第捌幕 推測
全員が集まったのは、本棟の地下一階にある防災用具室だ。災害時に生徒や避難者たちのための食料や防災用品が備蓄されている場所だ。這々の体を労るには充分な場所だ。
「それにしても、よくこんな場所を見つけたな」
「そうだね〜おかげで手当てもゆっくり出来るよ〜」
翳から頰の手当てを受けつつ、椎名は腕の血を拭っている透に言った。てっきり死んだと思っていたが、透の方は教室棟に逃げ込むと同時に蓮と翳と出会い、一緒に本棟まで来ていたのだ。
「やぁ、気に入ってくれたようでなによりだ。今も昔も情報と食べ物は大事だよ。そのおかげで、持って来た缶詰は全部食べられたんだしね」
五人で食べ尽くした缶詰を一瞥した透は、腕の血を拭い終えたタオルを放って水入りダンボールに腰掛けた。
防災用具室には透たち以外も訪れていたようで、備蓄されていた缶詰のほとんどは開けられていたが、五人が数日間籠城していても保つ分は確保出来た。賞味とか消費期限の問題は、この奇妙な空間が一九九一年で止まっている、と主張した翳を信じる形で解決した。水も節約すれば三日は保つが、包帯やガーゼなどの治療品は新品がほとんど無く、ガーゼに至ってはほぼ全てが血まみれだった。
そんな状況でも五人は協力し、互いの傷の手当てをしながらそれぞれが知り得た情報を交換していく。その中で蓮と翳は花子さんのことも話し、それぞれが彼女の聲に助けられていたことも知った。
「はぁ……ただ旧校舎を見に来ただけなのに、どうしてこんな厄介な事になるかなぁ……」
かぶりをふった流華の悲痛な声。耳が聞こえなくなったわけではないが、その手前に来た彼女にとってこの状況はまさに地獄だろう。
「ところで、雛さんに訊いていいかな?」
グイ、とペットボトルの水を飲み干した透からの声に、翳は蓮を一瞥した。透が何を訊こうとしているのかは蓮にもわかったため、彼は透の手前を塞ぐようにして立ち上がった。
「透、翳さんのことは……」
「蓮、この状況で隠し事は御法度だよ。雛さんが常人のカテゴリーに入らないことくらいは俺もわかるさ。妙に落ち着いているし、今の君の行動で全部わかったよ。話せることがあるなら説明してほしいなぁ。うん?」
「話したくないことも……」
「それでも……話してくれないと死人が出るかもしれないし、この状況に的確な対処も出来ないじゃないか」
「それは……」
どうしますか、と蓮は翳に視線を渡した。それはわざわざ二人きりになるのを待って告白したことだ。ましてや椎名と流華は翳のことを何も知らない。それにも関わらず、
「いいよ、蓮。もう話すべきだと思うから……」
「でも……それは……」
「いいの。みんなと協力しないともう無理そうだからね……」
そう言って蓮に頷いた翳は、髪を弄っていた指を止めると口を開いた。小さい頃の経験など、蓮に告げた通りのことを最後まで説明し、
「これはその時、まつろわぬものに付けられた傷。奴らの名称は……ちょっとした本と柊さんに教えてもらった」
柊さん。その言葉に流華は大きく反応した。
「柊さんって……あの
頷く翳だが、その意味がわからない椎名と蓮は首を傾げる。
「……さっきもその名前が出てきましたが、誰なんですか?」
「驚いたな二人とも、世間の事柄に流されないことは良いことだけど……無関心過ぎるのはいただけないよ。仮にも人間社会に生きているのだからね。柊蓮華とは……稀代なる占い師の名前だよ。占い界では知らない人はいないと云われるほどの実力を持つ人さ」
「相手の心を読む能力に長けていて、彼女の前で隠し事は不可能だと云わしめるぐらいの実力者だよ、しーな」
「うぇ……ちょっち怖いな……」
「そういえば、娘さんが一人いると聞いたけど、どんな人なんだろうねぇ」
「……どうしてその人がまつろわぬものを?」
「さぁ……詳しくは教えてくれなかったから。話を戻すね。教えてもらったこともあるし、小さい頃からそれなりの霊感と……不思議な力があったから、こういった非日常みたいな出来事には慣れてるんだ」
翳は自身の力を伝える。蓮を除いて自分のことを赤裸裸に話すなんてことは滅多にないことだろう。しかも流華と椎名は初対面だ。それにも関わらず、こうして話しているのは状況が許さないことと、こんな状況にも関わらず翳は今日を楽しんでいたからだ。ワイワイ、ガヤガヤは友達がいないと成り立たないものだから。
「ほー、これまた波瀾万丈な人生だー」
「ふむ、それは大変興味深いね。こう言っては語弊があるけど、代わって欲しいなぁ」
「……良かった、危ない人かと思ってましたよ」
三人はそれぞれ翳のことを知り、あっさりと受け入れた。そのことも口にした翳だが、透が人差し指を立ててそれを遮った。
「どうやら、不可思議な出来事には今日で耐性が付いたみたいだ。次回は超能力者が出て来るのかな?」
劇団の語り部のような言い方だ。芝居じみた動きもあるが、今のは皮肉でもなければ嘘でもないのだろう。蓮が知る限り、透の芝居じみた態度はもっぱら嫌味や皮肉でしか使わないのだが、唯一の例外として、彼が親しいと決めた相手には芝居じみてても嫌味を言わないのだ。
椎名も相手の素性がわかれば、おおらかな性格も手伝って気にしないようだ。
流華の方は翳への不信感があったようだが、椎名と同じように相手を知らなかったことからの思いであり、今は彼女への目付きも幾分穏やかに見える。
「良いねぇ……時代遅れの学校の怪談を俺たちは経験し、協力し合って朝日を拝む。まさに呉越同舟であり、袖振り合うも多生の縁、学校の怪談という過ぎ去ったものに対する追憶のノスタルジーだねぇ。鶴さん、本にでもしたらどうだい?」
劇場で公演中の透を尻目に、流華はボソリと椎名に耳打ちする。
「……私たち敵対してた?」
「可哀想だから言わせておけよ」
「…………」
椎名と流華の会話が聞こえたのだろうか、透は不意に黙ってしまった。
「とりあえずさ、どうすべきか改めて協議しねぇ? まつろわぬものとかいう得体の知れない奴もいたしさ」
「そうだね。雛さん、説明出来るかい?」
それを受け取った翳は真面目な顔になった透を一瞥し、口を開いた
「じゃあ……ある程度集まった情報をまとめて、あたしなりの推測をしてみようか」
「そうだね。ぜひご高説を披露していただきたいね」
包帯が巻かれた腕をさすりながら、人差し指を立てる透。
椎名は流華を見る。彼女は頷き、椎名は翳に頷いてみせる。
「スパシーバ。それじゃあ……五W一Hみたいにして、解説してみようかな」
いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように……ですか。
蓮は頷き、翳の言葉に耳を傾けた。
「まずは、事件が『いつ』起きたのか。事件が起きているのは二00七年の七月。これは体験中だからみんなわかってる。だけど、これはあたしにとって重要なことじゃない。問題は過去にも同じ出来事が起きていたか、ということ」
そう言って翳は透が拝借して来た塀華物語を手に取った。
「その答えはこの本に載ってた。大昔、手負いの妖怪が堀華村で封印されている。作り話にしてはずいぶんと妖怪の特徴が詳しくて、腐蝕した胴体、虎みたいな四肢、蛇みたいな尾、狼みたいな頭、黄昏を後光にして黒い霧を纏う……まさしくルゥと蓮の証言通りだよね。こいつが巻き起こしている事件の最初がこの堀華物語の時代で、最近では一九九一年の行方不明事件で間違いないと思う。この行方不明事件は沖田せんせとか透くんの証言から実際の出来事ってわかってる」
四人とも口を開かなかったため、翳は話を続ける。
「次は『どこで』起きたのか。これはその時代によって違うと思うけど『塀華』で起きてる。続いて『だれが』事件を起こしているのか。塀華物語と皆が相対した存在を信じるなら、事件を起こしているのは……大昔、塀華に逃げ込んで来た『まつろわぬもの』だとわかる」
ここで一区切り置いて、翳はまつろわぬものについて話す。
「モノノケはまつろわぬものよりも妖力が低いから使役されている雑魚――とはいえ、修業している霊能力者でもなければ勝負にもならないから。出会したモノノケは、テケテケ、黒い塊、人体模型に骨格標本がそれね。特にテケテケは補食された女子生徒たちの末路……魂ごと使役されてるんだと思う」
「あのカマドウ女はモノノケじゃないのかい?」
「う〜ん……あれは闖入者かな? モノノケ……の類いじゃないかもしれない」
情報としてテケテケや骨格標本らとも喧嘩していることから推測すると、何者にも属さないはぐれ系のまつろわぬものだろうか。
「それと、まつろわぬものはみんなが知っている妖怪のこと。モノノケを圧倒する妖力を持っていて、こんな感じで異空間を作り上げることも、その空間に生きた人間を誘拐することも出来るほどの奴ね。ここの大将は日本のキメラ――
「鵺……か。それが鳴く夜は恐ろしいねぇ」
「『なにを』起こしているのか。これはみんなが絶賛体験中の行方不明事件。『なぜ』このような事件を起こしたのか。それは……あたしたち人間が食事をするのと同じ」
「食事って……あの化け物から見たら、私たちはご飯ってこと?」
「ご名答〜。まつろわぬものの好物は人間の身体でもあり、魂でもあるの」
「どうやら食物連鎖の頂に立つ人間様には、大昔から天敵がいたわけだ」
「ほかにどんな奴がいるのかはわからないけど……奴らは確実に存在している。噂だけど、今でもそれを狩る一族がいるみたい。『どのようにして』これも体験中だね。人間を自分が作った空間に誘拐してじっくり食べる……ってわけ」
「この空間は妖力とやらで構築されているらしいけど、どうして校舎を模したんだろうね?」
「単純に……目が覚めたら校舎がありましたってところだと思う。手負いじゃなければ現実で直に暴れているかもしれないし、校舎どころか街並を丸々コピー出来るかもしれない」
「コピーか……九一年に復活したのに、どうして旧実習棟は二00七年なんだろう」
そう愚痴った流華の言葉に、翳は勢いよく反応した。
「実習棟は二00七年?! ルゥ、それは本当?!」
「はっ……はい、パソコンで見た記事とかが全部二00七年で止まっていたので……間違いないと思います」
「そっか……透くん、第二PC室とかはもしかして……九一年を過ぎてから増設されてる?」
「そうだね。件の校長先生が死体で発見されて……慌てて第二のPC室とかを作ったそうだよ。まぁ……その頃はPC室とかじゃなかったけどね」
花子さんが第二PC室とかに×印を示したことはその通りだった。それは鵺の方も同じで、二00七年に目覚めたら新しい建物(第二PC室などがある箇所)もあったからとりあえず今の旧実習棟をコピーした、くらいだろう。つまり、
「鵺の復活は今年で間違いなさそうだね〜……」
「眠っていてくれて良かったのになぁ……誰か神札でも剥がしたかい?」
透の問いかけに全員がかぶりをふる。
「そうだ、脱出方法に関しては目星はあるのかな?」
「ないかな」
「ないのかよー!」
「ないんだよね〜出るには戦うしかないよ。諦めるよりはずっと魅力的だと思うけど〜?」
「それは面白そうだし、賛成だけど、武器がないよ。せめてまつろわぬもの撃退用の破魔矢とか、撃退出来る左腕とかがないと……」
「はぁ……でもやるしかないんだろ?」
「しーな……本気?」
「もちのろん。あたしはまだ人生を楽しみたいし、捨ててもいないしなー?」
「何を……」
捨てる、その意味を理解した翳は同感と笑うが、流華はかぶりをふった。
「翳さん、鵺とやらと戦わなくても……奴を封印していた何かを直せば再封印出来る、とかはないんですか?」
「うん? さすが蓮くんだね〜慧眼だよ〜。花子さんのおかげで鵺が二回も封印されたことが証明されたし、封印を司るその何かが壊れてもそれを直せば機能することの証明にもなったしね〜。もう一度封印してやれば……脱出出来ると思うよ」
希望を口にしたことで四人の顔がパッと明るくなった。
「じゃあ俺たち五人の目標は……封印していた何かを見つけることかい?」
「その通り〜」
「目星はあるんですか? 神札とか神棚とか……」
「……そこなんだよね。生憎検討もつかないの。とりあえず、奴が暴れていた時から存在していて、この校舎に今も存在している物とか……? しかも二回壊れて一回修復されている物……」
その候補を探して全員は頭の中の引き出しを漁っていくが、思い付くのは黒板消し、掃除用ロッカー、図書室の本、生徒の忘れ物、教科書……。
「それにしても……自分の妖力で作り上げた空間に連れ去って、閉じ込めるなんてお得だねぇ。普通の人には気付かれないし、足も付かないし」
「そうだねぇ〜まつろわぬものの特権かな〜」
「讃えることではないですし……納得しないでくださいよ」
「まず……普通の人じゃ、想像すら出来ない事態にダウン。泣きわめくか、自害するか、信じない神様に祈るかしか出来ないだろうしね〜」
その言葉に今度は透が頷いた。確かに翳がいなければ透たちは状況を把握することさえ難しかっただろう。彼女の推測も助言もありがたいが、気掛かりはある。
「それじゃあ……行動しようか? とりあえず二手に別れるかい? 行方不明事件が起きた本棟、教室棟を調べるチーム。掃除した旧実習棟と中庭を調べるチームで」
芝居じみた態度が消え、顎をこすりながら透は真剣に四人を見回した。
「賛成かい? みんなで行動してもいいけど……」
「少数行動は変わりません。二手に別れましょう」
「それじゃあ、大将を封印させていたものを探しに行こうか。とりあえず……大昔からあって、二回は壊れて、この校舎に今も存在しているものだよ」
皆は頷き、短い相談を終えた。
「わかりました。俺と透は旧実習棟と中庭を調べます」
「二人きりのデートだねぇ? このレディをちゃんとエスコートするんだよぉ? 蓮く〜ん」
意地の悪い笑みを浮かべて透は言うが、蓮はにべもなく無視する。
「そんじゃあ……あたしらは本棟と教室棟だな」
「お互い欠損無しで会おうね〜」
無邪気に手を振る翳。
「すでに包帯だらけですけどね。翳さんたちも気を付けて」
互いに頷き合った四人は防災用具室を出――翳に呼び止められた。
「待って待って、言い忘れてたよ〜椎名には言ったんだけど……テケテケは右手を利き手にしているから、躱すなら左を心がけてね?」
「ああ!? 右ってそのことかよ? 聞き流しちゃいけない情報じゃんか!」
「へぇ? あれに利き手か……よくわかったね」
心底感心した様子で透は目を丸くした。
「ふふ〜ん。小さい頃から得意なんだ〜。相手の癖や仕草の変化を見つけるの」
「観察眼か……それも羨ましいね」
「あとあと、あのテケテケ達は気付いていないと思うけど、飛びかかろうとする瞬間、刹那だけど視線が必ず一点集中になる。見える範囲全ての情報を確かめているのかもしれない。デートする羽目になったら参考にして」
「一点集中……シューティングゲームの達人みたいな感じかな?」
参考にしろと言うが、刹那のそれを見極められるのは翳ぐらいだろう。やはり常人とは違う世界に住んでいるのかもしれない、そう思った四人は改めてかぶりをふった。
「それじゃあ……改めまして、行こうか」
五人は二手に別れて一階に上がった。校内は不気味なほど静まり返っており、見える範囲に動く影は見当たらない。
「さしあたり嵐の前の……ってやつかな」
「言霊になるだろうが……言うなよ」
透の背中を容赦無く蹴る椎名。それは流華が怒る品のない蛮行だが、今は誰も咎めなかった。
「あたしらは教室棟から調べるよ」
「じゃあ俺と蓮は中庭からかな。どうだい?」
「行きましょう」
壊されていないドアを抜け、五人は雨と暴風と黒い霧が支配する校外に出た。何者も存在しないことを互いに確認し合い、翳たちは渡り廊下を抜けて教室棟に入った。
その背中を見送り、蓮は透に続いて中庭へ足を踏み入れた。そこは全校に囲まれた場所のため、校内からなら動きが全て見えてしまう場所だ。テケテケたちがうろついているなら見落とさない状況だ。
互いに懐中電灯の光量を調整しながら中庭を探る。透が言ったように、中庭には整理の名残が散乱しており、雨と暴風でずぶ濡れにされたダンボールや剥き出しのまま横たわっているガラクタの山がある。壊れた小型コピー機、動かない壁掛け時計、束ねられたプリント、見つかるのは濡れたガラクタばかりで、まつろわぬものはこんなものまで再現したのかと呆れていると、ガラクタの一つを持ち上げた透が呟いた。
「中庭をゴミ置き場にしてたから……何かあるかもと思ったけど、昔の人が教材やコピー機にまつろわぬものを封印するはずはないね」
冷たい雨が肌に染み、肩をすくめる透。
「蓮の推測は何だい? 大昔からあって、今もあるもの」
「はぁ……。さっぱりです……。神棚や仏壇が出てきてくれればいいんですが……」
蓮は持っていた段ボール箱を静かに置いた。一つ一つ中を確認していくが、入っているものは最近のものばかりだ。その光景にやれやれと視界を彷徨わせた時――中庭の端に横たわっている段ボールを見つけた。ひしゃげているのを見ると、どうやら二階から投げ落とされたようだ。
それが気になった蓮は調べようとしたが、透からこれ以上の捜索は見つかる可能性があるよ、と退避を促されたため諦めた。中庭には何もないと結論し、二人は旧実習棟を見上げ――。
ギ……ギギィ〜……。
中庭から旧実習棟に通じる非常口が開き、蓮は身構えつつ旧実習棟内を照らした。誰がいるのか手懸かりを求めた光の輪が浮かび上がらせたのは、美術室と音楽室に通じる廊下を隔てるドアがゆっくりと開く光景だ。
「……翳さんたちだと思いますか?」
「だとしたら相当の悪趣味だよ」
透は二階へ通じる非常階段を顎で示し、それに頷いた蓮は罠に飛び込む物好きはいない、と内心で思いながらドアを閉め――。
ドグァン!!
廊下の奥から怒号のような物音が響き、驚いた透は廊下の奥を照らした。
床には木材が散らばり、引き戸そのものが倒れている。そして、揺れる光の中に現れたのは――異様なほど長い腕だ。初見で透はそれが影絵のように見えたため、正体がわからず、魅入られたように目が離せなかった。黒い腕は掴むものを探すようにのたうち、床を掴んで動きを止めた。そうして自らの躰を引きずって現れたのは、ブレザーを着た女子生徒――だが、人としての類似は制服だけだ。
蟲のような動きで躰の向きを変えた女子生徒は、自らを照らす透と顔を合わせ――長い腕を蟲のように用いて這い出した。
「透!!」
蓮は非常口を叩き閉め、固まってしまった透の腕を掴むと非常階段を駆け上がった。その途中、透は頭上の霧の中に蠢く黒い影を見た。霧の海の波間に見えたのは、古典的な死神を彷彿とさせる黒いローブだ。それを蓮に伝えようと思ったが、叩き閉めた非常口が悲鳴をあげたことに気付いて後回しにした。
実習棟の二階に駆け込み、透は背中で非常口を勢いよく閉めた。
「……蓮! あれに対して対抗策はあるかい?」
「霊能力者でも対抗出来るかどうかですよ!? 我々には逃げるしかありませんし――」
蓮がかぶりをふったその時、透が背中を預けていた非常口が激しく揺れた。その衝撃に透は乱暴に弾かれ、勢い良く倒されてしまった。
腕長女の怪力に驚愕しつつ立ち上がった透は、教室を一つ一つ調べていく計画が早くも頓挫してしまったこと対し、即座に別の計画を口に出した。
「計画変更! 逃げるとしようじゃないか! リーチの差があるからね!」
「その候補は?!」
「なら……図書室前を曲がって技術室へ!」
先導するため透は前に走り出た。
図書室前の廊下を曲がった先にあるのは被服室と技術室、そのさらに奥には用具室と書道室だ。どれも怪談とは無縁の場所であり、床に転がる消火器の残骸を横目に透は技術室に飛び込んだ。
二人は即座に室内を照らし、何も隠れていないことを確認すると懐中電灯の光を落とした。完全な暗闇にすることに抵抗はあったが、追われている以上、息を潜める以外に選択の余地はなかった。
「……改めて思うけど、こんな刺激的な体験が出来るなんて最高だね。蓮はどうだい?」
「……俺は二度とごめんですよ。ホラー映画も遠慮します」
二人が小声で話すなか、廊下から荒い息遣いが響く。それに対してギョッとした蓮は、透の腕を掴んで這うように奥の準備室へ向かった。
「……奥だと逃げられないんじゃないかい?」
「明かりを見られないようにすれば……大丈夫でしょう」
そうだといいけどねぇ……。
床を這ったまま、透は小さく息を吐いた。その時、自分の肘に何かが当ったことに気付いた。
おや? これは……。
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