序章②『令和七年四月、凶日』
私の人生には恥が多すぎる。
窓の向こうの青空を吐きそうな気分で眺めながら、私、枢木縁はそんな事を考えていた。
SNSを開くと『早く死ね』『幽霊が見えるとか気持ち悪い』『早く精神病院にいけ』等とメッセージが届いていた。
見知らぬアカウントだが、恐らくは高校のクラスメイトの悪戯だろう。他人に言われるまでもなく既に通院しているし、私も自分がとても気持ち悪いと思うし、早く死にたいと願っている。
他人からの悪意ある誹謗中傷が、全て肯定できてしまう。
つらい。
『死は終わりではない。解放である』とは哲学者のソクラテスは言葉であるが、早く解放されたい。楽になりたい。最近はもう、死ぬことばかりを考えている。
むかし読んだ自殺の本によると首吊りが最も確実に、楽に死ねる方法らしい。自宅アパートで首吊りも考えたが、それでは大家である親戚の叔母に迷惑をかけてしまう。
家族から忌み嫌われ、隔離される様にアパートで一人暮らしをしている私であったが、叔母だけは本当に気をつかってくれた。とても感謝しており叔母に迷惑はかけたくない。
そうだ。富士の樹海に行こう。
旅行のノリでそう思い立った私は、用意をはじめる。
自殺するにあたり、最後のメッセージ、遺書など作ったほうが良いだろうか。
まず家族、両親と姉。こいつらには憎悪しかなく、言いたいことは何もなかった。関わりたくはない。早く全員死ね。
次に学校。一応、私は女子高校生という身分であり高校に在籍してはいるが、リモート授業にも出席しておらず完全に不登校だった。もちろん友達なんていない。学校生活が楽しいなんてキラキラしているクラスメイト達は全員死んでほしい。考えるだけで苛々する。
最後に、通院している心療内科の担当医が脳裏をよぎった。『幽霊が見える』『頭の中で七つの声が聞こえる』といった症状を親身になって聞いてくれ、いつも沢山の精神安定剤を処方してくれる。診断によると私は『強迫性障害』『うつ病』『統合失調症』『パニック障害』『適応障害』らしい。
通院する度に処方される精神安定剤の量が増え、とりあえず薬を増やしておけばいいやぐらいに思われていた感じもあるが、割と感謝はしている。サンキュー医者。
一通り考えて、私は最後にメッセージを残したい相手が誰もいない事に気づく。痛感するが、この社会に私みたいな異常者の居場所はなかったのだろう。
幽霊や妖怪、魑魅魍魎。大昔に『怪異』と呼ばれていた存在は、令和の現代では当時の人間達の精神的な病気、あるいは幻覚という見解が一般的だ。
私も同感である。
『怪異が見える』なんて、ただの病気だ。私の頭がおかしいだけだ。
どうしてこんな病気を持ち生まれてきたのか。前世で何か悪いことでもしたのか。周りから異常者、精神病扱いされる事にもう疲れた。
早く死にたい。
私の病気、頭の中で七つの声が響く。
『やめろ』『相手を殺せよ』『自殺は地獄行きだが』『いま地獄は定員過剰』『死人が増えすぎて閻魔がキレてる』『また怒ってるの、あの閻魔』『酒が飲みたい』
精神安定剤をラムネのように囓ると声は消えた。地獄は定員過剰で閻魔が怒っているらしいが、そんな都合は私の知った事ではない。
荷物をまとめてやり残した事がないか考え、私は大事なことを思い出した。
まず趣味で書いていた小説を全て消す。元々現実逃避するために書いていたもので、もう必要はないだろう。
どうせ私の小説なんか、誰も読まないし興味もない。
次にネット上のSNS。過去の投稿を全て消して綺麗にしていく。
SNSの画面をスクロールしていると、黒巫女という文字列が目に入る。
#荒廃神社の黒巫女
これは最近SNS上で流行っている噂だった。
何でも『#荒廃神社』という書き出しで願い事を投稿すると、黒い巫女が現れ願いを叶えてくれるらしい。
いわゆるネットロア。嘘か本当かは知らないが、SNS上では度々この噂が話題となる。
馬鹿馬鹿しい話だ。
まぁ最期である。噂に乗るのも面白いかもしれない。
私はSNSに投稿する。
『#荒廃神社の黒巫女 これから死にます。助けなくていいです』
自宅アパートを出て、アパートの鍵を大家の叔母のポストに投函。
さて。これで支度は全て終わった。
後は交通機関で富士の樹海、青木ヶ原樹海へ行って首を吊るだけだ。人生というゲームのバットエンドが確定して、頭の中でスタッフロールが流れているかのような。そんな気持ちで最寄り駅の改札を潜り、プラットホームに降りていく。
と、そこで私は妖気を感じた。プラットホームの隅の方。行き交うサラリーマン達に向かい、おいでおいでと手招きする幽霊が見える。
駅に電車の到着を告げるメロディが流れた、その時だ。手招きしていた幽霊が付近のサラリーマンの足を掴む。明らかに線路上に引きずり込もうとしていた。勿論サラリーマンに幽霊の姿は見えていない。
……またこの展開か。
目眩がした。
このままでは、あのサラリーマンは電車へ飛び込み自殺をしてしまう。それは解ってはいるものの、私は助けることを躊躇う。
あのサラリーマンには幽霊が見えていないのだ。私が強引に助けたところで、突然頭のおかしい少女に暴力を振るわれた、などと警察を呼ばれて異常者扱いされるのは目に見えていた。そういった話を、私は散々繰り返している。
他人を助ける度に異常者扱いされる。自分が辛い思いをするだけだ。
プラットホームに電車が滑り込んでくる。
……くそ!
結局、私は他人を放っておけず駆けだした。
本当に自分が嫌になる。お人好しすぎる。どういう死に方をしようが、所詮は他人、放っておけばいいのに。
幽霊に足を引っ張られ、プラットホームから転落していくサラリーマン。私はその腕を掴んで引き戻そうとした。サラリーマンの体は予想以上に重く、私はバランスを崩す。
サラリーマンと入れ替わる形で、私がプラットホームから落ちた。
あ。
眼前に迫る電車。
顔面蒼白となった運転手と視線が合う。
私、死んじゃう。
かくして私の人生は完結…………しなかった。
体に強い衝撃を感じ、気がつけば私はホームの上を転がっていた。
残念ながらまだ生きている。
誰かがホームの緊急停止ボタンを押したようで、けたたましいベルの音が鳴り響いていた。
何が起こったのか。
私は頭を抑えながらホームにへたり込む。
とにかく、私はまだ生きているらしい。
先ほどの眼前に迫る電車の光景が脳裏を過り、今更になって実感が沸き鳥肌が立った。耐えがたい恐怖に襲われて涙が出た。嗚咽が漏れる。
すると背後からソプラノ声が響く。
「――――間に合って良かった。大丈夫かい?」
振り向くと、見知らぬ少女が私をのぞき込んでいた。歳は私と同じぐらいだろう。白いモッズコートに帽子と全身白づくめ、そんな格好をした亜麻色の髪の少女だ。容姿端麗で見るからにポシティブでクラス委員長でもやっていそうな雰囲気があった。顔に見覚えはない。
どうやら私がサラリーマンを助けたのと同様に、私もこの少女に掴まれてホームに引き戻された様だ。少女の背後には、私が助けたサラリーマンがホームに倒れていた。
その少女が屈み込んで、私に視線を合わせて微笑む。
「君、また随分と酷い顔をしているね。助かったんだから、そんな泣かないでくれよ。……しかし君も随分と間抜けだな。他人を助けようとして、自分が死にかけるなんて」
嗚咽が止まらず、言われなくても自分が酷い顔になっているのは解っている。
私は声を絞り出す。
「……どうして私を助けたの?」
「質問を返すようだけど、君だってどうしてあのサラリーマンを助けたのさ。それと一緒だよ。人を助けるのに理由は必要かな」
「……私は死にたかったの。だから余計なお世話。元々、自殺するつもりだったし……」
白い少女は肩をすくめた。
「それは悪かったね。まあ自殺するにしても、こんな悪意ある幽霊のいるところは止めた方がいい。君もああいう、他人を自殺へ誘う怪異になりたくはないだろ?」
『幽霊』『怪異』という発言に、私は驚く。
「貴女あの幽霊が見えるの?」
と、ここで私の視界は先ほどの幽霊を再び捉えた。今度は目前の白い少女の足を掴んでいる。白い少女は足下の幽霊をつまらなそうに一瞥すると、腰にぶら下げていた細い棒の様なものを取り出す。
「厳密に言うと、これは幽霊ではなく。人に取り憑いて自殺させる妖怪『縊鬼』だ。昔は首を括って死ぬのが手軽な死に方だったから縊鬼なんて呼ばれたけど、今は帰宅途中のサラリーマンを電車に飛び込ませた方が手軽だからね。自殺の名所なんて言われている駅は、大体こいつの仕業だ。……令和の怪異退治はスタンガンが手軽で楽だね」
白い少女は細い棒状のスタンガンを幽霊、縊鬼に突き刺した。青白い光が放たれ、電気のスパーク音と共に縊鬼は消失する。
疑う余地はなかった。白い少女は私と同じものが見えている。
私は恐る恐る訊く。
「……貴女も私と同じ病気なの?」
これに白い少女は、きょとんとした顔になった。少しの間をおいて腹を抱えて笑い出す。
「これは病気ではないさ。いわゆる霊感で、見える人間には見えるし、見えない人間には見えない。どちらかと言えば才能がある方なんだ。もし君が、この才能のせいで社会から病人扱いをされてきたのなら、本当に病気なのは自分の知らない才能を許容できない社会の方さ」
私は戸惑う。
幽霊などの怪異が見えるのを、私はずっと病気だと考えてきたし、周りからもそう言われ続けてきた。今更それが違うと言われても納得できない。
白い少女が続ける。
「ところで、これは提案なんだけど。君は幽霊や妖怪、魑魅魍魎、妖異神鬼、いわゆる広義の呼称で怪異が見える人間だよね。こう見えて実は僕は陰陽師で、怪異退治の仕事をしているんだ。どうだろう、僕の仕事を手伝ってもらえないかな? この仕事は霊感のある人間にしかできないし、ちょっと色々あって怪異退治業界は物凄い人手不足なんだ。勿論バイト代も出す。どうせ死ぬつもりなら構わないだろ。あぁ、これが名刺」
そう差し出されたのは一枚の名刺だ。可愛いイラストがついている。
『陰陽師、草壁蒼子』
それが白い少女の肩書きと名前らしい。名刺にはSNSのIDも記載されていた。気になり私はスマホでそのIDを検索、そして吹き出した。
『陰陽師、草壁蒼子』はそのままSNSのアカウント名であり、フォロワー数が五万を超えている。いわゆる世間に多大な影響力を持つインフルエンサーだった。
私もこのアカウントは知っていた。日本の廃虚と寺社仏閣、原風景の写真を投稿してSNS上で反響を呼び、いつもバズっている、つまりは物凄い拡散されている。
絶句していると目前の白い少女、蒼子が言う。
「まぁ陰陽師なんてやっているけど、それ以外だと僕は普通の女子高生だ。差し支えなければ、君の名前も聞いてもいいかい?」
「枢木縁」
そう私が名乗ると蒼子が一瞬、眉をひそめた。すぐに笑顔に戻る。
「……なるほど。くるるぎ、ゆかりね。よい名前じゃないか。ゆかりんって、呼んでもいいかい?」
「やめて」
即座に私は拒否。
構わず蒼子は笑う。
「それじゃゆかりん、よろしく頼むよ」
強引に他人に愛称を付けるあたり、草壁蒼子からは陽キャやパリピの気配を感じる。私とは真逆の人類だ。
蒼子と会話をしていると何か妙な違和感があった。数秒考えて、それが同世代の人間と久々にまともな会話をしたせいであると気づく。もう何年も友人と呼べる人間はいない。
暫くして、プラットホームで鳴り響いていたベルが止まる。そして数名の駅員が駆け寄ってきた。
それを見た蒼子が、
「駅員に捕まったら色々面倒だ。さ、早く逃げようか」
と私に手を差し伸べてくる。
「……逃げるって、どこに?」
「勿論、ここ以外のどこかさ。何も言わず僕についてくればいい。それとも縁は、こんな処にずっといたいのかい?」
こんな場所に。
こんな世界に、いたくはない。
気がつけば私は、差し出された蒼子の手を握り返していた。
かくして。
私と蒼子の怪異を巡る旅が始まる。
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