一章 岩手県遠野市『マヨヒガあるいは座敷童子』④
飯豊の家は市街の外れにあった。要するにかなり山奥。
木造の一軒家で、そこまで古い建物ではない。家の裏手には山が広がっており、付近に川があるらしく、耳を澄ますと水の流れる音が聞こえた。
田舎でスローライフをおくるには、ぴったりの立地だ。
私としては割と、ここに住むのもアリだと思う。
飯豊が玄関を開けると、家の中に人気はなかった。
「何もない家ですが、どうぞ上がって下さい。とりあえずお茶でも出しますね」
「一人暮らしなの?」
私がそう聞くと、飯豊の表情がやや曇った気がした。
「今は実質一人ですね。父と母が東京に仕事で出ていて。兄も関東の方の大学で一人暮らしをしてますし」
私と同じく、あまり良い家庭環境ではない気配を感じたため、それ以上は聞かない。
リビングに通され、端の方で無造作に積まれている現金の札束や金塊を見て、私は感嘆の息を吐く。
見たことのない大金だった。
金塊の具体的な価値は解らないものの、札束だけで考えても一億円ぐらいはありそうだ。
飯豊は溜息を吐く。
「……最初の頃は拾った金塊や落ちてきた現金はラッキーぐらいの感覚で集めていたんです」
蒼子が眉をひそめる。
「家に現金を置いておくのも物騒だね。空き巣や侵入強盗に狙われる恐れもある。銀行に早く入金してしまったほうがいい」
「実は一度、お金を銀行に入金しようとしたんですが、それもできず……」
「どうしてだい?」
「私みたいな女子高生が大金を持っている事自体が怪しいって事で、警察を呼ばれまして……。調べたらそのお金、なんか昔、どこかの強盗事件で盗まれた金だったらしくて。そのまま警察署で事情聴取を受ける羽目になりました」
お金は拾った物だと言っても中々警察に信じてもらえず苦労しました……と話す飯豊。
確かに振り込め詐欺などが未だにニュースとなる昨今だ。銀行員や警察官からしても、何の変哲もない女子高生が大金を入金しようとしているのを見れば、事件性を疑うのも当然だ。
現代社会では、人の身分や立場によって、おおよそ常識的な資産、現金というのは決まっていて、それを超える大金を偶然手に入れたところで、自由に使うことは出来ないのかもしれない。
本当に面倒な現代である。
蒼子がリビングを見回しながら口を開く。
「とりあえず家の中と、庭を見て回ってもいいかい?」
「構いませんよ。特に見られて不味いものもないので、自由に見て頂ければ」
私と蒼子は、手分けして家の中を見て回る。
トイレ、居間、廊下、二階。
リビングに詰まれている現金や金塊を除けば、普通の住宅である。
特に違和感も怪異の気配もしない。
私が二階を見終わり、一階に戻った時だ。
リビングに続く廊下に白い蛇が這っているのを見て、私は硬直する。
ゴキブリや蜘蛛なら解るが、家の中に蛇は這うものなのだろうか。しかも白い蛇とは珍しい。
私が混乱していると、それに気づいた飯豊が駆け寄ってきた。
「ああ、すいません。裏が山なので、油断してるとすぐ家の中に入ってきちゃうんですよね」
怖じ気づくことなく慣れた様子で、飯豊はホウキで蛇を外へ追い出した。
……私は先ほど、ここに住むのもアリかもしれないと思ったが、その考えを訂正する。無理だ。蛇が出る家なんて、とても住めない。
その後、私達は庭に出た。
近くで川のせせらぎが聞こえる。飯豊の案内で山の中を少し歩くと、そこには大きな河原があった。川幅は四メートルぐらい。そこまで深そうな川でもなく、子どもが遊べそうだ。
河原には大木や、大きな岩石がいくつも佇んでいる。
流れる川を眺めながら蒼子が独りごちる。
「むぅ、さすがに川の中までは調べられないか」
私は吹き出す。
「いや。さすがに川の中に座敷童子はいないっしょ」
蒼子は頭を振った。
「そうとも限らない。座敷童子イコール河童という説もあるぐらいだ。川の中に潜んでいても不思議はない」
結局、私達は家の周辺でも怪異を見つけられず家に戻った。
蒼子が飯豊に訊く。
「パッとみた感じ、特に家に怪異は見つけられなかったけど……。あと出来たらなんだけど、飯豊さんの家族の誰かに連絡をとってもいいかい? さっきお兄さんがいるって話だったよね」
「いいですけど、兄に何かあるんです?」
「例えば座敷童子という怪異だった場合、その効果は飯豊さん一人ではなく、一族全員に及ぶんだ。だから飯豊さんだけでなく、君の両親や兄弟も同じ状況になっているはず。逆にマヨヒガであれば、影響はそこに迷い込んだ一人だけだからね」
「なるほど。まぁ兄なら構いませんよ。えっと電話番号はですね……」
電話番号を聞いた蒼子がスマホを取り出し、さっそく電話を掛ける。しばらくコールするも、どうやら相手は電話に出ない様子であった。
飯豊が空笑いを出す。
「兄は大学生なので、中々連絡がつかないんですよね……。そのうち、折り返し掛かってくると思います」
大学生である事と、連絡がつかない事は関係がないはずだ。単に飯豊の兄がルーズなだけでは? ……なんて私が内心で突っ込みを入れた時だ。自宅前に停車している飯豊の原付バイクに目が留まり、私は先ほどのヘルメットを思い出す。
「……そういえば。飯豊さん、さっきバイク乗るときにヘルメット被ってたじゃん。あれってヘルメットじゃないよね?」
私がそう切り出すと、飯豊は不思議そうな顔をする。
「え、ヘルメットですよ? 自転車と違ってバイクは、ヘルメットを被らないと警察に捕まりますし」
「あれ鍋だよね?」
「ヘルメットですよ?」
「え?」
「え?」
やばいなこれ。話にならない。
会話に困り、私は咳払いをする。
「地元ルールとか、そういう文化なの?」
「すいません、何の話ですか?」
「ちょっと見せてもらってもいい?」
私は飯豊の原付バイクに近づいて、問題のヘルメットに観察する。
それは間違いなく鉄製の鍋であった。
食材を煮るための調理器具。しかも底に穴が空いている。
私はその鍋に手を伸ばす。触れた瞬間、冷たい鉄の感触と――――妖気を感じた。
この世の物ではない、妖異神鬼の匂いがする。
私は訊く。
「飯豊さん、これ、絶対にお店で買ったものじゃないよね?」
「……実は一ヶ月前に、神社行った時にヘルメットを紛失しまして。それはヘルメットの変わりで。近くにあった民家からもってきたものです」
「さっき蒼子が民家から何か持ち出していないか、って訊いてたと思うんだけど、どうして言わなかったの?」
私は言葉を選んで、そう告げた。
すると飯豊が言いにくそうに、
「……すいません。その民家から勝手に持ち出したものなので。当然、それが犯罪なのは解っていたので言いにくくて……」
なるほど、飯豊も自分の犯罪行為が露呈する事になるため、言いにくかった訳か。
私は頭を捻る。
「……てか、飯豊さんもお金は沢山ある訳だし。どうして新しいヘルメットを買わないの?」
その私の問いに、飯豊は困った顔になる。
「いや確かに、その通りなんですけど。なんか不思議と、その鍋のままでいいかなーと思ってしまい、ずるずると使ってしまいまして……」
よく解らないが、それも怪異の影響なのかもしれない。
私が黙ると、ややあって蒼子が断定する。
「決まりだね。そういう話になると、可能性の高い怪異は一つだ」
***
「マヨヒガ、或いは迷い家。遠野物語六十三、六十四にて綴られた有名な伝承だ」
蒼子は続ける。
「概要としては、それは山中に現れる幻の家の怪異。その民家に生活の形跡はあるものの人間は誰もいない。迷い込んだ人間は、そこから一つ物を持ち出す事が許され、そして長者になれるという」
飯豊が例の鍋を抱えながら応じる。
「要するに私のこの現象は、マヨヒガから鍋を持ち出してしまったのが原因ってことですか?」
「その可能性が高い。だとしたら、もう一度マヨヒガにいって、その鍋を返してくればいい。それで全てが元通りになるはずさ」
飯豊がその民家、マヨヒガに迷い込んだのは地元にある神社の付近であると話す。
早速、私達はフィアットで向かう。
到着すると、そこには荘厳な神社があった。
隣には廃校。社務所は無人で、人の気配はまるでないが、どことなく怪異の気配だけが漂う場所だった。特に背後に悠然と佇む早池峰山からは妖異神鬼の圧を感じる。
マヨヒガを見つけるため、私達は付近を散策する。
『早池峰山、登山口』の看板を見て、私は嫌な予感がした。
同じく看板に視線を向けて、隣の蒼子が軽い口調で言う。
「よし。とりあえず山に登ってみようか」
私はビビる。とりあえずじゃねえよ。そんな帰りにコンビニに寄ろうかぐらい軽い調子で登山を提案されても困る。
嫌だよ。山道をそんな何時間も歩くなんて考えられない。っていうか登山の何が楽しいんだろう。ただの苦行じゃないか。
私が絶望していると、飯豊が意見する。
「その民家を私が見つけたのは神社の付近でしたし。登山することはないと思います。それに早池峰山を登ろうとすると丸一日かかりますよ」
「早池峰山は日本百名山の一つだからね。一度登ってみたかったんだが……まぁ今度にするよ」
蒼子は登山を諦めた様子で、私は胸をなで下ろした。
その後、再び付近の捜索したものの結局、何も見つからない。日暮れと共に強い疲労感に襲われる。
蒼子が立ち止まり腕を組む。
「妙な気配があるから、ここで間違いなさそうなんだが……。マヨヒガが見つけられないと仕方ないな」
同感だった。此処には例の鍋と同じ匂いがする。
私は応じる。
「……もしかしてマヨヒガって普通の怪異と違って、何か発生条件とかあるんじゃ」
「その通りだね。遠野物語にも、欲をもってマヨヒガを探しに来た人は結局見つけられなかった……なんて話がある。つまり欲があってはマヨヒガにはいけないんだ」
「なるほど。マヨヒガは、無欲でないと迷い込めないと。それじゃどうするの? 人間、無欲になるって難しいと思うけど」
「簡単さ。心を無にする術が、日本には古来より存在している」
「そんな方法あるの?」
「座禅だ」
「座禅」
私は復唱して硬直する。
蒼子は顎に手を当てる。
「座禅で無心になれれば、マヨヒガも現れるかもしれない。試してみる価値はあるな。それじゃあ行こう」
「え、どこに?」
「勿論、修行にさ」
言って蒼子は、にっこり笑った。
***
座禅とは、姿勢を正して精神統一をする仏教の修行だ。歴史は非常に深いらしいが、申し訳ないが私は宗教的な話に興味はない。どうでもいい。
そんな事を考えていると、背後に立つ僧侶に木の棒で叩かれた。
普通に痛いんですけど。え、これ体罰じゃないの?
っていうか。何で私、こんな所で座禅なんかやる羽目になったのか。
神社から引き上げた私達は、そのまま蒼子の知り合いの寺の宿坊に泊まり座禅をさせられていた。意味不明すぎる。
飯豊も巻き込まれて座禅をしているが、窓から現金や金塊が飛来して悲惨な状況だった。
現金はともかく金塊は、飛来して体に当たると痛そう。アザになりそうだ。
一人だけ慣れた様子の蒼子は、澄ました顔で座禅を組んでいる。
終わった後、くたびれた私は蒼子に訊く。
「ねえ……どうして私まで座禅をやる必要があるの……? 蒼子だけで良かったんじゃないの?」
「そこはノリで」
「ノリ」
私は思わず反芻した。
飯豊が半泣きの声をあげた。
「あのー……少なくとも私は座禅、やることないんじゃないかなーと」
蒼子が肩をすくめる。
「折角JKが三人揃っているんだから、楽しくみんなでやった方が面白いだろ?」
なんでJKが三人揃って楽しくやることが座禅なのか。いい加減にしろ。
翌日。座禅修行を経て私達三人は、満を持して神社を再訪した。
昨日と同様に再び周辺を探索する。
……が、結局マヨヒガは現れなかった。
私達の座禅修行は無駄に終わる。
つらい。
蒼子は軽快に笑った。
「うーーーーん、やっぱり一日程度の座禅じゃ何の意味もなかったか。仕方ない。陰陽術でちゃちゃっとマヨヒガを探そうか」
「座禅をやった意味とは?」
「なんで座禅をやらせたんです?」
私と飯豊が同時に突っ込む。
無視して蒼子は続けた。
「ちょっとあの鍋を貸してくれ」
飯豊が鍋を蒼子に渡す。
すると蒼子は鍋を両手でもって掲げて詠唱する。
「――――急急如律令、汝の在処を映せ」
そして鍋の底を覗き込む。厳密には鍋の底に空いた穴から、周辺の風景を見ていた。
鍋の穴を望遠鏡にする様に、蒼子はぐるっと周囲を見る。そして蒼子の動きは神社の隣にあった廃校で止まる。
「見つけた。あったぞ」
言いながら蒼子は廃校に向かって歩き出す。そして宙に手を突き出し、手刀をきった。
気がつくと、そこに在ったはずの廃校はない。
大きな民家が悠然と出現していた。
一言で言えばそれは、大正、明治時代の様な雰囲気の大きな木造民家である。
大きな木の門があり、その奥には平屋が見える。どこか懐かしい日本の原風景。
蒼子はスマホで、物凄い勢いで写真を撮っていた。
私は色々と合点が行く。
蒼子がSNSでバズっている写真は、この様に撮られたものらしい。
沢山の写真をとって満足したらしく、蒼子が感嘆の息を吐いた。
「これは凄い。曲がり家じゃないか」
「曲がり家って?」
私がそう訊くと、蒼子は人差し指を立てる。
「昔の盛岡藩領によくあった、伝統的な家屋の建築様式だよ。母屋と馬屋が繋がっていて、L字型になっている。だから曲がり家と言う。曲がり家は日本十大民家の一つにも入っている」
民家に大して興味も沸かず、私は適当に蒼子の話を流す。
蒼子を先頭に私達は門をくぐり民家の敷地へ。
放し飼いにされている馬や鶏。民家からは白煙があがり、壁にかけられている提灯には明かりが灯っている。
人の気配を感じた。
しかしどこを探しても人の姿はない。民家の中を覗き込むと夕飯の支度だろうか。台所と思しき場所には洗った野菜が置かれていた
蒼子は言う。
「さて。それではこの鍋を早く返そう。飯豊さん、これはどこにあったんだい?」
「えぇーと、たしか土間の端のあたりだったと思います」
……土間って?
私は疑問に思うが、蒼子には通じたらしい。
民家の玄関先、土が露出している一角を見つけると、そこに鍋を置いた。
「よし、これで終わりだ。撤退するけど――――」
蒼子が私を一瞥して続ける。
「――――ここに来た以上は、何か一つ持って帰ることが許される。ご存じの通りお金持ちになれる訳だが……縁は、何か持って帰らなくてもいいかい?」
私は苦笑する。
「別にいらない」
確かにお金持ちになれるのかもしれないが、飯豊の状況を見ると、とても同じようになりたいとは思わなかった。お金があっても幸せそうには見えない。
……もしかするとお金とは、不幸を回避するために必要なもので、幸福になるためのものではないのかもしれない。
結局、私達は何も持ち出さずに民家の敷地から出た。
蒼子は再び、宙に手刀を切る。
振り返ると、そこにはもうマヨヒガはなく、元あった廃校が佇んでいた。
白昼夢でも見ていたような気分である。
私は言う。
「これで終わり?」
「……恐らくは」
そう応じた蒼子は、どこか自信のなさそうな面持ちをしていた。
***
フィアットで飯豊を自宅まで送り、蒼子は運転席の窓を開け、
「とりあえずマヨヒガはこれで落ち着くと思うんだ。少し様子を見てほしい」
と医者のような台詞を言った。
飯豊が元気に応じる。
「本当にありがとうございました! お金はちゃんと払いますので」
「お金は別にいらないよ。明日また来るけど。何かあったらすぐに連絡してほしい」
飯豊に念を押した後、蒼子は車を発進させた。
二人きりになった後、助手席の私は蒼子に訊く。
「これで終わりじゃない可能性ってあるの?」
「正直、微妙だね。紛れもなく飯豊さんに憑いていたのはマヨヒガなんだが……なんて言うか、少し気になって」
「気になる?」
「あの場所だよ。早池峰神社ってさ、そもそも座敷童子で有名な土地なんだ」
私は、その座敷童子という怪異をよく知らないが。
蒼子の考えすぎの様な気もした。
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