬直していた身体もようやく落ち着きを取り戻していた。すると、その落ち着きは流華も同じだったようで、椎名は水入りのペットボトルを片手に彼女の身体に触れた。


「流華、意識あるか?」


 そっと上半身を起こすと、流華は本当にゆっくりと目を開けた。


「しーな……? あれ……わた……し……話してる……?」


「待った、とりあえず水だ」


 また目を閉じた流華に水を飲ませる。ゴク、ゴク、と少しだけ勢いが強かったものの、流華はしっかりと水を身体に入れた。だが、その間も彼女は耳の違和感に終始悩まされており、水を味わう余裕はなかった。


「流華、あたしの声がまったく聞こえないわけじゃないよな?」


「いわかん……ある……でも、聞こえるかな……」


「良かった……とりあえず鼓膜は生きてるみたいだな」


 その吉報に胸を撫で下ろした椎名の横に、透は屈み込んだ。


「それでも、鼓膜が破れたなら水をつけないようにしないと危険だよ? 自然治癒に期待するとしても、今は期待出来ない状況だからね」


 透は自分のバッグから綺麗に包装された包帯とガーゼを取り出し、流華の頭を掴んだ。


「このままにしておくのは外見的にも衛生的にも悪いし……勝手に処置っぽいことをさせてもらうよ?」


 耳にガーゼを当てて頭に包帯を巻く。透が言うように、それが正しい処置かわからないが、何もしないよりはマシだろう。


「あの……私の耳……」


「今は自然治癒に期待するしかないよ。あまり気にしないように」


 無事だった方の耳元で話す透。


「たしか……あの化け物の咆哮で耳が……」


「流華、その咆哮で鼓膜が破れたみたいだ。動きにくいだろうけど、我慢してくれ」


 そう言って流華の頭をわしゃわしゃと撫でた椎名は、彼女が余計な質問に体力を使わないように、彼女を見つけてからの経緯を話した。それと一緒に、透の行動も聞き出す。


「そうなんだ……じゃあ、みんなあの黄昏と化け物を見たあとに閉じ込められたんだね」


「ああ、一応はぐれた場合の集合場所は決めてある。ここの二階にあるけど、テケテケが二体も近くをうろついているから迂闊に動けないんだ」


「あのテケテケ以外にも……黒い塊がいるから気を付けて。凝視すると危険なのかもしれないから……」


 流華が出会したのを合わせて、自分たちと敵対する化け物は三種類いることがわかった。どれも人間が殴り掛かって倒せるようにな存在とは思えない。だけど、そんな化け物たちが徘徊するサバイバルに、隠し事をしている奴がいるのも化け物と同等に厄介だ。


「おい、透、そろそろ話せよ。何に警戒してんだ」


 そう言われた透は、しきりに気にしていた窓を見ながら内緒話をするかのように椎名と流華の間に屈み込んだ。よほど聞かれたくないこと――いや、聞き耳を立てている奴がいるということを暗に示しているのかもしれない。


「目を覚ました時……お嬢さんたちは外を見たかい?」


「そりゃあ見るだろ」


「俺が見た時だけかな……霧の中に人影が見えたんだよ。とにかく背が高い女で……二階の窓からでもそいつのでかい胸辺りしか見えなかったんだ。尋常じゃない化け物が校外にもいるみたいでさ……視線を感じてるんだよ、隠れていてもね」


「背が高い女……何じゃそら……」


 怯えているような透の素振りはともかく、豊かな想像力を用いても今一ピンとこない。二階の窓からでかい胸元が見えたというのはずいぶんとまぁ……でも、


「その背が高い女とやらは外にいんだろ? あたしらが見た化け物は校内にいるんだ。こっちのほうが脅威だよ。外に警戒するなら中を警戒してくれよ」


「それが正しいとは思うけど……警戒するに越したことはないよ。二人も窓に近付かないようにしな。この人も警告していたようだしね」


 透は立ち上がると、胸ポケットに入れていた一枚の紙を椎名に手渡した。


「んだよ、これ……」


 渡された紙は破けたルーズリーフの一部で、殴り書きのような筆跡と破けた所為で読めない箇所は多いものの、とりあえず読める部分を繋げるとこうだ。



 このメモが誰かの……ことを祈ります。

 校外に……は駄目。黒い霧の中には……物が潜み、獲物が来るのを待ち構えて……。私は窓を開けた時に、霧の中に潜む……が高い女を見ました。それ以降、窓に近付くと……追いかけ回され、今は……組に隠れていますが、いつ見つかるか……。

 校外に出ては……。



 文字はそこで途切れ、紙の右隅には血痕のような黒い染みがある。


「月河さん、これをどこで……?」


「三月に沖田先生らと一緒に掃除していた時、二年D組で拾ったんだ」


「よくこれを見て旧校舎に入ろうと思ったな?」


「椎名だって、こうなる前だったら信じなかっただろ?」


 ごもっとも。現に心霊写真の解明も視野に入れていたから、肩をすくめるしかなかった。


「とにかく、校外に出ることは危険みたいだ。そうなると出口を探すのは校内に限られるけど……」


「出口……あるのかねぇ……いくらあたしでも希望が……」


 そう言って項垂れた椎名に対して、よしよし、と慰める流華を一瞥した透は、次の一手を求めて読書を再開した。すると、流華も立ち上がり、何故か透の横へ来たため、彼は何も言わずに席を譲った。てっきり彼女も座って読書がしたいのだと思ったのだが、


「あっ……いいの、座っていて。月河さん、それは何を読んでるんですか?」


「ああ、透でいいよ。同級生だろう? この本かい? これは堀華市の歴史みたいな本さ」


「何か有益なことが?」


「あると思うよ? こういった不可解な出来事は必ず過去にも起きているはずさ。現に行方不明事件と現状は関係しているみたいだしね」


 ドヤァ、とそう告げたものの、ここに潜伏している間に目を通した何十冊の本から有益な情報は何一つ得られていない。推測が間違っていて、過去に何も起きていないんじゃないかとも思ったが、それでも調べないでじっとしているよりはマシだ。行方不明事件ばかりに気を取られて過去の堀華を調べていなかったツケがここに来た。


 成果のなさを椎名に弄られる前に何かを見つけておきたい。そう思いながら、受付に積んでおいた歴史本を漁り――いつのまにか二階をうろついていた椎名に呼ばれた。それがあまりにも小さな声だったため、流華が教えてくれなければ気付かなかっただろう。


「片耳は無事で良かったね」


 流華に感謝を伝えた透は階段の手前に向かい――一冊の本が足下に落ちて来た。ずどん、とまではいかないが、それなりに重い本だ。なんだこれ。


「塀華物語?」


 それは放られた本の題名だ。平家物語の偽物、というわけではないようだが、表紙には題名だけで著者名無し……寄贈本か? ズシン、と開いてみると、中には堀華市に伝わる民話が玉手箱のように記載されている。誰かが蒐集していたようで、目次を指でなぞってみた。


 ・綱渡りの鴉

 ・黄昏の虹

 ・戻って来た男の子

 ・逃げて来た妖怪

 ・闖入するカマドウ


 逃げて来た妖怪、闖入するカマドウ女――なぞった指は飛び跳ねた。心当たりがあるタイトルに頭も心も身体も落ち着かなくなり、急いでページを捲り飛ばし――。


 ガシャン!!


 それを咎めるようなタイミングで乱暴な開閉音が届いた。これで何度目だ、という苛立ちが湧いたものの、その音がテケテケの体当たりとは違うことに気付くのに時間はいらなかった。


 テケテケたちはドアというものを理解していない。単細胞だから何でも力づくで解決しようとする。それに加えて室内を調べることをしないおつむの弱さが弱点なんだろうけど、さすがに学習能力はあるんじゃないかとは思っている。椎名を通して知った蓮への襲撃からしても学習は出来るだろう。


「ねぇ、しーな……!」


 流華に呼ばれて椎名は二階から下りて来た。


「蓮かかげりんか?」


「わからないけど、僕が確かめてみよう」


 テケテケが室内を調べるという知恵を得た可能性を考慮し、流華にも二階へ行くよう手振りで合図した透は、滑るようにして引き戸の手前へ移動した。そのまま二つの引き戸を、カチリ、と施錠し、少しでも時間を稼げるようにしておいた。


 踵を返した透は室内の階段を駆け上がり、三人で二階の廊下へ出ようとしたのだが、その途中で足を止めた。椎名が放り投げた本を受付に置いて来てしまったのだ。状況を打開出来ることが書かれているかはわからないが、持っていくべきだろう。


「本を取りに戻る。待ってて」


 二人を置いて階段を駆け下り、受付に置いたままの堀華物語を抱きとめ――。


 ドゴォン!!!


 引き戸が悲鳴をあげた。そのすぐあとに続くのはテケテケの不快な咆哮だ。


 来たな……でも引き戸のことはわかってないか……。


 ドゴォン! ドガァン! ドヴァン!!


 マッチョ脳が立てる破壊音は片耳でも掴める。流華は椎名を見た。


「脱臼しないのかねぇ……あちらさん」


 二階の引き戸は悲鳴をあげていない。椎名は脱出経路確保のために引き戸へ向かった。それを見、流華は階段の手前から透を促した。


「透君……! あんなのいいから急いで……!」


 それでも戻って来ない透に呆れた流華は階段から離れようとして――自分の目が、視界が、脳が捉えた光景に動きを止めた。


 その理由は図書室の外――中を覗き込むようにして窓にへばりついている巨大な影絵を見たからだ。二階の窓、校舎の外、カマドウマのような異形の腕を見れば、それが人間ではないことは明白だった。


 口から出る全ての言葉が封殺され、立ち尽くすことしか出来ない流華に対し、窓の外の出歯亀影絵は白の結膜に掲げられた眼球をクリクリと蠢かし――。


 ……ミ〜ツ〜ケ〜タ〜……!


 それは耳を劈く不快で甲高い聲。それは流華の壊された耳にも突き刺さり、その激痛から耳を庇った彼女はバランスを崩して階段から落ちてしまった。


「うわっ!!」


 今更階段を駆け上がって来ていた透とぶつかってしまい、二人はそのまま一階に転がり落ちてしまった。


「おい! 何してんだよ――」


 二人に駆け寄ろうとした椎名だが、それを待っていたかのように窓ガラスに罅が刻まれ――粉々になったガラス片を吐き出しながら、異形の化け物が入り込んで来た。


「うぉい! 何だよこのキモイのは!!」


 懐中電灯で浮かび上がるのは、苛立たしいほど白いワンピースをかぶった胴体から伸びるカマドウマのように長い四肢、大きな麦わら帽子の下から垂れ下がる濡れた長髪の隙間には唇の無い大口から伸びるナイフと剥き出しにされた赤黒い歯肉を持つ化け物だ。その異様に長い四肢を用いて入り込んで来た化け物は、カマドウマを連想させる姿勢で椎名の前に立ち塞がった。


「ここは化け物動物園かよ?! こんな奴ばっかりじゃんか……!」


 確かに恐ろしい形相だが、霧の化け物を見たあとじゃ二番煎じだ。まだ動けるし、毒づけるのだから。


 かかってこい、と言わんばかりに動かない椎名だが、カマドウ女は異形の口をガチャガチャと動かすと――しなやかに階段を下り始めた。


 ……ミ〜ツ〜ケ〜タ〜……。


「しつこい奴は嫌われるよ!?」


 汚らしい歓喜の歌を口ずさみながら迫るカマドウ女を見、本と流華を抱き起こした透はテケテケが熱心に凹ませている引き戸を無視してもう一つの引き戸へ走った。その直後、


「会場を間違えてないかな? 君なんて呼んでないよ!」


 屈服して突き飛ばされた引き戸と一緒に飛び込んで来たテケテケは、三つ編みを振り乱しながら蟲のように体勢を整えると即座に二人の姿を認めた。狩りの時間だと咆哮をあげたテケテケは床を這い、解錠に手間取る二人に向かって飛びかかり――直後、その躰は巨大な手に掴まれ、テケテケは床に叩き付けられた。


 ビシャ! と耳に残る不快な音とともに形象崩壊したテケテケの光景に流華は小さな悲鳴をあげた。それもそのはず、テケテケを始末したのは自分たちではなく、カマドウ女だったからだ。


 飛び上がったテケテケの背後で腕を振り上げたカマドウ女は、その破壊的な手を用いてテケテケを叩き潰したのだ。


 その共食いにも等しい光景に透も驚愕したが、逃げる時間をくれたことには感謝し、引き戸を開けたと同時に流華を廊下へ押し出した。


「本棟へ!」


 透はそう叫ぶと引き戸を叩き閉めた。カマドウ女の狙いが自分なら出来るだけ引き付けておくべきだろう。さぁ、カマドウ女様の趣味は何かな? その気持ちを連れて振り返った透が見たのは、テケテケだったものを一生懸命貪っている姿だ。その光景に思わず昼食をぶちまけてしまったが、本と制服は無事だ。


「おい、透!!」


 廊下から椎名の怒号が届いたけど、返事をしている余裕なんてないから口を拭いつつ手振りで「行け」と合図した。最後にもう一度昼食を吐き出した透は、テケテケがぶち破った引き戸を踏んで廊下に出――横の暗がりから長髪のテケテケが飛び出し、透の左腕を切りつけた。


 こいつ……!


 反射的に飛び退かなければ腕の肉をごっそりと持っていかれた。自分の優れた反射神経に自惚れたいけど、そんなことよりも逃げるのが先だ。即座に立ち上がってその場から逃げ出そうとしたが、テケテケは透の頭上を飛び越えて退路に着地した。そのまま、ギギィ! と血気盛んな威嚇を繰り出してきたが、その兇悪な視線は透ではなくその背後にいるカマドウ女に向けられた。


「三つ巴かい? 僕は退席させてもらうよ……!?」


 透のことなどもう眼中に無いのか、テケテケは唸り声をあげてカマドウ女に飛びかかった。頭上を軽々と飛び越え、カマドウ女に自慢の鉤爪を振り下ろすテケテケを一瞥した透は教室棟へ走った。


 そんな共食いの横では、壊れたメガネとテケテケの残骸が痙攣していた。

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