学校の怪談2 逢魔の呼び聲

かごめ

プロローグ 黄昏の呼び聲

『十七時を過ぎました。部活動も含め、校内に残っている生徒は全員帰宅してください。繰り返します』


 一日最後の校内放送が流れ、目映い黄金に呑み込まれつつある校舎内は、バタバタと駆け抜けて行く影絵があちこちで踊っている。部活を終えた生徒たちは道具を片付け、校庭や廊下で駄弁っていた生徒たちは一心に昇降口を目指す。


「急げよ〜先生たちも六時には帰るんだからな〜」


「わかってますよ〜」


「さっさと帰りま〜す」


 帰宅を促す教師たちは、黄金郷と化した教室で駄弁っている生徒たちがいないかを見て回り、残っていることがバレた生徒たちは教師たちの左右を抜けて校舎を出て行く。高校生にもなって帰宅を促されるのか、という意見もあるが、学校側としては少しでも生徒を残らせたくないという意図があるのだ。


「ねぇ、今日親がいないからウチに泊まらない?」


「カラオケ行くか? 急ごうぜ」


 見回り中の教師に促されて黄金郷を後にする生徒たち。


「ほら、お前らも急げ」


「待ってよ〜急ぐからぁ〜」


 見回り中の教師に促された女子生徒の一団は教室から出、バタバタと床を鳴らしながら昇降口に駆け下りた。その勢いは乱暴で、一団の一人が三段も抜かして昇降口へ飛び降り――陰から出て来た人影に飛び込んでしまった。


「――あら、もう、急いでいても慌てちゃ駄目じゃない」

 

「あっ……すいません」


 女子生徒が飛び込んだ相手は校長先生だ。定年を間近に控えていることもあり、あわや事故になってもおかしくない勢いで飛び込んで来た女子生徒を受け止めても、その穏やかな顔立ちに驚愕も怒りの影も見当たらない。


「危ないよ〜美香。校長先生、大丈夫でしたか?」


 素直に頭を下げた美香を見、校長先生は衝突の危険さを緩やかに諭しつつ、女子生徒の一団を見た。


「校長先生も見回りしてるんですか〜?」


「ええ。不可解なことばかり起きるから……生徒たちを残しておくわけにはいかないもの」


「でも……その不可解なことって黄昏時ですよね? まだ一時間もありますよ」


「それでも……これ以上の行方不明者は避けたいもの。あなたたち生徒の命の方が大切なんだから」


 校長先生の言葉に感嘆するように頷いた女子生徒たちは、言いつけ通りに昇降口を後にする。


「校長先生も気を付けてくださいよ〜?」


「ええ、ありがとう。あなたたちも……アルバイトも遅くまでしちゃ駄目よ? 最近は物騒なんだから」


「お母さんみたいですねー」


 そう言って笑った女子生徒たちは校舎を後にし、教師たちの見回りで校内に残っている生徒は一人もいないことが確認された。


「校長先生、どこにも生徒は残っていません。今日も大丈夫です」


 見回りをしている教師たちを束ねる体育教師が校長先生の横へ来た。彼はその筋骨隆々の肉体を惜しげも無く披露するシャツと鞭のように持ち歩いている竹刀を床に立てた。


「それにしても……行方不明事件が六時過ぎばかりというのはどういうことなんでしょうね……」


「それは私にもわからないわ……警察にわからないなら素人はお手上げだもの……」


 学校側に出来るのは生徒と教師を十八時までに帰宅させることしか出来ない。今日までで既に五人の生徒が行方不明になっている。その生徒たちは十八時過ぎまで校内に残っていた光景を目撃されており、友人らの証言からも一人きりになってから行方不明になったと推測されている。教師たちに見回りをさせている理由はそれであり、体育教師が責任者を担っている理由だ。警察も変質者の仕業として通学路や周辺の巡回を増やしている。


「とにかく、校内の巡回は任せてくださいよ。もしも変質者がいたら竹刀か消火器を浴びせてやりますよ」


 分厚い胸板を得意げに叩いてみせた体育教師は、竹刀と三人の教師を引き連れて最後の見回りへ向かった。その背中を見送った校長先生は、自分の帰り支度をするために校長室へ戻り――トイレからこっそりと出て来た男子生徒と出会した。


「沖田君?! ちょっと……女子トイレで何をしてるの?!」


 校長室の真向かいにある女子トイレから出て来たのは、沖田光一おきたこういちという名の一年生だ。入学してから今日まで目立っている彼が、女子トイレからコソコソと出て来たその光景に、校長先生は心底驚かされた。


「君の評判は知っているけど……男子生徒が女子トイレに入り込んでいるなんてことを見逃すわけにはいかないからね?」


「ああ……いえ、怪しいことをしていたわけじゃなくて……人捜しをしていて……」


 明らかに挙動不審の沖田の脇には市松模様の紙袋が挟まれており、それを見逃さなかった校長先生は、それを渡すように手を伸ばしたが、


「ごめんなさい! さっさと帰ります!!」


「あっこら!」


 沖田は縮地のような俊足で校長先生の横を抜けると、黄金に輝く昇降口から飛び出して行った。それを止める隙はなく、校長先生は溜め息を連れて女子トイレへ入った。


「盗聴器も……隠しカメラも無いか……」


 何かを隠せそうな箇所は一通り調べたが、怪しいものは見当たらない。それこそトイレの枠の上も調べたが、男が求めるようなアングルの先には何も無かったため、校長先生は安堵を吐き出しながら女子トイレから出た。


 女子生徒に見られていたら校外も巻き込んで大事になっていた。月曜日になったら生徒相談室に呼んでお説教だ。


「校長先生、お先に失礼します」


「最後の見回り……一人で大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫です。最後は私が責任持って確認しますから。お疲れ様です」


 教師たちも残れないため、放課後にはたくさんの荷物を抱えた背中ばかりになってしまう。苦労をかける背中を辛い気持ちで見送った校長先生は、踵を返して一人校内の見回りへ向かった。


 かつては小学校として使われていたからか、放課後になると空気が残滓のようにざわつく時がある。蛍光灯も何故か頼りなく、夜になれば廊下の至る所に闇の住処を提供してしまう。それが黄昏時とはまるで違う校舎の夜の顔だ。とはいえ、この間借りも建設中の新校舎が完成すれば終わりだ。


 別の生き物のように伸びる足下の自分を連れて渡り廊下を抜け、教室棟の窓を一つ一つ確認して回る。三階、二階、一階と異常はなく、次の実習棟も戸締まり忘れはなく、黄昏が連れて来た夜の帳が校舎に差し込み始めた頃、最後の見回りは終わった。


 窓やドアを壊さない限り、変質者が入り込める場所は一つもない。そのことを確認し終えた校長先生は実習棟と教室棟の入り口を施錠し、マスターキーを持ったまま校長室に戻り――。


「……足音?」


 校長室の引き戸を開けた瞬間、その音に混じって足音が聞こえて来た。その足音に引っぱられるように振り返った校長先生は、足音らしき物音が聞こえて来た方向――二階を仰いだ。


 昇降口は二階の天井まで吹き抜けになっており、誰かが二階で物音を立てれば一階の廊下にまで音は届く。その証拠に、聞き耳を立てた校長先生のもとへ誰かが廊下を駆けているような足音がハッキリと届いた。


「……誰かいるの? 悪戯を考えているならやめなさい。先生ももう帰るんだから」


 昇降口と向かい合う正面階段へ来た校長先生は二階にいる某に向けて叫ぶが、少し待っても返事はなく、苛立ちを連れて二階へ上がった。


「もう高校生なんだから、子供染みたことはやめなさい」


 二階の廊下へ顔を出すと、足音はピタリと止んだ。からかっているのか、それとも隠れているのか、読めない意図に苛立ちながら廊下に出た。


「出て来なさい。出て来ないなら警察を呼ぶから――」


 すると、視界の隅で人影が動いた。その人影は実習棟に繋がるドアの横にある生徒用トイレに駆け込んだ。奇しくもそこが女子トイレだっため、校長先生は沖田と同じように何か悪戯をしようとしている生徒の人影だと確信した。


「高校生なら物事の分別は出来るでしょう? 男子生徒が女子トイレで怪しいことをすればそれは立派な犯罪になるんだから――」


 そう叫んだ瞬間――。


 ガシャン!!!


 廊下の反対側にあるドアが乱暴に開かれた。それは教室棟へ通じる渡り廊下へのドアで、最後の見回りで施錠したはずだ。その轟音に殴られたように振り返った校長先生は、力無く開いたり閉じたりしているドアに駆け寄った。だが、そのドアに体当たりされたような痕跡はなく、何かの拍子で解錠され、風か何かで勢いよく開いただけ、常識で考えればそれが正解なのかもしれないが、その常識は教室棟のドアも開かれている光景が嘲笑っている。


 もう足音のことなど吹き飛び、校長先生は早足で渡り廊下を抜けた。苛立ちの眼が捉えたのは、教室棟と実習棟を隔てるドアが口を開けている光景だ。


「誰なの?! 悪戯は止めなさい!! 校舎に乱暴して……壊れたらどうするの!?」


 恐怖よりも苛立ちが勝り、そのまま実習棟へ飛び込んだ。空き教室、中庭へ通じる非常階段へのドアを見送り、校長先生は視聴覚室を横目にしながら廊下を進み――その教室から物音が聞こえて来た。


 中に誰かが潜んでいることを確信した校長先生は、躊躇うことなくそっと引き戸を開けた。すると、中ではスクリーンが下ろされ、机に乗せられたプロジェクターが何も映らない映像を黙々と吐き出している光景が広がっていた。ここまでくると、悪戯の意図が読み取れず、校長先生は室内に足を踏み入れた。


「誰かいるんでしょう? いい加減にしないと――」


 室内を見渡しながらプロジェクターの手前に来た校長先生は、自分の影が伸びるスクリーンを見上げ――そこに人影が映っていることに気付いて足を止めた。映っている影絵は机に乗っかっているようだが、何故か下半身の影が見当たらない。下へ伸ばされた両腕の隙間にあるのは上半身の形だけだ。さらに、振り返ってもその影絵の主はおらず、困惑している間にスクリーンの上部には同じ影絵が増えていた。


「なに……何なのこれは……」


 得体の知れない恐怖から逃げようと後退りした校長先生の背中を、巨大な影が受け止めた。地獄の底から絞り出されたようなうめき声と魂を凍らせる荒い吐息に校長先生は戦慄のまま固まってしまい――。


 スクリーンが動き出した。靄のような、霧のような影絵が水のようにスクリーンを這い回り、それはやがて二文字に変化した。その二文字は――。


 ブス。


 その文字が浮かび上がった瞬間、校長先生の鼓膜と身体を吹き飛ばすほどの邪悪な咆哮が校舎を揺るがした。


 黄昏は転換期……また一人、いなくなる。


    

                プロローグ 完

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