二章 東京都台東区浅草『浅茅ヶ原の鬼婆および動く骸骨』⑤
蒼子が足をどける。
床に蜘蛛のものと思しき体液が広がっていたものの、死体はなかった。蜘蛛は忽然と姿を消している。
蒼子は嘆息する。
「逃げられたらしい。いやはや、大したものだね」
寧音は酒を煽りながら応じる。
「でもまぁ、流石に踏み潰されれば再起不能でしょうね。で、どうするの? とりあえず朝まで待ってから、そのホテルに戻れば?」
「いや。ここで逃げられてしまって、また同じ事を繰り返されても困る。令和の『浅茅ヶ原の鬼婆』は今宵で終わりにしよう」
私達はフィアットに乗って、元来た道でビジネスホテルへと戻る。何だかんだ文句を言いつつも、寧音もついてきていた。道明寺寧音、もしかすると案外、良い人なのかもしれない。
相も変わらず、強烈な妖気が漂うビジネスホテルの内部。ロビーに徘徊していた動く骸達を、寧音が錫杖で殴り倒し、蒼子がスタンロッドで退ける。
そしてエレベーターに乗り、私達は三階へ。先ほどみた光景が、変わらず広がっていた。蒼子と寧音が揃って不愉快そうに顔を歪める。
よくよく見ると、三階は二階と同じ構造であり、客室だったと思しき部屋の扉も複数あった。
手前から順番に開けていくと、どの部屋も沢山の人骨が積み上げられている。そして一番、奥の部屋。そこには大量の人骨と……そして老婆の姿があった。体中から出血していて、肩で呼吸をしている。息絶え絶えといった様子だが、未だに出刃包丁を握りその眼光には強い殺意があった。
蒼子が一歩前に出て、老婆に優しい口調で告げる。
「……僕は出来れば、貴女を助けたいと思っている。貴女は怪異に憑かれた人間であって、完全に怪異に飲み込まれていないのなら、引き返す事もできる。……どういった事情で貴女が怨恨を持ち、怪異に憑かれたのかは知らないけど。人間に戻って、罪を償ってもらえないかな? 貴女の家族だって、それを望んでいるはずだ」
ややあって、老婆は血の涙を流しながらゲラゲラと嗤う。
「――――私の家族? 家族だって? 社会も禄に知らないような小娘が偉そうに言いやがってッ――――私の娘は――――絶対に殺してやる――――」
老婆の慟哭にも似た絶叫。言葉の最後の方は、何故か泣いていた。
そして老婆は包丁の切っ先を、自分に向ける。
「おい、やめ――――」
意図に気づいた蒼子が止めに入ろうとするも、間に合わない。
老婆は躊躇いもなく自分の胸に包丁を突き刺した。背中から刃を生やし、そのまま人骨の山に倒れ込む。
頭が状況に追いつけず、何が起こったのか私は理解できない。
重い沈黙。ややあって、唐突に地面が揺れた。
地響きが起こる。
……地震? 私がそう考えた時、隣の寧音が怒号を飛ばす。
「違う! これは地震じゃない!」
突如、人骨の山から巨大な骨の腕が這い出た。老婆を掴み、人骨の山に引きずり込む。そして周辺の人骨が動き出し、その骨の山に集まり始める。
寧音が悲鳴のように叫ぶ。
「撤退よ撤退ッ! 蒼子、逃げるわよ! これ相当ヤバいわ!」
「……くそッ。助けられなかったッ!」
蒼子が苦虫を噛み潰した様な顔で後退する。私の手を引き、走り始めた。私達はエレベーターで一階に降り、ロビーを駆け抜けて急いで建物の外に出る。
「早く乗って! 鍵を貸しなさい!」
寧音がそう言い、蒼子が車の鍵を投げて渡す。先導していた寧音が、路上駐車していたフィアットの運転席に飛び込みエンジンをかける。
私と蒼子が後部座席に乗り込んだ――――その時だ。
真夜中の東京に、爆音が轟く。
発生源の方に視線を向けると、ビジネスホテルの三階の部分が崩壊していた。そこから超巨大な頭蓋骨が出現。
そして動き出す。
超巨大な動く骸だ。全長はゆうに十メートルはあるだろう。
――――ゲラゲラゲラゲラ
顎の骨を動かして嗤い、その骸は動く。足下にあった無人の自動車を踏み潰した。両手を振り回し、付近の建物を破壊する。
何も言わず寧音はフィアットを急発進させ、物凄い勢いで超巨大な骸から遠ざかっていく。
蒼子が非難の声をあげる。
「寧音、逃げてどうする! あの怪異は不味い! あれは絶対に生きた人間を探し回って殺すやつだ! 何とかしないと!」
寧音が舌打ちした。
「駄目無理できないわ。いくら何でも大きすぎる。貴女の陰陽術でも私の法術でも、正面からまともには戦えないわ。朝になって妖気が弱まったところを叩く。それまでは逃げるわよ」
「ここは都内だぞ! 繁華街に移動されたら、真夜中でも人が沢山いる! 朝まであと二時間以上もある! それまで野放しにするつもりか!」
寧音が怒鳴る。
「五月蠅いわねええええええええッ! アンタ馬鹿ァッ!? 私だって何とかできるならしてるわよ! アンタ天才陰陽師なんだから、有利か不利かぐらいの判断できるでしょ!? あれを今止めたいなら、安倍晴明や源頼光でも呼んできなさいよォッ!?」
「……ぐっ……」
さすがの蒼子も反論できないらしい。
車内に気まずい雰囲気が満ちる。
するとここで八岐大蛇が囁く。
『なんか来る』『二時の方向に怪異』『あぁ、この前のやつ』『烏』『日本刀』『あれなら勝てるだろ』『酒が飲みたかった』
私が右前方、反対車線に視線を向ける。
するとそこには、あたかも飛翔する様にガードレールの上を駆ける人影があった。真っ黒い巫女装束に、鳥の様なシルエット。
荒廃神社の黒巫女である。私達とは真逆、超巨大な動く骸の方へ向かっていく。
私達の乗るフィアットと黒巫女が擦れ違った瞬間、寧音が驚いたように叫ぶ。
「はぁッ! あれ、佑雁(ゆかり)じゃないのッ!?」
ゆかり、と呼ばれ一瞬、私は自分が呼ばれたのかと思ったが違うようだ。寧音は急ブレーキでフィアットを停車させ、運転席の窓をあけて黒巫女が去った方を見つめていた。
寧音が蒼子に言う。
「……ちょっと蒼子、どういうこと? 今の鬼一佑雁(おにいちゆかり)よね。あの子、生きていたの? 知っていること全部吐きなさい」
鬼一佑雁。同じ『ゆかり』という名前だが、私の知らない人間である。
しばらくして言いにくそうに蒼子は口を開く。
「……あれは佑雁ではない。佑雁だった何か。あるいは僕達人間を救うために、自ら怪異と化した巫女の姿だ」
寧音が溜息を吐く。
「……なるほどね。アンタが全国を旅して回っている理由、何となく解ったわ。はぁ……」
端で聞いている私は、全く話についていけない。完全に蚊帳の外だ。
鬼一佑雁とは、誰なんだろう。
強い疎外感に、ちょっと悲しい気分になった。
***
彼女、塚谷雅は悲痛な気持ちで完全に怪異を化した母を見上げていた。
場所は崩壊して天井が吹き抜けとなった、ビジネスホテル三階の一室。
生きた人間を探し回り、街を破壊していく超巨大な動く骸。
……これから、どうなっちゃうんだろう。
幽霊である塚谷は、ただただ最悪へと転がっていく状況を見守ることしかできない。
超巨大な動く骸骨。その正体は、非業の死を遂げた人間の怨念が集まったもので、強烈な妖気と殺意を放っていた。
――どうして自分は、こんな理不尽な目にあったのか。自分がこんな理不尽に死んだのだから、他の人間も同じ理不尽で死なないとおかしい。おかしいおかしいおかしいおかしいおかしい――――。
骸の口から怨念が漏れる。
それを晴らすべく、動く骸は一人でも多くの人間を道連れにしようとしていた。
この辺りはオフィス街で、夜間に人気はないのが不幸中の幸いだった。 ……あの白い陰陽師と、根暗そうな少女の二人組には普通の人間にはない何かを感じたため、藁にも縋る気持ちで期待していたのだが、彼女たちも去ってしまった。
……いよいよ、もう誰にも止められないかもしれない。
手近にあるもの建物を破壊し、周辺に人間はいないと悟ったのだろう。動く骸の頭が、繁華街の方を向く。そして移動を始めた。
繁華街に行かせてしまえば、無慈悲な殺戮を始めるのは想像に難くない。
現実はとても残酷だった。この世界には神も仏もおらず、もうどうしようもない。
塚谷がそう悟った、その時だ。
突然、一升瓶が動く骸に飛来、それは頭蓋骨に当たって砕け散った。骸が動きを止める。
月光の様な一閃が煌めいた。それが超巨大な骸を貫き、背骨を切断する。
「よっと」
そんな軽い声を発しながら、人影が塚谷の付近に着地する。
それは黒い巫女装束をまとった少女だ。
月光を弾く刀を肩にのせて、その少女は忌々しげに吐き捨てる。
「あぁ、本当に面倒だね。毎晩毎晩次から次へと新しい怪異が沸く。これ、僕が過労死したら労災は下りるんだろうか」
……まさか、これが荒廃神社の黒巫女なの?
塚谷がそう内心で呻く。
すると少女、黒巫女が塚谷を一瞥する。
「ほら、君も離れてくれ。あれに取り込まれても知らないぞ。というか、あれ以上、怨念を集めて大きくなっても困るから。離れてくれ」
塚谷は困惑する。どうやら自分の姿が見えるらしい。
黒巫女が再び、巨大な骸の方を向く。すると丁度、切断された背骨が再生するところであった。テープを逆再生するように復元、骸は再び動き出す。
黒巫女が忌々しげな顔になる。
「ああもう。骨だけに骨が折れる怪異だ。全く」
黒巫女は跳躍。それを叩き落とそうと骸が腕を伸ばすも、黒巫女はそれを躱して抜刀、腕を両断する。
続けて黒巫女は、右肩、背骨、左足と巨大な骸を切断。最後に頭蓋骨を真っ二つに斬ったところで、再び塚谷の付近に戻ってきた。
しかし、どれほど切り刻まれようとも数秒で骸は再生する。
超巨大な骸が嗤う。
――何者かは知らぬが、無駄よ無駄ぁ。どれだけ斬ってもこの怨念は絶ち斬れぬ。私を止めたくば、強力な坊主を百人ぐらい連れてこい。
黒巫女が溜息を吐く。
「まぁ確かに。この手のは坊主の念仏の方が効くが。ここは土地柄、観音菩薩の信仰が厚い地域だし。それじゃあ、そっちにしよう」
黒巫女が懐から白い冊子の様なもの、経典を取り出して骸に向かって投げつけた。それは宙で広がり、まるで生き物のような動きで超巨大な骸骨に巻きついていく。
そして、黒巫女が経文を唱え始めた。
途端、経典が白く発光。超巨大な骸の全身が軋み、ヒビが入り始める。
――ああああああ白衣観音経!? 貴様、巫女の癖に、どうして念仏を唱えられる!?
超巨大な骸のあげたその疑問符は、断末魔の悲鳴に近い。
経文を終えた黒巫女は、つまらなそうに告げる。
「いや巫女の癖にって言われても。神仏習合の頃に怪異退治をしていた巫女は、みんな念仏もできたと思うが」
そして黒巫女が前傾姿勢に構え、再び刀の柄を握る。そして一条の閃光となって超巨大な骸を駆け抜ける。遅れて『神鳴り』の様な爆音が轟いた。
それは神速の居合い。
頭蓋骨の天辺から股下まで真っ二つに両断された超巨大な骸。怨念ごと絶ち斬られたらしく、もう再生はしない。
――――――………………。
骸が下顎を動かしたが、もう何も言えないようだ。
そのまま夜の闇へと崩れていく。
夜の帳に橙色の光が差し込み、世界に夜明けが訪れる。
母を止めてほしい。その未練が消えた今、塚谷の意識もこの世界から消え始めていた。
消えゆく意識の中、塚谷は黒巫女に問う。
……貴女が荒廃神社の黒巫女なの?
崩壊したビジネスホテルの三階にて。空を振り仰ぎながら、黒巫女は応じる。
「そうだよ。荒廃神社の黒巫女、君達が言うところのネットロアだ」
……貴女、何かの神様でしょ?
「僕が神だろうと妖怪だろうと、君には関係がない。まぁ君も未練が消えたんだし、良かったじゃないか」
塚谷の中で想いが溢れる。
その感情の色は『怒り』だ。
塚谷は叫ぶ。
……どうして今頃きたの? 遅すぎない?
黒巫女は沈黙。塚谷は続ける。
……神様なら、どうしてもっと早く助けてくれなかったの? いくらなんでも遅すぎるでしょ。私は死ぬ時も神様に助けてくれと願ったし、お母さんが人を殺していると確信した時も願った。もっと昔で言えば、お父さんが病気で危篤になった時も助けてほしいと祈った。どうして、その時は助けてくれなかったの? この世界に神様なんていない、それなら解るよ。でも貴女みたいな神様がいるのなら、どうして今更、全部全部全部全部全ての取り返しがつかなくなってから、助けにきたの? 遅すぎて助ける意味がないでしょ、そんなの!
黒巫女は何も言わない。
……何とか言えよッ!
塚谷がそう追い打ちを掛けると、ややあって黒巫女は一言だけ、
「……すまない。間に合わなかった」
と呟いた。
塚谷は微笑む。
……冗談よ、ごめんなさい。母を止めてくれて、ありがとう。
すると、その時だ。
突然、塚谷の前に母が現れた。塚谷の足に縋りつき、号泣しながら、ひたすら『ごめんね、ごめんね……』と繰り返していた。
……もういいんだよ。お母さん。
と言って、塚谷は母に抱きついた。母が朝日の中に解け、塚谷も世界から完全に消失する。
後には、朝日に照らされた屍だけが遺った。
***
私、枢木縁は強烈な妖気が消えたのを感じる。
それは蒼子や寧音も同じで、朝日が昇り始めた頃、私達はフィアットでビジネスホテルに戻っていた。
あの超巨大な骸は、もう影も形もない。
付近には破壊痕だけが、そのまま残されている。赤灯を回しながら集まり始めた警察を尻目に、私達は怪異の発生源、ビジネスホテルの三階へ向かう。
天井が崩落した建物。頭上には清々しい青空が広がっていた。変わらず骸骨が多数散乱しているものの、もう妖気はない。
寧音が呻く。
「……これは驚いた。全て綺麗に供養されて成仏しているわね……」
蒼子が応じる。
「黒巫女が処理したんだろうね」
「ふぅん。黒巫女ねぇ」
私達は最後に、老婆のいた部屋を覗く。
朝日の差し込む部屋。と、ここで遺骨の一つが、ベッドで丁寧そうに寝かされている事に気づいた。枕元にはスマホが残されている。
他の人骨の扱いはとても雑だが、これだけは丁寧であり妙だった。
事情は不明だが、あの老婆にとって特別な人間だったのかもしれない。
寧音が欠伸をする。
「ふぁ……。疲れたわね。最近もう年のせいか徹夜が辛くて困るわ。下にいる警察がここを見つける前に撤収しましょ。貴女達だって無駄な事情聴取に捕まりたくないでしょ?」
「そうだね。怪異も解決したし。早くここから去ろう」
寧音の意見に蒼子が同意する。
私が窓から下を覗くと、続々と警察官達が集まり始めていた。突然、街がこれだけ破壊されれば当然と言えば当然だ。ここに警察官が入ってくるのも時間の問題だろう。
ここで私は気づく。
この部屋から望む窓の景色。スカイツリーが見え、東京の町並みが広がっていた。
それはSNSで例のアカウントが投稿していた写真の風景と完全に一致している。
私は蒼子の袖を引っ張る。
「ねえ蒼子。後でスカイツリーに行かない?」
「構わないけど。しかし縁が観光スポットに行きたいって言い出すの、珍しいね。何かあったのかい?」
「いや何もないけど。この子を連れてってあげようと思って」
私は遺骨の枕元にあったスマホを手にとった。
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