二章 東京都台東区浅草『浅茅ヶ原の鬼婆および動く骸骨』④

 目を覚ますと、時刻は深夜の二時を回っていた。


 部屋の電気は点けっぱなしで、隣では蒼子も寝息を立てている。

 二人揃って寝てしまったようだ。

 喉が渇き、私は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し蓋を開けた。何も疑わずに口をつけて喉に流し込み――――思わず、むせた。


 明らかに水ではない。

 喉が熱くなり、ほのかな甘さを感じる。強烈なアルコールの匂い。どうやら水ではなくお酒らしい。良くわからないが日本酒だろうか。


 えぇ……少し、飲んじゃったんですけど……。


 私は未成年であり、当然これまで飲酒の経験はなく困惑する。

 そもそもどうしてミネラルウォーターのペットボトルの中身が、お酒と入れ替えられているのか。

 とにかく飲んでしまったものは仕方がない。冷蔵庫の飲料水は信用できず、私はフロントの自動販売機で水を買おうと考え、財布をもって部屋を出た。

 深夜だが特に変わった様子はない。まぁ大丈夫だろう。

 歩くと、お酒を飲んだせいか少しふらつく。


 ……くそ。明日、フロントに苦情を言ってやる……。


 真夜中のビジネスホテル。照明が点いたままの廊下に人影はない。エレベーターで一階に降り、誰も居ないフロントを通り過ぎた。自動販売機で水を買い、私はエレベーターで二階へ戻ろうとした、その時だ。


『三階』『行ってみよう』『何かある』『妖術だな』『なんだろな』『上手く隠してあるから、わからん』『酒がもっと飲みたい』


 八岐大蛇がそう囁いた。


 ……いや、フロントで入るなって言われたし、止めた方がいいでしょと私は拒否する。


 が、私の手が勝手にエレベーターの三階のボタンを押した。

 おかしい、身体の自由が利かない。夢を見ているような感覚に陥った。

 エレベーターは三階に到着、扉が開く。

 そこは不思議な空間だった。

 エレベーターを下りた先にはコンクリートの壁があるだけで、他には何もない。用途不明の場所である。

 足が勝手に動き、私は突き当たりのコンクリートの壁に手をあてる。

 冷たい――――と思いきや、壁は常温だった。

 八岐大蛇が嗤う。


『妖術の結界』『壊していい?』『壊そう』『死臭しかしない』『壊すのはいいけど大丈夫か』『何がいても、どうせ雑魚』『お酒を飲みに行こう』


 何者かに操られるように私は拳を振り上げ――――コンクリートの壁を叩く。

 途端、幻覚を見ていたかの様に、コンクリートの壁が崩壊。砂となって空気に溶けた。

 視界が一転。

 強烈な異臭が鼻腔に劈き、肌が痛いほどの強烈な妖気。

 眼前には、


 骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、血、血、血、血、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、骨、血、血、血、血、肉片、肉片、肉片、肉片…………。


 そうとしか言いようのない、多数の人間だったと思しき死体が散乱していた。

 壁と床は一面、血液がぶちまけられた様に赤く染まり、虫が湧いている。

 この世のものではなく、地獄としか思えない。

 ハリウッドのSF映画にある、宇宙人に捕食されて殺された人間の骨の山……みたいな、そんな風景である。


『なんだ。ただの死体の山か……』


 八岐大蛇は興味を無くしたらしく、それきり何も喋らない。

 気が付けば体の自由が戻っていた

 たじろいで思わず、私は一歩後ろに下がる。と、足に何かが当たる。そちらに視線を向けると、足下に転がっていた頭蓋骨と視線が合った。

 目眩がする。気が遠くなった。何も考えられない。考えたくない。


 ……これはきっと悪い夢だ。とにかく、部屋に戻ろう。


 私は何も考えない様にして、エレベーターに戻り二階のボタンを押す。エレベーターは正常に動き、そのまま何事もなかった様に部屋に戻る。

 部屋では何も変わらず、蒼子が寝息を立てていた。

 私は胸を撫で下ろす。

 例え地獄の様な世界でも、蒼子と一緒なら大丈夫。そんな安心感があった。

 もはや一人で寝られる気がせず、私は蒼子のベッドに潜り込む。

 ここで私は右手に違和感を覚えた。ぬるっとした感触。右手をあげて視線をやると……私の右手に、血液と思しき液体がべったりついていた。

 さっき三階でついたのだろう。

 あの光景は夢ではなく現実だ。それを理解してしまい、私の恐怖が決壊する。


「あああああああああああああああああああああああッ……蒼子蒼子蒼子蒼子蒼子蒼子ッ……」


 私が錯乱して縋りつくと、蒼子が跳ね起きた。


「え、何どうしたの? …………あぁ、大体理解した。酷い妖気だね」


 起床して数秒、蒼子も状況を把握したらしい。

 先ほどとはうって変わり、尋常ではない強烈な妖気が建物に漂っていた。

たぶん私が三階で壁を壊したせいだ。

 三階の話をすると蒼子は立ち上がり、改造して出力をあげたスタンロッドを手にする。

 蒼子が毅然と言う。


「運が悪いのか良かったのかは解らないけど。ここが怪異の発生源だった訳か。となると、昼間のフロントの人が怪異本体の可能性が高いな」


 私は半泣きで応じる。


「いやでも昼間のフロントの人、普通の人間だったじゃん。怪異じゃなかった!」

「ざっくり分けて怪異は三種類だ。まず怪異が霊体のタイプ、これが一番シンプルな怪異だね。二つ目が降霊、神懸かり、生きた人間に怪異が取り憑くタイプ、そして三つ目が、怪異の生まれ変わりや修行などで、その人間が怪異と化す、いわゆる現人神化のタイプ……たぶん今回は二つ目だね。妖気を隠せるという事は妖術を使えるという話で、とても厄介だ。これだけ被害者が出ているのに警察が見つけられないのも、妖術があったからだね。……こっちから討って出るか待つかは少し考えどころだな……」

「大丈夫なの? 蒼子、勝てるの?」


 不安げな声で私が聞くと、蒼子は変わらぬ調子で微笑む。


「勿論さ。僕はこれでも、稀代の天才陰陽師なんて言われていて。だから縁、安心して」


 その直後。

 廊下扉の向こうで、エレベーターの開く音がした。

 廊下から足音が響き、次第に大きくなっていく。

 蒼子がぼやく。


「まあ妖術が破られたのなら当然、相手も気づくよね。迎え討つしか選択肢はなさそうだ」


 足音が部屋の前で止まり、とても重い声が響く。


「――――みたな?」


 間違いなく、昼間の老婆の声だ。

 恐怖で私が震えていると、蒼子が私の肩を抱く。


「大丈夫。扉には九字の結界が作ってあるから、そう簡単には入ってこられないはず……」


 蒼子が話している最中だった。

 部屋の扉の下から、小さな虫が侵入する。


 蜘蛛だ。

 すると蜘蛛が突然、人間の言葉を吐く。


「――――小娘、陰陽師か」


 蜘蛛が黒い霧に変化。次第に広がって人型となり、あの老婆と姿を変えた。

 蒼子が苦笑する。


「驚いた。変化で小さくなって結界をくぐられたのって、僕も初めてだな」


 老婆は何も言わず懐から包丁を取り出す。刃渡りの長い出刃包丁だ。それに対峙する様に、蒼子もスタンロッドを構えた。


「一つ教えてくれ。何でお前はこんな事をする? 殺した人間に何の恨みがあるんだ」


 そう蒼子が聞くと、老婆は無言。

 ややあって鬼の様な形相となった。


「……なんでお前らは、そんなに幸せそうなんだ? うちの子は死んだのに。許せない、許せない許せない許せない許せない、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」


 呪詛のように繰り返す老婆。話が通じる相手ではなさそうだった。

 呪詛を止めた老婆が目を見開く。


「――――死ね」


 次の瞬間だった。弾けるような音が、頭上で響く。

 私は真上に顔を向ける。

 ちょうど天井で、照明器具が自由落下を始めていた。

 まっすぐ私の頭をめがけ、落ちてくる。

 私は動けない。


「縁ッ!?」


 蒼子が飛び込んできて、私をベッドから弾き落とした。

 私の元いた場所、ベッドの上に照明器具が落下。岩と岩がぶつかる様な重い音が響く。照明器具の落ちた先には、例の堅い枕があった。

 そこで私は気づいてしまい、戦慄する。

 あの枕は、寝ている人間の頭を照明器具で叩き潰すために堅かったのだ。今考えれば、冷蔵庫の水がアルコールに代えられていたのも、その確率をあげるためだろう。


「――――ちっ。おしい」


 そう吐き捨てて、ゲラゲラと嗤う老婆。

 隣では蒼子が苦い顔をしている。


「……今ので少し手を捻ったな」


 周辺の妖気の密度があがっていく。

 部屋の左右の壁から、白骨化した人間の腕が飛び出した。続けて、頭蓋骨が顔を覗かせる。昨日、路地裏で見た動く骸だ。

 一体、二体、三体と動く骸は湧き出るように、壁から続々と現れ始めた。

 蒼子の判断は早い。


「囲まれると流石に不味い。縁、一度逃げるよ」

「――――逃がすとでも?」


 包丁を逆手にもった老婆が私達に向かって突進してくるのと、蒼子が人型の紙を掲げて詠唱したのは同時であった。


「――――急急如律令、弾けろッ! 白虎!」


 次の瞬間、扉と窓の九字が大きな音をたてて破裂。老婆と動く骸が吹っ飛んだ。粉塵が巻き上がり視界が埋まる。

 と、何かに襟首を掴まれ、私は持ち上げられた。

 不思議に思い顔をあげると……白い大きな虎と眼が合う。私は白い虎に襟首を咥えられ、持ち上げられていた。その背中には蒼子が乗っているのが見える。

 恐怖を感じる間もなく、私はただ唖然とする。


 白い虎はそのまま、私を咥えたまま窓を突き破り夜空へと躍り出た。音もなく地面に着地、そして走り出す。そしてフィアットを駐めてあるコインパーキングで止まった。

 背から蒼子が下りると、白い虎は忽然と消える。咥えられていた私は地面に落ちた。

コインパーキングの精算をしながら蒼子が言う。


「……うーん、手を捻挫したかもしれない。縁、運転を頼んでいいかい? 一旦、この場から離れよう」


 無言で頷き、私はフィアットの運転席に飛び込んだ。

 蒼子が助手席に乗ったのを見て、アクセルを踏んで道路に出る。

 すると背後で、何かが割れる音がした。振り返るとフィアットのリアガラスに出刃包丁が突き刺さっている。老婆の姿はなく、背後から投擲された様だ。

もはや恐怖以外の感情がなく、私はアクセルを踏み込む。

 真夜中の東京都。片側二車線の主要道路であるが、深夜のため周辺には車も人の姿もない。

 交差点にさしかかり赤信号を見て私は減速する。すると蒼子が鋭い声を飛ばす。


「止まらないで! 後ろから来てる!」


 振り返ると、高さ二メートルほどの大型トラックの様なサイズの巨大な蜘蛛が追いかけてきており、フィアットの真後ろまで迫っていた。

 声にならない悲鳴をあげ、私はアクセルをベタ踏みする。道路交通法を遵守している場合ではなく、赤信号を無視して突破する。

 一般道にも関わらず、フィアットの速度メーターは時速百五十キロを指しているが、それ以上の速度で巨大な大蜘蛛が背後に迫っている。

 蒼子が助手席の窓をあけ、人型を放る。


「――――朱雀! 燃やせ!」


 その言葉に呼応、人型は火の鳥に姿を変えて背後を火の海に変えた。炎に飲み込まれる大蜘蛛。暫くして、平然と炎の海から飛び出す。足止めは出来たが効いている様子はない。

 続けて蒼子は二枚目の人型を投げる。


「――――玄武! 沈めろ!」


 突然、背後に滝を丸めた様な、大きな水の塊が落下。それが大蜘蛛を直撃し、周辺のアスファルトと一緒に叩き潰した。圧倒的な水量が破壊した道路や周辺にあった車を押し流す。

 水に飲みこまれ、ようやくバックミラーから大蜘蛛の姿が消えた。

 蒼子は苦笑する。


「さながら三枚のお札だね。ここまで強力な怪異は久々だ。たぶん、これだけじゃ斃せないと思う。縁、今朝に寧音を送り届けた寺を覚えているかい? あそこに向かってほしい」

「……大体覚えてるけど。どうするの?」

「寧音に手伝ってもらうんだ」


 といって蒼子はスマホで電話をかける。すると相手は、すぐに電話に出た。


「――――ああ、寧音かい? 今何やってるの? え? 酒を飲んでたら本堂に虫が沸いて殺虫剤まいてたって? それは丁度いいや。ちょっと一匹、倒してほしい虫がいるんだよ。今からそっち行くから。いや何、そんな面倒な話じゃないよ」


 私よりも親しげな会話をする蒼子。


 ……そういえば、蒼子と寧音さんって、どういう間柄なんだろう。


 何だか少し、嫌な気持ちになった。


***


 私達は目的の寺に到着。真夜中にも関わらず、寺には灯りがついていた。フィアットから降りた私達は、走って寺の本堂へと駆け込む。

 そこには一升瓶を片手に、一人で酒を飲んでいる道明寺寧音の姿があった。足下には殺虫剤のスプレー缶が転がっている。

 蒼子が端的に状況を説明すると、寧音が絶叫する。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? アンタ馬鹿ァ!? なんでそんな面倒事を私のところに持ち込んでくるのよ!? っつーか貴女達二人がここに逃げ込んだら、その鬼婆もここに来るじゃないのッ!」


 蒼子は肩をすくめる。


「だろうね。たぶんすぐ来ると思う」


 と、その時だった。本堂の外で大きな物音がした。寺の門を壊されたような、そんな音。

 寧音が舌打ちをして錫杖を握る。


「くっそ、やるしかないじゃないの! この借りは高いわよ。二人とも早く隠れなさいよッ!」


 そう促され、私と蒼子は本堂の隅にあったロッカーの中に隠れる。

 ……いやロッカーに隠れるのは悪手では? 

 ホラーゲームとかだと、ロッカーの中に隠れると大体見つかって、バットエンドなイメージがあった。

 しかし隠れ直す時間はない。

 大きな音がして、私はロッカーの空気穴から外を覗く。すると丁度、本堂の扉が壊してあの老婆が現れた。何も知らない素振りで酒を飲んでいる寧音に、沈んだ声で告げる。


「――――小娘二人をだせ。ここに居るのは解っている」


 寧音は動じる様子はなく、酒を飲みながら応じる。


「ああ、話は聞いているけど。それよりアンタ、とても強い妖術が使えるんですってね。ちょっと興味が湧いたわ。一つ私と術比べをしましょうよ」


 老婆は沈黙、寧音が続ける。


「ルールは簡単。私が言ったことをできなかったら、貴方の負け。逆に出来たら勝ち。もし貴方が勝ったら、あのクソ生意気な陰陽師の小娘と、陰キャくさい小娘の二人を渡すから、煮るなり焼くなりご自由にどうぞ」


 どさくさに紛れて、さらっと私達の悪口を言う寧音。本当に性格の悪い僧侶である。

 老婆は何も言わない。しかし寧音が、


「なに? それともアンタ、自分の妖術に自信がないの?」


 と煽ると老婆は嗤う。


「――――いいだろう。ただし私が勝った時は、お前も一緒に殺す」

「そういうのは勝ってからいいなさい。それじゃアンタ。大きな虫になれる?」


 そう寧音が言うと、老婆が黒い霧に姿を変えた。巨大な蜘蛛と化す。

 寧音は続ける。


「おー凄いわね。アンタ怪異なんかやらずに、ハリウッド映画のエキストラみたいなのやったほうが儲かるんじゃないの? それじゃ次、小さな虫にはなれる?」


 すると巨大な蜘蛛は黒い霧となり、今度は小さな蜘蛛になった。

 そして寧音は足下の殺虫剤のスプレー缶を拾い、可愛く「えい」と言って、小さな蜘蛛に向けて噴射。


「貴様あああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!?」


 蜘蛛が絶叫。そして蒼子がロッカーから飛び出した、そして苦しむ小さな蜘蛛を踏み潰す。


 ぷちっ。


 そんな潰れる擬音が見えた気がした。

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