第漆幕 混沌

「話したいことがあるの。ルウや椎名には言えない……この現状とあたしのこと……」


「……えっ?」


 急に迫られたことで、一瞬とはいえ場に相応しくないことを想像してしまった。そのことで情けなく狼狽した蓮だが、翳が見たことないほど真剣な顔付きになったため、微かな落胆の自分に呆れつつ深呼吸した。


「……この状況についての推測ならお願いします」


 出来るだけ明るく伝え、翳が口を開くのを待つ。出て行った椎名のことも心配だが、自分にしか言えないことなら待つしかない。


「じゃあ前置きとして……あたしは〝視える力〟と捜したい人を見つける力があるの」


 いつにない真剣な口調。そんな話し方が出来ると思っていなかったわけではないが、こうして目の前にすると面食らってしまう。


「視える……お化けがですか?」


 翳は頷いたが、蓮が気にしたのはそっちよりも、


「捜したい人を……見つける力というのは?」


「小さい頃から……こういったことに関わっていたからかな……。んっと……意識を集中させて、蓮くんの声を探せるの。ラジオの周波数を合わせるみたいな感じで、あたしの意識と蓮くんの声を合わせれば見つかるんだ。もちろん範囲は限られているし、しゃべっていることが前提だから万能じゃないんだけどね」


「待ってください、小さい頃と言いましたが……こんな事態を何度も?」


 翳は黙ったまま静かに袖を捲り、右腕を見せた。露になったか細い腕には、惨たらしい黒い傷が刻まれていた。獣に付けられた傷には到底見えず、


「それは……」


 蓮は思わず後退り、翳と目を合わせた。


「何でちょっかいだされるのかはわからないし、小さい頃のことはほとんど覚えていないけど、この傷は高校時代のものなんだ。薔薇色だったけど……友達はいなかったかな」


 真夏にも関わらず、長袖で過ごしている理由がようやく理解出来た。確かにこの傷痕を他人に見せるのは躊躇う。能力といい、傷痕といい、あらぬ誤解を生みかねない。


「その……なんと言ったらいいか……」


「いいよ、蓮には本当のあたしを見てもらいたかったから」


 袖を戻し、話を戻す。


「話を戻すね。そういった力があるから、校舎にいた蓮のこともすぐに見つけられたんだよ。正確には話していた透くんの声だけど」


「納得しましたよ、どうりで凪凪でも奇妙なニアミスがあったわけですか」


 一歩間違えればストーカーだが、肩をすくめただけで口にはしなかった。その意味は呆れではなく、彼女への安心から出たものだからだ。


「さすがにこの状況だし、推測を話すなら……三人にはいずれ言わなきゃいけないとは思うけど、きっかけがね……。でも……蓮になら言えるから、今話したよ」


「……何故自分に? 俺には何もありませんよ。翳さんのように優れた才能や不思議な力を持っているわけでは――」


「運命の人だから。こうして話せるのを待ってた……」


 蓮の自虐を遮り、翳は小指を立てて言いきる。


「運命の人だからだよ。ひいらぎさんの助言があったの、宿泊先で出会う強面だけど優しい男の子が紅い糸とえにしで結ばれた交わり合うべき相手……。でも……それだけが決めつけた理由じゃないよ? 実際に蓮と話して、触れ合ってみてわかった。だからあたしはありのままの自分を話すの。一緒にいたいから」


 幼い少女のように微笑む彼女を見て、蓮は気恥ずかしさから顔をそらした。


 運命の紅い糸と縁で結ばれている。その言葉に証拠はないが、蓮自身もある時期から、彼女に笑顔を向けられ、寄り添われたりするのを呆れや驚きではなく、別の想いが芽生えたことを覚えている。長らく自身の気持ちを表すこととは無縁でいたような彼には、その芽生えたものが、確かなことなのかわからなかったのだ。


 今の状況だけで感じれば吊り橋効果とでもいうのかもしれないが、こうして二人だけの会話をして、彼女を憎からず思う気持ちをようやく自覚して理解出来た。彼女に振り回される生活を否定しなかったことも、透と楽しげに話す姿を見て痛んだ心の意味も今なら理解出来る。彼女の行為に込められた信頼と、したもい、知らなかった一面を打ち明けられたことが蓮の自覚と理解を助けてくれたのかもしれない。


「俺は……その、口下手ですから……気の利いた言葉をかけることは出来ません。ですが……あなたを奇異な目で見たりしませんから」


「……うん!」


 満面の笑みで頷く翳。


 奇異な目で見るよりも、蓮には非常に心強く感じた。この異常な状況に心当たりがある人がいるのはありがたい。そして、彼女がごく普通の女性であることも知れた。自身が持つ力を異質と感じて、自分が信じる相手にだけ打ち明けようとしていたのだから。


 信じてくれていることを知り、照れくささで蓮はまた顔をそらした。


「そうだ、推測の話なんだけど……まず確定のこととして、ここは現実の校舎を模した異界と化していて、異形の存在が潜んでる」


「異界の校舎……確かにここが現実の校舎じゃないことはわかります。それと……異形が潜んでいる、というのはテケテケのことではないんですか?」


「あれは――いや、あとで教えてあげる。あたしが警戒しているのは、この異界校舎を支配している〝まつろわぬもの〟……なんだよね」


 翳は微かに腕を震わせた。それは昔を思い出しての身震い。あの時より劣るとはいえ、巧妙にケツを隠して行動している大将はかなり脅威かもしれない。何しろ校舎に閉じ込められるまで気配すら感じさせなかったのだから。


「聞いたことのない言葉ですね」


「だろうね、通じるように言えば……妖怪ってこと」


 妖怪。蓮はかぶりをふった。幽霊はともかく、古典の存在が実在するなど思いもしなかった。それを言えば、都市伝説の存在が実在することも非現実的だが、現に追い回されたうえに肩を切られている。


「妖怪……どんな妖怪なんですか?」


「わからない」


「何か……対抗手段はあるんですか?」


「ないよ?」


「あっ……」


 絶句する蓮。


「あたしにそんな力ないし、まつろわぬものは霊能力者でも戦えるかどうかって相手なんだから」


「傷痕は……そのまつろわぬものに?」


「うん。高校時代にちょっと色々あって……傷付けられて初めてまつろわぬものと出会した。あたしたちじゃ……どうにも出来ないよ」


「では……どうすれば」


「とりあえずここから脱出する方法を考える必要があるかな……。運良くあっち側の味方がいるなら対抗出来るかもしれないけど」


「あっち側の味方とは――」


 グガアァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアーーーーーー!!!


 蓮の声を遮り、邪悪な咆哮が校舎を揺らした。そのすぐあとに、咆哮に負けないほどの悲鳴が聞こえて来た。椎名が危ない、と理解した蓮は廊下に飛び出した。



「……そっちへ!」


 教室棟へ飛び込んだ蓮は背中でドアを押し閉めると、横にある掃除用具ロッカーを開けた。その中から箒を取り出し、流れるように把手へ差し込むと時間稼ぎのためにロッカーを引き倒した。これで少しは時間が稼げる。


 髪を弄っている翳の腕を掴み、側の教室棟の南側階段で一階に駆け下りた。


 暗闇の左右を見渡し、安全を確保した蓮はその場で足を止めた。逃げる先の候補として、開かない南側非常口は論外。流華を押し込んだ場所と同じ位置のドアも同じ。あとは――視界を振り回した時、蓮は南側非常口の横にドアがあることに気付いた。二階にもあったかは覚えていないが、まだ調べていないドアだ。行き先はおそらく旧実習棟。


 グヴァン!! ガシャーーーーン!!!


 二階が突破された。それを告げる嫌な悲鳴が轟き、ギョッとした蓮は、隠れ場所を探す猶予さえ与えてくれないテケテケに舌打ちした。あのバリケードすら容易く突破されるなら普通教室も論外だ。隠れるならまだ調べていないドアしか選択肢はない。幸いにも、そのドアは教室棟の南の最果てにある。単細胞なら気付かないかもしれない。


「こっちへ!」


 蓮は旧実習棟へ通じるもう一つのドアへ駆け寄った。開いていることに一縷の望みを賭けたが、人生はうまくいかないことばかりである。だが、施錠はされておらず、旧実習棟側に積まれた何かが頼りないバリケードになっているだけのようだ。


「いけるか……? 下がってください! ぶち破ります!!」


 相手は重厚なドアだが、施錠されていなければ希望はある。蓮は二、三歩後ろに下がり体当たりを繰り返すが、バリケードは必死に耐える。それは蓮を充分に焦らし、翳もそれに加わろうと近付いた時――。


 こっち……!


「えっ?」


 蓮の苦労とテケテケたちの怒号が響く中、翳は自分の耳元で囁かれた聲に振り返った。


 こっチ……コッチだよ……!


 その囁きの主が、南側階段の横にある女子トイレの入り口に立っているのが見えた。


「蓮、こっちだよ!」


「こっち……?」


 蓮は体当たりを止め、翳が指差した場所を見――目を疑った。女子トイレの入り口に陽炎のように揺れる白い影が立っている。それは、化け物に立ち塞がった影と同じだった。


「翳さん、あの人影は……」


 ギーギー!! ギギィギギィィィィーーーーー!!


 二階と階段からテケテケの軋むような咆哮と床を抉る音が響き、


「大丈夫だから、行こう!」


 翳は蓮の腕を掴んで女子トイレに飛び込んだ。それと入れ代わるようにテケテケたちが廊下へ飛び込んで来たが、女子トイレの入り口に立つ白い影が片手をかざすと、二体のテケテケは何も気付かずに廊下を駆けて行った。


「気付かずにどっか行ったね……馬鹿な奴ら」


 罵る翳だが、蓮の方は目の前の光景に何も言えず、ただただ驚愕するだけだ。黄昏、霧を纏う化け物、四体もいるテケテケ、白い影、まつろわぬもの、旧校舎に閉じ込められた現状、頭と心臓が痛くなることばかりで、翳のように毒づくことすら出来ない。


 そんな疲弊状態の蓮とは裏腹に、一連の光景に動じなかった翳のことを気に入ったのか、白い影は彼女の腕を掴んでトイレの奥へ誘う。その途中で、白い影はハッキリと少女の姿になった。


「ん〜……これはまた……」


 白い影に触れられている間、翳はその手先から感じる霊的な力の強さに驚いた。それは沖田から感じた気配と同じであり、こうして接触されて確信出来たのは、この白い影が幽霊の類いではないということだ。これは吉兆かもしれないが、とりあえずは正体の推測をする前に言うべきことがある。


「あんやと〜。助けてくれて〜」


 トイレの奥で立ち止まった少女に対し、翳は屈んで目線を合わせると心からの御礼を告げた。すると、少女は微笑んで大きく頷いたが、直接的な会話は出来ないようだった。テレパシーのような片言で呼びかけるしか出来ないのだろう。


「もしかして……メモに書かれていた聲の正体ってあなたのこと?」


 少女は首を傾げた。


 言葉が通じているのか、通じていないのか、頭を掻いた翳だが、少女の頭を彩るある物を見て正体の確信は得られた。


 そんな翳を横目に、蓮は目の前に立つ相手を改めて見た。


 白い人影ではなくなった外見(とはいえ、全身は陽炎のように揺らいでいて安定していない)は小学生ほどの背丈を持ち、服装は何故か和服とゴスロリを折衷したようなもので、長い黒髪には真新しい深紅のカチューシャがあり、死者のような白い肌から連想させる幽霊とは違って足は透けていない。


「あの……翳さん、彼女は?」


「う〜ん? 一応……幽霊、かな? あのメモで聲がするって書いてあったから……推測していたけど、こうして味方がいることは心強いね〜」


 髪を弄くりながら少女を見つめる翳。うまく言葉が通じないのであれば、ジェスチャーしかない。


「もしかして〜眼鏡を掛けた友達がいなかった?」


 翳はジェスチャーで眼鏡を表した。友達は駄目もとで言葉にして伝える。すると、少女は意味を理解したのか、カチューシャに触れながらうれしそうに何度も頷いた。


「友達だったんだね〜。プレゼントはここまでちゃんと届いたって教えてあげなきゃね〜」


 この少女の正体は、沖田たちが在学中に交流していた低級霊――精霊みたいなものだろう。ここまで力を強くしてくれた沖田たちに感謝するべきだけど、それはあとでいくらでも出来る。少女の頭を撫でてから、困惑している蓮に説明をする。


「彼女は――精霊ってことにしておいてね? 透くんが言っていた噂を信じるなら、長いこと校舎に住み着いていたみたいだね。沖田せんせが在校していた時もね」


「ここは沖田先生の母校なんですか? 初耳ですよ」


「間違いないと思うよ。せんせも友達として接していたと言っていたし、匂いを纏っていたからね〜」


「……では安心して良いということですね?」


「うん。今も彼女が呼んでくれたから、見つからずにやり過ごせたんだよ〜?」


「本当ですか?」


 蓮は少女を見る。テケテケから救ってくれたのは疑いようのない事実だ。本当か、の意味は、翳が言った「呼んでくれた」についてだ。もしそれが本当なら……。


 意味が通じたのか、少女はまた微笑んで頷いた。


「では……職員室で俺が聞いた助言の聲は」


 うれしそうに頷く少女。


「やっと気付いたかって言ってるよ」


「えっ……? そうなんですか?」


 首を傾げて翳を見る少女。


 ……そういうことか。


「あたしが勝手に言っただけ〜」


 いたずらっ子のようにニヤニヤする翳。


「余計な代弁をしないでくださいよ、本気にしますから」


「そう思っているかもよ〜?」


 少女は言い合う二人の顔を見ては楽しそうに笑う。その姿は蓮が想像する精霊とはだいぶ違う。そして、わき上がる疑問。


「どうして味方をしてくれるんでしょうか? 彼女に何かメリットが? それに……何でこんな服装なんですかね?」


「ん〜服装に関しては沖田せんせか、交流していた誰かがイラストでも描いたかな」


「?」


「ところで、あたしたちを助けてメリットあるの?」


 少女に尋ねるが、彼女は首を傾げただけだ。


「……メリットの意味が通じていないみたいだね。でも推測は出来るよ?」


「ぜひ」


 頷いた翳はこほん、と咳払いして口を開く。


「彼女に触れられた時に感じたんだけど……この校舎の精霊――守り神みたいな存在になっていると思うんだ。その辺にいる悪霊ザコなんて話にならないほどの力を持っているしね」


「どうしてそんな精霊がここに?」


「ん〜、多分だけど……怪談が始まりかも」


「怪談? この校舎のですか?」


「うん。『ここのトイレにはお化けが出る』って誰かが言えば、当然噂は無責任に広がり、たくさんの人が『このトイレにはお化けが出る』と言う。そしたら人の思念が集まって、そこにトイレのお化けという器が出来る。それが何かをきっかけに意思を持ち、現実に存在するものになる。そうして生まれた三条学園の〝トイレの花子さん〟は、偶然にも沖田せんせたちのような生徒と交流が始まって、少しずつ人間を慈しむような力を得ていった。そんな感じかな?」


「トイレの花子さんにしては……服装も凄いですけど」


「誰かがイラストを描いたのかもね〜。それで全員の認識が統一されたのかもしれない」


「何だか映画やファンタジーのような気がしますね……」


「そうだね〜あたしも目の前にするまでは半信半疑だったよ。〝モノノケ〟とは大違いだよ〜」


 またわからない用語が出てきたため、蓮は咳払いをする。


「ああ〝モノノケ〟はまつろわぬものが使役する下級の手下のことね」


「モノノケと妖怪は一緒では?」


「分類として分けてるんだよね。まつろわぬものは、自分の妖力でこうした異世界を作り出せるほどか、モノノケより強い妖力を持っていたらかな。もっと詳しく知りたかったら、なんとかって一族か異界研究を生業にしてる桐生家に訊いてね」


「はぁ……。モノノケは校舎のどこにいたんですか?」


「うん? さっきまで追いかけ回されたじゃない? それと……ほかにも数体潜んでいるかもしれない」


「追いかけ回されたって……あのテケテケのことですか?」


「そう……でもあのテケテケは元人間だと思う。おそらく……いや、事実だね。行方不明事件、メモの内容、現状なんかを繋ぎ合わせると……まつろわぬものに取り込まれて、モノノケにされてこき使われているって感じかも」


 蓮はぞっとして、壁によりかかった。もしそうなら、自分たちも脱出出来なければ同じ末路を辿るということだ。冗談ではない。


「でも希望が出てきたよ? 助っ人が現れたからね〜」


 翳はトイレの花子さんに質問攻撃を繰り出す。どうしてここにまつろわぬものがいるのか、出口はないのか、掃除当番表とそれに紐付けられていたボールペン、メモ帳もジェスチャーも手話の真似事も用いて仕入れた情報は、自己解釈もあるけど良い感じだった。


 それと、校内の地図を書いた時に、花子さんは第二PC室と向かいにある第二視聴覚室(一階に何室があるかはあたしも蓮くんも知らない)がある箇所に×マークを書いた。ブンブンとかぶりをふっているから、まつろわぬものの拠点なのかと尋ねたけど、違う感じで、今度は1991の数字に×を記入した。


「? ここって……九一年には無かったの?」


 そう訊くと、花子さんは大きく頷いた。そういえば、校長先生が死んだのは視聴覚室だ。確か透くんが第二PC室とかを慌てて増設したとか言ってたかな……だとしたら、花子さんがこの増設部分を知らないのも無理ないかもしれない。


「翳さん、何かわかりました?」


 不安げに覗き込んで来た蓮を一瞥した翳は、花子さんから仕入れた情報を自己解釈ながらもまとめ、その内容を説明した。


 花子さん情報として、彼女が知る事件の始まりは一九九一年だ。透が口にしていた行方不明の怪談(学校にある有象無象の怪談は除いてある)は九一年前には存在しないため、まつろわぬものが動き出したのは九一年からで確定された。


 花子さんはその頃にはもう校舎に存在し、生徒たちと楽しく交流していた。だけど、糧となる人間の魂を補食するためにまつろわぬものが作り上げた異界の校舎に巻き込まれる形で閉じ込められてしまったようだ。


「九一年? つい最近じゃないですか……」


「そうだね。まつろわぬものは……禍時の校舎に一人で残っていた生徒とか校長先生とかを襲ってこの異界校舎に連れ去り、大好物の魂を喰らっていたみたい。異界校舎の中が荒れてるのはその名残かな。花子さんは閉じ込められた生徒たちを助けようとして色々してくれていたみたいだけど、その末路はテケテケが物語ってるね」


「……禍時とは?」


「ああ、逢魔時、大禍時のことだよ。黄昏時で今だと……十八時頃かな? 昔から黄昏時は魔物と出会す可能性が高くなる時間帯って恐れられていたんだよ。蓮もここに来る前に見たでしょ? あのまつろわぬものが黄昏時に活動していたのなら、みんなが見た夕陽は人間をこの異界に引きずり込む手段か儀式みたいなものだね」


「でも……何の前触れもなしに花子さんもテケテケもまつろわぬものも封印されたみたい。その間は現実校舎で行方不明事件が起きなくて……花子さんも意識なしだったんだけど、気付いたらまたこの異界校舎にいた。今度はあたしたちが閉じ込められているから助けてるってことみたい」


「……まつろわぬものはどうして彼女をここに?」


「妖怪とか幽霊とかって陰の気が強くて、他の陰の気を取り込めるんだ。花子さんも同じ陰の気を持ってはいるけど、幽霊でも妖怪の類いでもないから取り込まれることはなかった……ってところかな。多分認識はしているけど、相手にしてないんじゃないかな」


「陰の気……ですか。それと、封印というのは?」


「三条学園のどこかにまつろわぬものすら封印する何かがあるみたい。まつろわぬものは校舎の形を精確にコピーしているみたいだし、校舎内にあるならそれもコピーしているかもしれない」


「……自分を封印するものまでコピーしますか?」


「ううん、前触れなしで封印されていたことを考えると……もしかしたらまつろわぬものは自分が封印されていたものを知らない可能性もある。とりあえず、蓮くんはあの霧を纏う化け物がボスで、あれを封印すれば現実に戻れるって思ってくれればいいかな」


 翳は髪を弄り、気になる九一年のことを考えた。花子さん曰く、まつろわぬものは突然出て来たらしいけど、僅かとはいえ、奴らを狩る一族が現代でもいる中で野良犬みたいに入り込んで来るほど堂々と動かないだろう。ましてや不可解な行方不明事件を山ほど起こせば、ここにまつろわぬものがいるんですよ、と主張しているようなもの。おそらく、九一年の遥か前から三条学園のどこかに封印されていたと考える方が自然だ。


 もちろん、これは全て推測だから確かなことじゃない。脱出の為にも情報収集が必要になってくる。


「蓮くん、この異界校舎から脱出する為にも手懸かりが必要になるよ。吉と出れば反撃の狼煙にもなると思う」


 そう言われても、蓮に手懸かりの推測は出来ない。全てが彼の知る現実を凌駕しているからだ。もっとわかりやすいことならよかった。例えばまつろわぬものを撃退する神札とか、どこからでも脱出出来る巻物があるとか……。


「聞いてる?」


 目の前で翳が指を鳴らしたため、蓮は意識を戻した。我ながら阿呆な考えをしていたと思い、かぶりをふった。


「現状についても敵についてもまだよくわかっていませんが……手懸かりの目星はあるんですか? 見た目とか……」


「それがわかれば良いんだけどね〜。花子さんもそこまではわからないみたい。とりあえず……行動しようか〜? じっとしていてもいいけど、蓮と明日を迎えたいから、あたしは動くね」


「……俺も動きます。さっきよりは……隠密に動けると思いますから」


 肩の痛みは幾分弱まり、血は止まった。今なら充分に走ることも出来るだろう。椎名と流華もきっと無事のはず――というよりもそう思うほかはない。


「一番の手懸かりがありそうなのは九一年なんだけど……あたしたちが来るまで誰も誘拐されていなかったみたいだし……目覚めたのは最近かな……? でも確証はないか……封鎖されていたんだし……誰も入らないか。蓮くん、もしまつろわぬものが何かのきっかけで封印から解き放たれたのなら、現実の校舎で何かがあったはず。何か壊れたとか……燃えたとかなかった?」


「いえ……とくに何も。そういうのは透に訊いてみたほうが良いと思います」


「透くんはまだ生きてるかなぁ……」


 透の声を探して意識を校内に巡らせてみたが、見つかるのは椎名の声だけだ。


「見つからないけど、アグレッシブだから大丈夫だろうね」


「……そうですか。そうですね、それを信じます。とりあえず……手懸かり探しですよね? 教室を一つ一つ見ていきますか? 図書室とかはどうでしょうか?」


「図書室? 奴のことが載っていると思うの?」


「ええ、封印されていたんでしょう? だったら封印する何かを作った人がいるはずですし、あれが暴れていたなら、透も知らないほどの過去に同じようなことがあったはずです」


 翳は思わず目を丸くした。その辺の考えはなかったし、変化した何かを探すことばかりに思考が傾いていた。それと、何より蓮の冷静な思考に驚かされた。自分が高校生の時、餌食になった奴はずっと喚いてばかりだったから。


「冷静だねぇ〜? 心強いよ〜」


「はは……翳さんと花子さんがいるからですよ。怖くないと言えば嘘ですし、一人だったらもう死んでいましたよ、きっと……」


 その時、翳のお腹が鳴った。


「……お昼分を渡したはずですが」


「あれね〜まだ食べていないんだ〜」


 翳はそう言うと、バッグの中から朝のサンドイッチを取り出した。七月という状況に加えて密閉されたバッグの中とトイレという状況にギョッとした蓮だが、


「大丈夫だよ〜? ちゃんと食べられるから〜」


 ラップを剥がした翳はサンドイッチにかぶりついた。すると、隣にいた花子さんが大きく反応した。


「ん〜? サンドイッチが気になるの〜?」


 花子さんは頷く。サンドイッチそのものはわからないようだが、とにかく気になるようだ。それを見た翳は蓮に目伏せし、不承不承ながらも花子さんに一つ手渡した。


「まぁいっか〜、蓮の元服まで我慢すれば」


「元服?」


 サンドイッチを受け取った花子さんは、それを興味深げに手の中で回すと、ちょこん、と翳を見た。


「食べ物だよ? さあ、お食べ〜」


 花子さんは恐る恐るサンドイッチを口に運び、目を丸くした。おいしかったようで、いそいそと口に運ぶ。


「もっとゆっくり食べなよ〜」


 二人が姉妹のようにサンドイッチを食む光景を見て和んでしまった蓮は、急いでその思いに蓋をした。和むのは脱出してからいくらでも出来る――。


 ガシャン!!


 蓋をして正解。蓮はまたテケテケがドアを力任せに開けたのかと身構えたが、


「人っぽい開け方だね。蓮くん、行ってみよう」


 翳はそう言うと女子トイレから飛び出した。

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