混沌-3
足下に落ちていたガラス片を拾い上げた椎名は化け物動物園と化した図書室から飛び出し、真横にある階段を駆け下りて二人と合流しようとしたが、流華だけが図書室から飛び出して来た。流華を抱きとめながら、囮もほどほどにしろ、と叫んだが、透から「行け!」とがなられたため、それに従って走り出した。透なりの気遣いと囮になる勇敢さを内心で見直しつつ、目指すのは本棟だ。
「本棟で合流する! 急いで!」
流華を先に走らせ、椎名は透が駆けて来る姿を求めて振り返りつつ走り――何かに足首を思い切り掴まれた。
「うわっ!!」
そのあまりにも一瞬の出来事に抗うことは出来ず、椎名は勢いよく引き倒され――目に見えたのは引き戸の隙間から伸びる人間の白骨化した腕――それは骨格標本の腕なのだが、薄汚れた骨には脈打つ血管や神経のような細い糸が絡み付いている。
「このっ……放せ!!」
しおらしく怖がるなんてありえない。椎名は殴るように叫ぶと、掴まれた左足を暴れさせて骨の手を振りほどいた。カシャリ、と情けない音を立てて力尽きた骨の手を見、椎名は即座に立ち上がるとそれを蹴り飛ばしてやろうと足を猛らせたが、骨の手はヒュルリと引き戸の隙間に飛び込み、尻餅をついた椎名の目の前で第二科学室の引き戸は開いた。
ガタリ、と開いた引き戸を抜けて現れたのは、薄汚れた骨格標本だ。腕だけではなく、全身に糸が張り巡らされ、歪ながらもしっかりと歩いている。その両手にはテケテケほどではないにしても鋭利な鉤爪が生えている。
そんな骨格標本は狙いを流華に絞ると、足下の椎名を無視して動き出したが、
「おい! 誰が横を抜ける許可をだしたよ」
堂々かつ無防備に横を抜けようとした骨格標本の足にしがみついた椎名は、武器として拾い上げていたガラス片を足に突き立てた。ザシュ! ザシュ! とガラス片を乱暴に突き立てるたびに、糸からどす黒い液体が噴き出し、鼻がもげそうになるほどの腐臭にも襲われた椎名だが、掴んだ手は緩まない。
すると、骨格標本は椎名の後ろ襟を掴んで、彼女を第二科学室の窓に向かって勢い良く放り投げた。椎名の身体は宙を舞い、そのまま窓に叩き付けられた。幸いにも窓は割れなかったが、その痛みで椎名は立ち上がれず、それを見た骨格標本は廊下から僅かひとっ飛びで彼女の手前に着地した。
「何だよ……そんなジャンプ出来たのかよ……」
床を這いながら椎名は骨格標本から離れる。腕にガラス片が食い込むことなんて気にもせず、室内の隅へ逃げる。
「しーな……」
第二科学室へ飛び込んだ骨格標本の身体能力を見せつけられた形の流華は、椎名を助けるために室内へ飛び込むことを躊躇った。女子高校生を軽々と放り投げる強さを持つ骨格標本を徒手で倒せるような自信はない。
キョロキョロと周囲を見渡し、流華は横にある第一科学室に飛び込んだ。しかし、引き戸を開けたと同時に彼女は強烈な腐臭に襲われた。整理されていたとは思えないほどの腐臭が鼻をねじ曲げるものの、流華は骨格標本に対抗出来る得物を探して室内に飛び込んだ。
積まれたダンボールの中からは用途も名称もわからない道具が溢れ、棚には実験用のビーカーやらフラスコやらが詰め込まれ、頼りにしたロッカーにはチリトリとバケツしか入っておらず、戦えるようなものは何一つ見当たらない。
箒でも指し棒でも何でも良いから……!
心の中でそう叫びながら、ガラクタの山に体当たりを繰り返していた時、
ズズ……ズ……。
それは背後から聞こえて来た蠢きの音であり、恐怖の宣告でもあるのだが、アドレナリンの促しを受けた流華は臆することなく振り返り――トルソーの人体模型と目が合った。彼らはまだ引き倒されていない備品棚に収められており、全員が虚ろなガラスの双眸で流華を見据えている。
動いたのは彼らではない。それを察した流華が捉えたのは、棚の横を占領する大きなボロ布だ。そのボロ布が輪郭を浮かび上がらせているのは、ソファーのようなものに身を預けている人間の形をした何かだ。如何にも捲ってくださいと言わんばかりだ。
自分から布を捲る阿呆はいないよ。流華はそう決意すると得物探しに戻った。だが、その背後では布が自ら立ち上がり、流華に向かって歩き始めた――直後、振り返った彼女へ見せつけるように布は退き、それとともに腐臭が濁流となって噴き出した。それだけでも流華を卒倒させるには十分だったが、それに加えて姿を露にした人体模型の躰は、ヌメりとした脈打つ臓器と肉がライトを受けて鈍く輝き、双眸はギョロリと流華を見据えた。
「うっ……!」
卒倒は辛うじて耐えたが、胃からせり上がってきた友達は押さえきれず、流華はその場で嘔吐してしまった。屈む余裕などない嘔吐は彼女を隙だらけにし、人体模型は縫い足したような腕で無防備な流華の首を掴んだ。
「やめ……て……!」
それは窒息という生温いものではなく、首をへし折ろうとしているほどの握力で、流華は人体模型の腕をがむしゃらに掴んだが、その勢いによって、腕に縫い足された皮がネチャリと剥がれた。その下にあるのは、プラスチックの腕と生皮の鈍い輝き――。
「ひっ……!」
人間になろうとした人体模型。
それを悟った流華は、生皮を剥がれる恐怖から激しく抵抗したが、苦しむ彼女の表情と喘ぐ声に興奮したのか人体模型は力をさらに強めた。
「うっ……あっ……」
次第に瞼が重くなり、空気を得られない流華の視界が徐々に狭まり――意識が堕ちかけた瞬間、隣の第二科学室の壁から激しい衝撃音がしたかと思うと、流華と人体模型を見下ろしていた備品棚が揺らいで、二人に向かって倒れて来た。それに気付かなかった人体模型は備品棚の下敷きになり、流華の首を閉めていた腕はあっさりと彼女を放した。
「ゲホッ……ゲホッ……」
体格の差で流華が勝った。痛む喉を庇いつつ、倒れ込んで来た棚の隙間から這い出た流華は引き戸を叩き閉めて第一科学室から逃げ出すと、第二科学室へ向かったが――近付こうとした瞬間に引き戸が勢いよく吹き飛んだ。
「しーな!!」
引き戸と一緒に廊下へ飛び出して来たのは、頰に大きな引っ掻き傷と全身痣だらけの椎名だ。幸いにも意識はしっかりとあり、
「痛って〜……馬鹿にされた怨みかねぇ」
毒づく体力も残っているようだが、毒づかれた方は何とも思っていないようだ。
荒れ果てた第二科学室からは、二人に向けて熱いまなざしを向ける骨格標本が立っており、椎名とは対照的にほぼ無傷の状態だ。
「しーな、乱暴にするよ……!?」
「おいおい! お手柔らかに頼むって……!」
流華は椎名の身体を掴むと、宣言通りに派手に引きずり始めた。さすがの椎名の抗議の声をあげるが、
流華は宣言通りに椎名の身体を派手に引きずりながら逃げ出した。しかし、第一科学室を横切ろうとした時、廊下の奥から迫る足音と、
ニ〜ガ〜サ〜ナ〜イ〜……。
不快な声を吐き出しながら、カマドウ女が四つん這いで攻め込んで来た。その四つん這いはまさに電光石火、距離を瞬く間に詰めて流華たちを轢き殺す勢いだ。
透は……。
二人の脳裏に恐ろしい予感がよぎったその時、廊下に出て来た骨格標本と人体模型がカマドウ女に立ち塞がった。二体はテケテケと同じように威嚇するような動作を見せると、カマドウ女に襲いかかった。
また始まった化け物同士の共食いに光明を見た流華は椎名を立たせると、彼女を支えながら本棟へ走った。幸いにもドアは施錠されておらず、本棟へ飛び込むと――。
「小瀬川さん、椎名さん!」
本棟の正面階段の手前にいた蓮が二人に向かって叫び、
「こっちだ! 地下へ行くよ」
蓮の横から飛び出した透は椎名を受け取り、
「無事で何よりだね〜こっちだよ〜」
翳の先導を受けて流華たちは地下の防災用具室へ飛び込んだ。
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