第玖幕 瑞光

「タオルと包帯ならまだあるよ。ほら」


 透はバッグの中から小さなタオルと最後の包帯を取り出して流華に手渡した。


「ありがとう。ちょっと奥に行くね」


 流華は椎名を連れて翳の手当てに向かう。技術室の奥には準備室があり、脱がすにはそこしかなかった。


 そんな三人の背中を見送った蓮だが、どうしてもドアの先が気になって落ち着かない。翳の怪我は辛うじて軽傷らしいが、詳細は教えてもらえなかったからだ。


「大丈夫だよ、蓮。軽傷だって言われただろ?」


 さっきから同じ場所を往復する蓮に呆れながら透は息を吐いた。もう少し冷静だと思っていたけど、本質は感情豊かなのかもしれない。それとも相手が相手だからだろうか。


「手当てが終わったよ、旦那様」


 透に諭された数分後、準備室のドアが開いて椎名が姿を見せた。


「翳さん!」


 椎名のジョークに反応しないまま蓮は準備室に飛び込んだ。


「アオハルってかー?」


「そうかもね。冒険もして恋もして……充実しているねぇ」


 互いに笑う椎名と透。


 準備室に飛び込んだ蓮は、手に付いた血を拭う流華の横にいる翳の姿を認め、彼女の許に駆け寄った。


「翳さん……!」


「ん〜? 蓮くん、心配してくれたの〜?」


 振り返った翳は幸いにも元気そうで、心の底から安堵した蓮は力無く彼女の側に屈み込んだ。


「……心配しますよ! 呼びかけても譫言しか言わないから……!」


「ふふ〜うれしいな〜。心配してくれる人がいるのって〜」


 微笑む翳。その言葉は本心からだ。心配してくれる人、自分のために時間を使ってくれる人がいる……それがどんなにうれしいことか。


「私はお邪魔かな?」


 目の前で見せつけられる逢い引きに、手を洗いながら肩をすくめた流華は呟いた。


 翳の手を握っていた蓮は赤面して手を放すが、翳がもう一度その手を握った。


「へへ〜♪」


 蓮の手を両手で固く握り締める翳。もう少し彼の腕の温もりに浸っていたかったが、残念ながら邪魔が入ってしまった。


「そこの御夫婦さん、悪いけど続きは脱出してからにしてもらってもいいかな?」


 準備室のドアに寄り掛かりながらノックした透は、コホンと咳払いをしてから言った。


「婚約される前に……三人に伝えることがあるだろう? この逃げては隠れ、隠れては逃げのスタイルにもいい加減うんざりだしね」


 含みある透の声に、蓮は翳の手を放して立ち上がった。


「そうでした、大事なことがわかったんです」


 頷いた透はさっき拾ったメモ帳を取り出して四人に見えるように振ってみせた。


「もしかすると……脱出のヒントになるかもしれないよ?」


 その瞬間、三人の顔がパッと明るくなった。何が言いたいのかすぐにわかった。


「本当か――」


「本当だよ。蓮と何回も確認したんだからね」


 椎名の声を遮り、透はメモ帳を翳に手渡した。


「読むべきページはここだよ」


「……じゃあ読むよ?」


 示されたページを見、流華と椎名に宣言した翳は読み上げる。



 年 日 もし、このメモ帳……読む人がいたら……中庭に近付かないで、黒いローブを羽織った死神や黒い塊が中庭を守るように徘徊している。



 そこでページは途切れ、続きは三ページも先だった。



 年 日 あれは恐ろしい光景……一緒……していた智己さんは……中から壊れた……様を見つけたと言った時、黒い霧を纏う……に襲われ、巨大な手で弾き飛ばされた。助けに行こうと……けれど、倒れたまま動かない智己さんの許に、動く人体模型や骨格標本が群がり……全身を切り刻まれて……。今の私には……廊下で物音がした。何か鋭いものを引きずるような……。



 そこで文字は途切れると、最後のページまで何も記入されていない。


 眉を顰めた翳はメモ帳を透に返した。


「……中庭で壊れた何かを見つけたって?」


 黙って聞いていた椎名が声をあげた。


「どうだい? かなり有力な情報源だと思わないかい? これが脱出の決め手になったら……俺はこのメモを書いた人にキスしたいぐらいだよ」


「むこうは嫌だと思うけどな」


「それは心外だなぁ――」


「壊れた……様って何だと思う?」


 椎名と透のやり取りを遮った流華が問うと、真面目な態度になった透が答える。


「それなんだけどね、大昔からあるもの、それの候補の一つを失念していたよ。妖怪といった存在を封印するに相応しく、心霊スポットや事故現場にあるもの、最後に様が付くものといえば――」


「お地蔵様!」


 三人の声が重なった。


「ご名答」


「でも……どうして校舎の中庭に?」


 すかさず流華が質問した。


「……噂になるはずだしな。どうなんだよ、マスゴミ代表。何か噂は?」


「辛辣な冗談だねぇ? 親しき中にも礼儀ありだよ」


「あたしとお前さんは親しいか〜?」


「冗談はいいから……! 真面目に議論してよ!」


 叱られてしまった。


 透は頭を掻きながら、再び真面目な表情を作る。


「噂はないよ。今昔三条物語にお地蔵様は一切出てきていない」


「それじゃあ……」


「でも……無いと決めつけるには早急じゃないかい? 確かめる価値はあると思うよ。それに……壊れたお地蔵様と聞いて心当たりがあるんだ」


 透はそう言って、目を閉じる。三月の整理中に何かが壊れたような音を聞いた。そのことは今でも覚えている。二階から中庭に向かってガラクタを放り投げたバカがいた。そのことを四人に話す。


「本当なら良いけど――いや!」


 椎名は勢い良く立ち上がった。


「うだうだ話してても埒が明かん! いいから言ってみようぜ?! 中庭に!」


「しーな……急に竹を割るね」


「大方、議論が面倒だったんだろうね」


 図星。


「椎名の右眉が微かに動いたから図星だよ〜。まあ、それは置いといて……」


「……置いとくのかよ」


「中庭に乗り込むのは、あたしも賛成! ここで推測するよりも行動!」


 指摘した右眉を確認する椎名に絡まず、翳も行動に賛成した。


「俺らも同意かな」


 蓮も透に向かって頷いたが、流華だけは頷かなかった。


「……乗り込むのは私も賛成だけど、中庭には死神みたいなのが飛んでるし、全校舎から丸見え……迂闊には近付けないよ。どこかで陽動でもすれば手薄になるかもだけど……」


 陽動かぁ……。翳は髪を弄りつつ、陽動作戦について考えてみた。誰かが校外に出て、死神とかテケテケへ大げさに宣戦布告でもしてやれば引き付けられるかもしれない。


 ……さん。


 一人は走るのが苦手で……一人は探索に力を入れてもらいたい。一人はある程度の身軽さがあるから陽動――いや、護衛みたいな動きをしてもらって……もう一人は危険な目にあってほしくない。以上、決まり――。


「翳さん!」


 蓮がいつの間にか目の前に来ていたため、驚いた翳は「ひゃあ」と声をあげた。


「……まさかと思いますが、危険なことを考えている訳ではないですよね?」


 むむ……察しがいい。


「……でもでも、ルウの言う通り誰かが陽動しないと中庭で集中砲火を受けるよ? 全滅しちゃったら意味がないもん」


「では俺が……」


 翳はかぶりをふって、蓮の手を握る。


「大丈夫だよ。この中で一番身軽なのはあたしだもん。うまく立ち回ってみせるよ」


「ですけど……」


 なおも食い下がる蓮を見かねて透は諭す。


「任せようよ、蓮。雛さんの動きなら心配いらないよ。それに……テケテケたちの動きから見て、彼らに優秀な頭脳はなさそうだ」


「ちょいちょい、皆さん、相手はあのハロウィーン野郎だけじゃないぞ? 阿呆でも俊敏なテケテケ、咆哮だけで人間を吹き飛ばす鵺もいてカマドウ女もいるんだぞ? そいつらも呼び寄せることになるから、一人で陽動はヤバいって。唯一霊感があるのがかげりんなんだから……陽動側に付かれるのは異議ありだ。あたしと透で良いよ。騒げば良いんだろ?」


「俺も? 君は流華の護衛として一緒にいなよ」


「……透よ、状況によっては流華の方が強いからな」


 首を傾げる透を無視し、椎名は翳に話しかける。


「もし、お地蔵様が霊感のある人にしか見えない……とかだったら最悪だろ? 陽動は任せな」


 翳と蓮に向かってウィンクしてみせる椎名。

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