二章 東京都台東区浅草『浅茅ヶ原の鬼婆および動く骸骨』②


 私、枢木縁と蒼子の旅は続く。


 いくつもの怪異を巡り、気がつけば三ヶ月が経過していた。

 兵庫県姫路市、お昼過ぎ。怪異を解決した私達は、フィアットに乗ってこの土地を後にした。リアガラスの向こうには、白鷲城として名高い姫路城が徐々に遠退いていく。

 そんな景色を見ながら、私は肩を抱いて震える。


 ……井戸が怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……。


 今回、私と蒼子が遭遇した怪異、それは現代に復活した皿屋敷伝説だった。住宅街の一角に残された、今は使われていない古い井戸。そこに夜な夜な幽霊が現れて皿の枚数を数える……といった誰もが聞いたことのある伝承だ。

 蒼子曰く『播州皿屋敷』という話らしい。

 現代に甦ったその怪異と遭遇して、私は足を掴まれて真夜中の暗く深い井戸の底に落ちた。最終的に怪異は蒼子が陰陽術で斃して助けてもらったものの……完全にトラウマとなった。


 真夜中の井戸は怖い。

 蒼子がいなければ、確実に井戸の中で溺死していただろう。しかも死体は誰にも見つからず、永遠に仄暗い井戸の底で漂うことになったかもしれない。

 想像するだけで怖い。軽くホラーどころか、ガチでホラーだ。

 蒼子と旅をしていて思うが、社会にはストレートに人間の命を狙う怪異で溢れていた。命が幾つあっても足りない。

 何故そんな殺意全開なのか。蒼子が言うには怪異は人の強い思念が形を成したもので、やはり『他人への憎悪、怨恨』が多いらしい。それを考えると、まぁ仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。


 道中、岩手県遠野市の後に『荒廃神社の黒巫女』と直接は遭遇していないものの、怪異の被害者の目撃情報や、実際に助けられたと話す人も珍しくはなく、私と蒼子が現場に到着すると、既に黒巫女が解決済みであった……なんて事も度々あった。

 どうやら黒巫女は、全国各地で人間を襲う怪異を斃して回っている様だ。

 言うなれば『人を襲う怪異を斃す怪異』でありSNSで噂されている『願いを叶えてくれる怪異』とは、少し異なる。


 ……これは、どうしてなんだろう。


 今日もSNSでは、人気イラストレーターが黒巫女の二次創作で可愛いイラストを投稿してバズり、拡散していた。ネットロアとして『荒廃神社の黒巫女』はとても話題になっている。

 もしかしたら黒巫女は何か理由があり、SNSで人気を得るため恣意的に『願いを叶える怪異』という形をとっている……?

 などと勝手に想像するが、真相は藪の中だ。

 蒼子は何か知っているのかもしれない。しかし黒巫女の話を振ると、蒼子は極端に口数が減るため、どこか触れてはいけない雰囲気があった。

 下手に踏み込めば、蒼子との関係が崩れてしまいそうで怖い。

 頭の声の一つが、無責任に言う。


『聞けばいいじゃん。後は知らんけど』


 いや、それができれば苦労はしない。

 そういえば遠野で黒巫女を見つけ出したのは、他ならぬこの頭の声であった。心療内科の主治医には精神病だと診断されたが、今考えると何かの怪異なのかもしれない。

 頭の中の七つの声について相談すると、蒼子は興味深そうに応じる。


「話を聞く限りだと、所謂『天啓』じゃないかな。天啓、啓示、神示、神託。色々と言い方はあるけど、要するに超自然的な存在から知識や意識が伝えられる話だね。神の言葉を受けるという伝説だと日本では、邪馬台国の卑弥呼が一番有名かな。まぁ古今東西どこにでもあって、珍しい話ではないね。……ただ、その七つというのが珍しいかもしれない。なんだろうね。一度調べておいた方がいいね。もしかしたら、何かの生まれ変わりみたいな可能性もある」

「調べるって、どうやって?」

「そういう前世みたいな話は、霊力の強い僧侶に見てもらうのが一番速いんだ。僕は陰陽師で、前世みたいな分野は弱くて。そもそも前世や来世、輪廻転生は仏教やヒンドゥー教が強い。たぶん旅を続けていれば、そのうち僧侶を呼ぶ機会もあると思うから。そのときにでも見てもらおう」


 そんな雑談をしながら高速道路を走り、蒼子はフィアットをSAに駐めた。

 そして私にお神籤を促す。


「それじゃあ縁、次の行き先を占ってくれ。次はどこだろうね」

「次はできれば草津温泉とか、下呂温泉、有馬温泉とかがいいな……」


 なんて願望を呟きながら、私はお神籤を振る。

 穴から飛び出した棒には、 


 『東京都台東区浅草』『鬼婆』


 という文字が羅列していた。

 いや。まてまてまて……此処は姫路だぞ? 東京まで何時間かかるんだ?

 私が硬直していると、蒼子がにっこりと私の肩を叩く。


「今からノンストップで高速を走れば、夜中には都内に着けそうだ。夕飯は浅草で食べられるといいね」


 幾らなんでも行程が弾丸旅行すぎるが、蒼子の笑顔に逆らうことは出来ず、私は溜息を吐く。

 最近、この蒼子の無茶ぶりにも慣れてきていた。


***


 私は生まれも育ちも都内で、勿論、浅草には行った事がある。

 浅草は日本を代表する観光地で、国内外から多くの観光客が訪れ常に人で溢れている。そんな土地だった。

 一体、浅草で何が起きているのか。ネットでニュースサイトを漁ると、すぐにそれは見つかった。


 最近、浅草の付近。都内で観光客の失踪が多発しているらしい。

 SNSで検索すると、身内が浅草で行方不明になった等『荒廃神社の黒巫女』に助けを願う投稿もある。

 そしてこの事件とは別に、都内で近頃、夜中に『動く骸骨』の目撃情報が相次ぎ、『がしゃどくろ』などとSNS上で大きな反響となっていた。


 蒼子は険しい顔をする。


「『がしゃどくろ』って有名だけど。実は古い怪異ではなく、昭和で広まった妖怪なんだ。要するに供養されていない、放置された死者達の怨念で動く骸骨が、生きた人間を襲うという話だね。まぁ『動く骸骨』という怪異で考えると、平将門の娘にして伝説の妖術使い、滝夜叉姫が動く骸骨を操ったなんて話もある。……いずれにしても、これは凄く悪い予感がするな」

「悪い予感? なんで?」

「さっきのお神籤で『鬼婆』って出ただろう? 縁も昔話とかで、一つぐらいは知っていると思うんだけど……。鬼婆が旅人を襲って殺そうとする話を聞いた事ないかい」

「あー……山姥とか?」

「そうそう、山姥。話の概要としては、さまよう旅人に宿を提供して、夜になったら襲うといった話なんだけど。この山姥の伝承は全国各地に存在する。それが浅草にもあって『浅茅ヶ原の鬼婆』って伝説なんだけど」


 私は蒼子の悪い予感に合点が行く。


「……つまり都内で起こっている行方不明事件は、鬼婆の怪異の仕業で、殺された人達が『動く骸』と化しているかもしれないってこと?」

「その通りだね。ほとんど最悪の展開なんだけど。今回は、ちょっとヤバそうな感じがするね」

「いや、いつもヤバいじゃん」


 蒼子は私の突っ込みを無視する。


「それに『動く骸』になると供養してやらないといけないんだけど。それは陰陽師ではなく、僧侶の仕事になる。……癪だけど、今回は呼んで手伝ってもらう事にしようか」

「僧侶って、お寺のお坊さんだよね。知り合いとかいるの?」

「いるよ。知り合いに法術に長けた腕利きが居てさ。腕はいいんだけど……ちょっと性格に難があるというか倫理がないというか……悪い人じゃないんだけど」


 珍しく、蒼子の口からネガティブな発言が飛び出す。

 倫理がない僧侶とは。僧侶の存在意義に反している気もするが、色々と大丈夫か? と私は思うが口にしない。


****


 深夜未明。フィアットで東名高速道路を抜け、首都高速道路に入る。遠くにスカイツリーが見えてきた辺りで交通量が増えてきた。深夜にも関わらず、多くの自動車が行き交っている。

 その夜景は明らかに地方とは一線を画しており、さすがは首都、東京と言ったところだろう。

 私はフィアットを運転しながら、ふと疑問を抱く。


「真夜中なのに。首都高って、どうしてこんなタクシーが多いんだろ……」


 深夜のため自家用車は殆ど走っていない。行き交う車は運送用の大型トラックが大半だ。……そして、それと同じぐらいタクシーの数が目立つ。

 どうして真夜中にタクシーが、こんなに走っているのか。

 助手席の蒼子が眠そうに応じる。


「……言われてみれば確かにそうだね。何でだろうね?」

「蒼子にも解らない事があるんだ」

「勿論だよ。僕だってイチ女子高生で知らないことは多い。世の中には、大人にならないと見えない景色、社会人にならないと解らない話も当然あるだろうし」

「まぁねえ」


 首都高速六号向島線を抜けて駒形ICで一般道へ降りると、一転して交通量は一気に減り、周囲には車の影はおろか人気もない。

 月が雲に隠れた暗い夜。道路照明灯と信号機の光だけが道路を濡らしていた。

 助手席の蒼子がスマホで電話をかける。


「寧音が電話に出ないな。一応、浅草で集合って話になっていて、先に来てると思うんだけど」

「寧音?」

「ああ、ほら。例の僧侶だよ。名前は道明寺寧音(どうみょうじねね)。一年前まで京都で寺の住職をしていたんだけど、色々あって寺が倒壊してしまって。今は知り合いの寺を転々としている。……考えてみたら向こうはハーレーだろうから。乗っていたら電話は出れないか……」


 ハーレーダビットソンを乗り回す僧侶。絵に描いた様な成金坊主じゃん……。

 蒼子は続ける。


「まぁいいや。僕達だけで先に怪異を探そう。さて、どうやって探そうか。前みたいに魔寄せの札を使ってもいいけど……」


 唐突に、頭の中で呻く。


『今度は何?』『動く骸骨、鬼婆だって』『骸骨ならそこにいるじゃん』『そこの路地裏にいるな』『殺された人間』『沢山』『酒が飲みたい』


 私はハザードランプをつけ、フィアットを路肩に止めた。

 すると蒼子が訊いてくる。


「縁? どうしたんだい?」

「いや。なんかそこの路地裏に骸骨が居そうな気がして……」


 この頭の声は、黒巫女を見つけた実績もある。信じても良いかもしれない。

 私達はフィアットから降りて、コンクリートのビルの狭間、街灯の届かない路地裏の暗闇を、そっと覗く。

 複数の骸骨と私の視線があった。学校の理科室であるような人間の骸骨。ぽっかりと闇の詰まった眼窩が、私の方を向いている。完全に不意打ちだ。


「――――――――ッ!?」


 思わず、私は声にならない悲鳴をあげる。

 それに反応して骸骨達が動きだし、私の方に殺到する。


「霊感があって見えてしまうと襲ってくるタイプの怪異だね。今はまだ殆どの人間には見えないし、危険性は低いけど。放置もできないか」


 相も変わらず蒼子は冷静だ。懐から人型の白い紙を取り出した。それを口元寄せた瞬間その紙は勢いよく発火、そして燃え上がる。次第にそれは火の鳥を形成した。

 そして蒼子が唱える。


「――――朱雀、爆ぜろ!」


 それに呼応して、火の鳥が燃え盛る様な鳴き声をあげ――爆発して弾けた。

 骸骨達が周辺の闇ごと燃える。

 一瞬だけ、路地裏が花火でもあげたかの様に明るくなった。

 とても派手だ。

 私は嬌声をあげる。


「蒼子、格好良い! 今の陰陽師の式神ってやつ?」

「そうだね。陰陽師が使役する鬼神。まぁ僕が使えるのは、安倍晴明が使役した式神の紛い物なんだけど……。しかし格好良いって言われるのは、なんか新鮮だね。霊感のない人間には式神って見えないから大体ドン引きされるし」


 確かにそうかもしれない。私もそういう経験は散々してきたので良くわかる。

 ややあって火炎は収まり、再び周辺の闇は元通りとなる。

 地面にはバラバラとなって散乱した骸骨が転がっていた。観察していると、まだ微妙に動いている。

 蒼子が肩をすくめた。


「うーん、一晩経てば再生しそうだ。供養しないと、根治的な解決にはならないね。やはり寧音に来てもらわないと」


 言いながら蒼子はスマホを取り出して、再び電話をかける。

 すると突然、私達の背後からスマホの電子音が鳴った。

 私は振り返る。気がつけばそこには、街灯に照らされた人の姿があった。

 長身痩躯で黒いスーツを来た長髪の女性だ。確実に私や蒼子よりも年上。手には缶ビールがあり、それだけ見れば終電を逃したOLに見えなくもないが、もう片方の手にある錫杖が、それを完全否定していた。

 缶ビールを呷りながら、その女性がだるそうに言う。


「私のこと呼んだかしら。あと前々から言ってるけど、私を名前で呼ぶの止めてもらえる? 自分の名前、嫌いなのよ」


 どうやら彼女が件の僧侶、道明寺寧音の様だ。

 蒼子が親しげに応じる。


「なんでさ。『寧音』は良い名前だと思うけど。じゃあ何て呼べばいいんだい?」

「普通に『美人住職』とでも呼んでくれればいいわよ」


 ……自分で美人とか言っちゃうんだ。

 いや確かに彼女、道明寺寧音のルックスは良い。ニュースキャスター等をやっていても不思議ではなかった。

 とは言っても。どれだけの美人でも錫杖と缶ビールで全て台無しだ。

 蒼子が寧音に不満げな顔を向ける。


「僕達を見つけたなら黙っていないで、声を掛けてくれよ」

「いやね。私てっきり蒼子一人だと思っていたんだけど。見つけてみたら二人だったし。声を掛けようかちょっと迷っていたのよ。蒼子の彼氏だったら、やりづらいじゃない? まぁ違うみたいだけど……」

「ちなみに僕が連れているのが男性だったら、どうするつもりだったんだ?」

「そりゃ勿論、放置して帰るわ。ムカつくから」


 ビールを飲みきった寧音が、空き缶を路地裏に投げ捨てた。

 ……蒼子が、倫理がないと話していた意味がわかったような気がした。

この僧侶、色々と大丈夫か? 一回どこかから怒られた方がいい。


「それじゃ。この動く骸、さっさと供養するわよ」


 言って寧音はスマホを取り出し、何やら音声を流し始める。

 それは紛れもなくお経だった。親戚の法事で聞くような感じのやつ。

 すると地面で蠢いていた骸は、砂となって地面に溶けていった。


 ……マジか。というかスマホでお経を流して怪異を退治するって、アリなんだ……。

 私が疑惑の視線を送っていると、蒼子が溜息を吐く。


「普通の僧侶、陰陽師は機械で再生した声で術を使うなんて出来ないんだけど。寧音は、とても優秀なんだ。法術だけは本当に……」


 言葉尻が意味深であったが、私は突っ込まない。

 動く骸骨が消え、蒼子は周辺の安全を確認。改めて蒼子が寧音に言う。


「そういえば寧音。一つ頼みがあるんだけど」

「何かしら。とりあえず話だけなら聞くけど。彼氏を紹介してほしいとかなら、それは出来ないわ。というか私が紹介してほしいぐらいだし」

「違う、そうじゃない。この縁の話なんだけど……」


 と蒼子は私に目配せをして続ける。


「前世が何か占ってほしいんだ。頭の中で七つの声が聞こる、天啓の様な事象があるみたいでさ」


 大して興味もなさそうに寧音は、新しい缶ビールのプルトップをおこす。


「んー、まぁ簡単に見るだけならいいけど。他ならぬ蒼子の頼みだし……貴女、名前は?」


 と、寧音は私に話を振る。

 自慢じゃないが私は顔見知りの陰キャで、見知らぬ他人と喋る事が苦手だ。


「……く、枢木、縁です……」


 案の定、緊張して声がどもった。自分が本当に嫌になる。

 私の名前を聞いた瞬間、寧音が顔を顰めた……様な気がした。すぐに元の表情となる。


「なるほど、ゆかりちゃんね。ちょっと手を貸して。どれどれー」


 差し出した私の手を寧音が握った。そして寧音は私の瞳を覗き込むように顔を近づけ――――そのまま泡を吹いて倒れた。


 ……?

 いや、大丈夫? アルコールの飲み過ぎだろうか。

 寧音はアスファルトの上で痙攣している。


「大丈夫か!? 何があった?」

 蒼子が寧音を抱き起こした。すると寧音は絞り出すように、


「……その子、八岐大蛇だわ……」


 と言い残し、寧音は意識を失った。


 ……は?

 八岐大蛇って、なんか八つ頭のあるクソデカい蛇の化け物みたいなやつだよね。どうしてそんな化け物の名前が出てくるのか。

 意味が分からない。

 もしかして私の前世が八岐大蛇、みたいな話?

 頭の声も、八岐大蛇だから複数みたいなオチなの?


『そうだよ!』『正解!』『ご名答!』『然り』『だいたいあってる』『おおむねそれ』『酒が飲みたい』


 頭の中で勝手に類似語の列挙大会を開催するのはやめろ。

 っつーか、なんで少し嬉しそうなんだよ。ふざけんな。

 そもそも前世が八岐大蛇って、そんなのアリなの? いや既に人間じゃないじゃん。


「冗談だよね?」


 私は蒼子に問う。

 蒼子は何も答えない。今まで見た事のないぐらい、神妙な顔をしていた。

 ……え。 

 ……マジなの? は?

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