三章 京都府京都市『茨木童子、鵺、そして百鬼夜行』⑤

 時刻は深夜二時を周り、京都市郊外。


 窓から望む京都の中心部、京都駅付近には血の雨が降り注いでいる。

 蒼子、寧音、そして私。全員が臨時死体安置所の廃校に集まっていた。


 元々は保健室と思しき部屋で、身体の自由が利かない私はベッドで寝かされている。鵺の話を信じるならば、私はあと三時間程度で病死することになるが……まぁこれ以上、誰かに迷惑を掛けるぐらいなら、それもいいかもしれない。


 蒼子と再会した私は、包み隠さず茨城に騙されて井戸の蓋を壊した旨を話す。

 良心の呵責もあって黙っている事もできず、もう嫌われるのは覚悟の上だった。

 一通りの聞いた蒼子は、変わらぬ調子で微笑む。


「とにかく縁が無事でよかったよ。あとは僕が何とかするから。縁、泣かないでくれ」


 ……どうしてこう、蒼子は無条件に優しいのか。


 その優しさが逆に辛くて、私は泣くことしかできない。

 寧音から黒巫女の言伝を聞いた蒼子が、顎に手を当てる。


「……それじゃ言われた通り、冥土通いの井戸は黒巫女に任せよう。要するに僕らは百鬼夜行の中で暴れて茨城と鵺をおびき出し、魑魅魍魎もろとも殲滅すればいい訳だね。やることは変わらないな」


 寧音が盛大に溜息を吐いた。


「随分と簡単そうに言うわね。ついでに付け足すけど、それを朝までにという制限時間つきよ。もう湧いた魑魅魍魎が百鬼夜行と呼べるレベルになっているから。朝になって人が起き出す時間になったら大惨事よ。普通の人間は外に出た瞬間に喰われて死ぬわ。それと縁ちゃんが受けた鵺の呪いも解く時間なんてないから、後は術者である鵺を斃すしかない」


 蒼子はシニカルに笑う。


「要するに日の出までに片付ければいいんだろ? それじゃ一分一秒が惜しいから早速始めよう。今夜で全て終わりにする。最後はド派手に決めたいところだね」

「ド派手に、ねえ……」

「勝算は十分にあるさ。また酒呑童子クラスの怪異が発生した場合の対抗策は、この一年で色々考えてきた訳だし」


 続けて蒼子は、隅に立っていた遺体安置所の職員、葛城に言う。


「葛城さんも巻き込んでしまって、本当に申し訳ない。これで公務員をクビになったら、寺社仏閣でよければ次の仕事は斡旋するよ」


 葛城が失笑する。


「いや構いませんよ。私ももう定年退職なので。まぁ最悪、退職金はもらえなくなりますが、沢山の人の命が救えるのならどうでもいいです。一年前みたい話は、本当もうご免です」


 蒼子、寧音、葛城の三人は軽い打ち合わせを行い、そしてこの部屋を出て行く。

 最後に蒼子が私に声を掛ける。


「縁、それじゃ行ってくるから。心配しないで。これが終わったら京都観光でもしよう。僕の地元だからね。案内するよ」


 蒼子が部屋を出ていき、私はまた一人残された。


 ……結局、私は何もできない。周りの足を引っ張っているだけ。浅草で寧音に言われた通り。


 考えてみると、私の人生はいつもこうだった。小学校でも中学校でも集団に同調できず、いつも皆の邪魔になっていた。だから皆から嫌われていたし、虐められていた。そして、それが自業自得である事も解っている。

 私が不幸なのは、私自身が駄目なせいである。周りが悪い訳ではない。

 そんなことは解っている。初めから知っていた。

 しかも今となっては、鵺の呪いのせいで満足に立つこともできない。まぁ歩けても何もできやしないが……。

 とてつもない虚無感に襲われ、誰もいない部屋で私は一人呟く。


「……私は何で生きているんだろう……」


 するとその独り言に応じる言葉があがる。


「――君は生きているからこそ、そこに居る。現世にいる人間の誰もがそうだ。そこに生きているから生きている。それ以上の理由はないさ」


 それは黒巫女だった。酒と思しき一升瓶を片手に、いつの間にか部屋の窓辺に座っている。

 私が驚くと、黒巫女が可愛く頭を傾ける。


「やぁ。突然悪いね。正直、君とは関わりたくなかったんだけど、背に腹は代えられなくなってきたんだ。ちょっと手伝ってほしい」


 口調から察するに鬼一佑雁ではない。遠野で会話をした黒巫女だ。

 私は問う。


「……一体、私に何が出来るの……?」

「こうなると、後はもう百鬼夜行を止めるにはあの冥土通いの井戸を破壊するしかないんだけど、僕の居合いでも破壊できなくてね。でも井戸の蓋を破壊できた君なら、井戸そのものを木っ端微塵にすることもできるはずだ。君しかできない事だから、手伝ってくれ」


 と言って黒巫女は一升瓶に口をつけ、酒を呷った。




 本日二度目。私を背負った黒巫女は、真夜中の京都を飛翔する。

 眼下の京都市街では、動く血肉と人骨、人魂の様なもので犇めきあっていた。

 黒巫女が言う。


「後は白い陰陽師が、うまく茨木童子と鵺を引き付けてくれれば楽なんだけど……。アイツら地味に厄介だ」


 そこで私は、ふと八岐大蛇の発動条件を思い出す。


「……あ。そういえば私、お酒がないと八岐大蛇を出せないんだけど」

「サケ? 日本酒なら持っているけど……」


 黒巫女は袖から日本酒の一合瓶を出した。……この怪異、酒を常に持ち歩いているのだろうか。もしかすると寧音と同じ人種なのかもしれない。

 一合瓶をもらい、私は口をつける。強烈なアルコールの臭いと苦い味がした。

 しみじみと私は言う。


「……お酒って、こんな不味いのに。どうして、大人は皆ありがたがって飲んでいるんだろ」


 黒巫女が苦笑する。


「さぁね。どうしてだろうね」


 血の雨が降り注ぐ市街。その宙を黒巫女は駆け抜けていく。

 途中、左右から巨大な人骨の腕が飛び出して行く手を阻むが、造作もなく一閃で切り捨てる。犇めく怪異の中、破竹の勢いで黒巫女は進んでいた。

 やがて見覚えのある雑居ビルに辿り着き、鳥居を潜る。すると登山道のような空間だった場所が、今は血の川と化していた。

 黒巫女は木や岩の上を伝い、最奥を目指す。

 そして問題の冥土通いの井戸が視界に入った、その時だ。

 突然、前方の虚空から雨の様な数の闇色の槍が出現して飛来、黒巫女はそれを全て躱したものの態勢を崩した。

 私は黒巫女の背中から放りだされ、井戸の付近の地面に転がる。

 顔をあげると、上空では黒巫女と黒ワンピースの幼女、鵺が対峙していた。

 鵺が彼岸花の様に嗤う。


「いやー、絶対にまた来ると思っておりましたとも! 百鬼夜行を止めるには、この井戸を壊すしかありませんからね! まだ壊されちゃ困るんですよねぇ。この井戸が存在して百鬼夜行が人間を殺し、その畏怖を拡大し続ける限り私達怪異の妖力も増していきます。私はもっと、強くなりたいのでー」


 黒巫女が鼻先で笑う。


「お前、怪異のくせに随分と賢いね。それだけ頭が回るなら、冥界に戻ったらどういう酷い罰を受けるか想像できそうなものだけど」

「え、何言っているんですかぁ? やだなー、この私が負けて冥界に戻る訳ないじゃないですかー。確かに前は八幡大菩薩の加護を持つ人間にやられましたが。神仏に祈ることを忘れた現代人に、もはやそんな加護はありません。こんな信仰の薄れた現代で、誰がこの私に勝てるって言うんです? 寝言は寝て言って下さいねっ!」

「ぬかせ。平安の怪異ごときがガタガタと偉そうに」


 黒巫女が抜刀、鵺と交戦する。周辺の魑魅魍魎の注意も、全てそちらに向いていた。

 今がチャンスだった。誰も私を見ていない。

 手近の木を支えに、私は立ち上がろうとする。


 ……あの井戸を、壊さなければ。



***



 茨城は一人、京都市街にあるビルの屋上で煙草を吹かしていた。


 眼下では血の雨が水溜まりをつくり、市街を真っ赤に染めていた。その上を動く骸骨や血肉、人魂が跋扈している。

 もう少し時間が立てば、もっと強力な怪異が冥界から這い出てくるだろう。

 街中に溢れている怪異は、もはや各個に退治できる数ではない。直に人間の陰陽師は愚か、黒巫女も逃げるしか術がなくなる。

 茨城が考えうる限りでは、もう手の打ちようがないはずだった。京都は諦めるしかない。


 ……とは言え、草壁蒼子がこれで諦めるとも思えねぇんだよな。


 妙な予感があった。白い陰陽師、草壁蒼子がこれで逃げ出すような人間だとは、とても思えない。茨城はそう思い、井戸に鵺を残して市街に出て周辺の様子を窺っていた。


 そして茨城が二本目の煙草に火をつけた時だ。

 一台の車両が、犇めく魑魅魍魎達の中を強引に突き進んでいるのが見えた。

ガソリンスタンドにガソリンを運ぶ様な、大型のタンクローリーだ。灯油かガソリンかは解らないが、後部から液体を撒き散らせながら前進している。


 露骨に不自然である。

 そのタンクローリーは国道九号線、五条通りを左から右へ。祇園の方まで行くと、今度は四条通りを右から左へ、液体を撒き散らしながら横断していく。

 間違いなく怪異ではない、人間の手によるものだ。


 ……何やってんだ、ありゃ。


 しばらく茨城はそのタンクローリーを眺めて……やがて、その意図に思い至る。


 ―――もしかして、あいつら。京都の方眼状の町並みを使って、馬鹿でかい巨大な九字の結界を作ろうとしてねえ――――?


 いやいやいやいやいや、そんな馬鹿な。街を囲う程の結界なんて、見たことも聞いた事もない。そんなものを人間が紡げるのか。だがしかし、草壁蒼子なら、あの稀代の陰陽師なら可能かもしれない。


 仮に。もしそうだとしたら。その蒼子は、この巨大な九字が見渡せる場所で詠唱を始めるはずだ。京都において市街を最も見渡せ、かつ詠唱の声が響く場所で。

 そんな理想的な場所に、茨城は一か所だけ心当たりがあった。


 茨城は京都タワーの上の方に顔を向ける。そして案の定、展望室の屋根にて、白い陰陽師、草薙蒼子の姿を見つけた。


 ***


 私は歩けない。


 壊すべき井戸は目前だった。少し歩いて、手を伸ばせば届く距離。

 しかし、私は進めない。足が震えて、どうしても力が入らない。

 鵺の呪いなのか、はたまた単純に恐怖で動けないのか。それは解らない。

 私の感情が一色で染まる。悔しい。

 本当に情けない。まぁどうせ私なんて役に立たない、最後の最後まで駄目な人間だったよね、知っていたけど。そんな失望と絶望が胸中に影を落とし、視界が滲む。


「――――まだ歩けるわよ。だって貴女、生きているんだもの」


 その声に顔をあげると、目前に黒巫女……ではなく鬼一佑雁がいた。

 佑雁が、私に手を差し伸べてくる。


「――ここまで旅をしたら、なんとなく解るでしょうけど。人は死ねば終わりではない。死んだら、別の世界の明日がやってくるだけよ。生きても死んでも、いずれにしても貴女に明日は来る。それなら――――今ここで、蒼子のいるこの世界で、もっと前向きに、もう少しだけ頑張ってみない?」


 私は佑雁の手を掴み、立ち上がる。不思議と今度は力が入った。手を引かれて私は一歩、また一歩と歩き、そしてついに、冥土通いの井戸に辿り着く。


「……や、やった!」


 井戸の縁に手をかけ、そう声をあげた時。佑雁の姿はどこにもなかった。誰もいない。

 もしかすると幻覚だったのかもしれない。


 そして私は、魑魅魍魎が湧き出し続ける井戸に向かい――――渾身の力で拳を振り下ろした。



***



 茨城は歯軋りする。

 蒼子に再び刎ねられた右腕が自由落下を始め、眼下の闇に吸い込まれていく。


 京都タワーの上部。展望室の屋根で、茨城は蒼子と再び対峙していた。

 端的に茨城は追い込まれていた。正直、草壁蒼子を舐めていた。一年前と比べて、蒼子は驚くほどに戦い慣れしている。今の蒼子なら、酒呑童子とも戦えるかもしれない。

 その事実を認めながらも、茨城は頭に憤怒が湧きあがる。


 ――ありえない。おかしい。ふざけんじゃねーぞ。どうしてこの俺が、こんな人生を何の不自由もなく裕福に過ごしてきた生ぬるい人間に殺し合いで負けなきゃなんねーんだッッッッ! この俺が、負ける訳がねぇだろうがッッッ!


 爆音が轟き、茨城は我に返る。

 眼下で京都市街が炎上していた。さっきタンクローリーが撒いていた燃料に火を点けたのだろう。茨城の予想通り、京都市街には、その方眼状の町並を利用した超巨大な九字が炎によって引かれていた。

 蒼子が懐からマイクを取り出し、声を出す。


「あー。テスト、テスト……」


 すると蒼子の声は、市街の至る所に設置された防災スピーカーから発信され、市街全域に響き渡った。

 そして蒼子は、最後の詠唱を始める。


「――――臨・兵・闘・者・皆―――」


 京都中に轟く蒼子の声。

 超巨大な九字の結界。凄まじく膨大な破邪の霊力が収束していくのを感じ、茨城は阻止すべく蒼子に飛び掛かる。

 が、突如背後から飛来した経典が巻き付き、茨城の動きが封じられた。茨城が首だけ振り変えると、そこには蒼子の仲間の僧侶、道明寺寧音がいた。

 寧音が不敵に笑う。


「サシに横槍いれて悪いんだけど、首だけになって蒼子の頭に噛みつかれても困るのよね」


 ありったけの憎悪を篭めて、茨城は叫ぶ。


「草薙、蒼子めぇぇぇぇッ! クソがぁぁぁぁぁぁぁッ!」

「――――陣・列・在・前―――」


 詠唱が終わり、京都市街を跨いだ九字の結界が完成する。

 最後に。蒼子は纏っていた白いモッズコートを、眼下に放る。

 堕ちて宙に広がる白いモッズコート。それはあたかも人型の形をしていた。

 そして蒼子は、その式神を召喚する。


「――――空亡! 全ての悪鬼をッ! 薙ぎ払えッッッ!」


 人型の役割を果たした白いモッズコートが破裂。空間に穴が開いて赤白い丸い球体が発生した。凄まじい勢いでそれは面積を増していき、純白の光を放つ。

 純白が破裂する。


 光が全ての怪異を、人間を、市街ごと呑み込んだ。


***


 私に、全ての怪異の視線が集まっていた。


 黒巫女も、鵺も、井戸から湧いた魑魅魍魎も、全てが動きを止めて私を視ている。

 冥土通いの井戸は木っ端微塵に破壊され、井戸だったと思しき石だけが転がっていた。現世と冥界を繋ぐ路は、完全に絶たれた。

 ややあって鵺が憎々しげに絶叫を始め、私に強烈な殺意が向く。


 その直後だ。硝子が割れる様な音が頭上から響き、私は振り仰ぐ。

 空に広がる闇にヒビが入り、そこから日差しの様に純白の光が差し込んでいた。

 次第に、そのヒビが拡大していき、差し込む光量が増える。

 全ての怪異が空を注視していた。

 黒巫女が何かに気づいたように、呻く。


「……いやいやいや……まさかあの白い陰陽師、空亡を召喚したんじゃないだろうな」


 空のヒビが広がり、ついに壊れて空が抜けた。膨大な純白の光が流れ込む。

昼と見間違うほどの光が堕ちてくる。

 黒巫女が悲痛に叫んだ。


「おいッ! この僕までまとめて斃す気かッ!?」


 素早く手刀を切って五芒星の結界を作り、黒巫女は純白の光を凌ぐ。

 純白の光に当てられた魑魅魍魎は、声にならない断末魔の悲鳴をあげる。

 光に焼かれるように灰となり、全ての怪異が消えていく。それは鵺も例外ではなかった。

 身体の半分を灰にした鵺が発狂する。


「ああああああああああああああああああッ!? こうなりゃ何がなんでも一人でも多くの人間を道連れにしてやるッッッッ!」


 鵺がその血眼に私を映した。そして手にある闇色の槍を振りかぶり投擲。

 それは一瞬だった。

 気がつくと……私の胸にはその槍が生えていた。

 鮮血が迸り、私は何が起こったのか理解もできず、そのまま崩れ落ちる。

 胸に手を当てると、私は流血していた。痛みはない。急速に感覚と意識が遠のいていく。

 しばらくの時間をかけて、私は鵺の槍に胸部を貫かれたことを悟った。


「あははははははははっ、八岐大蛇にならないとそのまま死んじゃいますよー。みんな死ね、死んでしまえ! 老若男女問わず皆、寿命を全うできずに等しく揃って惨めに死んじまえ! あはははははははは――――」


 そんな呪詛と共に、鵺が完全に灰となった。

 感覚の全てが氷のように冷たい。

 視界が真っ黒く塗りつぶされていき、私は何もかもが、どうでもよくなっていく。


 そして私と入れ替わる形で、自分の中にいるそれが、現世に浮上した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る