一章 岩手県遠野市『マヨヒガあるいは座敷童子』②

 『枢木 縁』と氏名の入った運転免許証を受け取り、私は眺める。

 予想通り、免許証には根暗な性格が滲み出ている様な陰キャの写真がついていた。


 なんだコイツ。死人みたいな顔をしてやがる。


 私は自分の写真を見る度に嫌になる。美少女に産まれたい人生だった……。

 そんな沈痛な気持ちになりながら、私は荷物をまとめて運転免許センターの講義室から出た。

 駅で助けられたその後、私は蒼子の手伝いをする事に決めた。帰るつもりもなく自殺する予定にも変わりはない。誰かの役に立つなら、最後に手伝ってもいいかもしれない。


 蒼子に車の免許を持っていない旨を話すと、仕事には必須らしく取得を促された。なお費用は蒼子がもってくれるという。教習所に通う時間も惜しく、蒼子に三日間教えてもらって普通免許試験の一般受験にて一発合格。そして今に至る。

 余裕の合格であり、大して苦労もなく何の感慨も湧かない。

 運転免許センターの外に出ると、ベンチで缶珈琲を飲む蒼子の姿があった。

蒼子が声を掛けてくる。


「……浮かない顔をしているけど。もしかして試験、駄目だったのかい?」

「いや受かった」

「なら、どうしてそんな顔を? 何かあったのか?」


 心配そうな顔をする蒼子。

 なんだか悪い気がしてきた。


「……そういう訳じゃなく、単純に免許の自分の写真が悪いというか。なんていうか、私は死人みたいな顔してるなーって絶望してただけ」


 蒼子みたいな容姿端麗の子に、私の様な不細工でゴミみたいな人間の気持ちはわかるまい。

 免許証を見せると、蒼子が笑う。


「なんだ。どんな変顔の写真かと思ったけど、普通に可愛いじゃないか」

「可愛いって何が?」

「もちろん縁が」

「……」


 私は何も言えない。

 嫌味か? などと思うが蒼子の純粋無垢な表情から、そういった悪意は感じない。

 私は顔が熱くなるのを感じる。褒めるのはやめてくれ……。何て言うか、自分の卑屈さを痛感して、とても惨めになる。


 一緒にいて思うが、この草壁蒼子という少女は全てにおいてポシティブで前向きだった。ナチュラルに他人を褒める事ができ、育ちの良さが滲み出ている。光属性の人間であり、闇の住人である私とは本当に正反対。一緒にいると、私は蒸発して消えそうだ。

 私が男子なら確実に一目惚れしている。そんな確信があった。

 いやー良かったわー、女子で。

 私が胸を撫で下ろしていると、蒼子が飲み終わった珈琲の缶をゴミ箱に捨てる。


「よし。免許がとれたし。それじゃ早速、縁の運転で出かけようか」

「え、どこに行くの?」

「日本列島おみくじの旅! じゃないけど。行く場所はこれで決めてる。はい」


 言って私は蒼子から円柱の木の筒を渡される。

 御神籤のみくじ筒だ。星座の様な模様が刻まれており、妙に禍々しい気配を感じた。

 普通のお神籤と違うところは、棒が出てくる穴が二つあるところか。

 ニコニコしながら蒼子は続ける。


「それは現代のお神籤風に簡略した六壬神課って占術、陰陽術だね。強力な怪異が発生しそうな場所を占えるんだ」

「蒼子の陰陽師って話、本当だったの?」

「冗談だと思ってたのかい? 本当だよ。これでも実家が神社で、陰陽師の家系らしい。まぁそんな話はどうでもいいさ。早く振ってみてくれ」


 促され、私はみくじ筒をガラガラ振って御神籤を引く。

 二つの穴から出てきた棒。そこにはそれぞれ『岩手県遠野市』『お金』と書かれていた。


「……は?」


 私の口から変な声が出る。岩手ってなんだ、ここは東京だぞ。

 蒼子が顎に手を当てる。


「ふむ、岩手の遠野郷か。まぁ東京からなら休憩込みで考えても十時間ぐらいかな? できたら今日の晩ご飯は岩手で食べたいね」

 ……またまたご冗談を。免許をとって初めて行く場所として、岩手県は遠すぎだ。

 え、本気なの?

 私は念を押すように「マジで?」と確認すると、蒼子は満面の笑顔で、マイカーである旧式のフィアット五〇〇の鍵を投げて寄越してきた。

 ちなみに蒼子のフィアットはMT車だ。長距離運転とか鬼かよ。




 蒼子は本気だった。

 東北自動車道をひたすらフィアットで北上。道路標識に『岩手県』の文字が現れる。

 当初はMT車で二時間も三時間も運転なんて出来るのかと不安に思っていたが、実際に運転してみると割といけた。

 何事も人間は慣れだな……なんて思いながら、私はハンドルを握る。

 途中、SAで蒼子と運転を交代。

 運転席の蒼子が口を開く。


「ところで縁は岩手県遠野市が、どういう土地だか知っているかい?」

「ん。私が今、連れて行かれようとしている所」

「そういう話ではなく。そこがどんな特殊な土地かって話さ」


 助手席で私は首を左右に振った。

 知らない。そもそも遠野なんて聞いたこともない地名だ。

 私は地理に弱い。岩手県の観光名所で考えても、世界文化遺産の中尊寺ぐらいしか思いつかなかった。

 蒼子が続ける。


「岩手県の遠野市と言えば『遠野物語』の舞台として有名だね。民俗学者、柳田國男氏が遠野方に伝わる伝承を記した説話集だ。河童、神隠し、座敷童子とか。民俗学や伝承、妖怪、いわゆる怪異のメッカと言っても過言ではない」


 そんな話を聞いて、私は行く前から既に嫌な予感がした。


「なるほど。それで遠野でどんな怪異が起こっているの?」

「それは行ってみないと解らないけど。ただ令和の現代で『強力な怪異』というのは大体二種類だ。一つは古の伝承、伝説などが現代に復活した『フォークロア』もう一つはSNSなどのネットなどを通じて爆発的に広がった『ネットロア』まぁ岩手県遠野市って立地を考えると前者である『フォークロア』の可能性が高い」

「つまり伝承の怪異が遠野に出てるってこと?」

「恐らくは、そうだね。本来は幽霊の寿命は四百年と言われていて。怪異も同様にそれぐらいの月日で世界から消滅するはずだけど、最近は事情が変わって。四百年より古い怪異、伝承のフォークロアが甦っているんだ」

「何かあったの?」

「最近は死者が増えすぎて、冥界が満員御礼の定員過剰なんだ。その結果、あの世から力の強い怪異が現世に逆流している」


 既視感。似た話を、私はどこかで聞いたことがあった。それが事実であると私は知っている。

 私が沈黙していると、蒼子は独りごちる様に言う。


「まあ僕も聞いた話だから、どこまで本当かは解らない。ただ近年、怪異による人的被害が多発しているのは紛れもない事実で、怪異退治を生業にしている陰陽師、僧侶の仕事が多いんだ」

「怪異退治を仕事にするって、いまいちピンとこないんだけど。どうやってお金にするの? 依頼人からお金をもらうとか?」

「そのパターンもあるけど、僕はあまり依頼人からお金を取らない。実家の神社に入るお布施で、生活は十分できるからね。ところで、そろそろ岩手に入るから。縁に少し調べてほしい事があるんだけど……」

「何を?」

「さっきのお神籤だけど岩手県遠野市の他に『お金』って文言が出たよね。つまり何かしら『お金』が関係した怪異だと思うんだけど……とりあえずSNSでそれらしい投稿みたいなのが無いか、調べてほしい。最近SNSが犯罪に使われる事があるだろ。空き巣がSNSで被害者の生活パターンを把握していたみたいな。あれと一緒で、怪異に苦しむ人は若い人ほどSNSに投稿している事が多い。特に例のネットロア、荒廃神社の黒巫女で、黒巫女に助けを願う確率がかなり高い」


 いやそんな上手いこといくのかな?

 とりあえず、私は言われた通りSNSで『荒廃神社の黒巫女』『お金』で検索する。すると最近のものでそれらしい投稿を見つけた。


『#荒廃神社の黒巫女 お金が増えすぎて困っています。助けて下さい』


 字面から感じるパワー。

 いやいや、どういう状況だよ。

 つーか、お金が増えすぎて困ることってあるの?



***



 夜明け前が一番暗い。

 それは西洋の諺であるが、文字通りだな……とフィアットの窓越しに、夜の闇が揺蕩う空を眺めながら私は思った。


 午前三時半、岩手県遠野市。

 途中で長く休憩もとったため、結局ここまで来るのに十二時間以上かかってしまった。

 シャッターの下りた道の駅の駐車場にフィアットを駐め、私と蒼子は遠野の地に降り立つ。真っ暗な夜の世界。道の駅の外灯が、あたかも結界の様に夜の浸食を防いでいた。


 辺りには山と畑しか見当たらず、生まれも育ちも東京都の私からすれば完全に異世界だ。そして蒼子が遠野を『怪異のメッカ』と称していた理由も理解する。

 山、畑、川。この土地の至る所から妖気を感じる。特に山がヤバい。

 私は絞り出すように言う。


「この土地やばくない?」

「昼間に話したけど、やはり伝説や伝承の歴史が遺る土地というのは、大抵やばいよ」


 蒼子は先ほどコンビニで買った地元野菜のキュウリを食べながら応じた。どうしてキュウリ……と、私が不思議そうな視線を送っていると、蒼子が口を開く。


「キュウリ、縁の分もあるよ。食べるかい?」

「いや、そうじゃなくて……」

「どうしてキュウリなのかって? そりゃ岩手県遠野市で一番有名な怪異と言えば河童だからね。河童と言えばキュウリだ。キュウリを食べていれば、河童が寄ってくるかもしれないだろう?」


 いや、そんなカブトムシみたいなノリで河童は寄ってこないっしょ……。

 蒼子にキュウリを渡され、二人でそれを囓る。

 真夜中の道の駅で女子高生二人がキュウリを食べるという構図。端から見れば、とてもシュールだ。幸いにも道の駅には私達以外の人間は誰もいない。……幽霊なら沢山いるが……。

 道の駅の至る所で、消えかけた幽霊が漂っていた。

 悪意は感じず、ただそこにいるだけの怪異。

 と、ここで私はいつの間にか近くに小さな子どもの幽霊がいる事に気づく。何やら物欲しそうな視線を私に向けていた。

 少し考えて、私はその視線が自分ではなく、キュウリに向けられているのだと思い立つ。

 私は子どもの幽霊にキュウリを差し出す。


「キュウリ、食べる?」


 すると子どもの幽霊は、キュウリに手を伸ばし――――消失した。

 完全に気配が消え、現世から消え失せる。

 ……何なんだろう。今の幽霊は。

 その疑問に、頭の中の声が応じる。


『子どもじゃん』『餓死した人間』『三百年ぐらい前?』『江戸時代、天明二年から八年』『餓死した幽霊が多くない?』『大飢饉』『酒が飲みたい』


 私はスマホで『岩手、大飢饉』で検索をかける。

 江戸四大飢饉、天明の大飢饉という単語がヒットする。

 三百年ほど前の大飢饉。この岩手県遠野市という土地でも、数千もの人間が餓死したらしい。

 私はキュウリを食べながら納得する。

 ふと私は疑問を蒼子に投げる。


「それで遠野まで来たけど。例の『お金が増えすぎて困っている』って怪異をどうやって見つけるの? こんなに沢山の怪異がいるんじゃ、中々難しいんじゃ」

「それは勿論、考えてあるさ。作戦があるんだ」

「作戦?」

「これを体の目立つところにつけてほしい」


 蒼子が懐から複雑な模様が描かれた札のようなものを取り出した。


「何これ」

「陰陽術の霊符さ。効果は要するに魔除けの逆」

「魔除けの逆?」


 意味が解らず、私は首をひねった。

 蒼子がその札を、私の頭に貼る。

 すると刹那、周囲に漂っていた幽霊達が、一斉に私の方を向いた。

 私は『魔除けの逆』の意味を悟る。

 つまりは『魔寄せ』らしい。


 ……え? 私が囮になれってこと?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る