一章 岩手県遠野市『マヨヒガあるいは座敷童子』①

 貧乏は惨めだ。


 彼女、飯豊由香(いいでゆか)がそう感じたのは、高校の友人達の話題についていけなくなった時だ。

 話題の中心は本や映画、街に新しくできた喫茶店など。どれも話題についていくには、お金が必要だ。友人達のSNSを見て、放課後に映画や喫茶店などに行って遊んでいるのを見ると、辛い気持ちになる。


 どうして経済的に困窮しているのか。何故こうなってしまったのか。

 理由は簡単だった。一昔前に流行した感染病の影響で、今頃になって父親の勤務していた旅行会社が倒産。家庭に収入がなくなり、飯豊はアルバイトを余儀なくされた。

 特に珍しくもない、よくある話だ。


 まぁ感染症を呪ったところで仕方がない。両親は二人とも仕事を探して都内へ行っており、最近の飯豊は実質の一人暮らしだった。

 学校が終わったらアルバイトに行き、その後は家事をやらなければならない。

 経済的にも時間的にも、友人と遊ぶ余裕はなかった。最近は友人達も察したらしく、私と距離をとるようになっている。かつての親友も、今では疎遠だ。

 仕方ないと思う。

 誰だって、不幸な人間と一緒にいたくないだろう。





 早池峰神社。それは山の奥にある神の杜。

 飯豊はアルバイトが終わった後、藁にも縋る思いで地元の神社に原付バイクで訪れていた。

 昔、祖母が存命だった頃によく一緒に来ていた神社である。祖母曰く、この神社には人間を裕福にする、子どもの神様が祀られているらしい。

 最後の神頼み。

 飯豊にはもう、貧困から脱するには願うしかない。高校二学年であり、そろそろ進路を考える時期だった。できれば大学進学したいとは思っているが、こんな経済的状況では夢のまた夢だ。


 夕闇の中、山奥に厳然と佇む神社。隣には廃校となった小学校があり、その隣の空き地にバイクを駐める。

周辺には誰もいない。虫と風の音、そして飯豊が玉砂利を踏む音だけが響く。

 朽ちる寸前の大きな木造の鳥居を潜り、苔と土の上を歩き本殿へ。お賽銭を入れて本坪鈴を鳴らし、飯豊は願う。


「お金持ちになれますように……」


 飯豊以外、誰もいない神の杜。

 そのはずだが――――。


 ――どうして?


 風音に混ざり、そんな鈴のような声が聞こえた。

 空耳だと思いつつも、飯豊は何となく応じる。


「お金があれば、幸せになれるので」


 結局、世の中はお金である。

 お金さえあれば幸福になれる。それは飯豊の正直な想いだった。

 学校の友人達を見てもそうだ。裕福な家の子ほど勉強ができて、不自由もなく友達が多い。

 色々と建前や綺麗事はあるだろう。しかし結局、幸福とはお金であると飯豊は自身が貧困となった事もあり痛感していた。

 杜に一陣の風が駆け抜けていく。

 飯豊の言葉に応じる声はない。変わらず周囲には誰もいなかった。


 ……やはり、さっきの声は気のせいだろう。


 さて。早く帰って洗濯物を片付けなければ。

 飯豊は駐車したバイクに戻る。そしてヘルメットをかぶろうとしたところで手を滑らせた。地面に落ち、隣の廃校の方へ転がっていくヘルメット。

それを視線で追いかけて……飯豊は気づく。

 神社の隣にあった廃校が、跡形もなく消失していた。入れ替わる様に大きな木造の門があり、奥に民家の様な建物が在った。間違いなく、先ほどまでそこになかった建物だ。


 目をこすって二度見するが、変わらずその民家は目前にある。

 そんな馬鹿な。夢でも見ているのか。

 試しに自分の頬をつねる。痛い。夢ではないらしい。

 民家からは煙が出ていて、門に掲げてある提灯は明かりが灯っていた。人のいる気配がある。


 ……疲れすぎて幻覚を見ているのかもしれない。今日は早く帰って休もう。


 そう思い改めて転がったヘルメットを探すが、どこにも見当たらない。

 民家の敷地の中へ転がってしまったのだろうか。

 仕方なく、飯豊は門に近づいて中を覗く。

 庭には放し飼いにされた鶏と、繋がれた馬がいた。人はいない。ヘルメットもない。


「あのー……すいませんー」


 民家に向かって声を張り上げるが、反応はない。

 危険な雰囲気もなく、飯豊は門をくぐって敷地に入って民家の土間をのぞき込む。土間の奥の戸は開け放たれており、そこから覗く居間には蝋燭が灯り、夕飯だろうか。豪華な料理が何膳も並んでいた。

 しかし、やはりどこにも人の姿はない。

 ヘルメットは依然として行方不明。飯豊は途方に暮れる。ヘルメット無しで原付バイクに乗れば当然、警察に捕まる。


 困った。


 このままでは帰れない。もう日没は過ぎている。ただでさえ山の奥であり道路に外灯もなく、急がなければ真っ暗な山道を走ることになってしまう。

 ふと飯豊は、土間の隅に何かが置かれている事に気づく。

 拾ってみると、それは古びた鍋であった。小さな穴が開いており、鍋としてはもう使えない。恐らく捨てるものだろう。


 ……この鍋、遠くから見ればヘルメットに見えそうかも……?


 試しにその鍋を被ってみる。飯豊の頭に丁度はまり、遠目ならヘルメットに見えそうだった。

 いや鍋をヘルメット代わりにするのはどうなんだ、とは思うが警察に捕まるリスクを考えれば、試してみる価値はある。

 壊れた鍋とはいえ、勝手に持ち出してしまうことに躊躇いがあるものの……背に腹は代えられない。どうせ捨てるしかないものだ。もらってしまっても構わないだろう。

 飯豊はその鍋をヘルメットの代わりにかぶり、民家を後にする。


 そして原付バイクのエンジンをつけて改めて振り返ると……そこには廃校が在る。


 民家なんて、どこにもなかった。

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