間章『草壁蒼子、そして黒巫女について』

 翌日、蒼子は一人で病院に行き、私は一人ホテルの部屋に残される。

 鬼婆と対峙した時に捻った手首が少し腫れ始めたため、念のためである。

 私を庇って負ったもので、とても心配していた。軽い捻挫である事を願っている。


 ……もしも骨折など大きな怪我であったら、私はなんて謝ればいいんだろう。いや蒼子は許してくれるだろうけど、私は自分を許せそうにない。


 一人になった私は、悶々とそんなことを考えていた。

 鬼婆の怪異で小さなビジネスホテルには懲りたため、今回は大手チェーンのビジネスホテルに滞在していた。

 気分を紛らわすため何気なくテレビを眺めていると、ニュース速報が入る。

 東京都のホテルで大量の人骨、遺体が発見され、現在警視庁が捜査しているが犠牲者の数は百人以上になる見込みとの事。


 令和最大規模の大量殺人事件か? などとニュースでは報じており、ニュースキャスターが神妙な面持ちで「令和最悪となるかどうかは、警察の捜査が進まないと解りませんが。さすがに去年に京都であった『神隠し事件』越えはないと思いたい……ですね」などとコメントしている。


『神隠し事件』


 その単語は、私も聞いたことはあった。

 私が蒼子と出逢う前、一年ほど昔の事件だ。京都にて行方不明者が多発。後に死体で発見された……といった概要だ。犠牲者の数は数百人規模だったと記憶している。

 今回、私達の立ち向かった怪異がニュースでは大量殺人事件と報道されているのと同様に、まさか京都の神隠し事件も怪異の仕業なのだろうか。


 もしそうなら、蒼子なら何か知っていそうだ。


 部屋の隅のハンガーには、蒼子の白いモッズコートが掛けられていた。病院へは着ていかなかったらしい。 


 ……そういえば蒼子って、何でいつも白い服を着ているんだろう。


 蒼子と出会って三ヶ月と少し経つが、私は蒼子の事を、あまり良く知らない。

 SNSのインフルエンサーで怪異退治をしている陰陽師。フィアットの車検証には『草壁蒼子』の名前が載っており本名らしい。

 実家は京都の神社で陰陽師の末裔……という話は以前、雑談で聞いたことがあった。

 後いつも飲む缶コーヒーはブラック。加糖は飲まない。

 草壁蒼子という人物で、私が知っている事と言えばそれぐらい。


 ……蒼子に兄妹はいるのだろうか? オカルト以外に趣味はあるのだろうか? あまり甘い物を食べようとはしないが、もしかして苦手なんだろうか? 京都のどの辺りに住んでいるんだろう?


 ……そしてあの黒巫女、鬼一佑雁とはどういう関係なのか。


 色々と気になるし、私はもっと蒼子の事を知りたいと思った。

 寧音は蒼子と旧知の中らしく、彼女に聞くのが一番早いかもしれない。寧音と連絡をとる手段、会う方法はないかと考えて……私は一つ、寧音がいそうな場所を思いついた。

 他にやる事もなく、私は部屋から飛び出す。


 日中の浅草。案の定と言うべきか。私は寧音を、雷門通り前にある居酒屋の付近で発見した。

 今日も昼間から居酒屋で飲んだくれているようだ。本当にお酒好きな人だな……。

 私と目が合うと寧音が手招きしてくる。


「あら。八岐大蛇――――じゃなかった。縁ちゃんだったわよね。こんにちは。変なところで会ったわね」


 まさか寧音を探してここに来たとは言えず、私は適当に挨拶を返した。

寧音が私の肩を叩く。


「そういえば私、縁ちゃんに聞きたいことがあったのよ。これから少し、喫茶店でお茶でもどう? 勿論、私が奢るわ」


 寧音の提案は好都合であった。

 私が同意すると、寧音が付近にある赤提灯の店を指さした。


「それじゃ、あの喫茶店にしましょう」

「いや、居酒屋じゃないですか……」


 私は思わず突っ込んだ。

 寧音が肩をすくめる。


「喫茶店も居酒屋も似たようなものよ。同じ漢字三文字だし。まぁ細かいことはいいから」

「構いませんけど。私、お酒は飲めませんよ。未成年ですし」

「そりゃ当然、縁ちゃんはジュースにしてね。ああ、後これも言おうとしていたんだけど。縁ちゃん、八岐大蛇の生まれ変わりで声が聞こえるんでしょ。酒で意識が弱くなると、八岐大蛇に体を乗っ取られる可能性があるわ。だから声が聞こえる内は、お酒は駄目よ。お姉さんと約束してね」


 そう言われ、腑に落ちるものがあった。

 鬼婆と遭遇した晩、体の自由が利かず勝手に動く現象があった。今思えば、それは飲酒したせいで、八岐大蛇が表に出てきたせいなのかもしれない。


 二人で赤提灯の店の暖簾をくぐりテーブルに案内され、私はウーロン茶、寧音は生ビールを注文。運ばれてきたビールを美味しそうに飲む寧音に、私は聞く。


「蒼子って、どういう子なんですか? 三ヶ月ぐらい一緒に旅をしているんですが、私はあんまり蒼子の事を知らなくて」

「んー、そうねえ。草壁蒼子。京都で地元の名士、神社の娘で稀代の天才陰陽師よ。ちなみにかの有名な陰陽師、賀茂忠行の末裔よ。陰陽寮って言う、怪異退治を商売にしている人間の組合みたいなものがあって。その中でも才能はズバ抜けていたわね。安倍晴明の十二天将を式神で使役できるのは、現代では蒼子ぐらいだし。あぁ後、蒼子は私の遠い親戚でもあるわ」

「寧音さんと蒼子って身内なんですか?」

「凄く遠い身内だけどね。家系図を辿ると、明治までは同じ一族だったみたいなんだけど。神仏分離で蒼子の祖先は神社、私の祖先は寺で別れたみたいね。私は蒼子が生まれた時から知っていて、私は勝手に蒼子の姉みたいな感覚でいるし、向こうももしかしたら私を姉みたいに思っているかもね。まぁそれはいいんだけど。縁ちゃん、私も訊いていい?」

「もちろん、いいですよ」

「縁ちゃんは、蒼子と出会って三ヶ月って言っていたけど。その時の話、聞かせてもらえないかしら? 縁ちゃん、蒼子と一体どういう出会い方をしたの?」


 少し迷ったが、隠すような話でもなかった。端的な話、私が死のうとしていたところを蒼子に救われ、その後は手伝いをしているだけの話だが……。

 話すと、寧音には何か納得するものがあったらしい。

 寧音が腕を組む。


「なるほどね、正直、蒼子が友達を連れて歩く事自体が不自然なのよ。……それと縁ちゃん、蒼子から『ゆかりん』なんて呼ばれてない?」

「どうして解るんですか?」


 寧音が深く、重い溜息を吐いた。


「順を追って話すわ。縁ちゃん、一年前に京都で起きた『神隠し事件』って聞いたことあるわよね。当時あれだけマスコミが大騒ぎしていたし。あれも今回の鬼婆と一緒で、人間に怪異が憑いて起こした事件で。……酒吞童子って妖怪の伝承、聞いた事ないかしら」


 酒呑童子。何となく、どこかで聞いた事がある有名な妖怪だ。

 私は頭を捻る。


「……江戸時代とかに、京都で荒らし回った鬼……みたいな妖怪でしたっけ」

「江戸じゃなくて室町時代ね。後は大体あっているわ。酒吞童子は配下に五人の鬼がいて、京都を荒らし回ったという伝承ね。一年前、その怪異が現代に蘇って、関西で振り込め詐欺とか強盗をやっていた犯罪グループに憑いたの。酒呑童子と、あと五人の配下で計六人。……それが今までの怪異とは別格なほど強力で。酒呑童子達はまず、自分達の敵になる陰陽師、僧侶を狙って殺しはじめた。それが神隠し事件の始まり。……警察の発表だと被害に遭った死者は三百人……という発表になっているけど、これは死体が出てきた人間の数で、実際には千人近くが神隠しに遭って殺されたわ。陰陽寮の陰陽師や僧侶も殆どやられて、それで今の怪異退治界隈は慢性的な人手不足って訳。私と蒼子は、その生き残りなのよ」


 ……予想以上の話に、私は何も言えない。

 寧音は続ける。


「草薙蒼子と、鬼一佑雁っていう同じぐらい才能があった鬼道の巫女がいてね。蒼子の幼馴染で、姉妹みたいにしていたんだけど……。酒呑童子も、この二人が中々倒せなくて手を焼いたのね。そこで酒吞童子は茨木童子を含む仲間の鬼を使って、蒼子と佑雁の周りの人間を狙いはじめた。結果から言うと、蒼子と佑雁は家族は勿論、仲の良い友人を含めて、当時通っていた高校に至っては全校生徒、職員に至るまで全員が神隠しに遭ったわ。その殆どが未だ死体すら出てきていない。最後は酒呑童子も討伐されて終結したんだけど、その時に鬼一佑雁も行方不明になったわ。……正直、私も昨日のアレを見るまでは死んだと思ってた」

「その鬼一佑雁って子が、あの黒巫女なんですか?」

「それについては微妙だわ。身体は間違いなくそうだけど、蒼子の口ぶりからすると、何かしらの怪異に依代にされていて、中身は違うのかもしれない。……長らく、酒呑童子を誰が討伐したのか謎だったんだけど、たぶん鬼一佑雁が自分自身に怪異を降ろし、怪異と化す事で斃したんでしょうね。……その後、鬼一佑雁は、全国の怪異を斃して回る怪異と化した。それが『荒廃神社の黒巫女』の正体……って私は勝手に想像しているけど。どうでしょうね。真相は謎だわ。何の怪異を降ろしたのかも謎だし。たぶん妖怪じゃなく、何かの神仏だと思うけど……」


 ここで寧音が一息ついて、生ビールを呷る。

 私は蒼子の旅をしている理由が、何となく解った。もしかすると蒼子は、怪異と化した鬼一佑雁を助けようとしているのかもしれない。

 鬼一佑雁。蒼子が姉妹みたいにしていた幼馴染。

 まぁ説明されるまでもなく、蒼子の親友なのだろう。凄く仲が良かったに違いない。


 ……私と違って、蒼子は前向きで格好良く凄く良い子だと思う。仲の良い友人がいて当然だ。当たり前なのだが……。


 私は、心のどこかで残念に感じていた。


 自分でも訳が解らない。……もしかすると私は、自分と同じ様に、蒼子も友達のいない人間であってほしいと願っていたのかもしれない。そんなはずないのに。


 蒼子も自分と同じ境遇、不幸であってほしいという、とても劣等な感情だ。ネガティブどころか、劣等な考えしかできない自分が本当に嫌になる。


 思考がぐるぐるする。

 寧音は話す。


「……まぁそういった経緯があって。蒼子は他人と必要以上に関わるのを避けるようになったのよ。蒼子と関係が深いと、怪異に狙われる可能性が高い。酒呑童子は斃されたけど、また似たような怪異がいつ出てくるか解らないし。……それで私、蒼子が縁ちゃんを連れているのを見たとき驚いたんだけど……。縁ちゃんの話を聞いて腑に落ちたわ」


 私の声が震える。


「……どういうことですか?」

「縁ちゃんは自殺しようとしていた訳で。もしかしたら蒼子は、貴女のことを死んでも構わない自殺志願者だから連れているのかもしれない。……あと話が最初に戻るけど『ゆかりん』って愛称は、蒼子の親友、鬼一佑雁の呼び名だったのよ。蒼子は貴女を、鬼一佑雁の代替にしている可能性もあるわ。……いずれにしても、あまり良くないわ、こういうの」


 ……私は、代替?

 私は言葉を失う。頭を殴られたような気がした。


「ねぇ。私がどうして細かい事情を、貴女に話しているか解るかしら。ちゃんと納得してほしいからなんだけど……。端的に言うけど――」


 そして寧音が言う。


「――蒼子と旅をするの、やめてもらえるかしら」

「……ど、う―――――て」


 感情が溢れて、私の口から言葉にならない声が漏れた。

 しかし寧音には伝わったらしい。

 途端、寧音が優しい顔になる。


「私は意地悪をしている訳ではなくて。縁ちゃんにも蒼子にも幸せになってほしいのよ。仮によ、昨日の鬼婆よりも強い、狡賢い怪異が出現した場合。縁ちゃん、貴女、絶対に狙われるわよ。シンプルな話、貴女と蒼子が一緒にいると、二人とも生存率が下がるのよ。ちなみに―――――縁ちゃんはさ、この三ヶ月。何回、蒼子に命を助けてもらった?」


 そんなことは数え切れない。

 出会った時から、昨日に至るまで私は何度も蒼子に救われている。

 動悸がして私は何も言えない。


「――貴女が蒼子の隣にいて、何の役に立つの? 確かに役には立つでしょうけど、それって蒼子一人でも十分じゃないの?」


 私は何も言えない。


「――あと貴女の八岐大蛇も、とても厄介だわ。時折とても強い妖気が漏れていて。勘の鋭い怪異なら遠くからでも気づくわ。貴女は怪異を引き寄せる的にしかならない」


 何も言えない。


「――貴女、蒼子の足手まといでしかないでしょ」


 ……もうやめて……。


 テーブルに涙が落ちる。気がつくと、私は泣いていた。

 寧音はばつが悪そうな顔をした。


「……ごめんなさい、ちょっと言い過ぎたわ。私も飲みすぎたわね。昔は酒癖の悪い大人にだけはなるまいと思っていたけど、気がついたら自分もそうなっているわね……。あーやだやだ。最後になんだけど。縁ちゃんは蒼子のこと、好き?」


 私は沈黙。すると寧音は笑う。


「……ちなみに私は蒼子の事は嫌いじゃないわ。一年前に沢山の知人、友人を亡くしたのは蒼子だけではなく、私も一緒で。だからもう、私も蒼子を死なせたくないのよ。感情的になってしまって、ごめんなさい。私も大人げなかったわ。……それじゃ私、先に行くから。勘定は払っておくわね。縁ちゃん、また会いましょう」


 飲みかけのビールを残したまま、寧音は席をたった。支払いを済ませて店を出て行く。


 一人、私は居酒屋に残された。

 視界に映る赤提灯が揺らぐ。


 ……蒼子にとって、私は何なのか。


 確かに私は『死にたい』と公言していた。寧音の言うとおり蒼子は、私が死を願う人間だから、死んでも構わないから一緒に居てくれるのだろうか。あるいは、私はその鬼一佑雁という少女の代わりなのか。私に存在価値なんてない事は、自分が一番よく解っている。だから死んでも差し支えの無い、何かの代替、そういった扱いが当然かもしれない。それでもいい。私は蒼子と一緒にいたかった。蒼子と別れて元の生活に戻るなんて、とても考えられない。死んだ方がマシだ。


 悲しい気持ちで溢れて、思考がぐちゃぐちゃになる。


 ……とりあえず帰ろう。


 暫くしてそう思い立ち、私は立ち上がった。

 店を出て、一人でホテルの部屋に戻る。蒼子はまだ帰ってきていなかった。

 少し私は安堵する。今、蒼子の顔を見たら、たぶん泣いてしまう。

 何もする気が起きず、私はベッドに横になった。

 その時、私のスマホが鳴る。画面を見るとメッセージが入っている。


 蒼子からだ。

 病院で検査したところ、ただの軽い捻挫とのことだった。その後に、夕飯どこか食べにいかない? というメッセージが続いていたが、私はそれを無視した。

 見なかった事にして、スマホの机の上に投げる。

 視界が滲む。もう限界だった。感情が決壊して嗚咽が漏れた。


 ……蒼子の怪我が大事ではなくて良かった……。


 そう思いながら、私は目蓋を閉じた。


 睡魔は、すぐにやってきた。

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