二章 東京都台東区浅草『浅茅ヶ原の鬼婆および動く骸骨』①
幽霊って本当にいるんだ。
彼女、塚谷雅(つかやみやび)は包丁で滅多刺しにされた自分を見下ろしながら、そんな事を考えていた。
そこはコンクリートの壁に囲まれた冷たい部屋。
部屋の隅には小窓がついており、そこから東京の街並みと、遠くにスカイツリーが見える。
結局、スカイツリーに行くことは叶わなかった。
何事もなければ明日に行く予定だったが……まぁもはや、どうでも良い話である。
部屋には白骨化した人の骸骨が積み上がり山となっている。
……この後、自分の亡骸もそこへ捨てられるのだろうか。どうだろう。その山を築いた張本人である彼女は、誤って殺してしまった娘の死体も、他人と同じように扱うのだろうか。それは解らない。
この地獄絵図を作った犯人の彼女は、部屋の隅にいた。
塚谷の亡骸の前で狂ったように慟哭、血の涙を流している。顔を覆う手に力が入り、爪が肉を抉り出血。血が涙と混ざり滴り落ちる。
しかし片手にある包丁を手放そうとはしない。その姿は『鬼婆』と呼ぶに相応しい。
そんな彼女だが、殺した人間が自分の娘と気づき泣いているところを見るに、まだ人間の心は残っているのだろう。
切欠は些細な話。
塚谷は元々裕福な家ではなく、幼い頃に父が病気で他界したため母が東京へ働きにでた。塚谷は親戚の家に預けられ、その後は母からの仕送りで生活していた。毎月五万円程度の仕送りだったが、それがある日突然、十万円、二十万円と増えはじめたのだ。
母自身も生活費が必要なはずであり、明らかに過大な金額である。
……何か悪いことをしているんじゃないだろうか。
そう思ったものの、塚谷は母に生活を支えられている手前もあり、何も訊けずにいた。
月日は流れて。東京都にて観光客が失踪、あるいは遺体で見つかる事件が多発しているニュースをテレビで見かけ、塚谷はとても悪い予感がした。
もしもこの事件に母が関与していて、仕送りの現金は他人を殺して強奪したものだとしたら。
そう考えてしまった塚谷はいても立ってもいられず、確かめるべく名前を偽って観光客を装い、母が働いていると聞いていた旅館に宿泊した。
結果を言えば、塚谷の悪い予感は当たる。
鬼婆と化した母からすれば、自分の娘と同世代の子どもが悠々自適に旅行しているのが許せなかったのだろう。自分の娘と気づかず包丁で滅多刺しにした母は、その後に鞄を漁り財布に手をつけた瞬間、顔色を変えた。見覚えのある財布だったらしい。
当然だ。それは昔、母が娘に誕生日プレゼントとして、買い与えたものである。
財布の中の学生証を見たところで、母は全てを確信したらしい。狂ったように泣き崩れた。
殺されてしまったものの、塚谷の気持ちとして母に恨みはない。そもそも塚谷は、自分があまり好きではなかったし、人生が楽しいと感じた事はない。ここで死ぬのは構わない。
しかし塚谷は思う。
……これから、どうなっちゃうんだろう。それは自分の話ではない、母の事だ。
塚谷は死んでしまったものの、母はまだ生きており、その影には何かが蠢いていた。
幽霊となった塚谷には、それが解る。母は何か悪いモノに憑かれ、乗っ取られている。魑魅魍魎、怪異の類いだろうか。
恐らくは実の娘を殺しても、母の凶行は止まらない。そんな確信があった。
もう死んだ自分の事はどうでもいい。だが大好きな母が、他人を殺め続けるという現実にだけは耐えられない。それだけが塚谷の未練だ。
もう喋ることもできないし、動くこともできない。
できる事は、後は神様に祈ることぐらいだ。
――――誰か、お母さんを止めて。お願いだから――――。
……まぁ解っている。祈ったところで、意味なんてないだろう。
塚谷はこれまでの人生で何度も神様に祈った。死ぬ直前にも、幼い頃に父が病気になった時も助けてほしいと願った。しかし結局、その願いが叶う事はなかった。
……そういえば例の噂『荒廃神社の黒巫女』も、どうなんだろう。生前に私もSNSへ投稿していたが、黒巫女は現れない。
つまるところ、この世界に神様なんていないのだろう。
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