二章 東京都台東区浅草『浅茅ヶ原の鬼婆および動く骸骨』③

 こんなとき、どんな顔をすれば良いのか解らないの。


 今、私の心境はそんな感じだった。

 早朝の浅草。気絶している寧音を滞在先の寺へ送った後、私達はファミレスで朝食を食べていた。

 まるで食欲が沸かず放心状態の私に、蒼子が切り出す。


「八岐大蛇はご存知の通り、日本神話に登場する八つの谷と八つの峰を覆うほどの巨大な龍。山と水の神だ。神様が前世ということ自体は、そこまで珍しい話ではない。僕もこの仕事をしていて、そういう話は何度も聞いたことがあるし……」

「前世が八岐大蛇って、よくある話なの?」


 私がそう突っ込むと、蒼子はそっと視線を逸らす。


「……いや……その、さすがに八岐大蛇ないね……。一応、平安時代、平清盛の孫に八岐大蛇の生まれ変わりがいたって伝承はあるけど。うん……まぁ……」


 さすがの蒼子もフォローは難しいらしい。

 自分の前世が、特撮映画に登場するような規模の怪獣だなんて信じたくもなかった。

 私は否定できる話を探す。


「そういえば、私の頭に聞こえる声って七つなんだけど。八岐大蛇の頭は八つで、一つ足りない。辻褄が合わないじゃん」

「それはあれだよ。縁を入れると、丁度八つになる」


 あーなるほどなー、そうきたかー。私の人格を含めて八つという話かー。

 私は最後の可能性にすがる。


「……あの僧侶の寧音さんが間違えた、みたいな可能性はないの?」


 しばらく沈黙していたが、蒼子は首を左右に振る。


「それは考えにくい。道明寺寧音は酒癖も言動も悪いけど、法術の才能だけは確かだ」


 蒼子は優しい嘘は吐かず、否定した。 

 気分が滅入る。

 私のこれまでの人生は、本当に酷いものだったと思う。完全なネガティブのダウナー、陰キャで家族からは煙たがられ、学校の集団生活には馴染めず、その上メンヘラだ。


 あまりにも酷すぎるため、もしかして前世で何か悪い事でもしたのか……なんて思っていたが、前世が八岐大蛇なら納得だ。スマホで調べたところ、八岐大蛇は暴虐の限りを尽くして、娘とか攫って喰って最後はスサノオに退治された、そんな伝承だった。……めっちゃ悪い事してるじゃん。娘とか攫って食べるとか何だよ。

 化け物の生まれ変わりなんて最悪だ。泣きたい。そして早く死にたい。


『いや死んだところで来世でも、この事実は変わらない訳だが……」


 頭の中の声、八岐大蛇が至極もっともな話をしているが、うるせえなとしか思わない。

 結局、朝食も殆ど喉を通らず、私は席をたった。会計を終えた蒼子が咳払いをする。


「とにかく今の縁は人間で、女子高生だ。前世なんて何でもいいし、あまり深く考えない方がいいよ。浅草には美味しいものも多いし、スーパー銭湯もあるし。とにかく少し休もうか」


 頭の中が真っ白で、私は何も考えられない。

 沈黙していると、唐突に蒼子は私に抱きついてきた。

 驚いて顔を向ける。蒼子の顔が私の鼻先に迫り、その前髪が私の額に触れた。

 視線が合うと、蒼子が微笑む。


「ゆかりん、そんな悲しい顔はしないでくれよ。前世は小さな虫だった、なんて言われるよりマシだろ。元気を出せとは言わないから、とにかく何も考えないで」


 私は泣きそうになる。

 蒼子の、とてつもない包容力はなんだろう。優しさが五臓六腑に染み渡る。

 私は自分のことが嫌いで常に自分を否定しているし、同じように社会からも常に否定され続けてきた。

 しかし蒼子だけは違う。全てを肯定してくれる。

私にとって蒼子は、もはや神に近い。蒼子がいないと、もう生きていけない。

 そう思うと、気持ちが溢れて泣きそうになる。

 思わず私は蒼子を抱き返しそうになるが、昔、学校のクラスメイトに触れた際に『気持ち悪い』と言われた過去が脳裏をよぎり……私は、そっと蒼子から離れた。



***



 日中の浅草を歩きながら、蒼子は語る。


「いわゆる『鬼婆』の伝承、一番の有名どころは福島県の黒塚『安達ヶ原の鬼婆』だろう。旅の僧が泊まった宿で大量の旅人の死体を見つけて、逃げ出したところ宿の婆が鬼婆と化し追いかけてくる……といった話だ。浅草、台東区花川戸の伝説『浅茅ヶ原の鬼婆』も似たような話で。昔、浅草の老女が宿泊する旅人を殺めて金品を奪っていたという、そんな伝承さ」

「……つまりは旅館やホテルみたいな、泊まる場所に鬼婆の怪異が出ている感じ?」

「その可能性は高いと思う。ただ浅草は世界的にも有名な観光地だからね。ホテルや旅館、民宿からゲストハウス、ネットカフェや場所は山ほどある。まずは怪異の場所から特定しないといけない。SNSの黒巫女に、何かそれらしい話はないか探してみようか」


 いつも通り私達はSNSで『荒廃神社の黒巫女』を検索する。結果をスクロールして眺めていくと、その中の一つに八岐大蛇が反応した。


『これ臭い』『死人の匂い』『鬼婆』『滅多刺し』『子ども?』『場所は近い』『酒が飲みたい』


 その投稿は短く『荒廃神社の黒巫女へ。母を止めてください』といったものだった。


「……八岐大蛇が、これが臭いって言ってる」


 私がそう言ってスマホの画面を見せると、蒼子は感嘆の息を吐く。


「縁のその能力、とても便利だね!」


 確かに陰陽師の蒼子としては便利かもかもしれないが……当人からすると気持ち悪いだけだ。それに八岐大蛇の発言は突発的で制御できるものではない。能力というにはあまりにも不安定だ。

 蒼子が、その投稿をしているアカウントの過去の文章、写真などを漁る。

 荒廃神社の投稿をした日時は二週間ほど前。以降の投稿はなく、そこで途絶えていた。

 一応、蒼子のアカウントからメッセージを送り少し待つが反応はなく、返信は望み薄だ。最後の投稿は、遠くからスカイツリーを映した写真と『明日に行きたい!』という文章で、このアカウントの人間が都内にいたのは間違いがなさそうだ。

 写真を眺めながら、蒼子が言う。


「……スカイツリー以外の建物も映っているし。探せば、写真をとった場所を特定できそうだね。そこに何かある可能性も高いと思うし、まずそれを探そう。……まぁ折角、浅草まで来たんだ。観光しながらでも」


 告げて蒼子が笑う。

 今この瞬間も怪異で人が殺されている可能性を考えれば、観光をしている場合ではないものの、恐らく蒼子は私に気を遣ってくれているのだろう。

 蒼子に甘えて、観光名所を回るのも気分転換になるかもしれない。


 昼間の台東区浅草、どこかひなびた雰囲気の漂う雷門通りは観光客で賑わっていた。日本人よりも外国の人間が目立つ。

 雷おこしを食べながら、蒼子は言う。


「浅草といったら東京都最古の寺『浅草寺』が有名だね。観音菩薩が本尊で、板東三十三カ所観音礼所の一つ。……なんて少し話しそうになったけど、東京は縁の地元だし、特に説明は不要だったね。むしろ僕の方こそ、どこか良いお店とか観光地があれば教えてほしいぐらいだ。縁はどこか行きたい場所とかあるかい? あれば、そこに行こう」


 訊かれて私は少し考える。


「うーん。強いて言えば、浅草で行ってみたい店はあるんだけど……」


 ちょうどその店の前を通りかかり、私は足を止めた。視線の先には『神谷バー』というレトロな文字の看板がある。

 蒼子は苦笑する。


「確かに浅草は神谷バーが有名だよね。太宰治の人間失格にも登場する、文豪達が通った店として有名だ。……とは言っても僕達は未成年だからね」

「……まぁ、そうだよね……」


 私は小説を読むのが好きな人間だった。言葉より活字、人よりも本が好き。陰キャの手本みたいな人間である。昔の文豪達が愛した店として神谷バーは名高い。小説趣味の私としては人生で一度は行ってみたい店だが、しかしながらバーという名前通り、要するに飲み屋だ。未成年が行くような場所ではない。

 笑いながら蒼子が言う。


「成人したら来ようよ。あと二年ぐらいだし」

「うん」


 そんなやりとりをしていると、神谷バーから見知った顔が出てきた。顔を真っ赤にしている道明寺寧音である。体調が治ったのか、昼間から飲んだくれているのだろう。私達には気づいておらず千鳥足で歩き、そのまま別の居酒屋へと入っていく。

 本当に碌でもない僧侶だな、おい。

 その後、私達は浅草を適当に散策する。商業施設の中でブティックの前を通りかかった時、突然、蒼子が思いついた様に言う。


「鬼婆の怪異が観光客を殺して金品を奪っているとしたら、なるべくお金をもっていそうな格好をしたほうがいいかもしれないね。ちょっとそれらしい服でも買っていこう」


ショーケースの向こうに展示されている服を見て、私は震える。


「いやいやいや……値札に十万円とか二十万円とかついてるんですけど……」


 とても高校生に買える様な金額ではなかった。

 蒼子が楽しそうに言う。


「それじゃあ僕が買って、縁にプレゼントするよ」

「いや、いいよ……。流石にそれは悪いし」


 私が辞退すると、蒼子が私の手を握る。


「いいからいいから。じゃあこうしよう。僕が服をプレゼントするから、その代わり縁に一つお願いを聞いてほしいんだ」

「お願いって?」

「服はこの店の中で、僕のセンスで決めるから。縁は文句を言わず黙ってそれを着る。どうだい? 縁は身長が低いし華奢だし、可愛い系の服が絶対似合うと思うんだ」


 笑いながらそう提案する蒼子。

 結局、断り切れず私はその話を飲んだ。まぁ店はブティックで、変な服はないだろう。

 そして一時間後、私はその判断を酷く後悔することになる。

 蒼子のセンスで散々着せ替え人形をさせられ、髪まで弄られる。そこまでは良い。最終的にはクッソ高価なゴスロリのワンピースに決定、私は完璧なゴスロリファッションになった。

 全身鏡に映る自分を見て、私は震える。

 ……なんという恥辱……。


「いやー、ゆかりん。凄い可愛いよ本当」


 満面の笑顔でそう言う蒼子。ここは有明ビックサイトのコスプレ会場ではない。いい加減にしろ! と思うが私は何も言えない。

 蒼子は自分の服も買っており、高価な白いスーツにミリタリージャケットといった格好だ。

 私は約束通り、ゴスロリのまま浅草を歩く。

 蒼子はともかく、私は周囲から死ぬほど浮いて物凄い視線を集めていた。完全に晒し者になっている。他人と目を合わせるのも苦手な私には、もはや拷問だった。

 辱めをうけている様な気分で、私は俯いて歩く事しかできない。すると突然、道行く人間の一人から、


「あのー、すいません。芸能事務所のものですが。二人とも、とても可愛いので思わず声を掛けてしまったんですが、少しお話を聞いて頂けませんか?」


 などと声を掛けられ、名刺を差し出される。


 ……ふざけるなッ……私が可愛い訳ないだろッ……貴様ッ、私を騙そうとしているな……! と私が殺意を篭めた視線を返すと、その人間は空笑いを浮かべながら離れていった。


***


 橙色に染まっていく浅草の町並み。スカイツリーの向こう側で夕陽が沈もうとしていた頃。

 フィアットで移動しながら写真の場所を探していると、浅草から少し離れたところで、それらしき場所を発見する。


「あの建物。写真に映ってるやつじゃないか?」


 と蒼子が前方を指刺した。

 私は改めてスマホで写真と、目前の景色を見比べる。スカイツリーの位置と、周りの建物の特徴が一致している。SNSに投稿された例の写真は、この辺りから撮られたものに間違いはなさそうだ。

 周辺を見回す。すると大通りから外れたビル街の一角に、ビジネスホテルの看板を掲げたひなびた建物を見つける。

 私は口を開く。


「……ここかな?」

「そうかもね。他に周りは宿泊できそうな場所もないし……。いずれにしても、そろそろ夜だ。今日はここに泊まろう」


 近くのコインパーキングにフィアットを駐め、私達はそのビジネスホテルの前で足を止める。

 規模の小さいビジネスホテルだ。客室は十もないだろう。特に変な気配もなく、妖気も感じない。そもそも人気も感じず廃業をしていても不思議ではない。

 私は少し不安になる。


「そもそもこのビジホ、営業しているの?」

「わからない。とりあえず入ってみよう」


 建物の入り口に蒼子が近づくと、自動ドアが動いた。建物の中の照明は点いており、営業はしている様子だ。

 ロビーの清掃は行き届いているが、所々の老朽化が激しい。奥の方には自動販売機コーナーも見える。フロントでベルを鳴らすと、奥から一人の老婆が現れた。

 怪異ではなく、普通の人間である。


「すいません。予約していないんですが、泊まれますか? 二人一部屋で」


 そう蒼子が訊くと、老婆がしゃがれた声を出す。


「……はい、泊まれますよ。ただご食事の用意はありませんので、素泊まりになります。あと料金は前払いになりますが……」


 そのまま蒼子は部屋をとり今晩はここに泊まる事にした。素泊まりだが、都内のため周辺にコンビニは多く問題はないだろう。

 老婆は部屋の鍵を差し出しながら、簡単な説明を行う。


「部屋の冷蔵庫に入っている飲み物はサービスで、自由に飲んで頂いて構いません。お部屋は二階となっておりますので、右手にあるエレベーターであがってください……」そして老婆は念を押す様に続ける。「……三階は従業員用のフロアとなっておりますので、絶対に立ち入らないで下さいね」


 ……漫才と同じで、絶対に立ち入らないでくれというのは立ち入れという振りだろうか。なんて考えながら、私は蒼子と二階の客室へ向かう。部屋は特徴のない、普通のビジネスホテルの一室だった。小さな机に椅子、テレビがあり、ベッドが二つ並んでいる。窓の向こうでは夜の東京の町並みが広がっていた。

 私は即座にベッドへ飛び込む。


 ……今日も一日、とても疲れた……。


 途端に眠気が襲ってくる。

 蒼子が冷蔵庫を開ける。


「へえ。冷蔵庫の中はサービスって話だから気になっていたけど。水からビールまで入っているね。ペットボトルの水は一本サービスなんてビジネスホテルは結構あると思うけど、お酒まであるのは珍しいな」


 確かに珍しいと思う。

 蒼子との旅で、私は数多のホテル、旅館に宿泊してきた。ビジネスホテルでお酒までサービスなのは初めてである。まぁ私達は未成年なので関係はないが……。

 その後、蒼子は一通り部屋を点検して回り、特に変わった事がないか確認していた。そして最後に部屋の扉と窓に、紙テープの様なものを張っている。

 私は訊く。


「蒼子、何やってるの?」

「部屋の出入口に九字の結界を張っているんだ。今のところ妖気は感じないけど、念のため。もしかしたら怪異は妖術を使うタイプで、気配を隠している可能性もある。ここが例の怪異の場所の可能性もあるし。結界を張っておけば、もし怪異が強引に入ってこようとしたら、九字に切り裂かれてバラバラだ」


 蒼子はマメだなぁ。他人事の様にそう思いながら、私は大きく欠伸をした。

 現在の時刻は十七時半。夕飯にはまだ早い。


 少し寝よう。

 そう決めて私は枕をたぐり寄せ……そして顔をしかめた。

 枕が異常に堅い。中に石でも入っているような堅さであった。とは言え無いよりはマシであり、私はその枕で仰向けになる。

 ベッドの真上には照明器具がぶら下がっているのが見えた。


 ……。

 ……これ、寝ている間に照明器具が落ちてきたら、頭に当たるな……。


 そんな事を考えながら、私は眠りへと落ちていく。

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