第参幕 誘惑の香

「あんやとで〜す。案内は不要ですんで〜」


 職員室から出てきた翳は、自身と担当者の名刺を財布にしまった。最初はかなり警戒されたが、名刺と電話が疑念を全て払拭してくれた。これで気兼ねなく取材と称した蓮の捜索に集中出来るというものだ。


 自身の薔薇色の高校生活に思いを馳せながら、足の赴くままに校内を散策する。校内を私服でうろつくのは目立つが、十七時過ぎなら校内に残っている生徒も少ない。加えて、明日の終業式に備えて部活動がない。許可してくれた理由の一つはそれだろう。


 静かな校内をテクテクと歩いて二階に上がり、『実習棟』と表記されたプレートが天井からぶら下がる廊下に出た。左右の廊下に人影はないが、確実に人の気配と声がする。すると、第二視聴覚室のドアが開き、二人の女子生徒が姿を現した。


 その内の一人は中性的な顔付きが大人びた印象を与え、歌劇団のような雰囲気に翳は小さく鼻を鳴らした。そんな歌劇団員の横にいる小動物は、翳の推測で145センチと見た。童顔で愛らしい雰囲気を纏っているから無性に抱きつきたくなる感じだ。


 そんなことを思いながら一笑。その横を怪訝な目をして通り抜けて行った二人の背中に向けて小さく手を振った翳は、蓮の捜索を再開した。


 今の二人が下に行ったため、二階の気配は減った。視聴覚室にはまだ誰かが残っているようだが、蓮ではないことを翳はわかっていた。


 廊下の真ん中で仁王立ちになり、耳をすませる。いつも聞いている蓮の声に意識を合わせる。それは翳が幼い頃から得意としてきた特技だ。理屈はわからないが、とにかく捜したい人の声に意識を合わせれば声と居場所が拾える。もちろんしゃべっていることが前提で、範囲も限られているが、校舎ぐらいなら苦もなく拾えるのだ。


 近く――しゃべっている人は違う。


 一階――さっきの二人だ。


 三階――見つけた!


 聞こえたのは透氏の声だが、話し相手はおそらく蓮だろう。翳はその結論を連れ、弾む胸に突き動かされるまま三階まで駆け上がる。


 どこだ〜? 運命の人〜。紅い糸〜。


 三階に飛び込み、ブレーキをかけながら廊下に臨む。二年生の教室が並ぶ静かな廊下を走り、


 D組、C組、B組――見つけた!




 放課後になり、透は約束通りにやって来た。旧校舎でデートしたいと言っていたため、蓮はすぐに動けるようにしていたのだが、「やぁ、御待たせしたね」と言って教室に入って来た透はだらりと椅子に腰を下ろすと、趣味であるカードゲームを始めてしまった。


「最近ご無沙汰だったからね。お手柔らかに頼むよ」


 蓮にカードゲームの趣味はないが、透からカードの山を提供されて対戦相手を担うことが何度もあったため、この世界的なカードゲームのことは知っている。いつの間にか持って来ていた自身のデッキを渡された蓮は、放課後を迎えて既に一時間以上対戦相手になっている。


「三勝二敗か……蓮のデッキを攻略するには、そっちのマナが整うまでに速攻するのがいいみたいだね。そうしないとこっちが三敗していたようだ」


「それはともかく……いつになったら旧校舎へ?」


 蓮はそう言って時計を見上げた。十七時を過ぎていて、外では黄昏の帳が下り始めている。このまま夜を待つつもりなら帰るとハッキリ告げたところ、透もちらりと外の黄昏を一瞥して背伸びをした。


「そうだねぇ……そろそろ頃合いかな。これぐらいの時間なら駄弁っている奴も少なくなっただろうしね」


「何の時間だったんですか……?」


「誰かに目撃されてチクられたら興醒めだろう? 口実をもらっていたとしてもね」


 透はそう言うとカードゲームを片付けた。


「ふふ……久しぶりにワクワクする企画だよ」


「はあ……俺にはよくわかりませんが……昔から肝試しに興味が? そんな動きを見たおぼえはないんですけど……」


「ああ、肝試しに興味はないよ。あるのはその行為に至るまでの――」


「運命の人はっけーん! 逢いに来たよー蓮!!」


 透の声を遮り、廊下にまで響く声で教室に飛び込んで来たのは嵐という自然現象。


「うわっ……まさかここまで追いかけて来るとはね。尽くすタイプのお嫁さんとは羨ましいよ、蓮」


 透もえらく驚いたようだが、冗談は忘れていないようだ。


「まだ付き合ってもいませんよ……」


 蓮はかぶりをふって、翳を静かにさせた。


「どうやってここまで来たんですか……」


「職権乱用かな〜? 取材するって言って担当さんに協力してもらったんだ〜」


「はは……よく信じてくれたもんだ」


 透の発言に頷く蓮。一体何人が彼女を小説家だと信じるだろうか。今年で十九歳らしいが、それすらも本当か怪しい。


「それにしても……洋服の翳さんは新鮮だね、いつも和服を御召しているから」


「ん? そりゃあ持っているよ〜数着だけね〜。夜空って名前の糞生意気な中学生に見立ててもらったんだ〜」


 蓮は透を見た。彼は翳が苦手というわりには、楽しそうに彼女と話す。

 

 たしかに透が言うように、和服ではない翳は新鮮だ。


 蓮に服の種類はまるでわからないが、両手が隠れるほど長い袖を持つブレザー風の黒いブラウスにホットパンツ。何故か左足にだけ紅いニーソックスを履き、足首までの黒いブーツを履いている。特注だろうか、デフォルメされた彼岸花が描かれた小さなバッグを持っている。


「そういえばこの校舎って上履きが必要ないんだね〜驚いたよ〜」


「驚いたのはこっちですよ……デートは先約があるから無理だと――」


「その先約だ、け、ど、あたしも二人のデートに混ぜて〜」


 翳は蓮の口を人差し指で塞ぐと、万歳付きの満面笑みで合流を要求した。


「はっ? 混ぜる、ですか?」


 透と顔を見合わせる。てっきり先約破棄を要求してくると思ったため、言葉に詰まる。


「ま〜ぜ〜て〜……」


 翳の息遣いを感じながら、蓮は小さく息を吐き、透に目に物をいわせる。すると、透はやおら立ち上がり、芝居がかった動きで両腕を広げてみせた。


「もちろん良いよ。予想外で面白い出来事なら大歓迎さ」


「スパシーバ(ありがとー)! 凪凪のどら息子様は懐がひろ〜い」


「どら息子とはご挨拶だなぁ。その通りだから反論出来ないけどね」


 思うことがあるのか、透は目を細めた。不快ということを主張する仕草だが、今日は即座に元へ戻ると、これからのことを改めて説明した。


「へぇ〜旧校舎に行くの〜? チミって肝試しとか好きなんだ〜?」


「目的は肝試しじゃないよ。如何に俺の好奇心が満たされ、つまらない日常に変化が得られるか……それが目的さ」


「なるほどねぇ。じゃあ透くんは人生がつまらないんだ? だから楽しいことを探求するのかな〜?」


 翳の言葉に透が一瞬だけ眉を顰めたことに蓮は気付いた。つまらないという言葉を透はよく発している。それを具体的に説明してくれたことがないため、蓮は一種の享楽主義のようなものと受け取っていたが、あの反応を見ると複雑な感情が混ざる〝つまらない〟なのかもしれない。


「そこまではっきりと明言はしないけど……まあ楽しいことが多ければ良いなと――」


 そこで透は口を閉じ、またニコリと明るくなった。


「この話は終わり。とにかく旧校舎は近いうちに取り壊される。その前に中を探検してみるのも一興だろう? 怪談もあるし、黄昏を後光にする本棟は映えるそうだよ?」


「怪談? そんな話は聞いていませんが……」


「そうだろうね。今時学校の怪談なんて流行らないし、高校生になれば怪談なんて信じない、無粋だねぇ……怪談内容はありきたりだけど、本当だったら脅威だと思うよ?」


 透は楽しそうに話を続け、二人を廊下に促す。


「一つはトイレの花子さん。随分前から噂されているようだよ? それこそ、あそこがまだ小学校だった時からね。それともう一つ、あの旧校舎では昔――正確には一九九一年、行方不明事件が立て続けに起きたそうだ。遅くまで残っていた生徒が靴の片割れやバッグを残して姿を消し、警察や学校側が懸命に捜したが……今でも行方不明のまま。その中で一番大きな事件は校長先生のことだろうね。第一視聴覚室で倒れていた校長先生の首が無かったそうだ。第二PC室とか第二視聴覚室とかを慌てて増設した理由も納得だね。それからというもの、行方不明になった生徒の霊が出て、黄昏時の校内に残っている生徒を襲う、というやつだね」


 蓮の腕にまとわりつく翳は何も言わずに聞いていたが、最後の怪談を一笑した。笑いはしないが、蓮も同意だった。


「どうして行方不明になった生徒の幽霊が校舎に出るんですか? 校長先生ならともかく、行方不明者の生死は不明ですし、納得のいく理由は――」


「無粋だねぇ、蓮」


 透は振り返り、蓮の言葉を遮る。大げさにかぶりをふって、人差し指を立てる。


「無粋だよ。怪談は矛盾や出鱈目な内容があって然り、無責任な噂好きや愉快犯が広めたものだからね。その中に現実性を探し、揚げ足をとるのは無粋だよ。真相はいらない。ようは……そういった怪談を如何に楽しむかが大事さ」


「はあ……では、透もその怪談を信じてはいないと?」


「もちろんさ。でも……幽霊の目撃証言は本当みたいだよ? 証言者を調べて接触してみたけど、出鱈目な怪談を広めて楽しむような阿呆には全員見えなかった。まあ、旧校舎に怪談は付きものさ、一興として耳に入れておくのも悪くないだろう?」


「はあ……そういうものですか」


 首を傾げる蓮を無視し、透は先頭を行く。まだ校内に残って駄弁っている者や、物陰でちょっとしたことを楽しむ者がいたが、もうそこまで脅威ではない。そのため、透は堂々と校内を進み、目的地の一つである二階に下りて足を止めた。いちゃつく二人に振り返り、人差し指を立てる。


「さて、そちらのご夫婦、これから行く場所は新聞部部室である第二視聴覚室だ。そして、幽霊の目撃情報を教えてくれた一人が所属する部だ」


「新聞部ですか? 校舎に直接行けば――」


「ああ、わかった〜。あたしと一緒で口実確保だね〜?」


「さすが、話が早いね。許可無しに行って見つかれば面倒だ。新聞部の取材の手伝いと言えば文句は言えない。探検は好きなだけ出来るってことさ」


「しかし、口実をくれるでしょうか? 学校側に取材と報告したら新聞部は記事にしなければ――」


「その件は心配ご無用。うまく進行していれば口実はもらえる」


 野暮だよ、と言わんばかりに立てられた人差し指は蓮の声を遮った。その人差し指には、黙って付いて来い、という意味があるのだと察した蓮は、それ以上何も言わずに透の背中に従った。そんな蓮に対して翳の方はというと、小さな鼻歌を連れてベタベタと彼に張り付いている。ピクニック兼デート気分のようで、ご機嫌を振りまいている。


 そうこうしているうちに、三人は第二視聴覚室前に来た。一般教室とは違う重厚なドアをノックしてから(中に聞こえるかどうかは不明だが)透はドアを開けた。その後に続いて二人も教室内に入る。


「突然の訪問、失礼します。お楽しみ中でした?」


 失礼します、という言葉のわりに透の声音は軽々しい。だが、声をかけられた主は特に不快さを露にすることなく、一文字の席から立ち上がった。だが、プロジェクターのために暗くされた室内はあちこちに影法師が揺らめいており、立ち上がった人の顔は逆光で蓮たちには見えない。


「ちょっと相談がありまして……よろしいですか?」


 飄々と室内を進んだ透は、スクリーンの手前に立つ女子生徒に近付くと訪問理由を簡素に説明する。その交渉の仕方が敬語だったため、蓮にも交渉相手が年上の女子生徒だということはわかった。


「――というわけでして、小瀬川さんが具申したはずの『取り壊される前に、黄昏で映える旧校舎の姿を記憶に焼き付ける』というネタが採用されたなら、僕らも取材に同行させてほしいんです。写真と記事だけじゃ物足りなくて」


 要は旧校舎に近付く口実が欲しいという無茶な頼みだ。口説かれている女子生徒は、温厚そうな声で受け答えしているが、難色を示しているのは蓮からでもはっきりとわかった。


「椎名にその記事を提供したのは君ね? いきなり旧校舎の取材がしたいなんて言うから変だとは思ったけれど」


「はは……ただ勘違いしないでいただきたいのは、悪戯や破壊目的で行くわけではないってことです。ただ、旧校舎を見たいだけですから」


 すると、女子生徒は立ち上がり、蓮と翳の前まで来た。そこでようやく蓮は彼女の姿を見ることが出来た。


「初めましてね。新聞部部長の大鷲陽です。二人も……彼と同じように旧校舎を見たいと?」


「はあ……その……」


 透を見ると、激しく頷いている。


「そうなんで〜す。今時旧校舎が残っているなんて珍しいじゃないですか〜。だから透くんに誘われた時はうれしかったですよ〜」


 翳が蓮の代わりに答えた。それに対して陽は肩をすくめた。翳が三条の生徒ではないということはわかっているのだろうが、彼女は何も言わない。


「……いいでしょう。月河君は椎名と顔見知りのようですし、お二人もバカをやるようには見えませんしね」


 陽は新聞部用のパソコンがある机に向かい、横の棚からクリアファイルを取り出した。その中から一枚の紙を取り出して、三人を呼び寄せる。


「この部分に名前を記入してください。万が一、事情を知らない先生に見つかってもこれを見せれば大丈夫ですから」


 それは取材申請書のようで、取材内容の下に班員を記入するスペースがある。そこには、小瀬川椎名、椎名流華の名前が記入されていた。見た目が大人しそうなだけに、そこに流華の名前があることに蓮は驚いた。


 いそいそと名前を記入した透に続き、蓮も翳も名前を記入した。陽はそれを受け取ると、新聞部の部長だけが持つ取材承認の印を押し、コピーしたものを透に手渡した。翳は明らかに三条の生徒ではないが、ある意味での信頼という黙認だ。


「あくまで椎名の手伝いですからね? 軽率な行為は慎むように」


「はい、大鷲部長ありがとうございます」


 透に続いて一礼し、蓮と翳は視聴覚室を後にした。


「さあ、口実をもらえたことだし行こうか」


 取材承認書という錦の御旗を満面の笑みで掲げた透は、今にも飛んで行きそうな背中を連れて廊下を堂々と歩き出した。どうやら最初から根回しがあったようで、その手腕と好奇心、快楽に忠実な姿に蓮は呆れながらも驚嘆した。その行動力は羨ましくもある。


「小瀬川さんに根回しがあったんですね?」


「そうだよ。根回しにおざなりは危険だからね、真面目にやったよ。HR前に急いで提供したんだ。ありがたいことに、彼女は具申して記事にすることを選んでくれた。おかげで交渉はスムーズ、余計な謀略は最小限で済んだ。さあ、ご夫婦もこちらへ」


 件の旧校舎に行くには二つの道がある。一つは昇降口を出る。もう一つは旧実習棟にそのまま通じているドアを抜ける道だ。だが、後者の方は厳重に封鎖されていることに加えて人目につきやすい所為で透は前者を選んでいた。


 そんな人目を気にしてルートを選んだ透だが、翳の方は擦れ違う生徒の視線など気にもせず蓮にベタベタと絡んでいる。その目立ちっぷりに対し苛立ちの気持ちは一つもなかった透だが、昇降口から出ようとした時に限って外から戻って来た沖田と出会してしまった。明らかに三条の生徒じゃないと主張している翳を見、怪訝に絡んで来るんじゃないかと内心で身構えた透だが、沖田は何も言わずに職員室へ戻って行った。


「沖田せんせいはやっぱり良い教師だねぇ」


 嬉しそうに蓮に絡んでいる姿を見て、野暮な詮索を流してくれたようだ。そのことにカラカラと感謝した透は、二人を外へ促しながら昇降口を出た。すると、昇降口を出る手前で翳が立ち止まった。


「あっ……二人ともごめんね〜。視聴覚室に忘れ物しちゃったみたいなんだ〜。先に行ってて〜」


 翳はそう言うと、二人の反応を待たずに校内へ戻って行った。


「どうしますか?」


「場所は教えてあるし、もう生徒も少ないし平気だろう。本人が先に行けと言っているんだから行こうか」


 翳の背中が消えたのは二階ではなく、職員室の方だったことを見ていた蓮だが、迷子になってしおらしく泣くようなタイプじゃないことを思い、透の背中を追いかけた。

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